屍を覆う天蓋
「お嬢様……フレイマお嬢様…!」
一人が寝る分にはあまりにも大きすぎる天蓋付きのベッドを揺らす初老の男性。
綺麗にまとまった黒い紳士服に白い皮の手袋。
しばらく揺らしても動かない主の様子に呆れながらも、テーブルのティーカップに丁寧にお茶を入れるその様はまさに、“お嬢様のお目付け役”としてはよく画になっていた。
「まったく、家出から戻ってきたかと思えば……今度はお寝坊さんですか。まったく、ブライツベルン公爵にお叱りを受けるのは私なのですよ」
もぞもぞとベッドの中で動く少女に皮肉交じりで語りかける執事の男性。
ふわふわのかけ布団を被ったままの少女は、ぼーっとした瞳で執事をみつめ、
「おはよう。そしてごめんなさいじいや……最近なんだかすごく眠たいの。これもあの時の大けがの後遺症かもしれないわ」
「ほっほっほっ随分、平和的な後遺症ですな」
「酷い! こっちは本当に悩んでいるのよ? お父様に言いつけてやります!」
「いやはや失敬。私もこうして再びお嬢様と談笑できるのが嬉しいあまりについ……」
「もういいでしょじいや。こっちに戻ってきてもう2週間は経ったのよ?」
「そうですな…早いもので…あの時はもう一生戻られないのかと……すべては…あの憎きメテンめがフレイマ様を攫ったが故にっ!!」
「もういいわよそれも。彼のことは……あんまり話さないで欲しいわ。ところでじいや、1個だけお願いがあるんだけど……」
「はて、お寝坊さんの口留めは出来かねますぞ?」
「違うわよ」
少女はわざとらしく頬を膨らませてみせる。
「今日は街へ出歩こうと思うの。戻ってきてからずっとお屋敷に籠りっぱなしだったでしょ? リハビリも順調なんだし…少しは外の空気を……」
「いけません」
少女が言い切るよりも先に、執事は首を横に振る。眼には涙すら浮かべていた。
「わたくしめは勿論、公爵殿をはじめこのお屋敷の皆が即答するでしょう。気になさっていないとはいえ、ほんのひと月ほど前に起こった悲劇を忘れてはなりませぬ。正直、あのような状況から生存できたのは神…いや、このバルボレスに古くより伝わる“創造神”白龍様より与えられた奇跡に他なりません」
「ちょっとじいや……いきなり重たいわよぉ」
「いやしかし! ボロボロのお嬢様が屋敷の前で倒れ、そして目を覚まされた時…わたくしめは心に誓ったのです。より一層…ブライツベルン公爵もといその御令嬢、フレイマ・ブライツベルン様に生涯を捧げてみせると……ッ!!」
「やめてよじいや。なんだか照れくさいわ。でも、どうしても今日は外に出向きたいの。人の多い王都周辺なら黒龍の配下なんて襲ってこないでしょ?」
「で、ですがの……」
「おねがいじいや。ほんの少しでいいの。というよりじいやもついてきてよ。きっと楽しいよ」
「……少し外へ出向くのならばこの屋敷の庭でもよいでしょうに」
「何年も見てきているのよ? 幾ら素晴らしくっても飽きちゃうわ」
「むむっ……確かに…」
執事は自分の甘さにため息をつく。
「さて、私は身支度を済ませるからじいやはお出かけ用のバッグとつばの長い帽子それと……日傘を持ってきて貰おうかしら」
「本当に…本当に少しだけですぞ? 無論、護衛の手配も済ませておきます」
そう言い残して部屋を後にする執事。
その背中に少女は中指を突き立てて呟いた。
「……邪魔くせぇ」
机に用意されたお茶を飲むべくティーカップに手をかける。そっと口をつけ、豪快に喉に流し込む。
「……いよいよ味覚も飛んだか」
滑り落ちるティーカップ。机の角に当たり、乾いた音を立てて割れる。
尖った割れ目に手が触れ、指の皮膚が裂ける。痛みもなければ出血も無い。
「……痛覚もほとんど死んでんな。耳も遠くなってきたし…視界もぼやける……それにくそねみィ。……まじで今日中に乗り移んねぇとやべぇかもな」
少女は立てかけてある適当な服を掴み、雑に袖を通す。
「ま、めんどくせぇ服もくそうぜぇじじいも今日でおさらばできるってこったな。この屋敷の奴らもあのじじい以外は全部駒に変えてっし…もうここで準備しとくことはねぇですわ。後はあの雷野郎が黒龍ジュニアをとっつかまえる。灰色の暴龍にゃテキトーに暴れてもらってテキトーに死んでもらえば完ぺきだ。ったく、あんとき既に“変え時”だったとはいえ…めんどくせぇことしてくれやがりましたねぇ。龍小屋」
着替えが済んだ頃、ドアをノックする音が聞こえる。
「お嬢様、身支度は済みましたかな?」
「うん、大丈夫よ。護衛は最高でも三人まで、目立たないようにして頂戴ね」
少女は椅子を立ち、ドアを開いて執事からポーチと日傘を受け取る。
ーージュニアの肉体が手に入ったら……マジで地獄を見せてやるぜ。一か月間大人しくしてやったのも……あの飴野郎に手ぇ貸してやったのも…全部俺の“祭り”の為だからなぁ…。このクソうぜぇ平和ボケした国も…龍小屋とかいうゴミクズみてえなストッパーも…クソビビりでうごかねぇ“黒龍”もよ……。
不気味な笑みでわざとらしく執事を見つめた後、その腹部を異形に変化した腕で貫き、呟いた。
「楽しんで……いこうぜぇ?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっべバチくそ腹減った。辺りも超暗黒でサガるし…あ〜あ、早く来ねぇかな〜」
気だるそうにコンクリートの壁に腰掛け、先程の戦闘で多少乱れた獅子のたてがみのような金髪を整髪剤で整える。
「……後味わるっ」
優美な蒼い星のような瞳をキッと細め、向かい側で大きくなってゆく影を睨む。
「おっせぇなぁ、メイクに時間かかった的な? んなこたねーか。滅茶苦茶体調わるそーな顔してるぜ?」
「……冗談言えるくらいにゃあ余裕があるみてぇですねぇ? 雷龍」
ライトグリーンのウェーブのかかった髪と、フリルたっぷりのスカートを揺らしながらやってきた少女。
“雷龍”は壁を飛び降り、阻むように眼前に立つ。
「こいつでよかったんかマジで。弱たんでばくわらだったんですけど?」
「間違いねぇですねぇ。ちゃんと生かしておいてるよなぁ?」
「触れば分かるっしょ。てか、それよりも……早く寄越せよ“解毒剤”ってやつ。さすがの俺もちっとは良心が傷んだぜ? おめーにもそこはきっちりしてもらわねぇと困るべ?」
「いや、まだですね」
「はぁ?」
“雷龍”の脚が一瞬、青白く輝く。
辺りで舞うホコリや塵が帯電し、バチバチと音を立てて舞い上がる。
髪の毛先を逆立たせた眼前の少女を先ほどよりも強く睨みつけ、
「舐めてんの? あんた」
「まぁ待ってくだせぇよ。渡さねぇとは言ってねぇ」
怒れる雷龍を嘲笑うように宥める少女。
教師に怒られても全然反省していない悪ガキのような質の悪い態度に、雷龍は両脚をより強く発電させ、
「早く言えよ。時間ねぇんだろ?」
「ねぇことはねぇですよ? 俺がどうにでも出来るからなぁ。もちろん、俺をここでぶっ殺しちまえば……お前の“掃いて捨てるくれぇのガールフレンド”は……一瞬で人喰い女に大変身ですよ。キッヒヒヒッ…楽しんでこうぜ?」
「そんなのいいからはやく言えっつってんだろうが。うぜーな」
「てめぇは俺をぶっ殺せねぇから……安心して言えるわけですけどよォ…こー見えて…今の俺は重症なんだよねん。俺が解毒剤渡してやった瞬間にてめぇから攻撃されちゃあ…どうしようもねぇです。だからはじめに……」
「あっそう。早く奪っちまえよ。俺はんなもんみたくねぇし…また壁ん上いるわ」
「取引が終わったら……殺しに来てもいいですぜ? ここは…こういう場所だからなぁ?」
閃光と共に消えた雷龍に向けて宣戦布告にも似た言葉を放ったあと、
「……確かにクソ雑魚いが…てめーの龍魔力はクソ興味あるんですねぇ…。なぁ、黒龍ジュニア」
傍らで転がり、未だに目を覚まさないイブキ。少女はその病的な程に白い脚でイブキの脇腹をつつく。
その右腕は既に異形と化していた。まるで骨格そのものが皮膚を突き破り、肥大化して言ったような白濁とした龍皮と、先端を毒々しい紫色で彩った鋭く尖った爪。
まるでフランス人形に怪獣の人形の腕を無理やりくっつけたような、極めて不気味な姿と成り果てた少女は怖いくらいに頬を吊り上げ、
「頂くぜ…テメーの身体。メテンの身体ァ乗っ取るのは久々だが……結構ワクワクしますねぇ…どうなるかってなぁ!?」
異形の右手の爪を刃のように揃え、イブキの喉元に突きつける。
そのまま喉笛を抉り、自身の龍魔力を全て投入すれば“肉体の移行作業”は終わる。
「お……ま………」
絞り出すようなイブキの声。少女は酷く歪んだ笑みのまま、
「あーあ、下手に起きちゃって…いてぇぞ〜?」
「ゆ……み……」
「……あ?」
イブキの視線はそいつには向いていなかった。
「……ちゃん」
代わりに見据えるは、壁の隙間で顔を覗かせたお団子頭の小さな少女。
ユーミは身体を小刻みに震わせて涙をポロポロと流しながら、その少女に向けて走った。
「フレイマおねぇちゃんっ!!!!」
「なッ────ッ!?」
飛びつくユーミに対応出来ず、成されるがままに抱きつかれる少女。
腰に手を回し、胸に顔を押し付け、まるで生き別れた家族と再会したように喜ばれているその様を観察しながら、少女は思考を凝らす。
ーー肉体の身内か? クソっ…屋敷の奴は全員ぶっ殺してゾンビに変えた筈だ。こんなに喜んでるってことは……肉体の失踪を知ってたか? まあいい…なんにしろ消すか。……別に消してもゾンビに変えて“祭り”で躍らせりゃいいだけだしな。
少女は目を細め、ユーミを睨む。
「おい雷龍、見なかったことにしろよ? 大切な祭りが控えてんだからよ」
上で待つ雷龍からの返事はない。了承を得たという判断の下、戻しておいた右手の龍皮を再び発現させてユーミの頭部に爪を振り下ろす。
「……ちがう」
その爪は空を切った。直前で少女の異変を察知したユーミが彼女の胸を離れたからだ。
「ち、ちがう……? 何を言ってるの? わたしよ! フレイマよ!?」
付け焼き刃のような芝居を打つも、怯えるようなユーミの視線は変わらなかった。
屋敷の一員には“大怪我による記憶喪失”ということで誤魔化しが効いていたが、眼前のユーミはまるで自分を“友の形をした怪物”のように見つめている。
ーーなんだ……こいつの眼…爪振り下ろしたとこを察知されたか? いや、こいつは明らかに俺に飛びついた後、俺が振り下ろすよりも先に“違う”って判断して…飛び退いてやがった…それくれぇの超反応だった…。
ユーミは3歩ほど後退り、わなわなと手を震わせながら、
「違う……違うっ!! あなたは……あの時……シューゲツお兄ちゃんを……みんなをころしたっ……ばけものっ!!」
「ーーーッ!?!?」
少女は目を見開き、面を食らったように固まる。
ーーこいつ……あれを見てやがったのかッ!? いや、あのメンツに紛れてやがったかッ! クソッ! どんなちいせぇガキでも…マジな証拠を見られたのはいてぇッ!! 一刻も早く潰さねぇと……“祭り”にッ!!
焦った少女は龍皮化した右手を改めてユーミへと向け、首を射抜かんと飛び込むも、
「こ……こま……で……だ…………ギト………メギトッ!!」
止まる。まるで後ろから綱で引っ張られているように前に進めない。
メギトと呼ばれた少女は後ろを振り向き、
「て、てめッ!!!」
「逃げろッ!! ユーミッ!!!」
咆哮と共に放たれたイブキの拳は眼前のメギトの叫びすらも打ち消し、その頬をふんだんに殴り飛ばした。




