81.ツェンの話
「そんじゃ行ってくるぜ」
「元気でねぇ。エル君、シルファちゃん」
そう言われた兄妹のような二人が、玄関から出ていく美麗な男女を見送った。
「ふー。ひっさびさに楽な旅行だなぁ」
「私には気を使わなくてもいいってことかしらぁ?」
「使ってほしいか?気」
手を組んで拳法の構えをしながら赤眼の男が言った。
「はいはい、止めて下さるぅ?」
薄く笑みを浮かべて黒髪の女が言葉を返す。
「戻るんだよね?」
「ん?」
ファーストクラスのチェアに横たわりながらツェンが生返事をする。
「ウチでは暮らさないんだよね」
「まあな」
その答えに隣に座る娘の返事がなくなり男が口を開く。
「もうしばらく会えなくなるかもしれねぇからよぉ。聞きたいことがありゃ何でも話してやるよ」
「言い方がいつもと違う」
「ん-、まあそうかもな」
『アテンションプリーズ』
離陸を始める航空機内でアナウンスが始まる。
「お母さんと一緒に暮らせない理由って何?」
「前にも似たような状況で聞かれたな。するか?のろけ話」
深く息を吐いたリネアがコンタクトを外す。
「たっぷりと聞かせてもらいましょうか」
リクライニングを倒し隣に横たわる赤い瞳の女が、赤眼の男にそう告げた。
「するからには最後までやるぜ?二度と会えねェかもしれないからよ」
ボロボロのマントを羽織った男が町の繁華街に現れる。
見たこともない煌びやかな電飾をその赤眼で眺めていると客引きから声がかかった。
「お兄さん、はいこちらへー」
強引に腕を引かれる男がそれを振り払う。機嫌を悪くした客引きが怒鳴る。
「何しやがる!!」
『死ヌカ?』
何やら分からない言語を発した赤眼の男が足を踏み抜くと大地が揺れた。その拍子に男の懐から赤い宝石が零れ落ちる。それを目にした別の客引きが、元の客引きを肩で弾き飛ばし男に声をかける。
「お父さん!お茶漬けみたいにさらりとしたおっぱいあるよ」
言葉は分からないが人間が使う色目など知り尽くしている男が答える。
『π』
「あるよー。いっぱいおっぱいはい元気ー」
客引きが写真を見せながら男の肩を抱く。さり気無く外套の内側を探る客引きの手に重量のあるいくつもの物体が感じられた。さっきの宝石が偽物なら叩き出せばいい。客引きが白々しい笑みを浮かべたまま男を店に連れ込んだ。
「生々しいのは無理」
いかがわしい店で働いていた当時の母の状況を語られると思ったリネアが耳を塞ぐ。
「嫌なら耳栓でもつけとけ。聞きたきゃ録音でもしとけ。聞き逃しても俺は二度と話さねェ」
赤い瞳の女が端末を動かしたのを確認したツェンが再び語り始める。
「何してくれてんだテメェ!!汚ぇ浮浪者つれてきやがってよぉ!!」
「訳があるんです!聞いてください!!」
そう言った男が宝飾の施された黄金に光る短剣を差し出す。手に取ったそれの重量に上司が聞き返す。
「これ、どうした?」
「あいつからスりました」
下卑た笑いを見せる男の腹に上司が拳を喰らわせる。
「余計なことすんな!!土になりてぇか!!!」
そう怒鳴りつけた男が手にしたそれは国宝級の価値があるものだった。それは手放すのも、上納金へ回すのも手に余る代物だと男は気づいていた。その持ち主とこの短剣をどうするか、男が思案する。
「対応は俺がする。サラを風呂に置いとけ」
嘔吐しているパーマの部下を蹴り飛ばした男が部屋を出て赤眼の浮浪者に近付く。
「こちらを落とされたようで」
スーツ姿の男が、手にした宝剣をボロボロのマントを纏う男に差し出す。赤い瞳が動き、男と眼が合った。死を覚悟するほどの威圧感が部屋中を貫く。
『俺ハ要ラねェ』
声の抑揚は彼等に似てきたがその言語は店内の人間には通じない。
『モッと欲シいカ?』
訳の分からない言語を吐いた男が懐から光り輝く財宝をばら撒く。金貨、財宝、宝玉、現世のありとあらゆる富を赤眼の男がまき散らす。その輝きに、駆け寄り、拾い集め、殴り合いを始める人間を見て赤眼の男が嗤う。
『いクらでもくレてやる!!こンなモン!!』
「止めろ!!」
黒いスーツの男が赤眼の男を羽交い絞めにする。造作もなく拘束を外した赤眼の男がその腕を掴み、コンクリートの壁に叩きつけた。異常な光景に目もくれず煌びやかな宝を漁る人間を他所に、砕かれた壁の粉塵を浴びる少女がいた。
『見エたカァ?』
声のする方へ少女が歩く。
『やルヨ!!いくラでモよォ』
男が掌から地上に存在する、あるいは存在した人類の叡智、その全てを現す。地上の生物が思いつく限りの全て。光るものを漁る彼等には分からない全てがそこにあった。それを気にも留めず黒髪の少女が男の顔を探った。
「お部屋へご案内いたします」
目に光の射さない少女が赤眼の男の手を引く。
『ンなことしねェでも一生暮らしてケルくらいの金はいクラでも散らばってるンだゼェ!!?』
「ツェン。こちらになります」
手を引かれるまま赤眼の男が浴場へと歩を進めた。
「未熟者ですがお手伝いさせていただきます」
地面に頭をつき、そう告げた少女が立ち上がり赤眼の男の外套を脱がせようとする。
『オ嬢ちャん、君ニこいツは持てネェ』
「失礼いたします」
男の言葉を聞き入れず、娼館で教えられた通りに衣服を手に掴んだ少女の腕は上がらない。米俵より遥かに重く感じた外套を傷つけないように少女は何とか脱がそうとする。
『見エるカ?』
掌からルビーを出現させた男が訊ねる。気配を辿る少女がそれに触れる。
「宝石の類は受け取れません」
『見エるか?』
赤眼の男が掌から文字が書かれた紙を出現させた。それを受け取った少女が指先で文字をなぞる。
「精一杯お相手させていただきます」
赤眼の男の隣に座り直し、少女が喋り始めた。
「お嬢ちゃん、名前は何て言うんだい?」
話を続けるうちに言語が通じ合うようになった男の言葉に女が答える。
「沙羅です」
「沙羅ちゃん。とりあえず風呂場から出ねぇか?」
「ツェン。服もあらわないとなりません」
その意味を理解した男が自らに手をかざすと、ボロボロのマントが一瞬の内に黒いスーツに変化した。
「こいつでどうだ?」
艶やかな黒髪の男が沙羅を抱く。風呂場に漂う以上の豊潤な香りが彼女の鼻腔を刺激する。
「確認をさせていただきます。ツェン」
「アッハッハー!そんなの構わねェ!」
「お名前は?」
「ナマエ?ツェン、だろ?」
「申し訳ありません。ツェン。確認とはそういう意味では」
「どうせ俺の素性を調べろとか、金取ってこいって言われたんだろォ!!?全部くれてやるよ!!」
掌から砂金を垂れ流した男を前に沙羅が無表情で告げる。
「必要がありません」
男が何をしているのかは分からない。それでも金目の物を渡そうとしていることを女は理解していた。




