16話 苦い薬湯茶4
疲労回復に効くからと、侍女のロッティが淹れた独特な苦味のある薬湯茶を、私は何年も前からマクシミリアン様の情熱を受け入れた日の翌朝に、必ずと言ってよいほど飲んでいた。
――それは妊娠するチャンスを逃したくないから。少しでも妊娠の確立を上げたくて今まで努力して来たのに。
「そんな……ファゼリー伯爵、この苦い薬湯茶が避妊のための物ですって⁉ 何かの間違いではありませんか?」
(だってこのお茶は……ロッティが私の身体を気づかって、淹れてくれる薬湯茶よ? 避妊ですって⁉ そんなバカな!)
ファゼリー伯爵の言葉は、あまりにも突然で私にとって予想外だったから、簡単には信じられなかった。信じられない理由の半分が、私の努力がすべて無駄なことだったと受け入れるのが怖かったから。
自分でも気絶するのではないかと思うほど激しく動揺していた。そんな私の代わりに、マクシミリアン様がファゼリー伯爵と話を続けた。
「それでエドガー、男のお前がなぜ女性の避妊薬のことなど知っているのだ? 一緒に飲んだ私でさえ、何も知らなかったのに」
「殿下もご存知の通り。私の妻は男爵家から、我がファゼリー伯爵家に嫁いで来て。生まれてからずっと暮らしていた田舎の男爵領を離れて、私の都合で突然、慣れないこの王都で暮らすようになりました」
「ああ、それがどうしたと言うのだ?」
田舎で行われた、ファゼリー伯爵の婚姻の儀式に、マクシミリアン様もお忍びで参列した。
意外にもファゼリー伯爵の結婚は、有力貴族との政略結婚ではなく。貴族にしては珍しい幼馴染みとの恋愛結婚とのことだ。伯爵は何の前触れも無く、ある日突然田舎で結婚式を挙げたのだ。
――そして、ひょっこりと奥方を連れて王都へ帰った来た時は……社交界中が騒然となった。王太子の有能な側近で裕福な独身男性だった伯爵は、一番人気の花婿候補だったからだ。
そのファゼリー伯爵がいつの間にか結婚していたのだから。王都で暮らす年頃の未婚女性とその親たちが、涙に暮れたらしい。
「つまり……のびのびと田舎で暮らしていた妻は王都での暮らしが始まると、ひどく落ち込むようになり。気鬱に悩まされ体調を壊してしまいました。……その時、医師に処方されたのが避妊の薬湯茶です」
そう言ってファゼリー伯爵は自分の手元にある薬湯茶に視線を見下ろした。
(ああ……伯爵夫人の気持ちがわかる気がするわ。私も母国を出てこの国に嫁いで来た時、同じような症状が出たから。私はマクシミリアン様の愛情で立ち直れたけれど)
「奥方にそんなことがあったのか?」
「はい。妊娠すると体調の変化で、女性は落ち込みやすくなると医師に言われ。……ただでさえ妻は、慣れない王都の暮らしで苦しんでいたので」
だから伯爵夫人は妊娠しないように、避妊用の薬湯茶を処方されたのだ。
伯爵夫人は慣れ親しんだ土地を離れただけでなく。友人知人もすべて田舎に置いて来た。知っているのは夫のファゼリー伯爵ぐらいで、夫人はきっと心細い思いをしたに違いない。
「なるほど……確かに男爵領は良いところだった。婚姻の儀式に参列していた領民たちにも、奥方は好かれていたようだしな。あそこでの暮らしを捨てたのだから、分からなくもない」
「ええ。それで妻は落ち込んでいるだけだと……簡単に片づけるのは危険だと。それが大きな災いを引きよせかねないと医師の判断で…」
(なるほど、奥方の避妊で……)
「それで伯爵は夫人に処方された避妊用の薬湯茶を、伯爵自身も口にしたから知っていると……そう言いたいのですね?」
「はい、妃殿下。妻が薬湯茶を飲む時、とても不快そうにしていたので。少しでも苦痛を分かち合えればと思いまして、私も……」
『妻の避妊に関しては自分の方に原因があるから』と口には出さなくても、ファゼリー伯爵がそう思っていることは、私もマクシミリアン様もすぐに気が付いた。なぜならファゼリー伯爵の頬がほんのりと赤く染まったからだ。
「……」
真面目なファゼリー伯爵らしいと言えば、らしいけれど。……伯爵は本当に愛妻家だったのね。そういうことに心を動かされる人では無いと思っていたから、本当に意外だった。
「伯爵夫人も同じ物を処方されたと言うなら……この薬湯茶を奥方の主治医に見せれば。茶葉の正体が簡単に確認出来るな」
「はい、殿下」
「誰がこの薬湯茶の茶葉を、ロッティに渡したのかが判明するまでは、王宮内の医師には何も知らせない方が良いだろうな」
マクシミリアン様は険しい表情で、薬湯茶が入っていたポットの蓋を開けて中をのぞく。
ファゼリー伯爵は上着の内ポケットから出した白いハンカチに、ポットから薬湯茶の茶葉を半分取って包むと、茶葉入りのハンカチをポケットに戻した。
「この件はエドガー、お前が秘密裏に調査してくれ」
「お任せ下さい、殿下」
ファゼリー伯爵が朝食室を出て行くと。マクシミリアン様は席を立ち、私の背後に来て、慰めるように抱きしめた。
夫の長い腕に包まれ。私は温かい夫の腕に触れて、空になった薬湯茶が入っていたティーカップをボンヤリと眺めた。
「本当にこの薬湯茶が避妊用だとしたら……ロッティが使われるなんて、盲点でした」
普段、王族が口に入れる食べ物や飲み物は厳重に管理され。厨房には毒見役の者をおき、警戒している。
――でも侍女のロッティのことは、私自身が彼女を信頼しているから。ロッティが淹れたお茶は今まで、毒見役を通すことは無かった。だから私はこうして何年も、騙されていると知らずに飲み続けた。
「ロッティもこの件を知っているのでしょうか?」
「分からない。だが、どうやって関わっているかは、エドガーが調べてくれるから」
「ロッティはきっと何も知らないはずだわ。だって母国から付いて来てくれた人よ?」
「ベアトリス……あまり気に病むな」
マクシミリアン様は落ち込む私を宥めようと。何度も頬にキスをする。
「ええ、マクシミリアン様。……私には落ち込んでいる暇なんて、少しもありませんから」
(マクシミリアン様の子を妊娠したくて、していたことが……逆効果だったなんて。こんなバカみたいな話がある⁉)
私の考えが甘くて愚かだったから。マクシミリアン様の子を身籠れなかったのだ。




