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茶色く愛らしいトイプードルが、海へ向かって吠え続けていた。
その周囲の人間は、湾外へ出る船を追うべく「近くの船で追いかけよう」「哨戒艇に連絡を」などと慌ただしい。そこへ金髪紫目の魔術師が漸く追いつくと、海の方をみて言葉を失う。船は湾の外、船首は右方へ向かい進んでいた。
「アルフレッド…お前魔術で空飛んでいけ」
真っ黒い不機嫌大魔王が、冷やかにしかしはっきりと命令した。
「はい、術式組んで直ぐに追いかけます」
空に浮く魔術式と推力の魔術式を組み合わせれば不可能ではない。
問題は船上の船員達の中には、必ず魔術に精通した者がいるという事だ。この世界の船は帆船であり魔石を使用した魔石船でもある。緊急時の推力や、海に生息する魔獣や飛来し襲いかかる魔獣に対抗できるよう、海で生きる者たちの中には必ず数人は魔術師がいるのだ。
上空から接近すれば、間違いなく魔術師による攻撃を受けることになるが、アルフレッドの技量ならば、魔術式の同時展開も可能だ。ただし、複数の魔術師がいたときにどれだけ対抗できるのか、また船に降り立つことが出来たとて、船上の屈強な男達にひとりで対抗できるのかが問題だ。
それを懸念したバーン副隊長が術式を組もうとするアルの思考を止めた。
「ア、アルフレッド殿…お一人では無理です。シュバルツ隊長がいてくれれば、こちらから援護できるのですが…」
騎士隊は剣のみでなく魔術を使える者も多い。シュバルツは風刃を得意とし、風属性の適性が強いので援護が可能だが、バーンの魔術適性はどれも低く、ある程度の治癒が使えるのみ、残念ながらこの場では援護しようがない。
「お、俺を抱えて飛ぶ事は出来ませんか?盾位には役立ちます」
「せ、先輩…」
メスブ…警邏の男が申し出る。自分のミスが引き起こした事態だ、これで償えるとは思わないが盾くらいしか役に立たない。
「アル。船は俺が止めてやる。お前はさっさと雫を迎えに行け!!」
「しかし、シノブ殿…何の援護もなしには」
忍の無茶振りにバーンが宥めにかかるが、アルは「はい」と二つ返事で術式の組み立てに入った。アルの周りに風が起こり、フワリと身体が空に浮くとそのまま船へ向かって文字通り飛んで行った。
「おい、あの船で雫が捕らえられていないのはどの辺りだ?」
「……いないとは?」
「シノブ殿?何を?」
アルが行くのを見届けると、忍は懐から小さな石を取り出す。
「あの船のどこを壊せば雫に害がないかと聞いている」
「……せ、船首だ」
「メス豚……間違いないな」
「ああ、構造上そこに部屋はない」
警邏の大男は多少声が震えながらもはっきりと忍の質問に答えた。
「俺の爺さんは船大工だ」
「よし」
そう言うと忍は身体を捻り、左足を浮かせ右足で重心を取る。足を大きく踏み出すと同時に、ややサイド気味に右肩口から石を投球した。グォォォォと風が鳴り、およそ人が投げたとは思えぬ剛球で石は遥か先の船首にめり込んだ。船は湾外、港からはずいぶんと離れた位置だ。人間技ではない。
一呼吸後、船の船首から爆音と共に火柱が上がった。船首は大破し粉々に砕け散っている。
「やっぱ、コントロール重視ならスリークォーターだな」
忍が投げた石は、アルが爆破の術式を封入しておいた魔石だ。
「シ、シノブ殿…一体何を…」
「あ?…さっきアルがやっていたろ?」
「魔術師殿がなにか?」
「ここに来るとき魔力を体内に循環させて…筋力増加?みたいなことしていたからな。真似してみた。投げたあれは、前にアルに渡されてた護身用の魔石だ。爆破の魔術式だっていうからちょうど良かったな。船も止まったし」
止まったというより、このままでは沈むのでは?誰もがそう心で突っ込みを入れただろう。
筋力強化については魔術の術式を使用せず、魔力の循環とイメージでどうにかなるものだが、見た聞いたからと言ってすぐに使えるものではない。騎士隊の中には筋力強化、瞬発力強化として使いこなす者もいるが、それは長年の鍛錬と魔術のセンスがあればこその技術だった。
「シノブ殿…開いた口がふさがりません」
「俺が閉じてやろうか?」
「わ、私には、つ、つ、妻が……」
真っ赤になってうろたえるバーン副隊長のおとがいを軽く撫で上げる忍。
空を行くアルも突然の船の爆発にかなり驚いたようで、空中でバランスを崩していた。
「それ程の技量のなら、兄殿が魔術師と向かえばあの船も簡単に拿捕できたんじゃ?」
警邏の後輩が不思議そうに呟いた。先輩が盾になって船へ向かうと言ったが、忍が行った方が確実だろう。まあその先輩は、何故か自分を虐げた忍をチラチラと見ながら頬を赤く染めモジモジしているのだが…
「あぁーフリーフォールとか駄目なんだ。足が着かないのに空飛ぶってないだろ」
「ふ…ふりー…ふぉ??」
「シノブ殿…もしや高所きょ――――――――むぐぅぅぅぅぅ」
「バーン、口閉じるぞ」
「ぷはっ………無理やり閉じさせてから言わないで下さい!!」
どう閉じたかは兎も角として、2人の後ろでモジモジと羨ましそうに見ている大男と、その様子を心配そうに見つめる後輩君だった。




