第4章-2 ランスとの対話
それから数日で、学年の空気は目に見えて変わった。昼休みになれば、食堂では普段あまり席を同じくしない生徒同士が小声で話し込み、講義の合間の廊下でも、さりげない顔で呼び止め合っては何事かを囁き合う姿が見える。模擬評議会は、壇上に立つ前からすでに始まっていた。しかも、それは代表者たちだけのものではない。
クラス一の生徒たちもまた、それぞれに動いていた。実技場の整備を重視する生徒には、学園の価値を外へ示すことの意味を説く者がいる。制度や基金の必要性に関心を示す生徒には、創設祭の収益を単発で使い切らないという考えを伝える者がいる。
全面的に一致する必要はない。この部分なら、同じ意見だ。ここまでは、共に押せる。そういう細い糸を拾い集めるように、少しずつ支持は形になっていった。
クラス一の案は、一見すると折衷的だった。対外的な価値を高めること。それを支える学園の中身を整えること。さらに、一度きりで終わらせないための継続性を持たせること。
欲張りすぎだと言われれば、その通りかもしれない。けれど逆に言えば、クラス二の「まず中身と威信を整えるべきだ」という主張とも、クラス三の「制度として残らなければ意味がない」という主張とも、部分的には手を結べるということでもあった。
「全部を敵に回す必要はありませんわ」
放課後、教室の一角でノートを広げながら、ユフィーリアが静かに言った。
「わたくしたちが押したいのは、あくまで“学園が今後も外から必要とされるための使い方”ですもの。そのために必要な整備と継続性なら、クラス二とも三とも、部分的には一致できます」
「つまり、正面から全部勝ち取るんじゃなくて、引き寄せられるところから引き寄せるってことね」
アエラが腕を組んだまま言う。
「ええ」
「……ちょっとずるいわね」
「評議会ですもの」
ユフィーリアは涼しい顔で答えた。ゲイルが鼻を鳴らす。
「でも間違っちゃいない。設備整備の要素が入ってるなら、クラス二は全部を否定しにくい。基金化の話が入ってるなら、クラス三も正面からは潰しづらい」
「要はさ」
そこでレックスが、窓の外を見たままぽつりと言った。
「こっちの案が“いいとこ取り”に見えるか、“全部を繋ぐ案”に見えるかだろ」
一瞬、教室が静まる。アエラが、ゆっくりそちらを振り向いた。
「……妙を得てるわ。さすが」
「だからその呼び方やめろ」
「まだ言ってないじゃない」
不機嫌そうに言いながらも、レックスの言葉は核心だった。アルシオは手元の紙へ目を落とす。いいとこ取り。あるいは、繋ぐ案。見え方の違いは、そのまま票の動きに繋がるだろう。
自分たちの案は、単に欲張りなのではない。そう見せないためには、中心にある考えを、自分たち自身がはっきり掴んでいなければならないのだ。
ふと、ランスならどう言うだろう、と思った。
*
その日の昼休みの終わり、アルシオは中央棟と実技棟を繋ぐ回廊で、ランス・オルトリアンと向かい合っていた。
偶然ではない。互いに、相手と話すべきだと思っていたのだろう。昼の光を受けて、ランスの赤毛は相変わらず鮮やかだった。長身の体躯も、立っているだけで周囲の空気を押し広げるような存在感がある。けれどその眼差しは、三章の頃よりいくらか静かだ。鋭さは変わらないが、今は測るための目だった。
「交渉が活発ですね」
先に口を開いたのはランスだった。
「そっちもね?」
「ええ。壇上に立ってから考えるようでは遅いでしょう」
その言い方に、アルシオは小さく頷く。
「そうだね」
短い沈黙が落ちる。すれ違っていく生徒たちも、この二人のあいだに流れる空気には割り込まなかった。やがて、ランスが静かに言った。
「貴方のクラスの案は、興味深いと思っています」
意外な切り出し方だった。アルシオは少しだけ目を瞬く。
「そう?」
「ええ。もっとはっきり、どこか一つに振り切るかと思っていました」
「曖昧だと思った?」
そう問うと、ランスはわずかに首を振る。
「曖昧、とまでは言いません。ただ、広く拾いすぎれば、結局何を重んじているのか見えにくくなる危うさはある」
言い方は穏やかだった。否定のための否定ではなく、実際にそう見えた部分をそのまま口にしているのが分かる。
「対外的な価値を高めたい。だが、そのためには学園内部の整備も必要であり、さらに制度として残る形も欲しい――理屈としては理解できます。ですが、それでは“何を最優先にするか”がぼやけやすい」
「……うん」
アルシオは素直に頷いた。
「それは、僕も気にしてる」
ランスの目が、ほんのわずかに細められる。否定されると思っていたのかもしれない。
「認めるのですね」
「認めるよ。そこは、たしかに弱く見えやすい」
アルシオは回廊の外へ目を向けた。中庭の木々が風に揺れている。その向こうでは、創設祭に向けた準備なのか、数人の教員が何かを運んでいた。
「でも、僕たちの案は、全部を同じ重さで欲しがってるわけじゃない」
そのまま、アルシオはもう一度ランスを見る。
「一番重きを置いているのは、学園が今後も外から必要とされることなんだ」
ランスは黙って聞いていた。
「創設祭を、その場限りの華やかな催しで終わらせたくない。学園の理念や価値を外へ伝え続けるための起点にしたい。そこが中心にある」
言葉にしていくうちに、自分の考えが少しずつ輪郭を持っていくのが分かる。
「そのためには、見せ方だけ整えても足りない。中身が伴っていなければ、続かないから。だから基盤整備も必要になる。……それから、一度きりで終わらせないための形も欲しい。基金でも、運用でも、次に繋がる仕組みがなければ、結局その年だけで終わってしまう」
ランスはしばらく何も言わなかった。ただ、視線だけがまっすぐアルシオに向けられている。
「つまり」
やがて、ランスがゆっくりと口を開く。
「貴方が拾っているのは、別々の主張ではないのですね」
「うん」
「中心にあるのは、学園を今後も必要とされる場所にすること。そのために、外へ示すことも、中身を整えることも、残る仕組みを作ることも必要だと」
「そういうこと」
ランスはそこで初めて、小さく息を吐いた。
「なるほど」
その声音には、明らかに先ほどまでとは違う納得があった。
「それなら、筋は通っています」
率直な言葉だった。アルシオは一瞬、返す言葉を失う。もっと反論が来るかと思っていたのだ。
「……素直に認めるんだね」
そう言うと、ランスはほんのわずかに口元を動かした。笑みと呼ぶには淡いが、三章の頃より確かに柔らかい。
「理にかなっていれば、認めます。私が気にしていたのは、考えが散っているのではないかという点でしたから」
そこで一拍置く。
「ですが、それでもなお、私の考えは変わりません」
「まず中身を整えるべき、ってこと?」
「ええ。必要とされるためには、まず誇れるだけの力が要る。見せるべき価値が育っていないうちに外へ示すことを急げば、かえって薄くなる」
その言葉にも、やはり筋がある。アルシオは頷いた。
「そこは分かるよ」
「だから厄介なのです」
さらりと言われて、アルシオは少しだけ笑った。
「厄介って」
「部分的に一致している相手ほど、正面から切り捨てられない」
あまりに真顔で言うものだから、可笑しさが先に立つ。けれど、その通りでもあった。全面的に対立しているのなら楽だ。だが、一部で同じものを見ている相手は、敵とも味方とも言い切れないぶん難しい。
「そっちも同じだよね?」
アルシオが返すと、ランスは静かに頷いた。
「ええ。ですから、貴方のクラスの案は強い」
今度の言葉には、はっきりとした評価が含まれていた。
そしてそのあとで、ランスはアルシオの顔をまっすぐ見た。
「……以前より、ずいぶんはっきりしましたね」
親睦競技会の後、あの回廊で投げかけられた問いが脳裏に蘇る。
――貴方自身の意思がどこにあるのか、私には見えない。
今の言葉は、その続きのようにも聞こえた。
「そう見える?」
「ええ」
ランスは短く答える。
「少なくとも今は、ただ皆の意見を並べているようには見えません。自分たちの案として、きちんと立たせようとしている」
アルシオは、自分の胸の奥に小さな熱が灯るのを感じた。完全に認められたわけではない。そんな簡単な相手ではないことは分かっている。だが、以前とは違う形で見られている。そのことだけは、はっきりと感じられた。
「そっちの案も、筋が通ってると思うよ」
アルシオがそう言うと、ランスはほんのわずかに目を細めた。
「光栄です」
「でも、学園の価値は“整ってから見せる”だけじゃなくて、“見せることで育つ”部分もあると思う」
「それも一理あります」
間を置かずに返ってくる。否定ではなかった。
「だからこそ、評議会で決める意味があるのでしょう」
その言葉に、アルシオは頷く。
「そうだね」
そこでちょうど予鈴が鳴った。
昼休みの終わりを告げる鐘の音が、回廊にやわらかく響く。
ランスは一礼し、先に身を引く。
「では、また評議会で」
「うん。また」
去っていく背を見送りながら、アルシオは胸の奥に残る感覚を確かめていた。
まだ、本番は先だ。けれど、自分たちの案は少しずつ輪郭を持ち始めている。そして何より、自分自身の立ち方もまた、以前より少しだけはっきりしてきた気がした。




