第六章-2 来賓室にて
やがて午前の公式視察がひと区切りつくと、来賓一行は昼餐のため迎賓用の棟へと案内されていった。学生たちもいったん持ち場を離れ、それぞれ昼食をとる時間になる。
その直前、学園長付きの書記官がアルシオへ近づき、丁寧に告げた。
「セレスティア殿下。王配殿下が、来賓室でお待ちです。短い時間ではありますが、私的なお時間を設けております」
やはり、と思うのと同時に、胸の奥が少しだけざわめく。隣にいたレックスも、その言葉にわずかに表情を引き締めた。
「分かりました」
アルシオは頷き、昼餐へ向かう生徒たちの流れから外れる。後ろでアエラがちらりとこちらを見た気配がしたが、振り返る余裕はなかった。
*
来賓室の扉を叩くと、中からすぐに低い声が返った。
「入っていい」
その声を聞いただけで、不思議と胸が暖かくなる。扉を開けると、ルークが立ち上がった。上着を脱いで、少しラフな服装になっており、公の場で見ていた時よりずっと近い、懐かしい父の空気がそこにあった。
「父上」
そう呼んだ途端、ルークの表情がやわらぐ。
「よく来たな、アルシオ」
そのまま歩み寄ってきたルークは、ためらいなく腕を広げた。一瞬だけ気恥ずかしさが先に立つ。けれど、それより前に身体が動いていた。抱きしめられる。広い胸と、落ち着いた香が近い。公の場で漂っていた威厳ある姿とは違う、家族だけが知っているものだった。
「……少し背が伸びたか」
耳元でそんなことを言われ、アルシオは思わず小さく笑う。
「そうかもしれない」
「ああ。成長したな」
離れたあと、ルークの大きな手が頭へ置かれる。子ども扱いのようでいて、嫌ではなかった。むしろ、ひどく懐かしい。
「少し大人の顔をしている」
その一言に、胸の奥がじんわり熱くなる。
「父上……、来てくれて嬉しい」
口にしてから、少し照れくさくなる。けれどルークは何もからかわず、ただ静かに目を細めた。
「私もだ」
そのやり取りを少し後ろで見ていたレックスが、なんとなく気まずそうに視線を外している。だがルークはすぐにそちらへ向き直った。
「レックス」
「は、はい」
思わず背を正したレックスに、ルークはまっすぐ言う。
「いつもアルシオのそばにいてくれてありがとう」
予想していなかったのだろう。レックスが一瞬、目を丸くする。
「俺は……当然のことをしてるだけです」
「その当然が、どれだけありがたいかを私は知っている」
ルークの声音は穏やかだった。だが、だからこそ言葉の重みがよく伝わる。
「本当に感謝している」
レックスは少しのあいだ何も言えなかった。やがて、いつものように少し不器用な調子で頭を下げる。
「……もったいないお言葉です」
けれど、その横顔は隠しきれない誇らしさで少し赤くなっていた。
ルークはそんな二人を見て、ようやく少し肩の力を抜いたらしい。来賓室の卓へ向かいながら言う。
「アリーシャも、随分気にしていた。年末に帰ってきた時に色々聞けるだろうが、待ちきれないと言っていたぞ」
「母上らしいね」
「それから、エクシオとルナーリアからだ」
そう言って差し出されたのは、丁寧に封をされた二通の手紙だった。
見慣れた筆跡が目に入った瞬間、アルシオの表情が自然とゆるむ。
「エクシオは相変わらず、早くお前と同じ学園へ行きたいと書いていた。ルナーリアは、向こうで咲いた花を押し花にして同封したそうだ」
「ほんとに?」
「開けるのはあとでにしておけ。崩したら怒られるぞ」
そう言われて、アルシオは慌てて手紙を大事に抱え直す。
ルークは今度はレックスへ視線を向けた。
「お前にも預かっている」
「俺にもですか?」
「エリアスとアンナからだ」
小さな包みと手紙が差し出される。レックスは一瞬だけ驚いた顔をしてから、少しだけ口元を引き結んだ。
「……ありがとうございます」
「開けてみれば分かるが、どうやら菓子も入っているらしい。また、手紙を書いてあげなさい」
「……母さん、そういうとこありますからね」
そう言いながらも、レックスの声はどこか嬉しそうだった。
わずかな時間だったが、その空間だけは創設祭の華やかさや公の緊張から切り離された、家の中に近い温度を持っていた。ルークは椅子へ腰を下ろし、アルシオを見上げる。
「午前中の説明、よかった」
その一言に、アルシオは思わず姿勢を正した。
「本当に?」
「本当だ。言葉を並べるだけでなく、自分たちが何を中心に置いているのかがきちんと見えた」
あの場では来賓の一人として聞いていた男が、今は父としてそう言う。その違いが、かえって胸に沁みた。
「アエラ嬢も、いい副代表だな」
さらりと続いたその言葉に、アルシオは少しだけ反応が遅れる。
「……うん」
「お前が整え、彼女が熱を入れる。よい形だった」
そう言われると、なぜだか妙に落ち着かない。ルークはそこまで言ったあと、わずかに目を細めた。
「学園での時間は、ちゃんとお前の血になっているようだ」
それは、褒め言葉だった。だからこそ、胸の奥にひそんでいた緊張が少しだけほどける。その時、扉の外で控えめなノックがした。
「失礼いたします」
少女の声だった。
「そろそろお時間ですが……王子殿下、レックス。行くわよ?」
アエラだ。
ルークが「どうぞ」と応じると、扉が少し開いて、そこからアエラが顔を覗かせた。公の場らしくきちんと整えてはいるが、ユリウスの前へ出る時とも学生たちといる時とも少し違う、よそいきの表情だ。
ルークは立ち上がり、穏やかに言った。
「君がユリウス殿のご令嬢だね」
アエラの背筋が、ぴんと伸びる。
「はい。アエラマリーナ・アルタイルです」
「これからもアルシオと仲良くしてやってくれ」
低く渋い声音だった。抑えた落ち着きがあるのに、妙に耳に残る声だ。その瞬間、アエラの頬がふっと染まった。一瞬だが、瞳に熱がこもっていた。
アエラは「ありがとうございます」と礼儀正しく返していたが、その目は少しだけ泳いでいる。
――なんで赤くなるの。胸の奥にざわつきが走る。アエラから目が離せない。ルークはそんなアルシオの様子に違和感を覚えつつも、ただ静かに頷いた。
「午後も忙しいだろう。引き留めて悪かったな」
「いえ」
アルシオはそう答えながらも、アエラから目を離しきれなかった。来賓室を出る直前、ルークがもう一度だけアルシオへ目を向ける。その視線には、何かを見抜いたような、けれど何も言わない大人の余裕があった。
廊下へ出ると、アエラは数歩ぶんだけ前を歩いた。振り返らないが、その耳までまだ少し赤い。
「……アエラ」
思わず名を呼ぶと、彼女はぴたりと足を止めた。
「な、何よ」
「いや……」
何を聞きたいのか、自分でも分からない。どうして父の声にあんなふうに反応したのか。なぜそれがこんなに気になるのか。言葉にならずに黙り込むと、アエラはますます顔を熱くしたようだった。
「何でもないなら、早く行くわよ」
少しだけ早口でそう言って、また歩き出す。アルシオはその背中を見ながら、胸のざわつきがまるで静まらないのを感じていた。




