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第五章-3 選ばれた言葉

 

 いよいよだ。用紙が配られ、皆が無記名で投票を行う。誰がどの案を選ぶのか。ここから先は、誰にもわからない。アエラが小さく息をつく。アルシオもまた、自分の席へ座る。ふと視線を上げると、向こうの卓のランスと目が合った。ランスは何も言わなかった。けれど、その視線には以前のような測るだけの鋭さではなく、静かな敬意に近いものが混じっている気がした。やがて集計が始まり、教室全体が息を潜めた。


 投票用紙を回収した教員たちが、教壇の上で一枚ずつ確認していく。紙の擦れる音だけが、妙に大きく響いた。誰もが前を向いているのに、視線だけは落ち着かない。結果を待つ時間というのは、どうしてこうも長く感じるのだろう。


 アエラが、机の下で指先を握ったり開いたりしているのが見えた。アルシオ自身も、呼吸が少し浅くなっているのを感じていた。

 どの案にも理はあった。クラス二の主張は力強く、分かりやすかった。クラス三の案は堅実で、説得力があった。自分たちの案がどこまで届いたのか、正直、確信は持てない。

 ふと、横から小さな声がした。


「そんな不安か?」


 レックスだった。アルシオはわずかに目を向ける。


「だって、まだ結果が出てないし」


「大丈夫だろ」


 レックスは前を向いたまま言う。


「お前ら、ちゃんと通したよ」


 妙に確信めいた声音だった。


「……やかまし係の勘?」


 アエラがかろうじて軽口らしいものを返すと、レックスは鼻を鳴らす。


「失礼だな。ちゃんと見てたんだよ」


 それ以上は言わなかったが、その一言だけで、少しだけ張りつめた空気が緩んだ。ようやく、進行役の教員が立ち上がる。


「集計が終わりました」


 その瞬間、会場がまた一段静まる。教員は一枚の紙を手に、淡々と結果を読み上げた。


「クラス三案――十七票」


 どよめきが小さく起こる。少なくない票数だ。ザンザスの主張が、制度と継続性を重んじる層に確かに届いていたのだと分かる。


「クラス二案――十九票」


 先ほどよりも大きく空気が揺れた。ランスたちの案は支持を集めている。アエラが思わず息を呑む気配がした。ゲイルの腕に、わずかに力が入る。教員が最後の一枚へ目を落とす。


「クラス一案――二十四票」


 数拍の静寂のあと、ざわめきが一気に広がった。クラス一の卓の周囲で、息を詰めていた空気がまとめて解ける。アエラがはっと顔を上げ、ユフィーリアが静かに息を吐く。ゲイルでさえ、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 勝った。僅差だった。だからこそ、かえって重みがあった。ほんの少し弱ければ、どの案が勝っていてもおかしくなかったのだ。アエラが最初に反応した。


「……っ、やった!」


 小さく叫んだあと、はっとして口元を押さえる。だが、もう頬には隠しきれない笑みが浮かんでいた。ユフィーリアは微笑みながら、小さく拍手を打つ。


「よかったですわ」


「本当に僅差だな」


 ゲイルが結果の紙を見ながら呟く。アルシオはすぐには声が出なかった。勝ったという実感が、少し遅れて胸の奥へ広がってくる。自分たちの案が、ちゃんと届いたのだ。

 その時、向こうの卓から立ち上がる人影があった。ランスだった。彼は真っ直ぐこちらへ歩み寄ると、まずアルシオを見た。赤毛の青年の目は、負けた悔しさを隠してはいない。だが、それ以上に澄んだものがあった。


「お見事でした」


 率直な一言だった。アルシオも立ち上がる。


「ありがとう」


「正直に言えば、最後までこちらが通ると思っていました」


 そう言って、ランスはわずかに目を細める。


「ですが、貴方たちの案は、ただ都合よく混ぜたものではなかった。何を中心に置いているのかが、最後にははっきり見えた」


 その言葉に、胸の奥が小さく熱を持つ。


「そっちの案も、強かったよ」


「ええ。ですから、悔しい」


 きっぱりと言い切ったあと、ランスはふっと息をつく。


「だが、納得もしています」


 そう言って一礼する姿には、敗者の見苦しさなど少しもなかった。少し遅れて、ザンザスも席を立つ。彼は相変わらず大きく感情を表に出さない。ただ、アルシオたちの卓の前まで来ると、静かな声で言った。


「基金の必要性を軽く扱わなかった点は評価します」


 それは彼なりの賛辞なのだろう。横にいたエレンも小さく頷いた。


「制度を後回しにしない形だったのは、よかったと思います」


「ありがとう」


 ユフィーリアがやわらかく頭を下げると、エレンは少しだけ慌てたように視線を逸らした。その様子がほんの少しだけ場を和ませる。進行役の教員が、ざわめきの残る会場へ向けて言う。


「では、本日の決議案はクラス一案を採用とします。ただし、他クラスの議論にも十分な妥当性が見られました。採用案は、クラス二案およびクラス三案の意見も踏まえ、最終文言を整えること」


 完全勝利ではない。けれど、それがかえってよかったとアルシオは思った。異なる主張があって、その上でなお、自分たちの案が選ばれた。その事実の方が、ずっとこの学園らしい気がした。

 評議会が終わり、生徒たちが少しずつ席を立ち始める。張りつめていた空気がほどけると同時に、あちこちで小さな議論の続きが始まった。


「惜しかったな、クラス二」

「でもクラス一も納得だった」

「基金の話が入ってたのが大きかったんじゃないか」

「いや、最初のアルシオ殿下の説明がよかったよ」


 そんな声が耳に入る。その中でアエラは、まだ少し信じられないような顔をしていた。


「ほんとに……勝ったのね」


「うん」


「私、最後はクラス二に持っていかれるかと思ったわ」


「私も少し思いました」


 ユフィーリアが素直にそう認める。


「ランスさんの主張は明快でしたもの」


「でも、こっちもちゃんと通っただろ」


 ゲイルがそう言った。ぶっきらぼうな言い方だったが、その声音にはたしかな手応えがあった。


「……そうね」


 アエラはそこでようやく、いつものように口元を上げた。


「ふふ。代表、ちゃんとやったじゃない」


「クラスみんながいたからだよ」


 アルシオがそう返すと、アエラは一瞬だけ黙る。それから、ほんの少しだけ頬を緩めた。


「まあ、それはそうだけど」


 強がっているようで、その実、嬉しそうだった。そのやり取りを少し離れたところで見ていたゲイルが、わずかに視線を伏せる。――やっぱり、そうなのだ。互いにまだ何も言っていない。けれど、もう十分に分かってしまう。アエラがアルシオを見る目も、アルシオが彼女に向ける声も、他とは違う。胸の奥に、鈍い痛みが走る。けれどその横顔を、ユフィーリアが何も言わずに見ていた。



 *



 模擬評議会の結果は、その日のうちに学園全体へ伝えられた。創設祭の収益は、今年の催しを来年以降へ繋げるための基盤として用いられること。公開講義や展示の質を高め、学園の理念を外へ正しく示すための整備を進めること。そのための記録と、一部基金化を含めた継続的な運用を目指すこと。

 決議案は、一年生の総意として創設祭の場でも発表されることになる。その知らせを聞いた時、学園の空気はまた少し変わった。


 模擬評議会は授業の延長などではなかったのだと、誰もが理解したのだろう。自分たちの言葉が、実際に学園の形の一部になっていく。その手応えが、生徒たちの間に静かな誇りを生んでいた。


 放課後、中央棟の回廊を歩きながら、アルシオは窓の外へ目を向けた。中庭では、すでに創設祭へ向けた準備が始まりつつある。飾りつけの打ち合わせをしているらしい教員たち。展示に使う品を運ぶ上級生。開かれた一日のために、学園そのものが少しずつ表情を変えていく。


「創設祭、楽しみになってきたわね」


 隣を歩くアエラが言った。その声音には、模擬評議会を終えた高揚がまだ少し残っている。


「うん」


 アルシオは頷いた。


「そうだね」


 この先、創設祭では自分たちの決議案が外の人々の前で示される。来賓も訪れる。学園の内側だけで完結していた日々が、少しずつ外へ開かれていく。それでも、不思議と怖さばかりではなかった。親睦競技会で剣を握った時とも、図書館で本を開いている時とも違う。けれど、今日の評議会で立っていた時、胸の奥にはたしかに熱があった。もしかすると、自分は少しずつ、この学園の中で自分の立ち方を見つけ始めているのかもしれない。そして、そのすぐ傍らには、アエラがいる。ふと視線を向けると、ちょうど向こうもこちらを見ていた。


 一瞬だけ目が合う。すぐには逸らさない。けれど、次の瞬間には、どちらからともなく少しだけ照れたように視線が外れる。夕方の光が、回廊の床を淡く染めていた。

 

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