9話 明け方
――コトンッ!
明け方の静かな寝室に物音が響く。フッ……と私は目覚めた。まだ薄暗い室内を誰かがゆっくりと動いている。
「……っ?」
(誰……?)
目覚めたばかりで夢か現実か……上手く判別出来ずにボンヤリとした意識のまま、私は室内を動く誰かの姿を目で追った。
寝室を動き回るスラリと背が高い誰かが、窓際のテーブルに用意された水差しを手に取り。コポコポとカップに水を注いで、ゴクッ……ゴクッ……と美味しそうに水を飲んでいる。
「んんっ……」
水の音を聞くと、急に私の喉も渇きを感じ始めた。
「ベアトリス、目が覚めてしまったのか?」
「水……私も欲しい……」
(喉が渇いたわ。私も水が飲みたい)
寝起きのせいか、ひどくかすれた声で私は誰かに伝えた。
「ああ! 待ってくれ……」
コポコポ……と再びカップに水が注がれた。誰かがシュルッ、シュルッ、と衣擦れの音を微かに立てながら、私が横たわっているベッドまで来る。
「……っ」
すぐに水が飲みたくて、私はモソモソとベッドの上で身体を起こした。
誰かはギシィッ……とベッドに腰を下ろし。水を注いだ冷たいカップを私の唇にぴたりとくっ付ける。
「ベアトリス……」
「んんっ……」
どうやら誰かは自分の手で私に水を飲ませてくれるらしい。カップを持つ大きな手を捕まえ、私はゆっくりと水を飲む。自分の喉がゴクッ……ゴクッ……と鳴る。
水を全部飲み干すとフゥ―――ッ……と満足げなため息を吐いた。
(そうだわ。昨夜、マクシミリアン様と口論して……それから久しぶりに私たちは……)
冷たい水を飲み、ようやく私の頭がはっきりと覚醒する。
私に水を飲ませてくれたマクシミリアン様は、空になったカップをサイドチェストにコトンッと置いた。
「強引に君を抱いてしまって……すまなかった」
マクシミリアン様は謝りながら。もう一度、私の唇にキスをした。唇と唇が触れるだけの軽いキスだ。
「本当にすまない。君を近くに感じたら我慢出来なくて……」
「あ……マクシミリアン様」
(そんなふうに、まるで悪いことでもしたように謝らないで欲しい。どうしてそんなに謝るの?)
確かに昨夜は側妃のことで隠しごとをされたから。私はこれ以上傷つきたくなくて、自分を守るために触れられたくないと拒絶したけど。……でも、本音ではずっとマクシミリアン様を求めていた。
「マクシミリアン様……私は……っ」
私から離れようとするマクシミリアン様の腕を捕まえた。
「ベアトリス?」
「もう少しだけ、このままで……」
(側にいて欲しい!)
「すまない。私はもう行かなければ……」
「マクシミリアン様」
即位前の一番忙しい時であり、私たち夫婦はどちらも目が回るほど忙しい。特にマクシミリアン様は王宮の外へ出る公務を私の分まで引き受けているため。こんなに朝早くから王宮を立ち、有力貴族に会いに行かなければいけないのだ。
「……っ」
(マクシミリアン様、行かないで。もっと私を……そう言って引き止めたい。でも……)
私は王太子妃だから。私情で王太子の邪魔をしてはいけない。そんな私の気持ちを察したのか、マクシミリアン様は私の頬を大きな手のひらで包み唇に軽くキスをした。
(これ以上、我がままを言ってはダメ……)
私から離れて行くマクシミリアン様の腕を放して、切なげに見つめていると……マクシミリアン様が苦しそうな表情を浮かべた。
「ベアトリス、私は……っ……」
軽いキスだけでは物足りなさを感じていた私の唇に……再びマクシミリアン様の唇が戻って来る。今度のキスは心と身体に火を灯しような、情熱的なキスだった。
お互いの唇を貪り、きつく抱き締め合い……息が切れるまで激しいキスをした。
ハァッ! ハァッ! ハァッ! と息を乱しながら、お互いの唇を離す。
「ダ、ダメだ! 行かないと……」
そう言いながら、マクシミリアン様の唇はまた私の唇に戻ってくる。
「ベアトリス……」
「んんっ!」
(行かないで、マクシミリアン様! このままずっと私の側にいて! どこにも行かないで……)
胸がジンジンと疼く。マクシミリアン様が自分のもとからどこかへ行ってしまうと思うと、切なくて……寂しくて……堪らなくなった。
どれだけ切実に願っても。始まりがあれば、終わりもある。
情熱的な夜の恋人から王国の冷徹な王太子へと戻り。マクシミリアン様は静かに私の寝室を去って行った。




