辿れ、“アイツ”の匂い
「まて……め…ギトッ!! まてぇ!!」
メギトを追い続けるイブキ。足腰は既にそよ風に揺れる棒切れのように弱々しく震えていた。
それでも無理に力を入れ、進んでゆく。幸いライムグリーンの髪色は暗がりの中では特に目立つため、多少距離を取られても見逃すことはなかった。
ーーだめだ…力がはいらねぇからうまく走れねぇ…! なんか…向こうも限界っぽいから差が開くことはないけど…先に俺が限界になったら…やばいッ!!
周りを見渡すイブキ。不潔な路地裏は放棄された大量のゴミ袋と腐りかけた木材や廃材に囲まれているのみで、どれも距離をグッと縮める用途として使うにはイマイチ頼りない。
対するメギトは少しだけ冷静さを取り戻していた。
「へへっ……聞こえる…きこえっぜ…!! 馬鹿市民共のガヤがよぉ!! あと…ちっと…ほんのあとちっとで……逃げ切れる!!」
路地裏の先で聞こえるヒトの音にメギトは口角を釣り上げる。
実際、この距離のまま繁華街に出られてしまえば、深夜のテンションで踊り狂う人の波に流されて見失う確率も高くなる。イブキに選択の余地はなかった。
ーー振り絞れ……振り絞れ!!!
壁に背を預け、右手に思いきり力を込める。
震えるように少しづつ生えてきた黒い爪と、手の甲にまばらに表れた黒い鱗を確認し、呟く。
「よし……まだ…使える…!」
右手の影はいつもの半分程度のみしか伸ばせなくなっていたが、その先にある数個のゴミ袋を掴むには充分だった。
「影が…しなって……飛距離は……あるはずだ…」
宙を舞ったゴミ袋はメギトを超え、その先の出口付近へと落下する。
紙製の袋は裂け、中から途轍もない悪臭を放つ腐敗物が広がる。
「ぐっ!! クソゴミカスがっ!! 無駄なことしやがってっ!!」
悪臭に耐えかね、服で鼻を覆いながらこちらを睨みつけるメギト。拳を震わせ、怒りを露わにしている。
更にゴミ袋を掴んで追い打ちを図ろうと試みるも、悪臭の騒ぎに駆け付けてきた人の群れを確認してそれを離した。
「おいっ! いまこっちでなんか潰れる音したぞ!!」
「ぐえっ! くっせぇ!! ヴォエ!!」
「オイ何してんだきったねぇ!! って誰だよこんなとこに生ごみの袋落とした野郎はよぉ!!」
出口を塞ぐように囲む人の群れ。メギトは美少女の姿を借りているとは思えないほどの強い眼光でイブキを睨み、
「こぉんの……クソジャパニーズがあぁぁ……ッ!!」
「おわり……だッ!! メギトッ!!!」
にらみ合うふたりの顔が、集った野次馬の内の一人が向ける灯りによって照らされる。
眼を細めるイブキと、眼から血を流してゆっくりと灯りの方角に振り向くメギト。
その酷く絶望に歪んでいた表情を見て、人々は再びガヤつき始める。
「あ、あんた……フレイマ嬢じゃねぇか!」
「フレイマ嬢! どうしてこんなところに!!」
「血が! フレイマ嬢のお綺麗な瞳が出血していらっしゃるわ!!」
皆、フレイマの名を口にして騒ぎ立てていた。それもすべて、彼女の身を案じる声ばかり。
「嬢! なにがあったかいうんだ!! とにかく店に入ろう!!」
「ブライツベルン公爵の娘さんだ!! 絶対死なすな!!」
佇むイブキを指差し、こん棒を握る大男が叫ぶ。
「おいてめぇ!! なにもんだぁ!! フレイマ嬢になんかしやがってたらただじゃおかねぇぞ!!」
その言葉を聞いて、イブキは固唾を呑む。
ーーまさか…フレイマって…結構やべぇ立場にいたのか!? まずいッ!! この構図だと明らかにッ!!
「た、たすけてええええ!!! こ、この男……私にしつこく付きまとってる、最低最悪のヘンタイ男よおおおおお!!!!」
こちらを指差し、恐怖に震えるような絶叫を上げるメギト。それを聞いた野次馬たちは一斉に武器を持ってイブキを睨みつけ、
「やっぱそうかこのクソ野郎が!!!」
「ちょっと…フレイマ嬢に手を出すなんてウソでしょ!?」
「ちがう…俺はッ!!」
イブキの弁明は人々に全く届かなかった。
「つい最近強姦騒ぎもこの近くであったらしいぞ!! それもこいつにちがいねぇ!!」
「よし! 皆でとっちめるぞ!!」
武器を持ってイブキに襲い掛かる屈強な男達と、フレイマの姿をしたメギトの肩を抱き、慰める女達。
それぞれが皆イブキを“強姦未遂のヘンタイ”と判断していた。
「やばい……聞いてくれ……頼むから…聞いてくれよ!!」
「強姦魔の話なんて誰が聞くかよ!!」
振り下ろされるこん棒を躱し、メギトを睨む。
「おまえ……おぉぉ…まぁ……え゛え゛え゛!!! 」
派手なドレスに身を纏った女性に逃げるよう促されるメギトは、消え入る直前にイブキへ振り返り、大袈裟に口を動かして嘲笑した。
【く・そ・ざ・ま・あ】
「ーーーッ!!!」
下唇を潰れる程噛みしめ、巨漢が振り下ろしたこん棒を奪い取るイブキ。
こん棒を振り回して野次馬らから距離を取り、喉が張り裂けるように叫んだ。
「逃げんなッ!! にげんな゛!! しゅー……シューゲツを゛!! みんなを!! 殺し゛た゛お゛ま゛え゛た゛け゛は゛!!!!」
「うるせえぞ犯罪者!! おい! 猟銃持ってこい!! 気が狂ってやがる!!」
イブキの剣幕に慄いた野次馬のうちの一人が叫ぶ。
イブキはそいつの胸倉をつかみ、黒く染まった右手を見せつける。
「おいどけよ俺はメテンだ…どかねぇとまじで容赦しねえぞ頼むからどいてくれこのままだとお前もみんな死ぬんだあいつはッ!! フレイマなんかじゃなくてメギトなんだなぁ聞いてんのかよおい!!」
「や、やめろ…! 殺さないでくれ!!」
イブキに押し倒された野次馬はガタガタと震えあがり、涙を浮かべる。
その哀れな姿に胸がキュッとなり、黙り込む。
「くそ……こんなの……まるで…俺が黒龍みたいじゃねぇかよ……」
「猟銃だ!! 奴も暴れて疲れてる!! 殺るなら今だ!!」
「俺がやる! お前ら少し離れろ!!」
つばの長いハット帽を被り、手の汚れた男がイブキに向けて猟銃を構える。
「観念しろ……フレイマ嬢は西の名家の令嬢。そんなのに手ぇ出した時点でお前は助からん」
「……はなし……聞けよ……」
イブキは膝を付いて項垂れる。零れた涙が泥だらけの膝に落ちる。
「なんだこいつ……」
「どうしたんだ……? なんか変だぞ」
泣きじゃくるイブキの様子に違和感を覚えた野次馬達は、揃って顔を顰めてイブキを見やる。
猟銃を構える男も戸惑い、その姿勢のまま固まる。
「イブ……キッ! お兄ちゃんっ!!」
背後から聞こえる、少女の呼び声。野次馬達は再びどよめきだし、路地裏から現れたその少女を指さした。
「あっあの子の声だ!」
「あの子は…確か孤児院の……」
「こんな夜中にどうしたんだ?」
イブキはゆっくりと後方を振り向き、呟いた。
「ゆー…ゆーみ……」
ユーミはイブキの姿を確認するなり、一目散に駆けて彼を庇うように立ち塞がる。
猟銃の的がイブキの心臓からユーミの脳天へと代わり、男は頭を掻いて猟銃を下ろした。
「お嬢ちゃん……そこ危ないから……」
「お兄ちゃんを……いじめないでなのっ!!」
一人、またひとりと引き下がってゆく野次馬達。火の粉が降りかからないうちにと言うようにいなくなってゆく。
“少女”という存在が味方に付くということは、今までイブキを“絶対悪”として叫喚し続けていた状況を疑わせるのにはかなり効果的だった。
「おっお嬢ちゃん……そいつぁメテンで…危なくって……」
「もう……いいだろ。お前も……退け」
動揺する猟銃を構えていた男を睨みつけ、呟くイブキ。
「い、いいのか? 強姦魔って疑われてたんだぜ? あんた」
「いっすよもう……そんなこと言ってる場合じゃないんで」
ユーミの手を引き、猟銃の男を横切るイブキ。男はすまなそうに嘆息したあと、胸ポケットから一枚の紙を取り出し、
「……うちでやってる店の無料券だ。なんなら貸切でもいい。こんなもんでしか俺ぁ償えねぇが……」
イブキは振り返らずにそれを2本の指で掴み、
「……あざっす」
そのまま大通りを進むイブキ。
すれ違う人がみな、路地裏で汚れた彼をみては顔を顰めて距離を置く。仕方の無いことと踏んでいたが、やっぱり心は痛んだ。
「イブキ……お兄ちゃん?」
後ろでそわそわしていたユーミが口を開く。
イブキは立ち止まり、
「……ユーミ。フレイマは……もう」
「……?」
無論、大通りの中にメギトの姿はない。故に、今から再びメギトを肉眼で捉えるのはほぼ不可能だった。
ただメギトは現在、何かしらの方法で死体となったフレイマの肉体を借りている。
フレイマの匂いを誰よりも記憶しているユーミならば、例え見失おうともメギトを追うことは出来るだろう。
正直、ユーミの力はこの状況において絶大だった。
ただ、ユーミの力を借りるには、彼女に『あの人物はフレイマでは無い』ということを納得して貰わなければならない。
場合によっては、ここで泣き叫ばれてしまうかもしれない。
そうすればまた野次馬が集まり罵倒の嵐を受けることになる。
それを覚悟で、イブキは続けた。
「ごめん……こんなこと言って。でも、俺は……」
「分かってる……なの」
「え?」
瞳こそ潤んでいたが、その顔付きは決意に燃えていた。
「ユーミ……匂い、わかるよ。あいつの」
「……ごめん」
ポロりと漏れる謝罪に、ユーミは頬を膨らませる。
「……違う」
「違う…?」
「……お願いします……なの」
イブキはキョトンとなった後思わず吹き出す。
「お願いします…!」
「……うんなの!」
狼の姿となって匂いを辿るユーミ。イブキは周囲を警戒しつつ、探す。
限界を超えていたはずの身体は軽く、頭も再び冴えてくるのが分かる。
ーー両手が龍皮化出来るようになったから……回復が早くなってるのか?
肉体の成長に感謝しつつも、戻った体力をふんだんに使ってユーミの背中を追う。
繁華街の出店を掻き分け、迷路のような路地裏を潜り、進む。
しばらく走って、ユーミの足は止まる。
「……いる。なの」
「そうか。ここ曲がったとこに……あいつが!」
向かいの壁に寄りかかり、目先だけでその向こう側を覗く。
ーー何も聞こえねぇ…。まぁ、少し外れたとこだからな…。ほんとこういう路地裏多すぎだろこの国……
進もうとするユーミを静止し、前に出るイブキ。壁を素早く離れ、右手を構える。
その戦意に満ち溢れていた顔つきは眼前のものを見るなりみるみる崩れていき、
「こ、これは……」
眼前にあったのはフレイマの“死体”だった。
メギトが纏っていた彼女の肉体は、まるで着飽きられた衣類の様に無造作に放り投げられていた。
「おそ……かった…のか……?」
ポツリと呟くイブキ。死体に向けていた視線を、横で震えているユーミに移す。
「……フレ…イマ……お姉ちゃん……」
心が自分の事のように痛むのが分かった。
かつて自分と時を共にしていた仲間の無惨な姿をぼーっと見つめるユーミは、
「……ちゃえばいい」
弱々しく口を動かす。
「あ……あんな……やつ……やられちゃえばいい……なの……やっつけられちゃえば……いい……いっぱい……なぐ…られて……ううっ……いっぱいっ!」
「そう……だよな」
イブキはそっとユーミの頭に手を置き、
「あんなやつは……やられちゃえばいい。いっぱい殴られて……蹴られて……斬られて……。やられちゃえば……や……ら………」
そのまま撫でてやるはずだった手に落ちる涙。
そのまま崩れ、ユーミの肩を抱いて、ただ泣く。
やられちゃえばいい────。
負け惜しみにすら取れる言葉を呪文のように紡ぎ、2人は先程の“猟銃を構えていた男”に介抱されるまで泣き喚き続けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「へッハハァ! あの顔、マジで馬鹿で笑えたな。くそざまあねぇ」
痰のように汚い言葉を吐き捨てるひとりの“男”。何度も後ろを振り返っては、勝ち誇ったように静かに笑う。
繁華街から少し外れた、人気のない建物に繋げられた螺旋階段を下る。
「あの女の死体はそれっぽいとこに置いといたからなぁ。またどっかで死んだとか思うだろ。馬鹿だしなあいつらは!」
青年は右手に軽く力を入れる。禍々しく変化してゆくそれを見つめ、舌を鳴らす。
「64点ってとこかぁ? この肉体ぁ……。とりあえずは“繋ぎ”で使うか。ホントなら今すぐジュニアを奪いに行きてぇところだが……一番大事な“祭り”の為だ。我慢我慢……ケッヒヒヒヒァ!」
姿形は風景に溶け込む一般人。今こそひとけのない分多少その存在は浮いているかも知れないが、あと数分だけ歩けば再びの繁華街。
何百人といる“風景”に紛れ込むことが出来る。
「だがまぁ……それにしても人がいねぇな。この時間帯なら馬鹿共がクソきたねぇゲロ吐き散らかしてるはずなんだかよ。まさかずっとゴミ袋んとこ集まってるわけでもあるめぇ」
あまりの人の無さを疑いつつも男は正面を見やる。
ガヤ騒ぎと灯りの数々が目に入り、不気味に頬をたわませる。
「…ヒヒッ楽しんで……行こう……?」
そのまま固まる。
繁華街という名の“ゴール”を阻む番人のようにその灯りを背に受け、こちらを睨んで迫ってくる大男。
「……あ? なんだあいつ。どーみても“その辺の奴”に見えねぇ」
真っ黒のスーツに包まれていても分かる、限界まで鍛え抜かれた筋肉。無類髭を散らし、眉間にシワの寄ったしかめっ面。
2m近くにまで達した身長は、その大男が放つ威圧感をより際立たせていた。
青年は思わず立ち止まり、眼を血走らせる。
ーー嘘だろ……あいつは……。
近付いてくる大男。一歩一歩の足音が、胸の鼓動を早ませる。
ーーこの先…まじでなんもねぇぞ? 職業病でパトロールか? バカか、んなわけねぇ……見てやがった? 俺が…この身体を奪う瞬間を? なら突っ込んで来るはずだ。わざわざここまで泳がす理由もわからねぇ。
……なにしに……来やがった?
スーツの襟を正し、一直線でこちらに進んでくる大男。
青年は頬を引き攣らせ、小声で押し止めるような掠れた声色で“絶叫”した。
「キ……キィィィリュゥゥウゥゥゥゥッッ!!!」




