あまりにも凶悪な錆
今回イヤンなネタがそこここにあるのでご注意ください。
パンチの威力は大したことはないが、それまでのダメージは侮れず、イーニロズはのけぞった。
間髪入れずコッコディマに突き飛ばされ、後ろに倒れこむ。さらにピードバルガ侯爵家長子はデフィカス男爵令嬢の両足を抱え、引き寄せた。
騎士科女子にできるのは、後頭部を守ることのみ。
背中をしたたかにぶつけ、あわてて立ち上がろうにもそれは叶わなかった。
『じゃない方令嬢』に両足首を持たれ、倒立もどきの足を上げた体勢を強要されて。
「ひっ……」
騎士科女子の背中を冷たいものが伝う。
開かれた両足の間に、『じゃない方令嬢』が自らの脚部を割り込ませてきたので。
そして-ー
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!」
イーニロズは恥も外聞もなく叫ぶ。
こともあろうに、コッコディマはイーニロズの局部を踏みにじり始めたのだ。
観客席のそこここでも、悲鳴やうめきが上がる。当然だ。いくら『じゃない方』でも令嬢は令嬢。淑女の範疇に入るはずだ。普通なら
「あんた淑女でしょ! さっきのといいこれといいもっと淑女らしくしなさいよ!!」
デフィカス男爵令嬢がののしるも、ピードバルガ侯爵家長子は泰然とした態度。
「今のわたしは闘士でしょう? それに……」
股座を攻撃する足により力がこもる。
「報復の陵辱に繋がる可能性は少しでも削っておきたいので」
報復の陵辱。
学園生活ではそうそう耳にすることのない成句に、騎士科女子は眉を寄せた。
つまり……この決闘に負けたら、イーニロズがコッコディマを慰みものにするとでも決めつけているのか?
青筋がコメカミに浮かび、痙攣する。
「馬鹿言わないでよ! あんたみたいな『じゃない方令嬢』にそんな気は起きないわよ! それにあたしは女よ!」
唾を飛ばさんばかりに音声を轟かせるが、コッコディマは眉一つ動かさない。
代わりに-ー
「ぐっ……」
イーニロズの口から苦鳴が放たれた。
ためらいなく騎士科女子にまたがった『じゃない方令嬢』の膝が下腹部にめり込んで。
そう、コッコディマが馬乗りになったのは、正気を疑いたくなることにイーニロズの股座。もはやいかがわしい店でショーダンサーが観客の目を奪う見世物だ。
「す……すげえ……俺『じゃない方』を応援したくなった……」
「だよな……意外にスタイルいいし……」
「肌もキレイだしな」
ちらほらと出てくる、コッコディマへの賛辞。性的なニュアンスも含まれてはいるが。
「あんたさぁ……こんなので勝って嬉しいの? ピードバルガ侯爵令嬢様が堕ちたものね」
「堕ちるにしてもわたしだけです」
デフィカス男爵令嬢が毒を吐いても、ピードバルガ侯爵家長子は平気の平座。
「ところでイーニロズ様。あなたは日頃から自らを“男みたいなものだ”と称して振る舞っておりますが、それはどのような意味でですか? わたしはあちこちから仕入れた情報から“野卑で性欲旺盛な山賊の首魁”だと判じたのですが」
次の瞬間、辺りの空気が凍りついた。
「な、な、な、な……」
淑女特有の迂遠な言い回しとは無縁の、しかも卑俗的な悪口に、返すべき言葉が見つからず、イーニロズは口を開閉していた。
確かに言った覚えはある。
レヴォナーグと軽い触れ合い混じりに会話していたら、ミレニーナにしつこく絡まれたのだ。
婚約者のいる異性に、過剰な肉体的接触を含むやり取りは控えてほしい、と。
牽制による詭弁をイーニロズは述べた。
あたしは男みたいなものだから、そんなに気にする方がおかしい。
「別にあなたが女性も男性も性の対象に含むこと自体は罪ではありません。でも性欲を押さえきれないのは罪です。女性は自分に落ち度がなくても、操を穢された時点で傷物の烙印を押されますから、あなたのような発情期の熊みたいな女性が側にいるのはそれだけで恐ろしいものです。わたしは官能小説は両手と両足の指を使って余る数しか読んではおりませんが、それを差し引いても、あちこちで聞いたあなたの欲望の生々しさは怖気をそそるものがありました。薬や相談で抑えようとは思わなかったのですか?」
一本調子なコッコディマの長口上に、観客の耳目が集中したのが見て取れた。彼らの視線がイーニロズに移ったが、その質はピードバルガ侯爵家長子に向けられた色と異なっている。
見事なまでに白い。
「あ! あんたねぇ! あんたが変なことを言うからあたしが変な目で見られてるじゃない!!」
「あなたが騎士にあるまじき行為をしたからです。わたしが頭が悪いから頭が悪い女と認識されているのと同じように」
平手で尻を叩かれた。
-ー無論、イーニロズもやられっぱなしでは済まされない。手から離れていた武器を、しっかりと捕らえていた。
無防備に脇腹をさらしている。薄い布地だけで包まれて、筋肉も脂肪も薄い場所を。
彼女は喋りを邪魔されないことに油断している。
そこを狙い、上半身を起こして模擬刀を突き出した。
バランスを崩し、イーニロズの腹側に倒れるコッコディマ。その薄い身体の横っちょに、武器の先端が食い込む。
「うっ……」
患部を庇い、背中を丸める『じゃない方令嬢』。
「よくもやってくれたわね!」
それまでの鬱積をこめ、容赦ない突きを連続で繰り出すイーニロズ。
なれどコッコディマはしぶとい。剣打の雨を食らっても、呻き一つ発しなかった。
-ーこいつしぶといわね……さっさと降参しなさいよ!
デフィカス男爵令嬢はピードバルガ侯爵家長子のこめかみに的を変えた。
なれど、コッコディマの手刀がイーニロズの尻にめり込んでいた。ちょうど、谷間に。
授業で体術は習ったし、組手も行ったが、こんな痴漢みたいな真似を受けるのは初めてだ。
「何するのよこの変態!」
勢いに任せて得物を繰り出すも、わずかに刃先がそれ、側頭部をかすめるのみ。
-ーしまった……
後悔先に立たず。イーニロズのミスを待ってましたとばかりに、コッコディマは反撃の狼煙を上げる。両手を組んで、両の人差し指を立てた。
嫌な予感に首を狙うも、よけられる。
焦るデフィカス男爵令嬢をよそに、ピードバルガ侯爵家長子は本番に移る。
逡巡の欠片なく、揃えた指でイーニロズの肛門を打擲した。
「お-ー-ー-ー-ー-ー-ー!」
脳天を貫く衝撃に、天地が逆転する。所持していた模擬刀を取り落とした。
痛みに悶えるイーニロズから降り、コッコディマは彼女の身体を仰向けにする。危険を察した騎士科女子は這いずって逃げようとするも、その腰を抱くように拘束された。
「あ……?」
ぬいぐるみさながらに持ち上げられたと思うや、二度の天地逆転を経験した。
頭を地面に打ち付けられる-ーと悟るも遅く、イーニロズは意識を失った。
「ん……」
目が覚めると、白い天井が真っ先に見えた。
背中に当たる柔らかい感触に、自分が寝かせられていると知る。
一体何故こんなことになったか、イーニロズはここに至るまでの経緯を辿り-ー
「あ-ー-ー-ー-ー-ー-ー-ーっ!」
『じゃない方令嬢』から受けた仕打ちが蘇り、魂の底から叫んだ。
勢いよく上半身が跳ね起きる。流れる動きで寝台から立った。
どれくらい休んでいたのか、身体は軽い。
「具合はどう?」
横からかけられた声に身を震わせ、源を確認する。
学園の保健医だ。
なんでも気絶したイーニロズに治療を施したとのこと。
「コッコディマ嬢が慌てて運ぼうとしたのをカロアツア嬢が必死で止めたらしいよ。どうなっているかわからなかったからね」
コッコディマ。
固有名詞は腹を重くする。
「あたし……どうなったんですか?」
結果がどうなったかは理解できた。しかししたくない。
でも、口にせずにはいられなかった。
「負けたよ」
保健医はあっさりと告げた。
負けた-ー
自分は負けた。よりによってあのコッコディマに。『じゃない方令嬢』に負けた。
あってはならない事象に、イーニロズの脳は灼熱と化した。
「なんでですか! なんであたしがあんなふざけた女に負けるんですか! ありえないですよ! だってあいつ馬鹿だし長子のクセに家も告げないし外見だって地味だし……」
しかも模擬刀を手から離すわ脛を蹴るわ股間を踏みにじるわ股間にまたがるわ尻の穴を突くわ後ろから抱き抱えて地面に打ち付けるわ……
どこをどう考えても非常識なやり口である。
「-ーとりあえず、今日は休んだらどう? 皆帰ったし」
言われてイーニロズは気づく。
レヴォナーグが来なかったことに。
全身から血の気が失せる。
彼は自分を見てくれたはずなのに。自分を選ぶはずなのに。
痛むのは身体か心か、保健医への挨拶もそこそこに、デフィカス男爵令嬢は保健室を出た。
翌日-ー
重い足取りでイーニロズは登校した。
教室に入ると、一瞬、静寂が落ちるが、すぐに辺りで内緒話が始まる。
普段から女どもはこちらの悪口に花を咲かせるもの。平常の精神なら受け流せるが、敗北を食らった身には直接刺さった。
いっそ潔く喧嘩を売るなり罵声を浴びせるならば、デフィカス男爵令嬢も受けて立つが、ひそひそ話の体を成しているため、迂闊に突っかかれない。
できるのは席に着いて耐えることだけ。
「……それにしてもコッコディマ様すごかったわね」
「『じゃない方令嬢』だなんて言えないわよ」
「冷静に考えれば侯爵令嬢だもんね」
昨日に続き、コッコディマへの褒め称え。イーニロズへの遠回しな悪口ではなく、純粋に尊敬しているのが声音から剥き出しになっている。
-ーもうやだ、帰りたい……
涙をこらえ、それでも椅子に腰かけていると、出入口の方から扉を乱暴に開ける音が鼓膜を殴り付けた。
心臓が飛び出しそうになりながら、面は引かれる。
入ってきたのはレヴォナーグ。脇目も振らず、こちらに近づいてきた。
「レオン……!」
一流の吟遊詩人が奏でる竪琴を連想させる風情の音吐が、デフィカス男爵令嬢から紡がれる。
しかししばらくして違和感に転んだ。
眉は逆立ち、目はにらみつけている。大股で距離を狭めてきた。
「どうしてくれるんだよ」
地獄の底から這い出すようなセリフ。
「ど、どうしたの? レオン」
尋常じゃない所作に、イーニロズの顔は引きつる。
「『どうしたの?』じゃねえよ! てめえのせいでなあ! 俺は婚約解消されたんだぞ!」
「えっ……!?」
レヴォナーグが婚約解消された。
イーニロズの夢は半ば叶った形だ。ヌムエッポ伯爵令息が、あのいけすかないミレニーナ・ノスラウダ伯爵令嬢から引き離されたわけだから。
でも、レヴォナーグにはさにあらずといった感じである。
「だ、だってレオンはあたしを……」
「『あたしを』なんだ?」
凄味をあらわにした語調に、イーニロズは沈黙する。
「そもそもなぁ、なんでお前はミレニーナに“男みたいなものだ”なんて言ったんだよ? まあ、それに賛成した俺も馬鹿だけどな。父上にこう言われたよ。『“あの人を連れて花街に行くのは自由ですが、わたくしは娼婦扱いはごめんです”だそうだ』って。しかもミレニーナは身の安全を保証するための場所に一時避難だとさ。野卑で性欲旺盛な山賊の首魁みたいな女とつるんでいる奴に近づけるわけにはいかないんだとさ。報復だろうが復縁だろうが、陵辱の憂き目に遭わせるわけにはいかないんだと」
レヴォナーグの独白が終わっても、イーニロズはどうしゃべったらいいか判断できなかった。ただ、自分のせいで惚れた男が窮地に陥ったのは理解する。
「しかも家督は弟に継がせるそうだ。学園を卒業するまでは追い出さないって言ってたけどな。何にしても俺の人生真っ暗だよ」
ヌムエッポ伯爵令息-ー期間限定だが-ーは、光のない両眼でデフィカス男爵令嬢をねめつける。
「で、でも“陵辱”とか“野卑で性欲旺盛な山賊の首魁”っていうのは、あの『じゃない方令嬢』が言っただけでしょう? そんな気にすることじゃ……」
「その『じゃない方令嬢』にやられたのはお前だろうが」
痛いところを突かれ、イーニロズは口を閉じる。
「そういえばなぁ、デフィカス男爵令嬢。ミレニーナの手紙にはこう書いてあったんだよ。“わたくしはイーニロズ様があなたに過剰に触れるのを、女として籠絡するのだと始めは思っていました。しかしコッコディマ様の話から、男として欲している可能性も無視できません。男性器を生やす薬を魔女に作ってもらうなり、模した道具を装着してコトに及ぶこともできます。あなたの望みは不明ですが、一度真剣に話してみてはいかがですか?”てな。ま、俺はごめんだけど」
用は済ませたとばかりに、レヴォナーグは去っていく。
イーニロズは周りの空気が凍りつくのを肌で感じた。
つまり自分は“婚約者のいる異性に言いよった性悪女”ではなく、“婚約者のいる中身同性を女認定してものにしようと目論んだ陵辱者予備軍”と愛する人に解釈された。
身から出た錆なんて諺があるが、レヴォナーグが唱えた説は、あまりにも凶悪な錆であった。




