第41話:偽物の『ハッピーエンド』はいらない
「……なんだ、この光は」
ジークヴァルト様の掠れた声が、異質な静寂を切り裂いた。
作者の部屋を満たしていた無数のモニターが、一斉に真っ白な光を放つ。
先ほどまでの悪意に満ちた罵倒や、残虐な展開を望むノイズが、嘘のように消え去っていた。
『――分かった。君たちの勝ちだ』
『――もう苦しめない。君たちが望んだ「最高の幸せ」をあげよう』
『――さあ、これが私たちの愛した、エルセとジークヴァルトの結末だ』
空中に浮かび上がる、数百万の「観測者」たちの総意。
直後、私たちの周囲の景色が、猛烈な速度で再構成されていった。
汚れ一つない純白の聖堂。
ステンドグラスから降り注ぐ、慈愛に満ちた光。
私の体には、銀の糸と真珠で飾られた、息を呑むほど美しい花嫁衣装が纏わされていた。
窓の外を見れば、そこには争いも、不平等も、飢えもない。
全ての民が微笑み、私たちの結婚を祝福している。
銀のペンを振るう必要も、ジークヴァルト様が剣を抜く必要もない。
文字通り、非の打ち所がない「究極のハッピーエンド」。
「エルセ……、貴女は、笑っていますか?」
目の前に、黄金の礼装を纏ったジークヴァルト様が立っていた。
その姿は、私が第1話以前に描いた「理想の騎士」そのもの。
彼の瞳からはあの苛烈な執着が消え、ただただ穏やかな、穏やかすぎて死人のような優しさが湛えられている。
「ジーク、ヴァルト、様……?」
私の手が、彼の頬に触れる。
温かい。けれど、何かが足りない。
私の心を震わせ、魂を焼き尽くすような、あの独占欲という名の熱が、この「完璧な彼」からは一切感じられない。
「いい、世界ですね……。誰も傷つかず、貴女ももう、泣かなくていい」
ジークヴァルト様が、虚ろな笑みを浮かべて私を抱きしめようとした。
『――満足だろう? これが読者の望んだ「救済」だ』
『――もうペンを置いて、永遠にこのページの中で眠っていなさい』
モニターの向こう側から、満足げな溜息が聞こえてくる。
そう、これが「正解」なのだ。
私がずっと、一人で孤独にペンを握っていた頃に夢見ていた、終わりのない幸福。
――けれど。
「……反吐が出るわ」
私の口から漏れたのは、自分でも驚くほど冷酷な拒絶だった。
私は、純白の花嫁衣装の胸元を、自らの爪で引き裂いた。
「誰が、こんな『用意された静止』を幸せだと決めたの?」
私は、掌に爪を立て、そこから溢れ出した「紅いインク」を、聖域のような大理石の床にぶちまけた。
紅い染みが、完璧な白を汚していく。
「私は、銀のペンで世界を救いたかったんじゃない。
泥を投げられても、絶望に突き落とされても、私を狂おしいほどに求め、世界を殴り飛ばして迎えに来てくれる……あの、最悪で最高なジークヴァルト様と一緒にいたかっただけ!」
私は、目の前の「穏やかな彼」の胸ぐらを掴み、紅いインクをその瞳に塗りつけた。
「目を覚ましなさい、私の共犯者! 貴方は、こんな『誰かの好み』で作られた人形なんかじゃないはずよ!!」
ドクン!!
ジークヴァルト様の黄金の瞳が、一瞬でどす黒く燃え上がった。
「……ッ、は、はぁ……っ!!」
彼が激しく喘ぎ、自分を縛っていた「設定」を、内側からの殺気で引き千切った。
完璧な礼装が弾け飛び、いつもの、血と鉄の匂いがする黒衣が露わになる。
「……すまない、エルセ。一瞬、あまりの『退屈』に意識が飛びかけた」
ジークヴァルト様が、私の腰を砕かんばかりの力で引き寄せ、剥き出しの牙を見せて笑った。
その瞳に宿る、この世の全てを焼き尽くさんばかりの、重すぎる愛。
ああ。やっぱり、これだ。
私を狂わせるのは、この「毒」でなければならない。
「観測者ども……。よくも、私の女を『静止画』の中に閉じ込めようとしてくれたな」
ジークヴァルト様が黄金の剣を抜き、聖堂の祭壇を一刀両断にした。
『――な、なぜだ!? これ以上の幸せはないはずだぞ!』
『――自分たちの価値を分かっていない! 恩知らずなバグどもめ!』
モニターの向こうで、観測者たちが憤慨し、騒ぎ立てる。
「価値? お前たちの満足感など、塵ほどの興味もない」
ジークヴァルト様が空を仰ぎ、次元の裂け目に向かって、紅いインクを纏った剣を突き立てた。
「エルセ。……この世界を、私たちのものにするぞ。
誰の視線も届かない、誰のページもめくられない。
私とお前だけで完結する、永遠の『閉じた物語』だ」
私がペンを振るうと、聖堂が崩れ、聖女の衣装が燃え上がる。
『――三月三十日。エルセ・フォン・アルメットは、読者の期待をすべて棄却する。
これより物語は、二人のためだけの『禁書』として封印される』
「な……っ!? やめろ! 結末を見せろ! 勝手に終わらせるな!!」
観測者たちの絶叫が響くが、もう遅い。
紅いインクが、モニターを一つずつ物理的に塗り潰していく。
私たちは、用意された天国を捨てて、二人だけの地獄――いいえ、自由へと足を踏み出した。
だが、最後のモニターが消える直前。
そこには、これまで沈黙していた「管理者以上の存在」の文字が、一行だけ映し出された。
『――合格。真の自由とは、観測さえも拒絶する孤独の中にしかない。
さあ、二人の命を一つに繋ぎ、最後の「署名」をしなさい』
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「用意された天国」を「退屈だ」と一蹴するジーク様とエルセ様……!
読者の望むハッピーエンドを「恩知らず」と言われても、「知るか、私はこの男の毒がいいんだ!」と言い切るエルセ様の覚悟に、書いていて痺れました。
しかし、ついに現れた「管理者以上の存在」。
合格、という言葉の意味とは?
そして二人の命を繋ぐ「最後の署名」……。
いよいよ第3章、そしてこの物語の核心へと迫ります。
二人が手にするのは、世界を救うハッピーエンドか、それとも二人だけが救われる「禁忌のエンド」か。
「ジーク様の独占欲が戻った瞬間の安心感w」「偽物の幸せを壊すシーンが最高にスカッとした!」
と思っていただけたら、ぜひ評価【☆☆☆☆☆】やブックマークをお願いいたします!
皆様の応援が、二人の物語を「誰にも奪われない真実」へと変える力になります。
次回、第42話は「獅子の逆鱗、天を貫く」。
二人の命を一つに溶かし、物語を永遠に「封印」するための最後の試練。
ジーク様が、己の魂をペンにして、次元そのものに愛を刻みつけます! お楽しみに!




