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まな板バトル

 カドリとの一件から約一週間が経過した。


 重症だったその間イブキは療養に専念する為夕時の散歩を除いて一切外に出歩くことはなかったが、あれからカドリや謎の窒息死体は一切出現しなくなったという情報は、ラディやレイを介して得ていた。


 ルーツは一晩ぐっすり眠った後、何事もないように起きてきた。

 生き埋めにされ、窒息死寸前にまで追い込まれたはずの彼女が『はれえ? ふぉこどこれすかぁ?』と目をこすりながらリビングまで降りてきたときは、イブキとレイは勿論キッチンで料理をしていたラディですら『まじかよ』と呆気に取られていた。


 ルーツには『カドリは遠くの国にまで旅に出た』と伝えたイブキ。

 途中で何度かボロが出そうになったが、横にいたラディにカバーしてもらうことで何とか誤魔化し切った。


 ラディの予測していた丁度三日後にクルドが起きあがってきた。

 開口一番に謝罪とお礼を叩きこんだイブキであったが、『見返り』として彼女が要求してきたものは予想以上に過酷なものだった。


「はいまたあたしの勝ち~! ふたりともよっわ!」


 縦長の趣味の悪い魚の形をした木彫りの人形を机でグルグル回しながら正面のクルドはにやにやとこちらを煽る。


 ーーああ……今の俺……間違いなく全世界線で一番無駄な時間過ごしてんな


 床に落ちた自分の魚の木彫り人形を拾い上げながら、心の中で悪態をつく。デメキンのようにギョロギョロした目玉をした間抜けなそれをぼーっと眺め、呟く。


「まじこれ……いつまでやんだ……」


「え? あたしがいいっていうまでだけど? 言ったでしょ? あたしは気絶するくらい頑張ってふたりを救ったんだから、その見返りとしてあたしが作った新作のゲームを気が済むまでやりつくすって。はいもういっせ~ん」


「ひつじちゃんつよいっ! なにか回すコツとかあるのかな?」


「ん? あれだよ、あたまと尻尾の先っちょつまんでこうねじる様にさ……違うってばもっとこう指同士をぶつけるぞくらいの勢いで思いっきり……」


 目を輝かせながら横でクルドに教えを乞うルーツ。

 彼女はこの“机の上で木彫りの魚を手で回転させて最後まで回ってた魚が勝ち”(通称:まな板バトル)という、低予算スマホアプリのようなバカゲーを純粋に楽しんでいるようだった。


 そんな想い人の楽しげな表情という至高の癒しを差し引いて尚、イブキにとってこのゲームは“虚無”でしか無かった。

 そんな虚無を吹き飛ばすような溌溂とした声と共に、勢いよく玄関のドアが開く。


「ただいまで~すっ!!」


「お邪魔しますでしょ」


「おかえりなさいです! しはんっ!」


 鬱陶しそうにツッコミを入れるクルドと嬉しそうに迎え入れるルーツの間に割り込み、回転する魚の木彫りを豪快に鷲掴むピンク髪の少女、レイ。


「なんですかこれ? 焦ってるときのイブキ君みたいな顔してますねっ」


「あっ! ちょっとなにすんのってば!!」


 血相を変えて飛びかかるクルドとレイが揉み合う。

 イブキの『マジでやめてください先生』という懇願は届いていないようだった。


「わたしもまわしますねっ! おらぁ!!」


 クルドを躱したレイが卓上に魚の木彫りを叩きつけ、勢いよくぶん回す。

 するとそれは既に回っていた二つの人形を蹴散らすと同時に、『バキッ』というむごい音を立てて真っ二つにへし折れた。


「あ…ああああ……」


 まな板バトルにて無敗神話を誇っていた魚の木彫りの無残な姿に絶望したのか、膝から崩れ落ちて項垂れるクルド。

 そんな彼女にまるで気が付いていない様子のレイはルーツとハイタッチして、


「どーですかルーツちゃんっ! これが炎桜・レイ師範の“究極超無限大ちから”ですっ!」


 得意満面の笑みを向けるレイ。ルーツも朱色の瞳を爛々と輝かせ、


「す、すごすぎます! どうやってやったんですか!?」


「へへへ~っ! 日々の積み重ねがわたしを究極にしたのですっ!」


「わ~! じゃあ私も毎日ご飯食べているので…力が積み重なっていますね!」


「それはもうパワーモリモリですよっ! でも食べてばっかりだとおなかが卵みたいに膨らんでっちゃうので要注意っ! 剣を振ってもコロコロ転がっていっちゃいますっ!!」


「た、卵……! もしや、いっぱい食べると赤ちゃんが産まれるってことですか!?」


「赤ちゃんは産まれませんよっ! 普通にデブになってその綺麗なワンピースが入らなくなりますっ!」


「え、違うんですか? おなかを膨らませた女のひとはよくここには赤ちゃんがいるんだよって教えてくれるんですけどね……」


 ーーな、なんだこの会話……


 まるで突然異世界に放り込まれたように取り残されるイブキ。

 レイとルーツ。常にどこかかみ合わないふたりの会話は、誰かが割り込まないと中々収束がつかない。


「えーっと……死んじゃった人を食べると体の中でその人が小さくなっておなかの中で赤ちゃんになる……とか?」


「ちがいますっ! 中々怖いこと言いますねっ!」


「うぇえ? えーっと……」


 ーーまだやってる……


 超次元的な会話を弾ませるふたりを他所に、イブキは未だに項垂れているクルドの傍に寄る。


「あのデメキンの木彫り……また買うよ。どこで売ってんだ?」


「………わすれた」


 クルドはじとーっと根に持つような表情でレイを睨んでいる。恐らくレイはここから最低三日間、彼女から口を聞いてもらえないんだろうなと我関せずに嘆息する。しかし、


「う~ん! 負けましたしはんっ! 答えを教えてくださいっ! どうしたら赤ちゃんって出来るんですか!?」


「ふ、ふ~んっ! ギブアップですねっ!えーっと正解はですねぇ……」


 ーーえ、答えんの!?


 カオスな会話が行き着いた終着点の恐ろしさに気が付いたイブキは勢いよく立ち上がり、そのまま身体を硬直させる。


 不審に感じたレイは首を傾げ、


「どうしたんですかイブキ君? イブキ君が答えたいんですか?」


「ち、ちが……えっと…あっあふぇ……」


「しはん~! じらさないで教えてくださいっ! 私、自分の赤ちゃん欲しいです!」


「あっ! ほんとですか? じゃあ正解わぁ……」


「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」


 周囲の音を塗りつぶすような雄たけびをあげ、木彫りの魚をレイの頭部めがけて振り下ろす。当然彼女の超反応によって直撃することなく止められ、その手首を捻られる。


「い、いたいっ!! 痛いっスっ!! ああああああ……!!!」


「あまい、甘いですよ~イブキくんっ! 普段わたしがやってることをお返しするつもりだったんでしょうけど…まだまだ全然殺気が隠せていませんっ!」


「あ、あれぇ…痛い……なんか……いたいけそうな痛いっ! 気が……いたたたたた!!!」


「全然だめですっ!! 奇襲で大声上げるのも意味わかんないですしっ! ってなんで鼻血出てるんですかっ!? ルーツちゃんティッシュっ!!」


「えーっと……近くにティッシュないし私のワンピースを……」


「ちょっ!! 先生てぇ離して!! どんどん強くなってる痛いッ!! 折れる折れる折れる痛い痛いいたいいたい!!!」


「おいうるせぇぞクソ共ッ!!!!」


 飛んでくるようにやってきたラディの怒声に一同が押し黙る。


「イブキ、きたねぇ鼻血拭け! ルーツ、安静にしていろと言ったよな? レイ、おまえいつまでいるんだ? クルドは……なんでこいつデンチ切れてんだ?」


「飽きるまでいますっ!」


 レイだけが返す。


「じょーだんじゃねぇ。ここは五人も住めるほど広くねぇんだよ。ルーツも、そんだけ大暴れできんならここで面倒見る意味もねぇな」


「え、」


 ーーえッ!?


 その宣告にふたりが反応する。


「わ、私……もうちょっとここに居たいです!」


「……孤児院に戻れよ。子供らも待ってんだろ…しらねぇけど」


「いや、孤児院には戻りたいんですけど……えっと…」


「ラディさんまたそーやって睨んで~! ルーツちゃん怖がっちゃいますよっ!!」


「睨んではねぇよ」


 ルーツの肩を護るように抱くレイと、前髪をいじりながらそっぽを向いて呟くラディ。


「ここに居るなら家事とかなんかしろよ……せめて。うるせぇだけならおんぼろの家電でもできんだよ」


「わかりましたっ! ルーツちゃん、一緒に料理でもする?」


「あっ! はい! お料理得意ですよ! イケメンさん、いっつも怒ってるからカルシウム沢山のものを作ってあげましょう!」


「えッ!?」

 ーーい、イケメンさんッ!?


 関係ない人物が真っ先に反応する。


「料理はするな」


 仲睦まじくハイタッチしてキッチンへ向かう二人の背中を、矢を指すように語気の強まった一言で制するラディ。

 面白いくらいに頬を膨らませたレイが彼の元にズンズンと踏み込んでいき、


「ああもうなんなんですかっ! あれはダメこれはしろでもそれはだめってっ!! 注文おおすぎですっ!! わたし本気でおこりましたよっ!! 今日でラディさんとは決着をつけますっ!!」


「そうか、せっかくだから大気圏までは送って行ってやるよ。精々母星に戻るまで一人で滞空しとけ」


「はい今世界一ムカつきましたっ!! だから世界一周分殴り飛ばすっ!!」


「ここでやんなよッ!!」


 イブキも見かねて立ち上がり、レイの影を踏んで衝突を制する。


「離してくださいイブキ君っ! 私の剣豪としての誇りにかけてたたかいますっ!!」


「口喧嘩でラディに勝ったことないんだし今更誇りとかいいでしょもう……」


「ひどいっ!! イブキ君の癖に……ってちょっとラディさんなにスルーしてるんですかっ! 煽るだけ煽って退散ですかっ!?」


 レイに構わず廊下に繋がる扉に手をかけたラディは捨て台詞のように、


「呼び鈴の音くらい聞き分けろよ。剣豪」


 悔しそうに地団駄を踏んで真っ赤に頬を染め上げるレイ。完全に言い負かされ、ドアの向こう側に向かって舌を出している師の姿が見てられなくなったイブキは、


「先生……あいつに口は無理っす。力技ならなんとか……ね?」


「でもイブキ君止めたじゃないですかっ!」


「そりゃ止めるでしょうがッ!! 家ん中ッ!!」


「おい、そろそろやめろ」


 戻ってくるなり、今までよりもまじめなトーンでふたりを束ねるラディ。レイがふんと鼻を鳴らして椅子に座ってくれたのを見届け、イブキも場を離れる。


 場が収まったことを確認したラディは、隠れていた片手を掻きこむように動かし、


「ルーツ。おまえ宛だ」


「え? ああ…はい!」


 自分宛だとは思わなかったのか、びっくりしたように立ち上がるルーツ。

 ラディに連れられ、オドオドしながら入ってきたお団子頭の少女は、ルーツの靡く銀色の髪を確認するなり猛スピードで走り、そのまっ白い胸に飛び込んだ。


「おねぇちゃんッ!!」


「ふわっ! ゆ、ユミちゃんッ!?」


 混乱したように慌てふためくルーツ。そんな彼女の腰にがっしりと手を回わすユーミは、


「心配した…なの……心配したなのっ!!」


 ポロポロと声を押し殺して泣き出すユーミの姿につられるかのように、


「ごめんねユミちゃん…ごめんね……」


 ギュッと抱きしめて涙を流すルーツ。


 どうやらこの1週間、ルーツは1度も孤児院に顔を見せることがなかった為、子供たちの中で『 もう戻ってこないのではと噂になっていた。

 そんな中ユーミだけはルーツの帰還を信じていたものの、さすがに戻らない彼女が心配になったのか、我慢出来ずに匂いを辿ってここまでやってきたようだった。


「なんでこうなるまで戻らなかったんだよ」


 前髪をいじるラディが不作用に簡単な菓子を並べながら問う。


「ごめん…なさい。私……迷惑……かけちゃったから……ダメかなって……」


「迷惑? 誰かこいつになにか伝えたのか?」


 鋭い目付きでイブキらを睨みつけるラディ。

 いつも以上の眼力に思わず固まりつつも、覚えのないイブキは首を横に振った。レイも同じような反応だった。


「ご、ごめんなさいっ! 違うんです……実は少しだけ……あの……」


「お、起きてたってことッ!?」


 声を荒らげたあと、しまったと両手を塞ぐイブキ。戦闘中、確実に彼女は気を失っていた。

 もし仮に、彼女が事の顛末に辿り着くようなタイミングがあるとすれば、


「い、いえ! 違うんです……」


 知っていた。友の本性を、末路を。事の顛末を全て知っていて尚且つ、知らないフリをして隠していたのだ。


「ごめんなさい。私に気を使わせてしまって……飴玉さんは…あの人が持ってきた飴は……その……私それを……みんなにッ…ごめ…なさい……ごめ…」


「うっさいなぁ。どんだけ謝んのよ」


「おい、クルド」


 ビクリとして後方を向くルーツ。先程まで抜け殻のようになっていたクルドが突如割り込み、辛辣にぶつける。

 宥めるラディすら振り切り、彼女は続ける。


「謝る行為って誰かから許しを貰おうとするのが前提なんだけどさ、今のルーツは誰に許されたいの?」


「それは…子供達や……クロさん……ひつじちゃんや…匿ってくれたイケメンさんも……えっと他は……」


 もじもじと指を絡ませながらぽつぽつ語るルーツを容赦なくぶった斬るように、


「あーいいよ別に全員言わなくて。んじゃあさ、なんでそいつらに許して欲しいの?」


「お、怒ってるかなって……思ってて……」


「あ〜なるほど。イブキ、怒ってる?」


 突然振られたイブキは慌てふためき、自分を指さしてジェスチャーするも、


「い、いや……全然」


「ユーミは?」


「お、怒ってない! ……なの」


「ラディは?」


「怒ってるが?」


「怒ってんの!?」


「わたしは怒ってませんっ!!」


 見事に裏切ったラディの返答に、天性的なツッコミを光らせるイブキ。後に続いたレイの返答には、小さな舌打ちだけが返ってきていた。


「おまえが飴の正体を知っていたとして、子供達は知らないんだろ? そいつらからすれば、おまえはただ飴配ってただけだ。その効力もクルドが徹夜して無力化したしな。責任を感じるのは勝手だが、今もなんも知らないで呆けた顔で帰りを待ってる子供達の前から消えて、責任果たした気になってんのは違うだろ。ジャパニーズじゃねぇんだから、ただ頭丸めて謝るんじゃなくて……もうちょっとちゃんとした責任の取り方くらいわかるだろ」


 嘆息混じりにルーツを叱咤するラディ。さりげなく母国を貶されたイブキですら、なんとなく彼の言い分は理解出来た。


「で、でも……私が子供たちを……きけんに…したのは…………えっと」


「い、行こうっ!」


 その行動に、自分自身が1番驚いていた。

未だに指を絡めて下を向くルーツの手を取るだけでなく、あろうことかその手を引いて立ち上がらせる。


「く、クロさん……?」


「あっ……や……えっと…へへっ」


 目を丸くしてこちらを上目遣いで見上げるルーツにキュンとしつつも、『しまった』と言うように体を硬直させるイブキ。


「イブキだっさ。見てらんないし2人してどっかいけば。今あたしめっちゃ機嫌悪いし」


 こちらではなく真横にいるレイをふんだんに睨みつけ、腕を組んで鼻を鳴らすクルド。

 魚の木彫りを破壊された恨みは相当なものらしい。


 純粋にムカッと来たイブキは、


「っせぇ! あ、ああいいよ! そうだよな行くに決まってるわ! つーか俺も1週間いってねえし! 1日しかやってないけど! ああもうとにかく寧ろいかねぇ奴クソだわ! ユーミ! 行くぞ!」


「うんなの!」


「ふぇあ!? ちょっユミちゃん!?」


 焦るようなルーツの片手を掴み、イブキと一緒になって引っ張るユーミ。


「んんっ……んもぉ…………!」


 観念したのか、渋々と立ち上がるルーツ。ユーミはその腰に手を回し、3人揃って廊下に繋がるドアを開ける。


「今度来る時はなんか手伝え」


 彼女の背に向けて呟くラディの言葉は少しだけ暖かった。



  * * * * * * *



 無言。王都の離れにあるラディの家から孤児院まで結構な距離がある。

 凡そ歩いて一時間と少々、一同は無言を貫いていた。


 ルーツはよく周りで起きている現象に対して興味を示すことが多く、あそこのパンがいい匂いがするだとか、今向かいの洗濯物が飛んだだとか、あそこの電灯にヒビが入ってるだとかこちらが話を振らずとも勝手に話題を持ってきてくれる。


 しかし今回ばかりはシュンとなって俯き、それでいてどこか不安げな瞳で時々こちらを伺ってくるのみ。

 弱々しい彼女の視線を感じる度に、イブキは一種の切迫感に駆られていた。


 --あの眼。不安なんだろうな……やべぇ……なんかはなさねえと……。なんでだ? ラディの家いる時は普通に話せたのに…あの3人の誰かがいないと変な感じに口が固まって……!


 色々な意味で心配になりチラリとルーツを流し見ると、その鮮やかな朱色の瞳に自分の姿が映る。


 --め、合った……どうしよここで逸らすのなんか違うよな……?


 暫く視線を動かさず、逸らすタイミングを失ったイブキ。何故かじっとこちらを見てくるルーツの表情が和らいでいき…


「ぷっ! ふふっ……んふふふっ!」


「……へ?」


 急に吹き出したかと思えば、お腹を抱えてプルプルと身体を震わせるルーツ。

 そんな不可解とも言える行動をイブキはただ、あの木彫りの魚のように呆けた顔で眺めるのみだった。


「ご、ごめん……なさい…! クロさん……あの…お魚の人形みたいになっていたから……ふふっ」


「お、お魚……? あの……木彫りの……」


「はいっ! あのお顔……思い出しちゃったらつい……えへへ……おかしい……かな?」


 悪気は無いとはいえ、やはり想い人に自分の表情を魚類に例えられるのはいい気持ちではない。

 シャベルで心をゴリっと削られたようなショック。心の底から男性として見られていないような、遊ばれているような不愉快さを感じる。


 それでも、


「い、いや……全然っす……!」


 それでも彼女の笑顔は眩しかった。

 自分の名誉、プライド、自尊……様々な自信を犠牲にして得られたルーツの屈託ない笑顔は、それらを全て許せてしまえるほどに……ただただ眩しかった。


 ルーツは何歩かイブキの前に躍り出た後、くるりと振り返って無邪気に、


「ありがとう! クロさんといると…なんか私、沢山笑ってるなって思うんです。だから……ありがとう!」


「っすぅ……っす…………」

 --き、綺麗すぎる…………


 夕焼けと同じくらい頬を真っ赤に染め上げ、小さく頷くイブキ。おずおずと落ち着きを見せない挙動でなんとか彼女の横に並ぶ。


 --それだけじゃ……ダメなんだ。こんな顔で笑わせるみたいないじられ芸じゃなくって……もっと男らしく……彼女を救えるようにならないとな


 ぎゅっと拳を握って己に告げるイブキ。


 そんな彼の手を、すぐに剥がれてしまいそうな力で覆う小さな両手。すぐに歩を止め、振り返る。


「ユーミ……休憩でもするか?」


「……めん…なの」


「え?」


 何かを言いたげで申し訳なさそうにもじもじと揺れるユーミは、まるで失敗を母親に打ち明ける子供のように俯きながら、何かを大切な選択肢にたどり着いたような決意に満ちた表情で、一生懸命に伝える。


「ユーミは……いけなく……なっちゃった……なの……」


「ユーミ、無理はするな。とりあえずもうそろそろ夜だし今日はこの辺で……」


「ごめん……なのっ!!」


 それだけ言い残して狼の姿となったユーミは、薄暗くて不潔な路地裏に飛び込み、すぐに見えなくなった。

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