ねぇ、その服で本当に闘るつもり?
「すみません、イーニロズ・デフィカス男爵令嬢様。決闘を申し込みたいのですが、よろしいですか?」
「は?」
王立学園の食堂にて、友人と談笑している最中ふ、唐突に名を呼ばれ、イーニロズはぞんざいにそちらを向いた。
立っていたのは一人の令嬢であった。
茶色い髪は左右で三つ編みにし、背中に垂らしている。丸い輪郭には、ハシバミ色の円かな瞳と小ぶりの鼻、何がおかしいのか笑っている感じの唇が、絶妙なバランスで配置されていた。
デフィカス男爵令嬢は切れ長のエメラルドグリーンの瞳に、短く切った金の髪。ボーイッシュな外見なのは自覚している。
それでいて胸が大きめなことも。
別に悪いことじゃない。ただの事実。
服装はイーニロズと同じ王立学園の制服だが、騎士科に所属する彼女とは違う。イーニロズは青いリボンで襟元を緩めに飾っているが、目の前の女子は淑女科の証である赤いリボンを襟元できちんと縛っていた。
「ごめんなさい、悪いけどもう一回言ってくれませんか?」
聞き返すと、淑女科女子は人形めいたカーテシーを披露し、
「イーニロズ・デフィカス男爵令嬢、わたしことピードバルガ侯爵家長子コッコディマはあなたに決闘を申し込みます」
高らかに宣言した。
コッコディマ・ピードバルガ侯爵令嬢-ー
彼女のことは聞いたことがある。
『継げずの長子』『じゃない方令嬢』
理由は簡単。妹であるカロアツアは成績優秀で運動神経も抜群な佳人として知られているが、姉であるコッコディマは特に秀でているものがないから。
なので侯爵家は次女が継ぐと言われている。
-ーまさか……
イーニロズは思案する。
-ーあたしに勝って箔つけるつもり?
幼少の頃から、男子に混じって剣に親しんできたボーイッシュ女子。腕に自信はある。
正直、三つ編み少女の外見はお世辞にも荒事には向いていない。ましてあのピードバルガ侯爵令嬢だ。どちらが勝つかは明白。
「でも……あなた、剣術やったことあります?」
「ありません。ですので模擬刀でお願いできますか? わたしあまり詳しくないのですが、本物の剣でなくてもやれるみたいですし。あと、どっちか降参したら終わりって決まりで」
イーニロズは嗤いたくなるのを堪えた。
このお嬢さん底抜けの馬鹿だと。
そして見たことのないカロアツアに同情した。
こんなのが姉だなんて可哀想だと。
「いいですよ、それで」
本音を出さぬようにして、デフィカス男爵令嬢は承諾した。
直後、ピードバルガ侯爵家長子は凡庸とした面に柔らかな笑みを浮かべる。
「では、決闘は三日後の放課後でよろしいですか?」
「構いませんよ」
朗らかにイーニロズは答える。
-ーいつやっても同じだよ。
内心、あざけりながら。
「-ーそれにしても、まさか『じゃない方令嬢』がイーニロズに決闘を挑むなんてなぁ」
「ああ、俺もマジで信じられないぜ」
教室に戻ったイーニロズに、友人のデミュド・バッサ男爵令息とヤムゼム・アワン男爵令息が次々に声をかける。
「まあまあ、挑戦するのは自由だし~」
わざと吹き出しながらイーニロズがしゃべると、後ろから咳払いが聞こえた。
見ないでもわかる。クラスの女どもだ。
自分より弱いくせに口達者な奴。陰険でウジウジしていて、細かいことにうるさい輩。
-ーったく、文句あるなら堂々と言いなさいよ。
にらみつけてやると、視線を反らした。
鼻を鳴らし、よもやま話を再開しようと口を開いたそのときだ。
「イーニロズ、話は聞いたぞ。『じゃない方』と決闘するんだって?」
横合いから呼びかけられ、デフィカス男爵令嬢は胸を高鳴らせた。
「うん、そうだよレオン」
レオン-ーレヴォナーグ・ヌムエッポ伯爵令息は、当然のようにイーニロズの側に座る。
「ずいぶん遅かったな、レオン。何があったんだ?」
デミュドが尋ねると、レヴォナーグは深いため息をついた。
「いつものあれだよ。ミレニーナがうるさくってな。ったく、なーにが“剣術に精が出るようですが、今世間で何が流行っているか知ってますか?”だよ。そんなもの知らなくても大丈夫だろうに」
「あ~、相変わらず大変だよな」
ヤムゼムがねぎらうと、ヌムエッポ伯爵令息はそちらに顔を向けた。
涼やかな銀髪に赤い瞳で端正な面差しのレヴォナーグ。癖毛で下ぶくれのデミュドよりも、鼻が大きくて唇の厚いヤムゼムよりも上の容姿だ。
正直爵位も。
“ミレニーナ”はレヴォナーグの婚約者、ミレニーナ・ノスラウダ伯爵令嬢のことだ。淡いオレンジ色の柔らかな髪に甘ったるいピンクの瞳。
いかにも“私弱いんですぅ”といった感じの、なよなよしたお嬢ちゃん。
あんな女がレヴォナーグの将来の伴侶だなんて間違いだ。彼にふさわしいのは、自分の足でしっかり立てる女。
そう、イーニロズみたいな。
「しょうがないよ、淑女科のお嬢さんはそういうのにすがらないと生きていけないんだから」
レヴォナーグの肩を叩いて慰めてやれば、彼はうなずいてくれた。
「だよなぁ。まったく、社交界とやらで何喋るか知らないけど、どうせ大したことじゃないのにさ。ドレスや本の話が何の役に立つんだか。“『セグレタ』を読まなくても構いませんが、官能小説と違うのは理解してくださいね”なんて、なんでそんなもの読まなきゃいけないんだよ。馬鹿馬鹿しい」
「だよね~、騎士に重要なのは剣の腕。大変だよね、レオンも。そういうのが理解できない人間が婚約者だなんてさ」
だから、あたしにしなよ。
心の中で付け加えた。
不意に、出入口付近がざわつく。
つい視線を動かしたら、原因が視界に飛び込んできた。
艶やかな長い銀髪に、ルビーをはめ込んだ如し双眸。卵形の輪郭には目と鼻と唇が完璧な位置に配置され、隙がない。
その場にいる者と同じ制服を着用しているはずなのに、舞台衣裳さながらに映えていた。
後ろには-ー先程決闘を申し込んできた女、コッコディマ。
ある程度の見当をつけてはみたが、信じがたいのが本音。
銀髪女子はイーニロズの前で停止した。
「はじめまして、イーニロズ様。ワタクシはピードバルガ侯爵家次女、カロアツアと申します」
優雅で非の打ち所のない淑女の礼。
案の定、彼女はコッコディマの妹だと判明した。
あちこちで嘆声が漏れる。
それもそうか。まさかカロアツアが噂以上の容貌だとは、デフィカス男爵令嬢も知らなかった。
「この度は姉の酔狂に付き合わされてしまい、誠に申し訳ありません。ですが、決闘は決闘。ですので改めて、誓約書を作成して参りました。あとで面倒になるのは望まないでしょう?」
カロアツアは一枚の書類と万年筆を差し出した。
「確かにそうですね」
堅苦しいとため息をついたが、自分の名を記す。
なんとなくコッコディマに視線を走らせたが、頭にタンポポが植わっている風情。
これじゃ妹にも馬鹿にされて当然だわ、と、イーニロズは心の中であざける
「これで明確に決闘は確約されました。ではワタクシたちはこれで」
堂々と教室を後にするカロアツアに続き、コッコディマも出ていく。
「あれじゃあ、どっちが姉かわからないよね」
二人の姿が消えてから、イーニロズは口を開く。
一弾指、デミュドもヤムゼムもレヴォナーグも大笑いした。
-ー三日後の放課後。
決闘の舞台となる正門前の庭園には、生徒たちが淑女科紳士科騎士科問わずひしめいていた。
娯楽に飢えている年頃の彼ら彼女らには、決闘は予想外の見物。ましてや『じゃない方令嬢』が騎士科の女子に申し込んだのだから。
イーニロズは理解している。
観客一堂が想像し、求めているのは自分の勝利。何より、馬鹿を極めたコッコディマが無様に負ける様だと。
そして他の目的もあった。
デフィカス男爵令嬢の勇姿をヌムエッポ伯爵令息に顕示し、選ぶべきは自分だと気づかせる。
ノスラウダ伯爵令嬢に格の違いを見せつけて。
輝かしい未来に緩みそうになる表情筋を引き締め、イーニロズは檜舞台に上がった。
清廉さを表す白を基調にした騎士服で。
あいつはどんな恰好をしてやってくるのか……と、意地の悪い好奇心を抱いて待っていたイーニロズの前に、コッコディマは現れた。
「「「「「「なっ……」」」」」」
デフィカス男爵令嬢を含め、観客のほとんどや立会人が対戦相手を凝視する。
何せ、袖と裾にフリンジのついた、水着みたいな衣装を纏っていたのだから。
-ーこいつ、馬鹿にしてるの?
乗馬服なりなんなり露出を押さえた服装ならともかく、ダンサーや道化師さながらの扮装なのだ。イーニロズは奥歯を噛み締めた。
「ねえ、その服で本当に闘るつもり?」
怒鳴り付けたい衝動をねじ伏せ、イーニロズは問う。
「はい」
短くコッコディマは応えた。
向かい合わせに立ち、デフィカス男爵令嬢とピードバルガ侯爵家長子は立会人から模擬刀を受け取る。
木でできたそれは、イーニロズの手にしっくりきた。
コッコディマは目をしばたたかせて柄やら刀身やら指で触れている。
試合場の中心から、イーニロズとコッコディマはそれぞれ反対側に1メートル50センチほど離れた。
「はじめ!」
立会人の声と同時に、デフィカス男爵令嬢は模擬刀を上段に構え、ピードバルガ侯爵家長子目掛けて走る。
狙うは彼女の頭。
コッコディマも同様の姿勢で迎え撃つ。
-ーそんなんであたしに勝てるとでも?
口元を歪め、得物を振り下ろした。
直後、目の前でコッコディマの武器が消えた。
「ふぇ!?」
本来存在するはずの物体がなくなり、脳をハテナで埋め尽くしたデフィカス男爵令嬢の腕から一瞬、力が抜ける。
どうにか気を取り直して柄を握りしめ、惰性から信念で狙いを定めた。
-ーが、
「なっ!?」
膝を曲げていたコッコディマが跳躍し、自分から当たりに来た。
刹那、上からも何かがぶつかり、刀身から衝撃が駆け抜ける。
「うぅぅ……」
痛みはないが、意識が留守になっていたところを直撃し、痺れが止まらない。
源に目を走らせ、まばたいた。
『じゃない方令嬢』の頭部には、イーニロズが構えている模擬刀の刃が食い込んでいた。切れはしないが。その上は同じく『じゃない方令嬢』の右手が。
文字通り、デフィカス男爵令嬢の武器を手と頭で挟み撃ちにしたのだ。
-ー嘘でしょ?
イーニロズは状況を呑み込めなかった。
痛みに耐性がなく、避けるか怯むかのお嬢さんのはずが、まさか体を張ってこちらを奇襲するなんて夢にも思わなかった。
しかしコッコディマは止まらない。
「ちょっと何すんのよ!?」
イーニロズは抗議する。
「あなたの鼻の穴に指を入れました」
コッコディマの説明は正しいが、
「そういうのを訊いてるんじゃないわよ!!」
激情に理性を灼かれ、デフィカス男爵令嬢は力ずくでピードバルガ侯爵家長子の拘束から武器を引き剥がす。
「さっさと離しなさいよ!」
吠えるや騎士科女子は『じゃない方令嬢』を得物で打ち据える。
太鼓と化したコッコディマは、それでもイーニロズの鼻の穴に人差し指と中指を一本ずつ突っ込んだまま。おまけに出鱈目に動かし始めた。
ますます頭に血を上らせるイーニロズ。コッコディマの額に傷ができたが、むしろざまあみろとすらあざけったそのとき。
「〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️!?」
右の脛に衝撃が走った。
コッコディマが蹴飛ばした。
惨状を持ちこたえられぬイーニロズだが、光明が訪れる。
忌々しい二本の指から、嗅覚期間が解放された。
しかし、それは新たなる試練。
「ぶっ……」
イーニロズの顔、鼻の下にコッコディマの拳がめり込んだ。




