8話 夜明け前
前夜、側妃問題についてベアトリスに大切な話があり、私は王太子妃の寝室を訪れた。
だが……肝心のベアトリスに拒絶され、私の話などまともに聞いてもらえず。少しも話し合いなど進められなかった。
妻の立場から見ればこの問題にそういう反応を示すのも、仕方の無いことだと十分理解している。だからそんなベアトリスを責めたり追いつめたりすることなど私には出来ない。懇願するだけだ。
「お願いだ、ベアトリス! 大切な話なんだ!」
「嫌だわ、嫌! 聞きたくない! 放して下さい!」
「ベアトリス!」
話し合いを始める前から、すでにベアトリスが深く傷ついているのは分かっていた。それでも……私たちの今後の関係について、しっかりと話し合わなけばならなかった。話し合いを止めることは出来なかった。
「お願いだ、ベアトリス」
「酷いわ、マクシミリアン様!」
「ごめん……でも、私は……っ!」
焦った私は嫌がるベアトリスを強引に抱きしめ。何度も、何度も、繰り返しキスをした。私はただ……興奮したベアトリスを、宥めたいだけだったのに。
――久しぶりに感じたベアトリスの甘い匂いと感触に私の感情は高揚し。卑怯にもほっそりとした魅惑的な肢体をベッドに押し倒し、夜明けまで情交に耽った。
私との情交に疲れ果て、熟睡するベアトリスの額にそっとキスをする。一度では足りず……幾度となく繰り返しキスを交わし。赤く腫れてしまった妻の唇に、私はもう一度キスをした。
「ベアトリス。君とのキスは、いくらしても足りないよ……」
(ほんの少し君に拒絶されただけで、我を忘れそうになるなんて。自分でも情けなくて笑ってしまうよ)
ただでさえ側妃問題で敏感になっている時なのに。私はベアトリスに何の配慮もなく、妻以外の女性と密会しているところを見せてしまった。
そのことで一を聞いて十を知ることが出来る聡明なベアトリスを、より深く傷つけてしまった。
腫れてしまったベアトリスの唇のかわりに、艶やかな髪を手に取り、私は髪にキスをする。
「君が動揺し、私を拒絶してもおかしくないと、わかっていたのに……」
(ずっと我慢してきたせいだ。……こんなふうに一度でも君に触れてしまうと、私はまるで獣のように、際限なく君を求めてしまう)
こんなことをしたら、またベアトリスを壊してしまうかもしれないのに。まるで自分を抑えられなかった。
「私は怖いよ。ベアトリス……」
ぐっすりと眠る妻の寝顔に語りかけた。
一年前、ベアトリスが二人目の子の流産を経験した時。ひどく身体を壊してベアトリスは死にかけた。それがどれほど私を怯えさせたことか。
それ以来、私は妻の妊娠を恐れて情交を避けるようになった。
「だが君は……妃の義務を果たそうと切実に子供を欲しがっている。そんな君だから、今まで話せなかったよ。君に『子供を産んで欲しくない』……と」
頭ではわかっている。そんなことをすれば、君の立場がどんどん危うくなってゆくと。
眠るベアトリスの頬にかかった髪を、指先で払いのけてやり。貝殻のような薄く繊細な耳を、指の背で撫でながら私は唇を歪めた。
「……っ」
(だが、分かっていても。君が妊娠したらと考えると……不安で押しつぶされそうになるんだ。だから私は側妃を娶ることで君の負担を減らせればと。……ただ、それだけなんだよ)
「これからも私は、変わらず君を愛すと誓うよ……」
(――でも君は私が側妃を娶れば、私を愛すのを止めてしまうのではないだろうか?)
「私は本当にどうすれば良いのか。いくら悩んでも答えが出ないよ」
ぐっすりと眠るベアトリスの細く優雅な身体を抱きしめ。平らなお腹を手のひらで撫でる。
「身籠っていなければ良いけど……」
欲望に負けて、衝動的に抱いてしまったことを後悔した。
婚約をする前。初めてベアトリスと対面し、恋に落ちた時のことを思い浮かべる。何年も経った今でも鮮明に思い出せる。
頬をバラ色に染めて恥ずかしそうに私の名を呼ぶベアトリスの姿が。まるで花開いた大輪のバラのように美しく。君から甘い香りがして、私は目を離せなくなった。
結婚すればベアトリスが自分のものになるのだと思うと。その日の夜は興奮して眠れなくなるほど、私は鮮烈な恋をした。
(私は幸運だった。愛する相手と結婚できたのだから。……ずっとそう思っていたのに。今は妻を深く愛せばこそ、世継ぎ問題で苦痛を感じる)




