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通学の途中


 身体が重い。酷く重い。


 何か幽霊のような物に取り憑かれているのではないかと思うくらい、自分の身体が重くて堪らない。それもこれも昨日のゴブリンジェネラルの所為だ。あんなイレギュラーの相手をさせられたら、一晩の眠り程度で疲れが取れるわけがない。


 そう嘆いてみるも平日というのは情け容赦なく朝と共にやってくるわけで。今現在、俺は重たい身体を引きずりながら、学校に登校するため通学路を歩いているのだった。


「痛いー、辛いー、怠いー、苦しいー」


 もはや口からは暗い言葉しか出てこない。


 そのうちパタリと倒れてしまいそうだ。冗談抜きで。


「しんどいー、泣きたいー、帰りたー……ん?」


 ぶつぶつと弱音を吐きながら通学路を歩いていると、途中で差し掛かる公園で一人の子供みつけた。精一杯の背伸びをして、短くて小さな手を必死に上へと伸ばしている。その指の先に目を向けてみると、とある真っ赤な丸いものを見付けた。


「風船、か」


 真っ赤な風船が木の枝に引っ掛かっている。状況から見て、風船の紐からうっかり手を離してしまったのだろう。しかし、なんだってこんな時間に子供が公園にいるのだろうか。それも風船を持って。


 助けついでに、ちょいと聞いてみるかな。


「よう、此処で何してるんだ?」

「あっ、えっと」

「うん?」


 進路を公園に変更し、子供の近くまで歩み寄ると、そのまま膝を折り曲げて視線をあわせる。


 子供らしく、可愛らしいまん丸な目をしている。これじゃあ男か女か分からないな。園児服ってどっちも似たようなデザインだし、見た目からは判別がつかない。このくらいの子は声もどっち付かずでわかりにくい。


 まぁ、この子の性別なんてどうでもいいか。


「あのね、ふうせんをはなしちゃったの」

「風船って、あれのことか?」


 木の枝に引っ掛かった風船を指さしてみる。


 子供は一度、風船に目を向けると素直に「うん」と頷いた。


「そうか。よし、なら兄ちゃんが取ってやろう」

「え! ほんとう!? できるの!?」

「あぁ、ちょいと待ってな」


 きらきらした目で期待の眼差しを送られたならば、それに応えてやるのが歳上の役目だ。


 折り曲げていた足を伸ばして立ち上がると、子供の頭を撫でつける。安心しろと言い聞かせるように。


 そうして助走距離をとるため、後ろ歩きに木から離れていく。目測で間隔を計り、足を止めると屈伸運動を軽く済ませ、一気に駆け抜ける。数秒とかからずに木の手前まで辿り着いた俺は、大きく跳躍した。


 けれど、風船までは届かない。高度が足りない。だから、もう一度跳ぶために、俺は木の幹を足場にして更に跳び上がる。二度にわたる跳躍により、手は風船の紐まで届く。しっかりと目標を捕捉し、つかみ取った。


「わー! すごいすごい!」

「そうだろう、そうだろう。ほら、もう離すんじゃあないぞ」

「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」


 手渡した風船の紐を、子供は小さな両手でしっかりと握った。


 これならうっかり手を離すことはないだろう。


「そう言えば、此処で何してたんだ? その風船はどうしたんだ?」

「えっとね。ここはがっこうまでいくのに、ちかみちなの。それでこうえんをとおってたら、てをはなしちゃって。このふうせんはね、おゆうぎでつかうの!」


 なかなか要領を得られなかったが、だいたいの事情は分かった。


「そっか。なら、はやく幼稚園に行かないとな。すぐに行かないと遅刻するぞ」

「うん! ほんとうにありがとうね、お兄ちゃん!」


 そう元気よくお礼を言って頭を下げた子供は、力一杯に足を動かして公園から出て行った。子供は風の子と言うが、あの時期の子供は本当にその通りだ。俺もまだ高校生だけれど、もうあんなに活発にはなれない気がする。


 いや、しかし、それにしても。


「子供の前だからって格好付けるんじゃあなかった、ちくしょう!」


 我慢の限界が過ぎ、俺は膝から崩れ落ちた。


 疲労困憊のところへ過剰な動きをしたのだから、両足が悲鳴を上げるのは当然だった。足がぷるぷる震えて、しばらく立ち上がれそうにない。生まれたての子鹿か何かか、俺は。最悪だ、こんな所を知り合いに見られたらどうしよう。


「そこで何をやっているのかしら? にのまえくん」

「げっ」


 悪いことは重なるもので、そう声をかけてきたのは十六夜だった。


 通学路が同じだったのか。一年以上も同じ道を使って通学していたのに、すこしも気付かなかったな。この状況下で本音を言えば、そのままずっと永遠に気付かずにいたほうが良かったんだけれど。


 どうしてこうタイミング良く現れてくれるのだろうか、十六夜は。


「見たところ、足が悲鳴を上げているようだけれど。そこで正座でもしてた?」

「なんの修業だ、坊さんでもそんなことしねーよ。あれだ、ちょいと童心に返って遊んでいたんだよ。それで少しだけ無茶をして、いま両方の足がストライキを起こしてる」

「とんだブラック企業ね。社員に十分な休暇を与えずに酷使するからそうなるのよ」

「返す言葉も御座いませんよ、ちくしょうめ」


 ぐうの音も出ない正論だ。言い返す気にもならない。


「まったく、仕様がないわね。肩を貸すから、そこのベンチまで頑張りなさい」

「そりゃあ、ありがたい」


 十六夜に肩を貸して貰い、なんとか公園内にあるベンチまで辿り着く。


 腰掛けて楽な体勢を取ってみるも、それで足がよくなることもなく。この様子だと、歩くのにはしばらく時間がかかりそうだ。こりゃあ遅刻を覚悟しておかないとな。なんて言い訳しようか。


「悪いな、十六夜。ありがとう。しばらく此処で休んでいるから、俺に構わず先に学校へ行っててくれ」

「あら、私ってそんなに薄情に見える? 怪我人とまでは行かなくても、その場から動けない知り合いがいるというのに、私だけここを離れる訳にはいかない。動けるようになるまで此処に居るわ」

「気持ちはありがたいんだが、このままだと遅刻するぞ?」

「構わないわよ。べつに一度の遅刻くらいで、どうこうなるほど私の成績は悪くないから」


 それはそれで、成績優秀な生徒を遅刻させてしまうという罪悪感に見舞われるのだが、これを口にするのは不粋かな。ここは十六夜のご厚意を素直に受け取っておくとしよう。正直、公園で一人になるのは落ち着かないと思っていたところだ。


「そうかい。なら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 そう言いつつ、学生服のポケットからハンカチを取り出す。


「使うか?」

「あら、気が利くのね」

「俺の母さんが恋愛ドラマ大好き人間でさ、子供の頃から刷り込まれているんだ。女の人をベンチに座らせる時には、ハンカチを敷いて上げなさい、ってな。実際のところ、これで喜ぶ奴がいるのかは怪しいところだけれど」

「少なくとも悪い気はしないわよ」

「そりゃあ良かった」


 恋愛ドラマもたまには役に立つ。


 まぁ、最近はめっきり見なくなったけれどな。母さんが家でそれしか見ないから、いい加減食傷気味になって、最終的にちょいと嫌いになった。今では俳優の歯の浮くような台詞に鳥肌が立つくらいだ。


「じゃあ、困っている子供を助けたことを隠したのも、その恋愛ドラマの影響なのかしら?」


 ハンカチを敷いたその上へ、腰を下ろしながら十六夜は言う。


「なんだ、見られてたのか」

「偶然ね、私が見たのは木の手前でジャンプしていた所からだったけれど」


 その後のことを見ていれば、だいたいの状況把握は済ませられるか。


「恋愛ドラマの影響ってわけじゃあないよ。ただ格好悪いと思ったから言わなかっただけだ」

「助けた結果、生まれたての子鹿のようになってしまったから?」

「その表現の仕方は止めてくれないか」


 自覚はしていたが、人から言われると傷付く。


「それもあるけれど。わざわざ誰かに、俺は人助けをしたんだぜ! えらいだろ! って言うのも如何なもんかと思ったんだよ。それってなんだか浅ましい人間みたいだなって思うような性格をしているんだ、俺は」

「ふーん。貴方って、もしかすると自ら進んで人の手伝いをするとか、ボランティアをするような善人が嫌いなのかしら? 自分がそうなりたくないから、如何なものかと思うんじゃない?」

「そんなんじゃあねーよ。そう言う人を偽善だのなんだのと揶揄する人は沢山いるけれど、俺は素晴らしいと思うし、立派に見える。尊敬の念すら覚えるね。けれど、自分がそれをやるのと、人がやっている所を見るのとでは若干、感じ方が違うんだよ」

「ふむ、ということは、つまり人が良いことをしていると素直に善人だと思える癖に、自分が同じことをすると打算的に思えて偽善のような気がしてくる。という面倒臭い思考回路で物を考えているのね。貴方」

「はっきり、ばっさりと言い切るよな、お宅。まぁ、その通りだけれどさ」 


 もっと言えば、恥ずかしいのだ。


 まるで人助けをする自分に酔っているようで、酷く恥ずかしい。なら、人助けなどしなければいいのだが、実際に目の前に困っている人がいて、自分ならその人を助けられるとなった場合、俺は見過ごすことがたぶん出来ない。自分自身に失望したくないと思う気持ちが、心のどこかに残っているから


 自分でも面倒な性格をしていると思うのだが、これが性分なのだから直しようがない。そこのところが性質の悪いことだ。


「ところで、足の具合はどう?」

「んー、まだ少し時間がかかりそうだ」

「そう、ならもう少しゆっくりして行きましょうか」


 それから俺達は他愛もない下らない話を、両足がまともに動くようになるまで続けた。その間、約五十分ほどだ。予想を十分以上オーバーした結果となったのだが、どちらにせよ遅刻は確定だったので特に気にすることもなく、通学を一緒に歩いて行ったのだった。

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