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「シズクが誘拐された!?」


辺境の若き領主アルディシャールは、ガシャンッと手にしたティーカップをデスクに打ち下ろした。反動で熱い茶を被った手を、慌てて部下のセバスがハンカチで拭きとったが、幸い火傷にはなっていない。当の本人は熱い茶が掛かったことなど気にもせず、思わず浮きあがった腰を、溜息と共に椅子へ落とした。


こんなに早く渡り人を狙った事件が起こってしまったのかと漏らせば、どうやらその件とは関係なく、他国の奴隷商に雫が誘拐されたという事だった。それであっても不味い事に変わりはない、領内で雫の身柄を確保できなければ、この先彼女を取り戻すことは更に困難になるだろう。


「シノブ様とアルフレッド様は港へ、シュルツ隊は奴隷商が申告していた滞在先をあたっているそうです。街道へは南街と西街の警邏が向かいました」

「そうか」


さすがに対応が早い。どうやら事前に、忍から騎士隊と警邏隊を指示し動かす旨の要請あったらしいが、既にこの優秀な部下が是認していた。事は急を要する。この程度の事は自分の判断を仰がなくとも、優秀な部下たちが自身の判断で決済していいと許可してある。上の許可を待っている間に問題が大きくなってしまう位なら、たとえ後でお咎めを受けたとしても迅速な対応をした方が後処理も楽なのだ。勿論、その事で部下を咎めたりはしないのだが…。


「それと…」

「どうした?」

「シノブ様より、ノスク港全ての船の出向を一時停めて欲しいと要請がございました」


貿易航路の重要な拠点であるノクスの船を停めることは、経済の流通を一時的に止めることになってしまう、それによって生じる損失を懸念しての要請なのだろう。流石にこの事については、領内だけの問題ではないのでアルディシャールの許可が必要となる。


「2時間だけ許可しよう。各港の管理局には私の名で通達を出しておきなさい」

「はい、ではその様に」



「それにしても……あれを奴隷にしようなどと……」


まるで自分の恋人に横恋慕してきたかのように腹立たしい。


「もし不幸な事故があって、その奴隷商とやらが死亡することになったとしても、それは仕方がないよねぇ」


アヴァンディール王国は法治国家である。たとえ相手が犯罪者であったとしても、それを殺めてしまえば犯罪者である。妹を大切にしている兄が憎しみから犯罪を犯す事があってもおかしくはないのだ。もし、雫の命や尊厳を傷つける様な者があれば、忍は迷わず手を下すだろう。


「そうでございますね。何処であろうと不幸な事故というモノはございます。特に此処は辺境です故」

「セバス…ただの独り言だよ」

「かしこまりまして」


頭の切れる部下は、正確にアルディシャールの意図を理解している。

忍がそう望むなら、他国の商人を消すくらい彼には瑣末な事だった。



********************************



街中の警邏の数が増えていた。


―――まずいな。


男は予定していた船の出港を早め、すぐにでも港を離れるつもりで港湾管理局へ出向き、出国手続きを行っていた。

ノクスの港湾管理局とは、沿岸警備・税関・検疫所・出入国管理を行っている機関だ。元々は北方から補給のために立ち寄っただけなので直ぐに許可が下りるだろう。増えた積荷はリスト上、水や食料だけだ。新たに増えた奴隷については、ここの職員に賄賂を握らせてすでに積み込んであった。


「セルウス商会だな。書類は確認した。出向を許可する」


男は管理局の職員から許可証を受け取った。


「随分と出向を急ぐんだな?」

「うちの積荷は鮮度が重要なんですよ。それに港で待っている女もいますからねぇ」

「そりゃ羨ましいね、ではよき旅を」

「はいどうも」


よし、許可は下りた。すぐにでもここを離れよう。

ノクスでは思わぬ商品も手に入った。街で見かけた幼い少女だ。珍しい顔立ちと爪まで綺麗に手入れされた手、身なりもそれなりに良く見目の良い少女とくれば、その手の好事家に高値で売れる。言葉も拙い様子から、東大陸からの移民の子供か何かなのだろう。あれの親が探しに来る前に、さっさとここを離れなくては。


今回はツキていた。貴重な魔族の子供が手に入っただけでも上々だが、帰りには異国民の少女まで入手する事ができた。まあ、ひとり余計なモノもついてきたが、帝国周辺でなら戦奴としての買い手も多い。どうせなら少しでも高値で売ってやろう。


「おい、直ぐに出航だ」

「早いっすね、もう許可おりたんっすか?」

「何事にも根回しというモノがあるんですよ。それよりも、アレの様子はどうですか?」

「大人しいもんです。魔力封じも効いているみたいですし、抵抗したら犬っころを八つ裂きにするって言い聞かせてありますから。それよりも、犬っころの方が暴れて大変っしたよ。うちの奴らが可愛がってやったら大人しくなったみたいですが」

「あれも一応商品です。使い物にならなくなったらどうするんですか」


雇い入れている男達は腕っ節は良いが、気性が荒い。折角の商品が壊れでもしたら大損だ。


男の名はギルバルト・セルウス。まあそれも偽名だが。

中央大陸の強国であるルスキア帝国、そしてその南方に位置する小国群が彼のベースだ。港を有するアヴァンディール王国を経由して、船で様々な商品を運んでいる。金になるなら何でも運び、何でも売った。ギルバルトにとって、子供や麻薬等は定番の商品といえるだろう。

違法な商品を運んでいても、港に下ろさなければ、アヴァンディール王国を経由する事に何の問題もない。ここルーキス=オルトゥス辺境伯領のノクスでも、港の使用料さえ支払えば、補給路として利用できるのだから。

だが、今回の積荷はノクスの少女だ。移民ならば、市民ではなく準市民なのだろうが、それでも誘拐となれば法に触れるし、何より辺境伯領の法は厳しい。さっさと離れないと枕を高くする事も出来ない。


船の中の一室を訪れ鍵を開けると、部屋の中には美しい人形が椅子に腰掛けていた。

ギルバルトには一瞥もくれずに、ただじっと椅子に座っている美しい人形の様な子供。その髪は床にまで流れおちる白銀、紅玉の瞳は意志を映さず、サクランボの様な唇は固く閉じられている。


「ホントに私はツイてる。混血とはいえ貴重な花人が手に入るとは」


その子の顎を掴みくいっと自分の方を向かせると、静かな怒りを灯した紅い瞳と視線が絡んだ。


「高く売ってあげますよ。今度のお客様は未だかつてない大物ですからね」

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