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まだやるらしい


 ギリ、と唇を噛むヒメナ様は、もはや淑女の皮など微塵も見られない。

 おかしな話だと自分で思わないのかしら?

 淑女としての振る舞いはそれなりにできているけれど、こういう時に取り繕えないのは三流以下。

 わたくし以外の多くの上位貴族がヒメナ様のその歪んだ表情を目にしているはず。

 だって、陛下と王妃様の横にいるのよ?

 エルキュール殿下が小声でたしなめているのが見えたが、ヒメナ様は一度ものすごい顔で殿下を睨みつけたあと一瞬無表情になって、笑顔を浮かべて姿勢を正す。

 取り繕うにしても下手ね。


「ありがとうございます。必ずや、この生涯をかけて聖女ハレノ様をお守りいたします」


 ユリッシュの言葉で会場が湧きたつ。

 拍手が起こり、これでわたくしたちへの褒美の授与は終わり。

 立ち上がって、一礼する。

 意外にもヒメナ様は動かなかったわね。

 本当に色々と迎撃する材料は持ってきていたのだけれど……。

 まあ、やり合わないのならそれでもいい。

 別に人前で戦いたかったわけではないのだし。


「お待ちください。元の世界に帰る方法が見つかったのなら、私も帰りたいです」


 水を打ったように静まり返る会場。

 いったいなにが引き金でヒメナ様はそんなことを言い出したのかしら?

 振り返ると、ユリッシュがハレノ様の肩を抱いて、手を差し出し立ち上がるのを支えていた。

 ハレノ様を長い間格下に見下し、ほしいものはなんでも、それこそ力づくででも手に入れていた彼女にとってなにもかもをすべてハレノ様に上回られて火がついてしまったのかしら?

 もはや目には闘志が燃えている。

 ハレノ様が困惑しながらヒメナ様の方を見上げて、エルキュール殿下がこわばった表情でヒメナ様の腕を掴む。


「ヒメナ、その話はパーティーのあとで聞こう。今ここでするものではない」


 これは殿下からの最終通告。

 殿下の初恋相手への、最後の優しさ。

 口元に笑みを浮かべたヒメナ様には到底聞こえていなさそう。

 そう……やはりあなたの中身はなにも変わらなかったのね。

 頬に手を当てて、首を傾げる。

 殿下の手を振り払い、前に出てきたヒメナ様は歩く姿も立つ姿も一応、淑女の肩に嵌まっている。

 しかし表情は邪悪だ。

 ゆっくりと顔を上げたヒメナ様の笑顔。

 こんなに悪意に満ちた笑顔をあまり見た記憶はない。


「私、元の世界に帰りたいです。でも、エルキュール殿下と婚約していますから……私、このまま帰ることはできない、ですよね……?」



 わざとらしくエルキュール殿下の方を見上げるヒメナ様。

 驚くべきことに、ヒメナ様の目元には涙が滲んでいる。

 すごいわね、涙の出し入れが自由自在とは。


「そんなことはない。俺は君を愛している。君が望むのなら、君が元の世界に帰ることを止めはしない。それが君の幸せであるのなら、俺は受け入れよう。しかし、この国の次期国王として君とともに行くことはできない。だから、君には一人で帰ってもらうことになるだろう。それでもいいのなら」

「エルキュール殿下」


 うるうると感動したように両手を胸で握り締めるヒメナ様。

 客観的に見れば、愛し合う婚約者が引き裂かれてしまう図。

 でも、そう簡単には終わらないでしょう。

 わたくしは別にここまでならば手も口も出すつもりはない。

 けれどそうではない人が、真後ろにいるのよね。

 扇が開く音が、まるで開戦を告げる狼煙のように大きな破裂音の如く会場に響く。


「まあ? では、パーティーの前半のご挨拶の時におっしゃっていた『行儀見習い』の件はなかったことになさるのかしら? ヒメナ様」

「え……? ええと……そう、なりますかね?」


 振り返ったヒメナ様の目には、扇で口元を隠した公爵夫人。

 そうなのよね。

 公の場で、大勢が見ている前で公爵夫人に“頼み事をした”側なのだ、ヒメナ様は。

 事前になにかしら打診をしたわけでもなく、一方的に。

 そもそも行儀見習いというのは、公爵家の使用人たちにも負担をかけることだ。

 通常の業務の中に余分なモノが入るのだもの。

 そして、なによりも王太子妃候補であれば王妃様付きになって、王妃様から行儀を学ぶ。

 ヒメナ様は自覚がなさそうだけれど、王妃様ではなく公爵夫人に打診をしたことは王妃様を蔑ろにしたことでもあった。

 立ち居振る舞いだけでは、王太子の婚約者にはなれない。

 今の発言は公爵夫人――ひいてはパシュラール公爵家を軽んじた、と取られてもおかしくないのだ。

 空気が冷たい。

 公爵家から向けられる視線にヒメナ様は困惑しているように見える。

 おそらくなぜ公爵夫人が怒っているのか、理解ができていない。

 仕方ない……。


「まあ、それはいけませんわ、ヒメナ様。先程急に公爵家へ行儀見習いをしたいとおっしゃったのは、ヒメナ様ではありませんか。お帰りになるのは問題ございませんが、公爵夫人とのお約束だけは果たされた方がよろしくてよ? 元の世界にお戻りになったあとも、身につけました行儀は無駄になることはないでしょうし。ね?」


 にこり、と微笑みながら仲裁する。

 ええ、もちろん仲裁です。

 だって、ヒメナ様とハレノ様が同じタイミングで帰ったらトラブルになりそうなのだもの。

 先にハレノ様とユリッシュがハレノ様の世界に帰って、新たな生活の基盤が作れたら後々ヒメナ様が帰っても手出しがされづらい。

 なにより行儀見習いが二、三週間で終わるはずもなく。

 それでなくとも王太子の婚約者にとって不足が多いのだもの。

 せめて新しい婚約者が見つかるまでは、殿下の婚約者としての仕事をしていただかなければ。

 わたくしはしないけれど。



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