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 訳も分からないまま異世界に降り立ってしまった柊幸希ひいらぎ ゆきは、ゴホゴホッと体調の悪さからくる咳を大量に吐き出しながら、心理的な意味から来る眩暈に襲われていた。

 そんな中で、慌てた様子で翼を羽ばたかせて駆けつけてきた美丈夫の天使ファーヴから、一通りの説明を聞かされた。自分が間違えで-正確に言い表すならば事故または流れ弾-この異世界に送り込まれてしまったこと、正しく選ばれた勇者ではないものの勇者としての力を得ていること、その力の内容は自分で決められること。

 申し訳ないが、神が不在であるが故に送り返すという事が出来ないというこかかと。

 何度も何度もファーヴが額に土をつけて土下座する様を見せられては、そう何時までも責め続けることは出来なかった。何よりも自分が置かれてしまった現状を考えれば考える程、早く情報を集め力を手に入れ、そして移動などの行動を始めなければ、自分の命に関わるのでは無いのか。

 幸希の決意は、天使ファーヴに言わせると、これまでこの世界に降り立った仮・勇者達の中でも早い段階だったらしい。もっと長く呆然とした状態から抜け出せなかったり、怒りのあまりに暴れ狂ったり、冷静な考えが出来る状態になるまでが長いのだと。

 冷静に頭を冴え渡した幸希の行動は早かった。

 インフルエンザによる高熱が出ている状態であるということも完全に忘れ去り、彼女の身体自身もそれを忘れた感覚に陥っていた。

 ファーヴから世界の在り方、簡単な基礎知識や常識をあれやこれやと聞き出し、そこで自分がどうやったら生き残っていけるか。幸いなことに、幸希は浅くではあってもアニメやライトノベルを嗜んでいた。だから、攻撃を重視するならどんな能力がいいのか、生産系?それとも特殊な…。

 幸希は考えた。メリットにデメリット、思いついた能力を事細かに分析して、そして考えて考えて…。


「それでどうして、その能力を?」


「どうしようも無かったんです」


 考えて考えて、忘れていたとはいえ元々インフルエンザで体調が悪かった幸希の身体は限界を迎えてしまった。糸が切れた操り人形のようにバタンッと倒れた幸希に度肝を抜かれたのは、自分達の不手際であったのだと根気よく誠実に対応し見守っていたファーヴだった。

 近くの宿屋へと運ばれ、人に化けて看病するファーヴを余所に眠り続けていた幸希は、その眠りの中であるモノに遭遇していた。


 夢だと思った、と幸希は語る。

 真っ暗な空間の中でも際立って見えた、空中に浮かぶ黒い靄の塊。

 それが何なのか判別することも出来そうになかった幸希だったが、それから一つの意思のようなものを感じ取っていた。たった一つの、強烈な意思。

『増えたい』

 ただ、それだけの意思。


 夢の中だけの存在だとばかり思っていたその黒い靄の塊は、幸希が目覚めても目の前に浮かんでいた。

 それが何なのか。生き延びる為の考えや能力についての考えを一端横に置いておいて考えた幸希は、それが何なのか辿り着くことが出来た。

 それは幸希が感染していた、『インフルエンザ』だったのだ。

 そして、幸希は考えた。

 このインフルエンザがその強烈なまでの力さえ感じる意思『増えたい』というそのままに、幸希から誰かに感染し、増えていったら、流行を生み出したら、と。この世界は幸希達が普通に暮らしていた世界ではない、異世界。ためしにファーヴに聞いてみても、インフルエンザという存在があるのか無いのかも分からない、少なくとも発見はされていないと言う。

 やばい。

 幸希にはこの状況が時折テレビを賑わしていたそれに似ていると思った。

 アフリカや南米、東南アジア、日本以外の地で大流行を始めた未知の病気が国内に入ってこないようにしているというニュース。空港などで厳しく監視していると大騒ぎするあの事態を今、まさに幸希が引き起こそうとしているのだと。

 そして、柊幸希は自分の能力を決定した。

 大雑把だが、医学系の勉強をしている訳ではない幸希には精一杯考えた末の能力。インフルエンザだけでは自分も困る。だから!

『ウィルス、細菌を支配して、感染させるのもさせないのも自由出来るように』

 幸希が望んでその能力を選んだのではない。迷惑をかけないようにと考えてしまったせいで選らばざるを得なかったのだ。


「えっと、どういうこと?」

 幸希の説明を聞いた彰人が疑問をぶつけたのは、事の主犯その1である上級天使エリーゼだ。

「分かりません」

 はっきりとその疑問を切り捨てたエリーゼ。

「インフルエンザウィルスも生物だからな。人間と同じように、召喚陣を潜って力を手に入れてしまったと考えるのが妥当だろう」

 推測を口にするが本当の真実が何なのか、それは召喚を行った上級天使エリーゼでさえも分からないのならば、現在は不在なのだという神にしか説明は出来ないことだろう。

「他の方々の体に存在しているウィルスや細菌で、このような事態が起こっているという様子は報告されていません」

 不思議なことだ。

 不思議過ぎて、それ以上何を言えばいいのか、何を考えればいいのかも分からなくなる。


「で、俺への話とは一体何なんだ?」


 実は、志貴はこの事態をある程度想定していた。

 インフルエンザのニュースをテレビで見た時から、最近目にしていた論文の内容を頭に過ぎらせて、恐ろしい予想を組み上げてしまっていた。志貴はそれを発作として訴えていたのだが、天使達はこれを何時も通りに聞き逃していた。

 だから、彰人程の驚きを今、志貴が示すことは無かった。

 そして、元は幸希からの申し出だったのだ。その理由をさっさと問うことにした。

「僕はこの能力で今まで、この世界の人達の病気を治してきました。お腹の痛みとか、怪我の傷口が腐ったとか。色々です、本当に。その地域だけという病気も治す事が出来たこともありました。風邪とかも。あと、馬鹿馬鹿しいかも知れないですけど、ブーツばっかり履いているという旅人とか傭兵の人とかの水虫とかも…」

「は?」

 幸希の再開された説明を、志貴が大きな訝しむ声によって遮った。

「あぁ、やっぱり馬鹿らしいですよね。でも、傭兵の人とか長く歩く為に頑丈なブーツを履きつづけている人に多いんですよ。それに痒くて痒くてって意外に大問題で…」

「違う。どういうことだ!?お前の力は、ウィルス、細菌が対象だろう?水虫は真菌、カビが原因だ!それをどうして治せる!?」

「えっ!?真菌って菌だから細菌じゃないんですか!?」

 幸希は本気で知らなかったらしい。志貴の指摘に、本気で驚いていた。

「違う!何だ、つまり、どういうことだ!?」


「…柊君がそうだと想いながら能力を考えたから、対象内になっているっていうこと?」


 意味を理解することが出来ないあまりに、今にも幸希にアルコールをぶちまけようという素振りを見せた志貴を、彰人がどうどうと声をかけながら羽交い絞めにする。

 そして考えた予想を口にして、どう思う?と志貴に尋ねることで落ち着かせようと試みた。

「真菌は真核生物、細菌は原核生物、ウィルスは生物ですらないと言われていた存在だ。最近発表された論文で生物であると言われたがまだまだ論争は続いている。想像…恐ろしい…つまり柊幸希がそうであると考えていた限りでその能力は有効なのか…。そうか、この世界において細菌、ウィルス、真菌という概念がまだ成立していなかったのか。だからこそ、これの望んだ通りそのままに反映されたと。恐ろしい、これは調べねばならない重大事項だ。恐ろしい」


「やっぱり博識なんですね、前橋さん。僕が前橋さんに会いたかったのは知識を貸して貰いたかったからなんです」

 ブツブツと零し始めた志貴に、幸希は目を輝かせて自分の要望を口にする。

「どうも俺、だらだらと推薦とか楽な方法ばっかり使って進学したせいか、知識不足で。さっき言ったみたいに治療みたいな事しているんですけど、出来る場合と出来ない場合の判断をすることも出来ずに、嘘吐きって怒られたり泣かれたりすることがあって」

 エヘヘと頭を掻いて苦笑いしているが、危険なこともたくさんあった、という一言はその表情を裏切る程度の重みが感じ取れた。

「インフルエンザを抑え込んでる筈なのに何時まで経っても症状治まらないし。だから、もしかしたら抑えきれていなくて移してしまうかもって今でも怖い。お腹痛いってO157とかのせいだって思ってたのに治らなかったし」

 エリーゼと会う際にファーヴがお手製の防護服をまとっていたのは、自分に自信を持てずにいた幸希の指示があってのことだった。

 それに、と幸希の声が一際暗いものとなる。

「この力で身を護れないかなって思っちゃったんだ。取り除くだけじゃなくて、他の人に感染させるのに使えないかって。そしたら…」

 幸希が用いたのは、適当な人から取り除いた"何か"だった。

 病気を治す事が出来る存在が居るとなれば、その身柄を確保しようと荒っぽい方法を用いる者もそれなりに居た。ファーヴが手を回して助けてくれるが、何時までもそれに頼ってばかりではいけない。そう考えての幸希の行動を責めることは出来ない。

 だが、医療関係者でも、日本以外の医療未発達の国への渡航経験がある訳でもない大学生に、自分が感染させた"何か"によって倒れていった人というのは、強烈過ぎる光景だったのだろう。

「だから勉強したい」

 幸希の願いは切実なものだった。

 ちゃんと理解した上で、この能力に今から向きあっていきたい、と。


「ふむ…」


 幸希のその望みを、志貴は馬鹿にする訳でもなく興味深いと頷きながら聞いていた。

「真菌にも有効な力…。いけるな。恐ろしいが、使い道は多様か…」

フッ。フフフフフッ。

 それはどう見ても、企み有り気な姿だった。

「いいだろう。この家にある本もそれなりに詳しく書かれているし、今の時期ならばテレビでも十分に説明が聞けるだろう」

 志貴がここまでグイグイと乗り気なのも珍しい。

「ど、どうしたのさ、志貴君?」

「ウィルスなどを操るなど、恐ろしい能力だ。そもそも知っているか?ウィルスというものは自身の細胞を持たない遺伝子だけの存在だ。人の体に入るとその細胞を乗っ取り、その中で増殖して外へと出て次の細胞に。残された抜け殻の細胞を観察すると、ボロボロの穴だらけという恐ろしいものだ。何度も何度も歴史上で様々なウィルスが猛威を振るって死者の山を作り出している。天然痘、インフルエンザ、エイズ、エボラ。ウィルスで最も恐ろしいのは、RNAウィルスだ。これに部類されているものは変異を起こしやすいのだ」

 何時もの発作程の激しさは無いが、すらすらと呼吸する合間も惜しむように進んでいく志貴の言葉。

 こうなった志貴は止まらない。

「あ~お茶でも飲もうか」

 彰人の言葉に天使達は従う様子を見せる。だが、勉強したいと申し出た幸希の決意は本気だった。幸希は語り続けている志貴の前に正座して、メモ帳にペンを走らせながら真剣な面持ちで聞いている。

 うん、うん、と頷きながら、志貴を見上げる目は真剣に輝く。

「勉強したいというのもあるが、幸希はこの状況も嬉しいのだよ」

 やっぱり良い子なんだなぁと改めて思い、志貴と幸希の授業風景を見ていた彰人に、ファーヴが声をかける。

「嬉しい?」

「先程は彼に触れてくれてありがとう。彼が病人以外に触れたのは久しぶりだったからね」

「どういうこと?」


 幸希のこれまでの日々を片時も見逃さずに見てきたファーヴは語った。

 旅をしながら病人を治してい。幸希の考えがどうであれ、この世界の人々にとっては幸希はそういう存在として、その噂は奇跡のようだと大きく広く、そして風のように広がっていった。

 そうなれば人々は幸希を頼る。彼の姿を見つければ、助けて欲しい、力を貸して欲しい、と縋りついた。幸希も現地の医師などを名乗る者のそれよりも格安にそれを受けていったのだから、その名声はますます強まっていった。

 だが、大歓迎で迎え入れた彼等も、幸希が治療が終わえてしまえばそれまで。

 見た目も咳き込む様子も病人しか見えない、未知の病気で隔離されていたような病人にも、土着の病気にも、平気で触れて瞬く間に治してしまう人間。

 お礼の為とはいえ触ってもいいのか。同じ宿で寝泊りして大丈夫か。同じ町に居て大丈夫か。

 不安が止まることは無かった。

 我慢して一日だけ耐え忍び、立ち去った後に幸希の使用したもの全てを焼き払う。なんて事はまだマシだ。ファーヴが目撃してしまうだけで、幸希はそれを知らずに済むのだから。だが、治療が終わってしまえば手の平を返して街から出て行けと石を投げつける、恥知らず者達も少なくはない。

 どれだけ取り繕ろうにも、幸希が不意に触れてしまっただけで青褪めて震えられては、自分が気味悪がられていることに、幸希だって気づかない筈が無かった。

 だから、彰人が何の躊躇いもなく握手を求めたことは、幸希にとってどれだけ嬉しかったことか。

 一方的とはいえあのような距離で会話している状況が、どれだけ救いになっているのか。

 人は孤独で死ぬこともあるのだ。

 本当に良かった。ありがとう、とファーヴは満面の笑みでまずは彰人に礼を言う。また後程に志貴にも礼を必ず言うと宣言までしていた。

「苦労したんだね」

家ごと召喚された志貴は別として。彰人も苦労は別にしていないのだから、恵まれている。そんな彰人が大変だったね、可哀想に、なんて言葉を口にしてはいけない気がして、感想ではなく事実を口にするしか出来なかった。

「時折でいい。良き友として、話し相手になってやってもらえたら嬉しい」

まるで父親みたいに気を使っているな、と彰人は思わず笑っていた。


「細菌、真菌には人間に有益なものも多い。…そうだな。やはり、あそこに連れていくべきだな」


ウィルス、細菌、真菌、それらの一通りの説明が終わった所で、志貴は考え付いていた企みについて再確認し、満足げに笑う。まだ始めてもいない企みごとに対して浮かべるには、気が早すぎる笑みだった。

「例えば酵母。これは真菌だが、多分出来るだろう。これを操る事がもっとも出来るのならば、酒に味噌にチーズ。今も製造してはいるが、格段と行程がやり易くなるだろう。それだけでもなく、他の食材も作れるようになるかも知れない。さらにキノコ栽培も簡単に行えるようになる」


幸希をあの村に連れて行ってみろ。

志貴の指示が彰人に飛んだ。

「えっ、でも…」

その指示に彰人は簡単に了承して見せたが、幸希は困惑し、尻込みする様を見せる。これまでの人々の対応などを考えると、村へと行っても悲しい想いを味わうだけだと思ってしまっていたのだ。

「大丈夫、大丈夫。あの村っていうのは、ケンイチさんっていう勇者が農業革命をしちゃった所でね。志貴君を『天の御方』なんて崇めちゃってる場所なんだ。だから、君の事も別に気にせずに受け入れるよ」

「う、うん。ありがとう?」

さぁ行こうと彰人に背中を押されながら、幸希は村へと向う。




貧しかった村は『天の御方』の助けによって、昔の苦しみが何だったのか、という程の恵みを受けられるようになった。

食材に文化、この村の勇者であるケンイチ、『放浪の賢者』の助け、村を目にかける『天の御方』の助言や授けられた種によって、村の外からの人間だけでなく、各地で名を馳せる活躍をしている勇者達が定期的に来訪するようになったのだから、人生何が起こるか分からない。善良な心持ちであっなからこその幸せを今甘受出来ている彼等が、新たに訪れた幸希を否定することなどありはしなかった。逆に、体調が悪そうな見た目の幸希に、あれやこれやと世話を焼きたがった程だ。

この世界の住人達には理解出来ない幸希の能力の価値は、同胞である勇者達にこそ理解され、歓迎されるものだった。村を訪れる日本由来の食材、懐かしい味を、それまでにも作られていたそれらをより完璧に生み出してくれる数々の調味料を手に入れにわざわざ足を運んでくる勇者達。それを生み出す一部の重要な役割を果たした幸希に喜びを伝えてくる。

そして何より、勇者達は幸希による彼の力が及ぶ限りの治療に感動を覚え、通うようになる。世界でも最先端の医療を受けている日本に生まれ育ったということが弊害となり、この世界の医療に不安しか抱けなかったのだ。不安でしかないがしぶしぶ治療の為に受け入れていた。

幸希の存在はその不安を解消してくれた。その感動は幸希だけでなく、志貴にとっても予想外に大きなものだった。


『毒消しの賢者』


その呼び名は村人達が作ったものだ。幸希が村に家を用意してもらって定住することを決めた時、喜びと共に贈られた。

小さなその村は食材だけでも十分な恵みと来訪者を受けていたが、この『毒消し』の存在が知られるようになった後にはその数が大幅に増え、村にますますの活気を生み出した。

医者が匙を投げた病気も治してくれる奇跡。

領主にも厄介と思われていた小さな村が、奇跡の村と呼ばれ大きく大きく発展していった。

そして、人々は幸希に感謝を向けながら、彼を村に導いた『天の御方』への慶びと信仰を強めていったのだった。

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