亜人の市場
Ⅰ
「ふむ、なにも起こらないわね。なにが間違っているのかしら? 場所? それとも」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、十六夜は何もない場所に向かってゴブリンの鍵を差したり捻ったりしている。あの様子だと、やはり鍵単体では効果を発揮できないのだろう。他になにかが必要みたいだ。
こう言う場合、対となるアイテムが存在しているのが世の常だ。ゴブリンの扉とか、ゴブリンの鍵穴とか、そんな類いのものがある可能性は低くない。いずれも見たことも聞いたこともない訳だけれど。
「ダメだ。ぜんぜん分からない。一体なんなんだ? このアイテムは」
「……もういっそのこと、そこの扉を借りてみる?」
「借りてみる? って、そこの家の扉をか? 他人の家にそんなことしちゃあ不味いだろ。というか、それ以前に鍵穴とサイズが合わないと思うぞ、これ」
ゴブリンの鍵は宝石で出来ている。それ相応の装飾もされているし、なにより普通の鍵より大きいし厚みがある。とてもじゃあないが小さくて細い鍵穴に、これが入っていくビジョンが想像できない。
「その辺は問題ないと思うけれど」
「どうしてだ?」
「だって、そう言う都合の悪いことは省略されるでしょう? ゲームって。剣を背負ったキャラクターが抜刀するとき、決まって刀身が鞘を擦り抜けてるじゃない。それと同じことよ」
「いや……まぁ……うん、それはそうだけれどさ」
言っている意味は分かる。都合の悪いことは省略されるのがゲームだ。
剣と鞘の例もそうだけれど。地形に装備がめり込んだり、土や瓦礫が飛び散っているのに、フィールドに傷一つ付かないとか。上げれば切りが無いほど、都合の悪いことは省略されている。
なら、ゴブリンの鍵においても、その省略は適用されるのではないか。そう十六夜は言いたいらしい。ゲームの舞台が現実になろうとも、ゲームはゲームだ。その可能性は充分あるのかも知れない。
「んー、まぁ試すだけ試してみるか。どうせ誰にも見られないし、聞かれないんだから」
初めに十六夜と待ち合わせた民家に爪先を向けて歩みを進める。
この民家は塀と簡単な作りの門で仕切られており、俺は門扉を開けて敷地内にそっと足を踏み入れる。
「あれ、でもこれ住居不法侵入じゃあ」
「でも、入れているわよ。もっと言えば、民家の屋根に家主の許可なく昇った時点でアウトだった。ルールによれば、私達は罪を犯せないみたいだけれど。基準は曖昧なのかしら?」
「なんだか難しい話になりそうだな。まぁ、いいや。入れているんだから、それで良いだろ」
戦闘疲れで難しいことを考える手間暇がひどく面倒に思える。
うだうだ考えるよりも、許されているのだからそれでいいじゃあないかと思っておこう。大丈夫だ。どうせ誰にもバレやしない。そう自分に言い聞かせながら、玄関扉の前まで歩み出る。その鍵穴は、やはりと言うべきか、細くて狭い。
「……よし」
自分の中に残っている良心と戦いつつ、ゴブリンの鍵を鍵穴に差す。
「入っちゃった」
ゴブリンの鍵は思ったよりもスムーズに、するっと鍵穴に吸い込まれた。大きさ的に考えて、絶対に入らないはずだったのに、物理的に不可能だったはずなのに、宝石の鍵は行き当たるところまで届いてしまう。
そして、恐る恐る、ゆっくりと捻った。
「あ」
がちゃり、そんな音を鳴らして、扉は解錠したことを告げる。
鍵が開いてしまった。いま把手を引けば、扉が開く状態にしてしまった。
このまま扉を開けば、いったいどうなるのだろう。ゴブリンの鍵の説明文には、ゴブリンの世界に行けると書いてあったが、この先にそんな世界が広がっているのだろうか。いやいやいや、そんなまさか。
「なぁ、十六夜。どうするよ、このまま開いてみるか?」
「そうね、それが良いと思う。説明文が正しければ、その先にゴブリンの世界があるはずだから。ただ、扉を開いて最初に見えたのが家の内装だった場合は、すぐに扉を閉じて鍵をかけ直してね」
淡々と、他人事のように十六夜は言う。
「なんというか、凄く冷静だな。お宅」
「いま人様の家の扉を不法にこじ開けようとしているのは、他でもない一くんだもの」
「……良い性格してるよな、ホントにさ」
「あら、褒めても何も出ないわよ?」
「褒めてんじゃあねーよ、皮肉で言ってんだよ」
しかし、文句を言っても始まらない。いまはとにかく、この扉を開いて先を確かめよう。
万が一のことを考えて、扉を閉めて鍵をかけるまでの過程を脳内でシミュレーションしつつ、把手に手をかける。そして息を呑み、意を決して玄関扉を開け放った。
「ははっ、マジかよ」
照りつける太陽の光、からからに乾いた暑い空気、賑わう者達とその喧騒。それらが一斉に目に飛び込み、肌の感覚を刺激していく。
いまは冬だ。しかも夜中と来ている。なのに、この暑さはなんだ。この太陽はなんだ。皆が寝静まっている時間帯にもかかわらず、扉の向こうでは五月蠅いくらいの声が響いている。
その言語は日本語ではない、英語でもない。地球にあるどの国の言葉でもないだろう。なにせ此処の住人は地球上に存在しない生き物なのだから。行き交う者はすべて、浅黒く緑色の肌をした異形の者達だ。それは紛れもなく、ゴブリンだった。
本当に繋がった。異なる世界へと、繋がった。
「現在地、ゴブリン市場。聞いたことのない場所ね。ジュエリー・テールにも存在していなかった筈よ」
「これも、この空間も追加された要素ってことなのか?」
こちらの世界とゴブリンの世界の境界線、扉の敷居をおっかなびっくりに超えてみる。
メニュー画面を通して表示された現在位置の名前が、ゴブリン市場に変更された。どうやら此処は、ゴブリン達が商業を営んでいる場所らしい。たしかに見渡してみれば道ばたに幾つもの露店が並び、ひしめき合っている。
「ここのゴブリン達は敵対していないのね。立場的には中立なのかしら?」
「中立か。俺達、ついさっきまでこいつ等の仲間を皆殺しにしていたんだけれどな」
「大丈夫よ。ここのゴブリンはそのことを知らないわ、生き残りはみんな始末したから。言語も違って意思の疎通が取れないみたいだし、こちらから危害を喰わえない限りは人畜無害でしょう」
「んー……なんというか、言い表しがたい気持ちだ」
向こうからしてみれば俺達は殺人鬼だ。ゴブリンも人を殺すという設定だから、それはこちら側も同じことなのだが、どうも居心地が悪い。ただのゲームなら気にも止めないのだが、こうして現実に大勢のゴブリンに囲まれてみると勝手が違ってくる。
「とりあえず、だ。市場って言うんだから、なにか買ってみよう。物を売ってくれるのなら、の話だが」
状況に困惑しながらも、俺達は最寄りの露店に足を踏み入れた。
結果から言うと、買い物は普通に出来るようだ。露店の正面に立ち、メニュー画面にあるショップのアイコンに触れれば、表示されるアイテムの一覧がいつもとは違った品揃えになる。そこからは通常の手順を踏めば、アイテムを売買できるようだ。
ついでに言えば店のロゴマークも変わっていて、立派な店構えのマークから、ゴブリンの満面の笑みに変更されている。
「んんん? あっ、これ値段がぜんぜん違うぞ。すっごく安い」
「価格の設定が滅茶苦茶ね。これ、リアルなら確実に価格破壊が起こっているわよ」
普通のショップとゴブリンショップで並ぶ同種のアイテムの値段が大幅に違う。
ゴブリンショップのほうがかなり安価に設定がされており、通常の五分の一ほどの金額まで下がっている。にも関わらず、特に粗悪品であるということもなく。まったくの同一のアイテムが、此処でだけ何故か安売りされている。
「……限界まで買い溜めおこうかしら?」
「それはなんだかズルしているみたいじゃあないか?」
「あら、ズルは嫌い?」
「何を言っているんだ。大好きだよ」
互いの見解が一致し、俺達は回復アイテムのような消耗品を、所持数上限のすれすれまで買い溜めた。最初こそ戸惑っていたものの、色んなものを大量に買えるというのは、なかなかどうして楽しいものがある。最後には俺も十六夜も、箍が外れたような爽快な気分で、買い物を行っていたと思う。
お陰で所持金にダメージが入ったが、それも軽微なものだ。
「やばいぞ、ここ。かるくチートだぞ、これ」
「この店だけでも十分そうだけれど、まだ露店は数多く残っているわね。さて、あそこの品揃えはどうなっているのかしら?」
「……もしかしたら、普通に非売品が売ってあったりして」
その言葉を最後にして、俺達が無言で他の露店に爪先を向けたのは、言うまでもないことだった。
いくつかの露店を回ってみると、予想通り非売品のアイテムが数多く発見できた。ただそれすらも価格破壊が起こっている、という訳でもなく。それ相応の金額が提示されていた。そう上手くは行かないものだが、非売品が金で買えるというのは十分な利点だ。これからも贔屓にさせてもらおう。
「ふー、買った買った。もう所持金がすっからかんだ。あとでボックス整理して、金を作っておかないとな。でもまぁ、今日の所はお開きにするか」
「そうした方が良さそうね。色々なことが一度に起きて疲れたわ。今日の所はこの辺で、ということで」
買い物を終えて、開けっ放しのままな世界の境界線、玄関扉をくぐる。
異なる世界から、自分の世界へと無事に生還を果たした後は、玄関扉を閉めて鍵をかけ直した。そうしてゴブリンの鍵を鍵穴から引き抜けば、元通りの玄関に戻るはずだ。
大丈夫だよな?
そんな一抹の不安を抱きながら、十六夜との初めてのクエストは終了したのだった。




