9、晩秋の過ごし方
(1)大菩薩村での初ステージ
ハロウィーンが終わって1週間。カレンダーをめくってみると、残り2枚。1年があっという間に過ぎ去っていくのを感じてしまった。サーカスをやっていた時には時間の流れがゆっくりだったのに、この村に来てから時間の流れが早く感じるようになってしまった。「みんな、何しているのかな」と私は思わず声に出してしまった。団長や空夢たちは何をやっているのかしら……。星空サーカス団が解散されたあと、私の体はすっかり、この村の色に染まっていた。部屋にあるアルバムを広げて、私は思い出に浸っていた。あの頃が懐かしい……。もう一度団長に会いたい……。
「雫ちゃん、何をしているの?」
制服姿の星音さんが私の部屋にやってきて、アルバムを覗き込んできた。
「もしかして、サーカスをやっていたころの写真?」
「はい、そうなんです……」
「懐かしいよね」
星音さんは、私からアルバムを取り上げるなり、しばらく眺めていた。
「あ、これ。雫ちゃんが初めてサーカス団に入ってきたころの写真だよね。雫ちゃん、入ってくるなり、ずっと泣いていたから、正直苦労させられていたよ」
「ご迷惑をおかけしました……」
「団長が気を使って、雫ちゃんの分だけハンバーグにしたんだよね。しかもチーズ入り。それを雫ちゃんったら、1人おいしそうに食べていたんだよね」
「……」
星音さんは私にイヤミぽく言ってきたけど、すべて事実だったので何も言い返せなくなった。
「しかも、食べ終わったあとの満足した時の顔は今でも覚えているよ」
「美味しかったです……」
「雫ちゃんが全部平らげたあとのお皿を、団長は満足そうに見ていたよ」
「その時の私は5歳だったし……」
「ま、無理もないよね。親が死んで日が浅かったから……。そういえば、雫ちゃんのご両親のお墓は、どこにあるの?」
「団長が言うには確か立川だったような気がした……」
「ま、いいわ。今度団長に会ったら、ちゃんと聞き出そうか……」
「そうだね」
「そういえば、今日はお店休みなの?」
「休業日って言っていました」
「そうなんだね。じゃあ、久しぶりに2人でドライブに行こうか」
「星音さんは、お仕事大丈夫なんですか?」
「私も午後から非番にするから」
「通報が来たら、どうするのですか?」
「本署の車が出動するから大丈夫。じゃあ、そういうことだし、今から出かけようか」
その時だった。玄関のドアチャイムが鳴って、星音さんがドアを開けてみたら、自治会長の臼井さんがやってきた。
「こんにちは。どういったご用件で?」
「急に押しかけて申し訳ないけど、実はピエロのステージをやってみたいけど、どうかなと思ったんだよ」
「日程はいつなんですか?」
「再来週の日曜日。どうかな?」
「正直、急に言われても困ります……」
「そうですよね……。無理を言って悪かった……。この話は白紙にするよ」
「待ってください。明後日まで考えさせてもらえますか?」
「わかりました。いい返事を待っているよ」
自治会長は肩を落として帰ってしまった。
「悪いことをしちゃったかな」
星音さんは罪悪感たっぷりの顔になってしまったので、その日のドライブは中止になってしまった。
「雫ちゃん、ごめん。今日のドライブは中止になった。その代わり、今度埋め合わせは必ずするから」
「気にしないで。ドライブはまた今度にしよ」
「本当にごめんね」
「それで、なんで中止になったの?」
「さっき自治会長がやってきて、ピエロのステージの話を持ちかけられたの」
「それで、なんて返事を出したの?」
「明後日まで保留にした」
「私、これから自治会長の家まで行ってくる。ちょっとマウンテンバイクを借りるね」
私はマウンテンバイクを走らせて、自治会長の家まで向かった。
ドアチャイムを鳴らすと、奥さんと思われる人がやってきた。
「あの、どちら様ですか?」
「私、駐在所に住んでいます、峠時雫と申します。今、ご主人様はいらっしゃいますか?」
「少々お待ちください」
奥さんは、大声で「あなた、玄関にお客さんが見えているわよ」と呼んでいた。
「あ、雫ちゃん。どうしたの?」
「先ほどのステージの件ですが、是非やらせてください」
「本当かね。いやあ、助かるよ。これから、裏方を引き受ける人を探すから」
「では、当日よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく」
私は自治会長の家をあとにして、家(駐在所)に戻った。
「星音さん、私ステージをやることにしたよ」
「本当に!?」
「うん、私の本業ってピエロじゃん。だから、ステージの誘いを引き受けてきたよ」
「そうなんだね。私も久しぶりにステージをやってみようかな」
「いいんじゃない? だったら、出番が来るまでの間に警備をお願いをしてもいい?」
「了解!」
いつの間にか私と星音さんは乗り気満々でいた。その日から、星音さんは私と一緒に屋根裏部屋で練習を始めた。昼間は手品やジャグリング、また夜には駐在所の外で玉乗りの練習をやりだした。他のピエロと違ってお面を被ってのショーなので、条件としては非常に厳しかった。私もお店の手伝いを早めに切り上げて、毎日猛練習。ショーではNG厳禁なので、ミスをしないように意識を高めて練習を続けた。
「雫ちゃん、今、こん棒を落としたわよ」
お面を被った星音さんが、やや厳しめに注意をしてきた。
「すみません……」
私が一言謝ったあと、再び練習が始まった。さらに翌日からは、お店を休んで1日練習漬けとなってしまった。午前中にジャグリング、そして午後から手品の練習が始まった。正直、練習のメニューが地獄だったので、体がついていけなくなる始末だった。
「少し休もうか」
星音さんは冷蔵庫から持ってきた、冷えたプリンを二人分用意して、休憩に入った。
「正直に答えてほしいんだけど、私の練習メニューきつい?」
「そんなことありません……」
「だったら、もう少しちゃんとやろうか」
「うん……」
私は短く返事をした。
この会話は本当に久々だった。これは私がピエロに選ばれて日が浅いころの出来事だった。
「雫ちゃん、ピエロに選ばれたんだって?」
「はい……」
部屋で雑誌を広げて休んでいたら、星音さんが声をかけてきた。
「じゃあ、今から練習しようか」
そう言ってお面を二つ持って団地の外へ出た。
「ちょっとこのお面を被ってごらん」
星音さんは私にピエロのお面を一つ渡して被らせた。実際に被ってみると、ほとんど見えていなかった。目の部分がサングラスのようになっていて、少し暗い状態で見る感じになっていた。おまけに外は夜だったので、余計に見えなかった。
「星音さん、何も見えませんよ」
「これから、この視界に慣れてもらうわよ」
これは星音さんによる鬼指導の幕開けだった。その日はお面を被っての歩行だったのだが、星音さんから出た最初の一言は「今の歩き方は、ゾンビと一緒だよ。歩行中は両手を前に出さない」だった。
「すみません……」
さらにお面を直すしぐさを見せたとたん、またしてもダメ出しが出てきた。
「雫ちゃん、お面を直す仕草、これお客さんの前で絶対にやっちゃだめだよ」
「どうしてですか?」
私としては正直納得行かなかった。
「お客さんは、お面を被っていることは知らないんだから、そういう仕草はみせないでちょうだい」
「わかりました……。でも、外れそうになったら、どうするのですか?」
「そうならないために、お面の後ろに紐が着いていて、きちんと結んでおけば絶対に外れないようになっているはずだよ。もしかして、紐を結んでいない?」
そう言って、星音さんは私の首の後ろを確かめたら、案の定結んでいなかったことに気が付いて、きつく縛ってしまった。
「星音さん、きついよ」
「だったら、早く慣れることね」
再び歩き出すと、今度は「歩き方がフランケンシュタインになっている」とダメ出しが発生。やる気をなくした私は地面に座り込んで、そのまま休んでしまった。
「疲れた?」
星音さんの優しい声に私は思わず「うん」と返事をしてましった。
「ピエロを演じるのに、メイクじゃなくてお面を被る理由って何ですか?」
「私も詳しいことは聞かされてないけど、ピエロになるときは女子に限ってお面を被る決まりがあるみたいなの。一説によれば、『過去にストーカー被害にあったり、個人情報をしつこく聞き出された人がいたから』という理由があるみたいなの」
「そうなんだね……」
「お面を被るの、いや?」
「はい……」
「お仕事なんだし、我慢してよ。それに実際お面を被ってステージに出ると、案外テンション上がるかもしれないよ」
当時の私としては、今一つ納得ができなかった。その日の練習は終わって、寝ることになった。
さらに翌日以降、テントの中で歩行やジャグリング、手品の練習までやらされた。
「正直に答えてほしいんだけど、私の練習メニューきつい?」
「そんなことありません……」
「だったら、もう少しちゃんとやろうか」
「うん……」
星音さんの厳しい言葉に限界が来て、ステージ裏にある丸い小さな椅子に座って休んでしまった。
「雫ちゃん、本番はもっと厳しいんだよ」
「わかっています……」
「私と雫ちゃんは、お面を被っているからまだいいけど、他の人たちは素顔をさらしているんだよ。雫ちゃんも素顔をさらしてみる? 一発で大恥をかいて、二度とステージに出られない状態になっちゃうよ」
さらに休憩から戻ってきた空夢がやってきて、「この程度でめげるって、マジダサいんだけど。あんた、一度私と一緒に空中ブランコやってみる?」と言ってきた。しかし、今の私には何も言い返せなかったので、余計に悔しかった。
「言っておくけど、お客さんは正直なんだよ。つまらなかったら、その場でヤジを飛ばすし、最悪何も言わずに帰ってしまうんだよ。『星空サーカスはクソみたい』とネットで叩かれたら、雫ちゃん、あなたにも責任を取ってもらうわよ」
星音さんの厳しい言葉は半端ではなかった。「お客さんあってのサーカス」だったので、いい加減は厳禁。休憩を終えた私はお面を被って再び練習に入った。お面の視界に慣れた私は少し歩き回ったあと、こん棒を持ってジャグリングをやったり玉乗りの練習に集中した。その間も星音さんの雷は容赦なく飛んできた。さらに、星音さんは私に厳しいことを要求してきた。
「手品をやってもらおうかな」
「手品!?」
星音さんの提案に私は思わず、大声を出してしまった。
「何、その反応。それくらい出来て当然でしょ?」
「失敗したら、怖いから……」
「そうならないように練習するんでしょ?」
「でも、手袋をしたままではトランプを扱うのは……」
「そう言うと思って、少し大き目のトランプを用意しておいたわよ」
星音さんは通常よりも一回り大きいトランプを私の前に用意してきた。他にもトランプを扱えるように、滑り止めの手袋を用意してきた、
「これならいけそう」
私の一言で手品の練習が始まった。星音さんは鬼軍曹になって、一から指導いていった。
そして迎えたステージ本番には、多くのお客さんが集まって、その中で私はお面を被ってステージに出た。
メンタルに弱い私は不思議なことに緊張しないで、星音さんと一緒にステージをこなしていけることが出来た。「さすがお面パワー」と心の中で呟きながら、最後に玉乗りをしながらジャグリングをお客さんの前で披露した。成功してお客さんから、拍手をもらってステージ裏に戻った。
「お疲れ様」
お面を外した私と星音さんに団長は優しい笑顔で声をかけてくれた。
「ありがとうございます。お客さんから、大きな拍手を頂きました」
「お客さんが君の実力を認めたという証拠だよ」
「そう言ってもらえると、本当にうれしいです」
「それに、私の厳しい練習メニューについてこられた証拠でもあるんだよ」
今度は横から星音さんが口をはさんできた。
すべてのショーが終わって、私と星音さんは再びお面を被って、みんなと一緒にステージでお客さんに挨拶をした。
長い回想が終わって、私が再び練習に入ろうとした時だった。
「もしかして、ステージの練習中だった?」
笛花が自転車に乗ってやってきた。
「笛花ちゃん、こんな時間に自転車に乗ってどこかへ行ってきたの? もしかして家出?」
星音さんが少し意地悪そうに言うと、笛花が「違います。母さんのパシリです」と慌てて訂正をした。
「なんのパシリ?」
「『ニンジンのケーキ、余っていたから雫ちゃんと駐在さんに届けてほしい』って頼まれたの」
「ありがとう、受け取っておくね。しかし、ひかるさんも何を考えているのかしら。こんな時間に、お使いに行かせるなんて」
星音さんは少し納得の行かない顔をして、ブツブツと呟いていた。
「では、私は帰らせて頂きます」
「気を付けて帰るんだよ」
家の中に入った私と星音さんは、笛花から受け取ったニンジンのケーキと紅茶で一服をすることにした。
「このニンジンのケーキ、美味しいね」
一口食べた星音さんの最初の一言だった。
「ニンジンは、清江さんの畑で取れたものなんだよ」
私もそう言いながら、一口食べた。
「練習をしていたら、サーカスにいたころを思い出したよ。あの頃の星音さん、かなりの鬼だったから、正直めげそうになった」
「すみません……」
星音さんは少し申し訳なそうに謝ったので、私はすぐになだめた。
「でも、めげずにちゃんと、ついて来られたんだから、今の雫ちゃんがいるんじゃない」
「そうですよね」
私も少し苦笑いをしながら返事をした。
「まさか、手品を提案をしてくるとは思わなかったし、滑り止めの手袋があったことに驚いたよ」
「あの手袋、特注だったの」
「お金がないのに?」
私は少し納得がいかなかった。
「おそらく、団長のへそくりじゃない?」
星音さんも憶測で話してきた。
紅茶を飲み終えて、私は自分の部屋で寝ることにした。
さらに翌日以降、私はお店の手伝いを休んで、練習に集中することにした。その日は雨だったので、星音さんはパトカーに乗って巡回。私は屋根裏部屋でジャグリングや手品の練習をしていた。久々だったせいか、なかなかうまく行かなかった。
巡回から戻ってきた星音さんは、気になったのか屋根裏部屋にやってきて、私の練習をずっと眺めていた。
「少し休んだら?」
星音さんがいたことに気が付かなかった私は、思わずビクっと反応してしまった。
「星音さん、戻っていたのですね」
「雨だったし、早めに切り上げてきたよ。それより練習は順調?」
星音さんは、少し疲れた体を床に降ろして私に聞いてきた。
「久々だったから、ちょっと感覚を失っていた」
「また、昔のようにビシビシと指導しようか」
「なるべくお手柔らかに」
私がひきつった表情で返事をしたら、星音さんは「ハハハ……、冗談よ」と笑って返事をしていた。窓から外を見ると、雨あしがいっそう強くなって、まるで滝の中にいるようだった。
「これじゃ、外で練習できないね」
私が一言ボソっと呟いたら、星音さんは「ブッ」っとふき出してしまった。
「星音さん、どうしたのですか?」
「あんた、試しに外で練習してみたら?」
「遠慮しておくよ。それに笑うなんて、失礼にもほどがあるわよ」
「だから、謝っているじゃん」
私としては正直納得がいかなかった。だから、ここでもめていても何も始まらない。夕方近くになって雨がやんで、空はオレンジ色に染まっていた。
「疲れたー」
私が練習を切り上げた時、星音さんは疲れていたのか、床で雑魚寝をしてしまった。私は星音さんの体を数回揺り起こしてみたけど、起きる気配がなかった。仕方がないので、星音さんの部屋から掛け布団を用意して、星音さんの体にかけたあと、私は居間でスマホをいじりながらテレビを見ていた。しかし、これと言って見たい番組がなかった。どのチャンネルを回してもニュースばっか。BSに切り替えたら”BS山梨”と言うチャンネルがあったので、気になって見ることにした。星音さんと一緒だと見る機会がなかったので、なんだか新鮮なものを感じていた。ニュースもCMも山梨県の話題ばかり。
しばらくして、制服姿の星音さんが屋根裏部屋から眠そうな顔をして降りてきて、ソファーにドカっと座ってきた。
「星音さん、眠かったら自分の部屋で寝てきたら?」
「そうしたいけど、今日の食事、私がやるから」
「疲れているんでしょ? 部屋で休んだほうがいいよ。あと、まだ制服になっているわよ。腰には手錠と拳銃もあるんでしょ?」
「わかったわよ。着替えてくるよ」
そう言いながら、星音さんは自分の部屋で着替え始めた。私も布団を敷いていつでも寝られる状態にしておいた。その時だった。「しまった!」と星音さんが突然、大声を上げてしまった。
「どうしたの?」
「業務日報まだだった。ちょっと駐在所に行ってくる」
星音さんは再び着替え始めた。
「別に着替えなくてもいいじゃん」
「だめよ。誰かが見ていたらどうするの?」
星音さんはダッシュで駐在所に戻って、事務作業をやり始めた。「業務日報くらい、ここで書いてもいいのに」と思ったけど、ここはあえて口に出さないことにした。
そのころ、星音さんは駐在所で事務作業をしていた時だった。姫夏ちゃんが泣きながら、星音さんを訪ねてきた。
「姫夏ちゃん、どうしたの? もしかして、ピエロさんに会いたくなったの?」
「……」
星音さんが腰を低くして聞いてみたけど、そうでもなかった。
「もしかして、お母さんに叱られたの?」
「……」
しかし、それも違っていた。
「じゃあ、大事なものをなくしたの?」
「……」
それも違っていた。
「じゃあ、どうしたのかな」
「あのね……」
「うん」
「中学生の男子が、私がピエロさん宛てに書いた手紙を渡そうとしたら、取り上げて読みだしたの……。『ピエロに手紙って、マジダサ」と言ってからかって……」
「それで?」
「私がピエロさんに書いた手紙をビリビリに……」
「これはひどいわね。意地悪した男子の場所わかる?」
「ステージのある空地にいた……。他にも私が書いた手紙を破く前にスマホで写真を撮っていた……」
「わかった。ちょっと待って」
星音さんは手袋をはめて、手紙に指紋が着かないようにチャック付きのビニール袋に入れて、姫夏ちゃんと一緒に自転車に乗って空地まで向かった。
空地に行ってみると、中学生の男子たちがステージの上でスマホをいじりながら、学校の制服姿でたむろしていた。
「こんにちは。女の子を泣かしたのは君たち?」
「おい、クソガキ。駐在さんを呼ぶなんて卑怯だぞ!」
「中学生の男子が数人たかって、小学生の女の子をいじめるほうが卑怯だと思うけどな」
「俺たちがいつ泣かしたって言うんだよ。なら証拠だせよ」
「いいわよ。証拠ならあるわよ」
星音さんはリュックから手紙の入ったチャック付きのビニール袋を取り出した。
「あんたたち、姫夏ちゃんが書いた手紙を破いたんでしょ?」
「こんなので、証拠になるのかよ。俺たちはやってねえぞ」
「そんなことを言っていいのかな。これを科捜研に提出したら、あなたたちの指紋が見つかるかもしれないわよ。それと、書いた手紙を写真に撮ってネットに上げたでしょ?」
「やってねえよ」
「なら、今から君たちのスマホを見せてもらうから、絶対に触ったらだめだよ。データを消去したら、証拠隠滅で逮捕するからね」
これを聞いた男子たちはビビッてしまい、星音さんに渡してしまった。「ねえ、パスコードを教えて。言っておくけど『知らない』とは言わせないわよ」
男子たちは観念して星音さんにパスコードを教えてしまった。
「確かに写真があるわね。これ、消去しておくから」
写真を消去したあと、SNSをくまなくチェックして、投稿しているか否かも確かめた。
「これ、確かに載せてあったわね。今、全部謝れば。逮捕は見逃してあげる。あなたたちのやったことは、器物損壊、名誉棄損になるわよ」
罪名を聞かされ、男子たちはますますビビってしまった。なんていう大人げない人だ。
「もしかして、僕たち逮捕されて刑務所に行かされるの?」
「さあね」
「写真もSNSに投稿した内容も全部消すから、逮捕だけしないでくれ」
「どうしようかな」
「ちゃんと謝るから、家と学校に連絡するのやめてくれ」
別の男子も泣きそうな声で言ってきた。
「ねえ、どうする? この意地悪な男子を許す? それとも、警察署の地下にあるオリに閉じ込めようか」
姫夏ちゃんは、しばらく考えてしまった。
「頼むよ」
男子たちは今にも泣きそうだった。それでも星音さんは容赦しなかった。
「ねえ、知ってる? 上野原警察署の地下のオリには怖いおじさんが、たくさんいるんだよ」
星音さんの意地悪な一言に男子たちはかなり震えあがっていた。
「ねえ、本当に勘弁してくれよ。学校に知らされたら謹慎食らうし、親に知らされたら小遣い減らされるんだよ」
そっちの心配かよ!
「逮捕されると、少年院に行かされるの?」
「さあね。もしかしたら、怖いおじさんがたくさんいる刑務所かもしれないよ」
星音さんの脅しに男子たちは、ついに泣きだしてしまった。
「あのさ、泣くくらいなら、最初からこんな意地悪をしないでよ」
「ごめんなさい。もうしませんから」
小学校の学級会か!
「姫夏ちゃん、どうする? この人たち、『もうしません』って泣きながら言っているけど許す?」
「いいよ。許す」
「あんたら、この子に『ごめんなさい』は?」
「ごめんなさい。二度とやりません」
「中学生の男子が小学校一年生の女の子に数人で意地悪をして恥ずかしくないの?」
「情けないです……」
「じゃあ聞くけど、なんでこんな意地悪をしたのか、教えてくれる?」
「これって、事情聴取?」
「そうだよ。駐在所や警察署の取調室よりマシでしょ?」
「はい……」
「だったら早く答えてちょうだい。こっちも時間がないんだから」
「この子が嬉しそうに手紙を持って、スキップをしているのを見ていたから、ちょっとからかってみようと思ったんだよ」
「情けない。ねえ、これって学校や家に連絡をしてもおかしくない案件だよ」
「本当にこれだけは勘弁してくれよ。二度とやらないから」
「今回は女の情けで勘弁してあげるけど、次同じことをしたら、容赦なく家や学校に連絡するから、覚悟してちょうだい」
男子たちは、そのまま自転車に乗っていなくなったので、星音さんと姫夏ちゃんも家に帰ってしまった。
迎えたステージ当日。観客はみんな村の人たちだったので、そんなに多くはなかったけど、それでも久々のせいか少し緊張していた。
前座のステージが終わったあと、テントで作った特設の更衣室で私と星音さんは、スタッフ役の笛花とゆかり、ひかるさんに着替えを手伝ってもらっていた。
「お客さん、どれくらい来ていた?」
気になった私は笛花に聞き出してしまった。
「気になる?」
「うん……。実は緊張している……」
「大丈夫よ。みんな村の人だけだから。雫ちゃんって、ここに来る前ってサーカスをやっていたんでしょ? だったら慣れているのでは?」
私の言葉に笛花は少し疑問に感じていた。
「サーカスを辞めて、久々のステージだから……」
「そうなんだね。はい、着替え終わり」
お面の紐を結び終えた笛花はテントの出口で私と星音さんを見送ったあと、自分はゆかりと、ひかるさんと一緒にステージの横で立っていた。
音響ブースではノートパソコンから流れる音楽をミキサーで操作していた。流れるBGMに合わせて、司会進行役を務める自治会長が派手な衣装姿で、マイクを持ってステージに立っていた。
「お待たせしました。いよいよ、エビルとジョーカー、2人のピエロによるステージが始まります」
客席からは大きな拍手が送られた。ちなみにエビルは私、ジョーカーは星音さんだった。最初はあいさつ代わりに2人でドジな所を見せたら、客席からは大きな笑い声が聞こえた。そのあと玉乗りをしながらのジャグリング、手品を披露して終わったとたん、再び大きな拍手が送られた。
最後に子供たちを対象に風船配りをやって、終わろうとした時だった。姫夏ちゃんがステージにやってきて、私に手紙を差し出した。読んでみると<ステージありがとう。また、お願いします(実際はひらがなとカタカナだけ)>と書かれていた。うれしくなった私は思わず強く抱きついてしまった。
「おっと、エビルが7歳の女の子に抱きついてしまった。すごい愛情たっぷりのハグです!」
司会進行役の自治会長がマイクで実況したあと、客席からカメラを向けられてしまった。軽く頭をなでて、ステージを降りようとした瞬間、姫夏ちゃんが私に手を振ってくれたので、私も手を振って見送った。その直後、客席から再び拍手が送られてきた。
テントに戻って、笛花に着替えを手伝ってもらい始めた直後だった。
「姫夏ちゃん可愛かったね」
私のお面を外した笛花の一言だった。
「今度、姫夏ちゃんに手紙の返事を書こうと思っている……」
「それ、いいねえ。姫夏ちゃん、絶対に喜ぶと思うよ」
笛花はテンション高めて私に言ってきた。着替え終えてテントから出たときには、お客さんはいなくなっていた。
「お客さん、いなくなったね」
荷物を車に詰めていた私の一言だった。
「ステージ、全部終わったからね」
星音さんも、一息入れて私に返事をした。
「駐在さん、雫ちゃん、今日はどうもありがとうございました」
自治会長の臼井さんが、私と星音さんの所にやってきた。
「こちらこそ、久々のステージだったので、とても楽しかったです」
「それはよかった」
私が満足そうに言ったら、自治会長も満足そうに答えてくれた。
「自治会長さん、先日わざわざ来ていただいたにも関わらず、冷たい返事をして、本当にすみませんでした」
星音さんが頭を下げて謝ったあと、自治会長は「こうやって、ステージも無事終わったことだし、こっちは満足しているよ」と返事をしてくれた。
「では、私たちはここで失礼します」
「また、頼むよ」
車に乗った私と星音さんを、自治会長は軽く手を振って見送ってくれた。
ステージが終わった最初の日曜日の朝のことだった。駐在所に姫夏ちゃんが元気のない顔をして星音さんに訪ねてきた。
「姫夏ちゃん、どうしたの?」
「この間ピエロさんに手紙を渡したのに、返事が来なくなった……」
「そうだったんだね。きっとピエロさんも忙しいと思うんだよ。私からちゃんと返事を出すように言ってあげるよ。本当にごめんね」
「ピエロさん、もしかして私のことを嫌いになった?」
「なんで?」
「返事が来ないから……」
「そんなことないよ。この間のステージに来てくれた時、とても喜んでいたよ」
「本当に!?」
「本当だよ。あとで、ピエロさんには私から早く手紙の返事を出すように言っておくから」
「ありがとう」
姫夏ちゃんが帰ったあと、星音さんは巡回用の自転車に乗って、軽食屋さんに向かった。
店の中に入ってオムライスを注文したあと、私の耳元で「姫夏ちゃんに手紙の返事を出した? 姫夏ちゃん、元気がなかったよ」とささやいてきた。
「マジ!?」
「マジだから、言っているんだよ」
「雫ちゃん、姫夏ちゃんに返事を出していなかったの?」
今度は笛花が横から口をはさんできた。
「ここんところ、忙しかったから……」
「早く帰って返事を書いたほうがいいんじゃない?」
さらに、ひかるさんにまで言われてしまった。
「うん……。今夜絶対に書くよ」
その日の夜、私は自分の部屋で動物の絵柄のついた便箋で<姫夏ちゃん、この間はステージに来てくれて、本当にありがとう。ステージで手紙をくれた時には、本当にうれしかったよ。あと、返事が遅くなって本当にごめんね。また会いに来てね。ピエロのエビルより(実際はひらがなとカタカナだけ)>と丸文字で可愛く書いた。
「星音さん、明日お願い」と私が星音さんに手紙を渡した直後、「りょーかい!」と調子のいい返事で、手紙を私から受け取ってそのまま寝てしまった。
翌日には星音さんは巡回途中に姫夏ちゃんの家に行って手紙を渡した。
「駐在さん、ありがとう」
「ピエロさんに、ちゃんと返事を出すように言ったから」
姫夏ちゃんはすごく満足そうな顔をして家の中に入った。
(2)楽しい紅葉がり
11月も真ん中を過ぎたころ、外では見事に木の葉が黄色、オレンジ、赤などに染まっていて、秋の終わりを告げようとしていた。国道411号線には他県から来たと思われる車も目立つようになってきた。みんな紅葉狩りなのか、車の速度を緩めていたので、それと同時に渋滞も目立つようになり、警笛の鳴らしあいが始まる始末。昼間ならまだしも、夜に鳴らされると安眠妨害も甚だしい。ある非常識な車は道路の端に寄せて、家族で記念撮影をする始末。警笛を鳴らされるだけならまだしも、他のドライバーからヤジを飛ばされる始末だった。そのあと、慌てて車に乗ったのはいいもの、後ろの車はイライラしていたのか、終始警笛を鳴らし続けていた。
その一方では他県からやってきた家族が村の民宿に泊りにやってきて、紅葉を楽しんでいた。
「お客様はどちらから、お越しになったのですか?」
女将さんの質問に客は「東京の世田谷からやってきました」と答えると、女将さんは「遠くからはるばると、本当にお疲れ様です。失礼ですが、当民宿はどちらでお調べになったのですか?」と聞き出してきた。
「私の古い友人が、奥多摩町に住んでいまして、『紅葉狩りをされるのでしたら、ここの民宿がいい』と勧められたのです」
「そうだったのですね。それでは、ごゆっくりとくつろいでください」
女将さんは、そう言い残していなくなってしまった。
父親は、カバンから一眼レフカメラを取りだして、窓から見える紅葉を写真に収めていた。
「お父さん、次僕を撮って」と言ってきたので、紅葉をバックに何枚か撮り続けた。
そのあと、男の子は退屈になったのか、民宿の中を走り回る始末だった。
そのころ私は、ひかるさんの軽食屋で客を相手にお仕事をしていた。
「最近、村外からの客が多いわね」
ひかるさんの最初の感想だった。
「今、紅葉のシーズンですからね」
私が口をはさむと、ひかるさんは「そうだよね」と短く答えていた。
「ここ、奥多摩へ行くのに通り道になっているから、立ち寄る人が多いみたいだよ」
今度はカウンター席で食事をしていた田川さんが口をはさんできた。
「ひろゆきちゃん、まだ食事をしていたの?」
「おい、こっちは客だぞ!」
「客と言っても”ひろゆきちゃん”でしょ?」
「俺は客じゃねえのかよ!」
「そんなこと一言も言ってないわよ。じゃあ、早く食べて乗務に戻ったほうがいいんじゃない? 客からクレームが来ないうちに。あ、そうか。このあと回送だから、お客関係なかったっけ?」
「ひかるちゃんよ、俺にケンカ売っているのか?」
「そんなことないわよ。それともやるって言うの?」
「ああ、上等だ。表に出ろや」
「いいけど。学生時代、柔道に空手に、合気道、プロレスをやっていたわよ」
それを聞いた田川さんは威勢がなくなって、急におとなしくなってしまった。
「何をしているの? もしかして、もめごと?」
巡回から戻ってきた星音さんが2人の様子を見ていた。
「駐在さん、お疲れ様です。ちょっとお話をしようとしていたのですよ」
「外で何の話を?」
田川さんの言葉に、星音さんは今一つ納得していなかった。
「とくにかく、店の中で話を聞かせてもらいましょうか」
ひかるさんは”営業中”から”準備中”に変えたあと、3人で話をすることになった。
「外で話をする以上、何かあったんでしょ?」
星音さんの厳しい表情に田川さんとひかるさんは「はい、そうです」と短く返事をした。
「……で、ケンカの原因は何?」
星音さんの厳しい質問に、2人は重たい口を開けて全部話した。
「実に情けない。聞いた私がバカだった。あなたたち小学校の低学年じゃないんだから、この程度でケンカをしないでよ」
しばらく沈黙が続いた。重たい空気の中、田川さんは椅子から立ち上がって「客を待たせているから、そろそろ行くよ」と言い残して、バスを走らせていなくなってしまった。
「何か食べる?」
ひかるさんは、星音さんにボソっと一言聞き出した。
「そうねえ、トンカツ定食をお願い」
「今作りますね」
待っている間、星音さんは店の中にある少女漫画を一冊取り出して読み始めた。何ページか読み上げてみると、さっきと似たような光景が教室の中で起きていた。「この女の子、ひかるさんみたい」と心の中で呟きながら吹きだしていた。料理が出来上がって、ひかるさんが、星音さんのテーブルに運んだ時、吹きだしている星音さんに「駐在さん、なにかあったのですか?」と聞き出してしまった。
「ううん、なんでもない」
不思議がっていたひかるさんは、そのままカウンターへ戻ってしまった。
星音さんが帰ったあと、ひかるさんは星音さんが読んでいた漫画をパラパラと読み始めたとたん、さっき自分が田川さんとケンカをしたシーンとそっくりの内容が載っていたので、ビックリしてしまった。
「駐在さんが笑っていたのって、この内容だったのね」
納得していたひかるさんを見ていた私は「何かあったのですか?」と思わず聞き出してしまった。
「ちょっと漫画を読んでいただけ」
「なんの漫画?」
「ただの少女漫画よ。学園もの」
「そうなんだね。ちょっと読んでもいいですか?」
実際に読んでみると、さっきのケンカがまんま出ていたので、思わず吹きだしてしまった。
「この漫画、さっきのケンカまんま載っているよ」
「自分でもビックリだよ」
ひかるさんは苦笑いをしながら、返事をしていた。
「まさかとは思うけど、この漫画を読んで、ケンカしたわけじゃないよね?」
「違うわよ。本当に偶然だよ」
慌てて否定するひかるさんに、私は疑惑の目つきをしてしまった。
「ま、いいわ。 それじゃ、私はそろそろ帰らせて頂きます」
「うん。お疲れ」
私はそのままマウンテンバイクに乗って家(駐在所)へ向かって走っていった。
「ただいまあ」
「おかえり」
ドアを開けて居間のドアを開けたら、すでに星音さんが戻っていた。
「星音さん、今日は早いんだね」
「うん、特に何もなかったから……」
「さっき漫画を読んだら、ひかるさんと田川さんのケンカがまんま描かれていたよ」
「雫ちゃんもあの漫画読んだの?」
「ひかるさんが読んでいたから、私も読ませてもらったの」
「そうなんだね」
「正直、あの2人って大人げないと思ったよ」
「それは言えてる」
さらに翌日の正午前のことだった。田川さんがやってきて、店の中は案の定、気まずい雰囲気になっていた。
「今日は何にする?」
先手はひかるさんだった。メニューを差し出すなり、腕を組みながら注文を聞き出した。
「まだやるっていうのか!」
田川さんも反撃に入ってきた。
「別に。早く注文を決めてちょうだい」
「じゃあ、トンカツ定食で」
「好きだね。トンカツ定食」
「俺が何を注文しようと、俺の勝手だろ。それとも昨日の続きをやるのか?」
田川さんは闘争心メラメラの状態で、ひかるさんに目を向けてきた。
「2人とも、まだ懲りてないの?」
今度は星音さんが横から口をはさんできた。
「お言葉ですが、駐在さんは関係ありませんよ」
怒りで我を忘れた田川さんは、ついに言葉に出してしまった。
「関係あるわよ。一応警察だし。あなたたちを止める義務だってあるわよ。それに、ここはお店の中なんだから、他のお客さんに迷惑がかかるわよ」
「駐在さんの言葉はもっともです。しかし、俺にケンカを仕掛けたのは。この人なんですよ。人が食事しているとき、茶々を入れてきたんですよ」
「それでも、大声を出した以上、迷惑行為になります。申し訳ありませんが今日のことは業務日報に書かせて頂きます。それと、今ここで仲直りが出来ないのなら、田川さんには店の出入り禁止、ひかるさんには一週間の業務停止命令を下します」
星音さんの厳しい言葉に2人は渋々と握手をして仲直りをした。気まずい雰囲気の中、私は思わず、紅葉狩りの話題を持ちかけてみた。
「次の勤労感謝の日に柳沢峠で紅葉狩りをやってみない?」
私の提案にみんなは一瞬考え込んでしまった。
「どうせなら、お弁当を持って行くのはどう?」
「花見じゃないんだから」
笛花の提案に、ゆかりは思わず突っ込みを入れてしまった。
「行きたいのは山々なんだけど、お店があるから……」
ひかるさんは、気難しい表情で答えていた。
「俺も乗務があるから難しいかも……」
「お店は臨時休業にして、バスは別の運転手に頼めないの?」
「あのね、お店は休日がかき入れ時なの。バスだって簡単に代わりの運転手を手配できないんだよ」
笛花の提案にひかるさんは、厳しい口調で答えていた。
「笛花ちゃん、本当にすまない」
田川さんは申し訳なさそうな顔をして、笛花に謝っていた。
「私こそ、無理を言ってごめんなさい……」
「私は非番にすることが出来るから、子供たちの面倒を見ることが出来るよ」
「駐在さん、本当にいいのですか?」
ひかるさんは、申し訳なさそうな顔をして星音さんに確認をした。
「大丈夫ですよ。たまには息抜きも必要だし。子供たちのことは任せてください」
「それでは、よろしくお願いします」
そして迎えた11月23日。早朝からお弁当を作って、笛花とゆかりの家に向かった。
「駐在さん、今日は娘のことをよろしくお願いいたします」
ひかるさんは星音さんに頭を下げて挨拶をしていた。
「頭を上げてください」
「これ、少ないですけど、今日のガソリン代として受け取ってください」
「いけません」
「いいのいいの」
そう言いながら、半ば強引に運転席へお金の入った封筒を放り込んでしまった。
「本当に申し訳ございません」
星音さんは、ひかるさんに頭を下げてお礼を言ったあと、みんなを乗せて運転席に座って車を走らせた。紅葉狩りのシーズンなのか、国道411号線はいつになく交通量が多く感じられた。
柳沢峠に着くとすでに先客がいて、車を止める場所がなかった。どうしようと考えていた矢先のことだった。
「日原鍾乳洞って、どう?」
私が提案すると、星音さんは気難しい表情で「あそこも怪しいんじゃない?」と返事をした。
「ねえ、八ヶ岳ってどう?」
スマホを見ながら、今度は笛花が提案してきた。
「今から行くと、帰りが……。まあ、いいか」
急に開き直って、星音さんはETCカードをセットして、国道411号線を南下した。国道20号線からすぐに高速道路に入って小淵沢まで走らせた。出口を降りて、再び国道20号線を横切って、山の奥へと進んでいった。行き止まりに差し掛かり、そこから大きめのランチボックスとカメラを持って歩くことにした。こんな山の中へ行くのだったら、登山用のスタイルにすればよかった。
歩いて1時間、やっと着いた場所はきれいな紅葉が彩られていた。しかも誰もいなかったので、景色を独り占めをすることが出来た。時計を見たら午後1時を過ぎていたので、レジャーシートを広げて、弁当を食べることにした。中からサンドイッチや唐揚げ、卵焼きも出てきた。
「おいしそう。これ、全部駐在さんが作ったのですか?」
今にもよだれが出てきそうな感じで、笛花が言ってきた。
「雫ちゃんにも少し手伝ってもらった」
「そうなんですね」
「じゃあ、食べようか」
と、言い出した直後だった。笛花が「ちょっと待って」と言って、用意した手提げ袋から軽食屋でおなじみのニンジンのケーキを出して、「これ、よかったら食べてください。人数分ありますので」とみんなに配り始めた。
「これ、いいの?」
私が聞き出したら、笛花が「『母さんが持っていけ』とうるさく言ってきたから」と言ってきたので、食後のデザートとして食べることにした。
食べ終えて、片付けを済ませたあと、しばらく歩くことにした。
「このイチョウの葉、持ち帰って店で使えないか聞いてみようかな」
そう言いながら、笛花は何枚か回収して行った。
「なんの料理に出すの?」
私が質問すると、「カレーとかチャーハンに……」と笛花がボソっと呟いた。
「いくらなんでも、これは合わないのでは……」
「だよね……」
私が否定すると、苦笑いをして同意してしまった。
「ねえ、ここでみんなの写真を撮るね」
星音さんは私と笛花、ゆかりの3人の写真を順番に撮り始めていった。
「あのさ、七五三じゃないんだから、直立不動じゃなくて、もっと動きのあるポーズをとってよ」
星音さんのツッコミに、ゆかりは「だって、カメラに慣れていないんだから」と言い訳をぶつけてきた。
ゆかりが、星音さんのモデルをやっていたころ、私と笛花は適当に時間を過ごしていた。スマホで好き勝手に写真を撮っていた時、「あっ!」と笛花が声を上げてしまった。
「どうしたの?」
「足元に何か鈍い感触をした」
「足元?」
私は笛花の足元を見たら、右足のブーツがぬかるみにはまっていた。持っていたポケットティッシュで汚れを落としていたけど、完全にきれいになれなかったので、撮影を早めに切り上げて、みんなでスマホで近くの靴修理屋さんを探すことにした。
「ねえ、清里に靴修理と掃除の専門店があるわよ」
私が見つけたら、星音さんは「今から向かうわよ」と言って、車に戻って清里へと向かった。近くの駐車場に車を置いたあと、みんなで通りを歩くことにした。
「ねえ、私だけ恥ずかしいよ」
「我慢しなさい。自業自得なんだから」
笛花の不満にゆかりは厳しく突っ込んだ。
おしゃれな店が立ち並ぶ奥に、靴のマークの看板を見かけたので、みんなで中に入ってみると、まだ20歳代後半と思われる緑色のエプロン姿をした、きれいな女性がカウンターに立っていた。
「いらっしゃいませ、どうされましたか?」
女性はにこやかな顔をして、私たちを見つめた。
「実はブーツが汚れてしまったので、きれいにして頂きたいのです」
星音さんが言うと、女性の店員は笛花の足元をしばらく眺めていた。
「もしかして、ぬかるみにはまったのですか?」
「はい、一応ティッシュで応急処置をしました」
「では、早速クリーニングに入らせていただきます」
女性の店員は店の奥からピンクの花柄のスリッパを一足用意して笛花に履かせたあと、ブーツを持って掃除にかかった。待っている間、私とゆかりが店の外を眺めていたら、みんながおいしそうに何かを食べていた。さらに自動ドアを開けて外に出てみたら、甘い匂いが漂ってきた。帰りにちょっと立ち寄ってみようかな。私が呟いた直後だった。
「帰りにちょっと寄り道をしようか」
後ろから、星音さんが声をかけてきた。
「いいのですか?」
「せっかく清里に来たんだから、甘いものでも食べていこうよ」
さらに椅子に座ってスマホに夢中になっていた笛花も立ち上がって「甘いもの!」と大きな声を出してしまった。
「笛花、店の中なんだから、大きい声を出さない」
ゆかりの突っ込みを聞いた女性の店員が、クスクスと笑っていた。
「お待たせしました」
女性の店員は、きれいになったブーツを用意して笛花に見せてきた。
「うわー、きれい。新品みたい!」
笛花の最初の一言だった。そのあと、会計を済ませて店を出ようとした時だった。
「あの、甘いものでしたら、右側の通りにドーナッツを食べられる店がありますので、よかったら立ち寄ってみてください」
「ご丁寧にありがとうございます」
女性の店員に案内された店に入ってみると、おしゃれな雰囲気になっていて、客はみんな女性ばかりだった。案内されたテーブルに着くと、椅子にハート型の背もたれが付いていて、とても可愛かった。
「ご注文が決まりましたら、お声かけください」と、蝶ネクタイ姿のウエイターに言われ、しばらくメニューを眺めていた。
「ねえ、どれする? 私、迷っちゃう」
メニューを眺めながら、笛花は少しぶりっこのような言い方をして、みんなに聞き出した。だが、みんなの反応がないとわかった瞬間、テンションが一気にダウンしてしまった。
「反応なしだと、つまんない」
「静かにして」
「……」
ゆかりが厳しく注意した瞬間、笛花は何も言えなくなってしまった。
「ゆかり、そういう言い方をしていると、友達なくすからね」
「笛花だけには言われたくないから」
「ゆかり、地元に戻ったら覚悟してちょうだい」
結局、私たちは迷った末、生クリームとドーナッツの組み合わせを選ぶことにした。
待つこと数分、運ばれてきたドーナッツを見て驚いたのは、サイズも一回り大きく、おまけに生クリームも多かった。食べ方もナイフとフォークで食べる形になっていて、一口食べた瞬間、甘さがしつこく、紅茶がないと食べられないレベルだった。だからと言って、本当のことを言うとお店の人に失礼だと思い、何も言わず黙々と食べ続けていった。私たちが食べ終わって、一休みしていた時、一人だけ空気の読めない人がいた。他でもない笛花だった。
「このドーナッツ、甘すぎる」と本音をこぼしていたので、それを聞いたゆかりは思わず頭を軽くたたいてしまった。
「お店の人に聞かれたら、どうするの?」
「だって、本当に甘すぎるんだもん」
「私が代わりに食べるから」
「うん……」
ゆかりは笛花から取り上げた食べかけのドーナッツをぜんぶ平らげてしまった。
店を出たあとも、口の中に甘さが残っていたので、私たちは自動販売機でペットボトルのお茶を買って、飲みながら車へ戻っていった。
気が付いたら、空は完全に暗くなっていた。11月も終わり近くになると、日没時間が早いと感じる季節になってしまった。しかも、夜になれば寒い。こんなことなら、コートでも羽織っておけばよかったと後悔する始末。車に乗って星音さんは暖房をかけてくれたので、中は一気に暖かくなった。高速道路は休日のせいか、やや混んでいた。後ろの座席に座っている笛花とゆかりは完全に爆睡だった。
「雫ちゃんは寝ないの?」
「私は起きていますけど……」
「寝たら?」
「寝てほしいの? それなら頑張って寝ますけど」
「別に眠くないなら、起きていても構わないけど……」
どっちなんだ。と私は思わず突っ込みを入れたくなったけど、そこは我慢することにした。
地元に着いたのは夜の8時近く。笛花とゆかりを家に降ろしたあと、家に戻るなり私はパジャマに着替えて、布団を敷いて寝ようとした時だった。戸締り確認を忘れていたので、居間の電気を消そうとした時だった。星音さんだけソファで寝てしまったので、起こすことにした。
「星音さん、起きてください。こんな場所で寝ていたら、風邪をひきますよ」
「……」
しかし、反応がなかった。今度は強くゆすって起こしてみたら、少し反応して目を覚ました。
「何?」
「『何?』じゃないわよ。風邪を引きますよ。星音さんは仮にも警察官なんだから、体調管理くらいちゃんとしてください。寝るならご自分のお部屋で布団を敷いてください」
しかし、立っているのがやっとだったので、私が布団を敷いて、そのまま寝てしまった。
翌朝、目を覚ました星音さんは、自分の部屋にいたことに驚いて、台所で朝ごはんの準備をしている私に声をかけてきた。
「おはよう。昨日なんで自分の部屋にいたの?」
「覚えていなかった? ソファで寝ていたから、私が起こして部屋まで連れて行ったんでしょ?」
「そうだった……」
「もうじき出来上がるから、テーブルで待っててくれる?」
私に言われ、星音さんはテレビを見ながら、スマホをいじっていた。
「出来上がったわよ」
「ありがとう」
星音さんは疲れていたのか、あくびをしながら座って食事を始めた。
「星音さん、まだ疲れが残っているのですか?」
「まあね……」
「長時間運転をしていたから、疲れていたのですね。今、コーヒーを用意しますね。あ、それともコーラがいいですか?」
「どっちでもいいよ」
私は眠気覚ましに、コップにコーラを入れて、星音さんに差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
コーラを飲み干した星音さんは自転車に乗って、巡回に行ってしまった。
私も身支度をすまして、マウンテンバイクに乗って、軽食屋さんに向かう途中だった。
「雫ちゃーん!」と清江さんが大きい声で私を呼び止めてきた。
「おはようございます。どうされましたか?」
「これから、ひかるさんの所に行くんでしょ?」
「そうですけど……」
「悪いけど、このニンジンを届けてくれないか?」
「結構な量ですね」
「難しいかね?」
「自転車ですと、この量は厳しいかもしれません……」
その時だった。車の警笛音が数回聞こえたので、振り向くと杉村さんがやってきた。
「このニンジン、ひかるさんの所へ持っていくんでしょ?」
「そうだけど……」
「だったら、俺が持っていくよ」
「じゃあ、お願いをしようかしら」
杉村さんは軽トラの荷台にニンジンと一緒に私のマウンテンバイク(正確には星音さんの)まで載せてしまった。
「雫ちゃん、ゆかりさんの店まで行くんでしょ? だったら乗っていきな」
「ありがとうございます」
私は杉村さんの行為に甘えて、軽トラの助手席に座って、ひかるさんの店まで向かった。
到着するなり、杉村さんはマウンテンバイクとニンジンを降ろして店の中へ入ってしまった。私がマウンテンバイクを店の裏側に置いて、中に入って着替えを済ませたあと、ホールに入ったら、杉村さんはカウンターで料理を待っていた。
「杉村さん、さっきは、ありがとうございました」
「それくらい、いいよ」
「何か注文されますか?」
「今、カレーライスを注文して、待っているところ」
「そうなんですね」
そのあと杉村さんは、ひかるさんと一緒に会話に夢中になっていたので、私は退屈になってしまった。
カレーライスが出来上がって、杉村さんが食べ始めようとした時だった。
「あ、そうそう。知っていますか? 今朝、小淵沢の近くでツキノワグマが出たらしいんですよ」
「本当に!?」
「自分の中学の時の同級生が富士見町に住んでいて、偶然見かけたらしいんですよ」
「怖いわねえ」
小淵沢と言ったら、昨日行った場所じゃない。私は心の中で思わず呟いてしまった。
「ここも山に囲まれているので、いつ熊が出てきてもおかしくないですよ」
「そうよねえ」
「一応駐在さんにも話しておきますよ。それじゃ、ごちそうさま」
杉村さんがいなくなったあと、私はさりげなく聞き出した。
「ここにも熊が出るのですか?」
私が心配そうに聞き出すと、ひかるさんは「今、そんなことを心配しても仕方ないでしょ? それより暇ならテーブルを拭いてちょうだい」と言ってきたので、テーブルを拭き始めた。
仕事を終えて家(駐在所)に帰って、居間に置いてあるテレビをつけた直後だった。長野県と岐阜県で熊による被害が多発していたと報道されていた。
岐阜県のある農家では畑の野菜を食い荒らされたり、長野県では松本市内のカラオケルームに熊が侵入して、大学生数人が熊に襲われ、市内の病院に運ばれたと言う情報が入っていた。飯田市のある民家では、柿の実をぜんぶ熊が食い荒らしたので、熊に剣道の竹刀で襲い掛かったら、反対に襲われて救急車で近くの病院に運ばれたという情報もあった。
「ただいまあ」
疲れ切った顔をした星音さんが、玄関でぐったりしていたので、私は部屋まで星音さんを運ぼうとした。
「あ、自分で歩けるから大丈夫よ」
そう言って、万年床の布団の上に寝てしまった。
「星音さん、疲れているのはわかるけど、とりあえず着替えてよ」
「わかったわよ。着替えればいいんでしょ?」
星音さんは不機嫌そうな顔をして、制服を脱いでパジャマ姿になった。
「これでいいんでしょ? じゃあ私は寝るから」
星音さんが寝てしまったので、私は台所から菓子パンを2つ取り出して、牛乳と一緒に食べて終わらせた。
この村に熊が出てきたら、どうしよう。パジャマに着替えて、そのまま布団に入ってしまった。
これから先のことが正直不安になってきた。
10話に続く。




