三章:中編
「久しぶりに会うんだし、マスクは取ってほしいな」
イレズミは何も言わない。今は状況を整理しなければならない。
北を裏切ったミネルヴァが南についたのであれば、何故ミネルヴァが南に攻撃されなければならないのか。
根本から間違っているイレズミは、自身の思考の過ちに気づかず、再度混乱するのみ。それはピギイも純愛仮面も同じ。
『イレズミ様』『……聞いてくれないかな……?』『ミネルヴァについてなんだけどさあ!』
「なんだ……?」
例え背骨が曲がろうとも関係ない、イヴォルグの驚異的な背丈。イレズミより、幅も高さも倍はある。そんな巨人のような体躯から想像もできないほどの澄んだ低い声がイレズミがいる方向へと発声される。
「君は勘違いをしているけど、あの女はずーっとナイーラ陣営であり、私にとっては侵入者だ。私に加担したとあなたに嘘を伝え、君を戦闘不能にし、恐らくどうにか北に連れ去ろうとしていた。この状況では、北の言うことも、勿論他の四天王のことも信じちゃ駄目だ」
イレズミの想定はイヴォルグにとって都合が良いように正されたとする。しかし、それでもまだ大きな疑問がいくつか残っている。
「……それを言うならお前も、奴らと一緒の立場だろう。お前たち四天王は漏れなく、私のことを好いている。」
「うん。たしかにそうだ。でも彼らと根本的に違うのは、私は今回の記憶操作の事件に加担していないということだ。むしろ危機を察知し、魔導人形を緊急で遣わせた。」
ここは『ミネルヴァが 見 せ た 真 実』と一致はしているが。
「…………。後もう一つ疑問がある……。何故ピギイが狙われるんだ。あの子は関係ないだろう」
『ああ……。それなら……』と一つ。口が囀る。
「私は最近、西がきな臭いと魔導人形を使役し、見張らせていた。そして結果、君の記憶が操作されるというトリッキーな搦手が起き、しかし君はどうにか逃げ去った訳だが……。」
イヴォルグがすっと指を天に向けて、続ける。
「君ほど用心深いはずの人間が、何故記憶操作なんてチンケなトラップに引っかかったのか、分かる?」
「……分からない……。」
イレズミがかろうじて返答する。そのリターンとなる、イヴォルグが『騙る』真実はイレズミにとって不都合なものだった。
「君の使い魔が媒質となって君の記憶に干渉した事が、関係している。十年前、子供たちを攫った犯罪組織が居るだろ。あれはサタリカが組織した。その中に、触媒としてあの使い魔を潜り込ませた。」
「……え……?」
「よく考えてくれ、記憶操作の使い手が居るのは別にいい。そうなると、どうやって魔王城にその使い手は潜り込んだんだ。もし記憶操作の使い手は、目と目が合って全ての記憶を思い通りに改変できるのであれば、出会った瞬間に、君の記憶を好きなように上書きすれば良い。だが、それをやらなかった。いや、出来なかったんだ。スキルレベルによる制限は君にもわかっているはず。私達レベル6のスキル保持者ですら、制限はあるんだ」
今のイレズミが誰のものにもなっていないこと。これが記憶操作の制限であり証左であると主張するイヴォルグ。
顔面が蒼白するイレズミに構わず、更に続ける。
「つまり、記憶の操作の使い手は、初期の段階として魔王城に潜入するための触媒が必要であり、あの使い魔がそれに成り得るってこと。あいつが、記憶操作の使い手を招き入れた。そして少しずつあなたの記憶を変えていった。」
つまり、と短く繋ぎ、結論で締める。
「ミネルヴァは北の指示で、ある意味あなたのことを想って、もう一度記憶が操作されないように、念の為に使い魔を抹殺しようとしたんだ。分かるだろ? アーシュラ戦争の成り立ちを私達は知っている。なら、私達がどれだけあなたを想っているのかも、あなたは知っている」
アーシュラ戦記には強者がさらなる強者と戦う、ある種の威信戦争としての側面が大きいと記されている。
しかし真実は微妙に隠されており、この争いの発端は一人の傾国の美女の存在。彼女を我がものとするために闘いは始まり、そして何故か、優勝トロフィーである美女が玉座に座るという、祭壇に捧げられた生贄が、いつの間にか信仰の対象である神そのものにすり替わっているような事態が真実である。
そのトロフィーでもあり王でもあり生贄でもあり神でもあるのが、イレズミだ。
『だからイレズミ!』
『罰しましょう。』『さあ、斧を持って』『だけど彼女は震えている。私がやったほうが良いんじゃないか?』『そうだそうしよう。さあ、剣を持って、杖を持って、槍を弓を斧を持って』
イヴォルグはローブの中にしまっていた各種変形武器を、複数ある手に持ち、上方を向く。そこには動揺し真実を受け入れられないままでいるピギイが、イヴォルグ達を見下ろす形になる。
「ま、待ってください! 私は触媒になんてなってないはずです!」
『嘘をつくな。ペテン師が』『そそそそそもそもそれが記憶操作されている証拠だ、ろ!?』『せめて苦しまずに逝ってもらいましょう!』
イヴォルグの喉仏に在るスキルコアが強く光る。すると彼が今立っている床から無数の手が生成され連結し、上部に舞うピギイの下へと、巨大な掌となってイヴォルグを押し上げるように運ぶ。それを見たピギイは取り敢えず回避に備えながら距離を取ろうとする。
『待て』『逃げるな!』『使い魔ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
取り敢えず、四本の腕で二対の巨大な矢を弓に番えるイヴォルグ。その隙に金属製の魔導杖をチャージする。二つの矢を放つが、そもそも的が小さいので回避される。
「あ、危なかった……。…………!」
だが追撃は終わらない。足場を担う、手の連続を梯子のように連結した後、一度に跳躍しながら接近するイヴォルグ。跳びながら、長大な一本の槍でピギイを一突きにしようと試行するも、天井に近い更に上方に飛ばれ、回避される。
しかし、イヴォルグは回避される事をあらかじめ了承していようで、事前に巨大な足を天井から生成していた。
「待ってください! 一度状況を確認しましょう! 私が死ねば真実は闇に葬られます!」
『そうやって僕の記憶も操作するつもり!?』『そんな事させやしないぞ!』『時間稼ぎありがとう♡使い魔君♡』
ピギイを踏み潰さんとして足が落下する。
そしてイヴォルグの手元。魔導杖のチャージが終わったようだ。青い光が先端に集まり、ピギイに照準を合わせる。
『さ』『よ』『う』『な』『ら』
足底が真上に迫り、青い光線がピギイに向かって直進して行く刹那。
「やらせるか!」「させない!」
イレズミと純愛仮面の妨害が入る。イヴォルグが生成した手の群を跳躍しながら伝いここまで来たようだ。
イレズミは折りたたみ斧を天に向かって振り、巨大な足を真っ二つにする。2つに分かれた足はイレズミとピギイの両脇を通り過ぎていき、落下する。その後、跳躍した勢いで壁を蹴り、天井を蹴り、斜め上からイヴォルグが立っている、手で編まれた床に向かって跳び、着地する。
純愛仮面はブロードソードで直接イヴォルグの杖を右から叩き、軌道を左に逸らす。光線が壁を破壊していくと、露出していく地層。どうやらここは地下だったようだ。
『さっきから思ってたけどお前誰だよ!?』『何で私の城に勝手に入ってるのよ!』
「私の名前は純愛仮面! イヴォルグとやら! 一度冷静になったらどうだ!」
『はあぁ……さっきから言ってるだろうに……』『脳をいじられたらどうするつもりとかちゃんと考えてるwww?』『あ、あんた! 責任取ってくれんの!?』
「ねえ。イレズミ。困っちゃうよね」
静かに笑うイヴォルグの声と感情はイレズミのみを矢印とする。例え目の前の純愛仮面が跳躍し、剣を振りかざし、イヴォルグの首を一文字に切りつける事を試みようとも。
しかし、ローブに張り付いた幾つかの目は純愛仮面の剣閃を見ていた。襟に付いていた二つの口が開く。
『ふてえ野郎だねえ!』『見えておりますぞ!』
イヴォルグは、自身の腹部から腕の群を生成。純愛仮面を全ての腕で捕らえようとする。
「……なに!?」
純愛仮面は剣のルートを変更せざるを得ない。Z軸にプロペラのように自身の身体を回転し、自身に迫る幾重の腕々を手から腕を切り離すように一閃し回避した。結果純愛仮面はイレズミの右側に並び立つ形になる。
純愛仮面を一瞥もせず、イヴォルグはイレズミに語りかける。
「イレズミ。冷静になって。その使い魔を守ることに何も意味はないよ。また記憶の操作が行われてしまう。それに、君の存在はこの大陸にとって重要なんだ。疑わしきを罰せないと、また同じ事を繰り返してしまうよ」
「イヴォルグ」
口ごもり、今にも泣き出しそうなイレズミに反して、イヴォルグは嬉々とする。半世紀を越えて再会した彼女の女としての声は、姿は、存在は、彼にとっていつでもどんな時でも神々しい。
イレズミは力強く努めようとし、言葉を紡いでいく。
「大陸にとって私が重要なのと同じように、私にとってピギイは同じくらい重要なんだ。たとえ彼が本当に記憶の操作に関わっていたとして、断罪する必要があるのだとしても、今ではない。ただでさえ盤面は混乱している。一度冷静になる必要があるだろ。分かってくれ」
イヴォルグは表情を変えない。
「……分かった。君ももう既に記憶が一部操作されているんだもんね。だったら……」
『力尽くで分かってもらうしか無いよね♡』『そうだね……』
手に持つ、全ての武器を構えるイヴォルグ。イレズミと純愛仮面も、頼りないたった二つの腕で武器を構える。
イヴォルグが再度杖に魔導という名の電子をチャージ。そして天井と床に、巨大な目を生成。
『あなたは千のスキルを操ったけど』『わしは今も民の為に万の魔導人形を操りながら戦っておる……』
「逃げられると思わないでくれ。皆々。末路はそれぞれ違うとしても、ここから逃がしはしない」
ピギィの後方の壁から巨大な口が生成される。ピギイを喰らわんとし口を大きく開け迫るも、ピギイは下降し回避。上下の前歯が虚しくガチンとぶつかり合う音が響くだけ。
「ピギイ! 回避に専念しろ! そして隙を見て離脱してくれ!」
イレズミがピギイに指示、そして純愛仮面と共に攻撃を開始する。
『総員。あの斧に注意しろ』
イヴォルグから見て左側。イレズミが斧を縦に振ると空気を割く音が教会内に響く。これに対しイヴォルグは剣で下から迎え撃つ。だが、イヴォルグにとって想定とは違う挙動を示し、刃の部分がぶつかりあった同時に、剣だけがへし折れる音が響いた。
『モーだから言ったじゃん!』『武器で対抗は出来ないな』
イヴォルグから見て右側。イレズミが攻撃を開始したと同時に二対の弓矢が純愛仮面を狙い、矢を放つもこれをしゃがんで避けられる。その後、純愛仮面が上方に跳躍、ここをカウンターの好機としイヴォルグの魔導杖が照準を定める。
『くらえ』
空中にいる純愛仮面には逃げ場がないからこそのイヴォルグの判断だったんだろうが、純愛仮面はここで【空中で跳躍するスキルLv3】を連続で発動。空気を蹴り、前進しながら右にズレたり左にズレたりして光線を回避。
「次のチャージまで時間がかかるんだろう!?」
『正解』『でも不正解』
使い切ったと思われた、杖に溜まっていた魔導から再度光線が放たれる。不意を突かれた純愛仮面の右の脇腹をかすめた。
「つっ……!」
『百在るうちの十を残しておけば良い。』『そうやって私は彼の脇腹を撃ち抜いた』
イレズミサイド。イヴォルグの槍と斧の連撃を回避し、懐に潜り込む。そしてそこから、彼の腹に向かって左から右へと大きく斧を薙ぐ。
「見えているよ。イレズミ」
イレズミの攻撃に対して、剥き出しになった十二対の肋骨をイヴォルグの右脇腹に生成し、骨を極限まで撓ませることによる完璧な応力分散。骨は折れず、ただ威力を受け流す。
『イレズミ』
「これを見て」
手のひらに心臓を複数生成し、イレズミの眼前まで近づける。そしてそれを思い切り握りつぶす。血液が一気に果汁のように飛び散り、イレズミの視界が赤に遮られる。
「なっ……!?」
「一旦安全な場所に隠れていてくれ。」
イヴォルグが先ほど心臓を握っていた掌から脚部を生成。サイドキックを放ち、イレズミの腹部に踵が着弾。空中の足場からイレズミは落下し、その先には腕で出来た牢獄が出迎える。着地したイレズミの両手と両足を雁字搦めにし、事実上牢より強固に封じ込めた。
『よっしゃ!』『後はお前と使い魔だな』
浅い傷では在るが、脇腹を押さえる純愛仮面。イレズミと二人がかりで攻撃してもイヴォルグは汗一つかきやしない。イレズミが自力で牢獄から戻ってくるまでどうにか猛攻を凌ぐ必要がある。
しかし、さらなる異変を純愛仮面がキャッチ。
(……まずいわね……。……!? なによ! 次から次に!)
【触れた物の位置を把握スキルLV3】に依って確認されていたミネルヴァの座標が、教会の一つしか無い扉に向かって動き出したのだ。しかも、ピギイもミネルヴァの後を追うように移動している。
(離脱してとは言ってたけど……。何もそんなにぴったり後を追う必要はないじゃない……!)
『あの使い魔が外に出たのか』『でもそれって本当の意味での外じゃないよね!』『クックック……。区内に居る限りは、魔導人形が彼を補足し続けるでしょう』
『続きをやろうぜ!』『断罪の、続きを』
◇◇◇
ピギイサイド。彼は走り去っていくミネルヴァに気づかれないように、見失わないように後を追う。
教会の扉を開けた先には階段が続いており、上がり切ると長い通路が顔を出す。ミネルヴァはそのまま出口を目指して真っすぐ進んでいくつもりらしい。
(……この一連の騒動……。ミネルヴァ様が鍵を握っているとしか思えません)
疑念。ミネルヴァは本当に記憶の操作の使い手なのか。
(戦闘中、私は一度、ミネルヴァ様をイレズミ様だと誤認し、まんまと誘導されましたが……)
もし記憶の操作なら、今現在もミネルヴァの姿ではなく、イレズミの姿に見えるはず。
(勿論、スキルをオフにした可能性も否定できません……)
確証を得られないからこその尾行。ただ、切羽詰まっているならスキルをオフにするより優先すべき、逃走という選択肢があったはず。
(……ミネルヴァ様がイヴォルグ様陣営ではないなら、確かに今は逃げるチャンスです)
しかしどうにもきな臭いと、ピギイの疑惑を直感がつついてくるのだ。
ミネルヴァが、魔導協会の城の入口の前で減速する。外に出た途端歩き出す。ピギイはもっと近づく。近づいて、竜翼に触れる事を試みる。
(……やっぱり)
なるほど。では戻ろう。
◇◇◇
「純愛仮面! もう逃げてくれ!」
囚われていてもイレズミには分かる。軒先を伝う雨のように少しずつではあるが、血が地上に向かって滴る。これはイヴォルグのものではない。血に塗れた純愛仮面がイレズミの視界に入っているのだ。
「……逃げ場なんて無いし君たちを置いていけるわけ無いだろう!」
イヴォルグに傷はついていない。どのように攻撃を仕掛けても、彼の手が、足が、骨がそれを遮る。一歩も動いていないのに。
『はあ……。もういいよね』『おわりにしーちゃお!』
子供が陽気に笑う声とともに、イヴォルグがすべての武器を振りかぶる。純愛仮面は総攻撃が来ると予想し、回避の構えを取る。
『虚を脱せはしない』
純愛仮面を嘲笑うかのようにイヴォルグは、純愛仮面が立っている床の部分だけを完全にOFF。足元が抜け、落下していく純愛仮面。
しかし、彼は空中でジャンプできるスキルを持っている。なので……。
『おしまいだ! 喰らえ!』
純愛仮面を囲うように、すべての壁天井から巨大な掌が生成される。そのうちの一つが純愛仮面を掴み、掌で潰す。
「……がっ」
『まだ息の根があるのか!』『こやつは何者だろうか。』『まあいいか。』『殺そう。』
「待ってくれ! イヴォルグ!」
懇願するイレズミの声がイヴォルグに届くと、彼はゆっくり下を知れた笑みで見下ろす。彼の感情に訴えかける声は、イレズミのみ。
「どうしたの。イレズミ。足が辛い?」
「……もうやめてくれ……。お前の望みは分かっている。私だろう? だからピギイと、それ以外を殺そうとするんだろう?」
「そうだけど。でも解釈がおかしい。君はスキルを失った元魔王。さっきも言ったけどそもそも重要度が違うんだ。それにもし、純愛仮面が君を守る鎧となるとしても、脆すぎる。それに、もし彼が君を暗殺しようとしたら? 私ですら君を守ることは出来ないかもしれない。記憶操作の範囲が分からないんだ。怪しきは罰せねば」
そう言って足場を解除し、イレズミの眼前に勢い良く着地する。その後彼女の顔を見たいがために、イレズミのマスクをぶちりとちぎり、外す。
「異物は事前に排するべきだろう? しかしミネルヴァの事は……。本当に悪かった……。僕の監視が浅かった」
彼の言っていることは、間違いではない。嘘がなければ。ただ、力無き彼女に、二人を守る力も、嘘を見破る手段も無い。
今、イレズミは力を得て以降初めて、力を失った事で『弱い』が『怖い』事を知る。
「……! こっちに来ないで……!」
「イレズミ……!」
初めて女を見せたね。
「イレズミ。大丈夫。私はあなたの敵ではない。一緒に時を過ごして行けば分かるはず。期せずして今私たちは教会にいる。気が早いことは分かってる。だから、少しずつでも、お互いの事を知っていけばいい」
イヴォルグがイレズミと正対し見下ろす。イレズミがイヴォルグをキッ! と少々の涙と共に睨みつけるも彼の雄性を刺激するに過ぎなかった。
「クソッ……!」
悔しい……!
イヴォルグの策略と暴力を突破できないことが。弱みに付け込まれたことが。隙を的確に突かれたことが。
なにより、今、何も出来ない、弱い自分が最も腹立たしい。
二人の命を守るために出来ることが、自身の女を差し出し、イヴォルグの欲を満たす選択肢しか思いつかないことが。
イレズミの目から光と本能が消える。理性で強引に自分を納得させ、イヴォルグに下る決断をする。
「イヴォルグ……。私を……。守ってくれ……。他の四天王から」
「……うん。わかった……」
イヴォルグがイレズミの拘束を解除し、虚脱した彼女を姫を守る騎士のように介抱する。能動的な力を失ったイレズミを私が導かねば。導いて、彼女の心体を私が一生をかけて守り抜かねば。
彼女を抱え、彼女の頬を愛おしそうに撫でるイヴォルグ。それを嫌がり、目を開いた扉に向けると、視界に入る、戻ってきたピギイ。
しかも体を縮めていない。スキルをOFFにした状態で戻ってきた。
これは覚悟の表れだろうか。イレズミの目には、彼が勇気を抱え、命がけで戻ってきたような気がした。
「ピギイ! なんで戻ってきた!? 早く逃げろ!」
「待ってください! ミネルヴァ様はイヴォルグ様陣営です! つまり一連の流れ全ては南側が仕組んだ陰謀です! イヴォルグ様は記憶操作に加担しています!」
「……どういう事だ……?! ピギイ」
『……その言葉に責任を持てよ。』『使い魔。説明することを許可する』
余裕の表情の、魔導協会区の管理者はピギイが何を言おうとも反論し、封殺できると考えている。故の、支配者としての優越感がピギイに発言権を与えた。
震えながら、目の前の圧倒的な強者の圧に抗いながら、冷静を保ち、 ピギイは怯まずに隠された陰謀を解き明かしていく導入に入る。
「……先ず、大きな疑問が二つあります。」
■1.ミネルヴァ様は本当に北の陣営なのか?
■2.何故わたしの命が狙われたのか?
「これら二つの項目は、イヴォルグ様が仕組んだ、イレズミ様を自分のものにする為の壮大なマッチポンプ計画であるという前提があれば説明がつきます! その前提とは!」
——イヴォルグ様が、イレズミ様の目の前で、北を騙るミネルヴァ様を倒す——
「これを行うとイレズミ様はイヴォルグ様が味方であると更に確信できます。本当は、ミネルヴァ様はあなたの部下のはずなのに……。これからロジックを説明していきます」
イヴォルグの表情は変わらない。ピギイを殺すより、説き伏せる。そんな光景を彼女に見せつける。
『やってみろ』
「はい。では順番に」
■1.ミネルヴァ様は本当に北の陣営なのか?
1.今回の騒動で得する人間は現状イヴォルグ様のみです。イヴォルグ様が北の陣営を騙るミネルヴァ様を攻撃すれば、イレズミ様が北に行く選択肢は消えます。イレズミ様を北以外に誘導できますよね。
「先ほど、あなたはミネルヴァ様を真っ先に攻撃しました。しかし、その後あなたは私を執拗に狙った。ステンドグラスから飛び降りた後、あなたは何故ミネルヴァ様ではなく、先に私を狙わなかったんでしょう。」
『お前もわかっていると思うが、危険度が違う。ここは説明するまでもない』
「はい。そうですね。では次です」
2.何故イヴォルグ様はミネルヴァ様が私を殺すまで待った後に、ミネルヴァ様を攻撃しなかったか?
「ミネルヴァ様は明確に私を狙っていました。待っていれば、あなたの代わりに私を殺してくれそうなのに。しかし、ここで誤算があった」
2.アンサー。
それは純愛仮面の乱入。純愛仮面とイレズミ様の組み合わせなら、ミネルヴァ様が倒されてしまう可能性を感じた。ミネルヴァ様が倒されたら、イレズミ様を救うマッチポンプが成立しない。
「勿論ここでイヴォルグ様に反論の余地があることはわかっています。たまたま駆けつけたら、そのタイミングだった。」
『……続けろ』
「次に、ガネーシュ村で、私達はミネルヴァ様に記憶を蘇らせてもらったのですが……。その内容もイヴォルグ様にとって有利な内容です」
『西』のサタリカ陣営に所属する『中央』に派遣された記憶操作の使い手が、『東』のソドム様とともにイレズミ様の『スキル』を狙って寝込みを急襲した。
そうなると、スキルを失ったイレズミ様は南に助けを求める選択肢が生まれます。
「さらに、ここにも変則的な罠があったとしか思えません」
3.ミネルヴァ様が見せた記憶は『偽の記憶』もしくは都合の良い『幻影』ではないか? ミネルヴァ様が記憶操作を騙る。すると、イレズミ様が真実を知るために、自ら彼女に接触する可能性を上げることが出来る。
「これを利用したのではないか? と私は考えています」
4.つまり、北、東、西と中央を危険地帯だと騙り、南にイレズミ様を誘導するための布陣を、ミネルヴァ様の幻覚を通して作り上げた。
「…………どうでしょうか。私の考えは間違っているのでしょうか」
『あーあ。妄想を聞かされて間違いも何もない。お前の視点だとその可能性があることは勿論わかっている。私の視点だと、お前が記憶操作の媒体であることと同じように。』
これを待っていた。ピギイは賭けに出る。息を先に吐き、後から吸う、もう一度吐くと、脳はリラックスする。
「あなたは先程、『記憶操作のスキルは万能ではない。だから魔王城に潜入するために私という媒質が必要だった』と仰いました。その理屈をそのままお返しします。もしミネルヴァ様が記憶操作の使い手なら、彼女はあの時、すでにイレズミ様からの信用を得ていました。ならばなぜ、その時点で段階的に私達の記憶を改変し、『イレズミ様はイヴォルグ様の物である』という偽の記憶を植え付けなかったのでしょうか? 都合の良い記憶を少しだけ見せて立ち去るなど、あまりにも不自然です」
イヴォルグは片方の口角を上げる。ピギイが撒いた罠を彼は視認している。それを言うなら『イレズミ様がナイーラ様の物である』だろう?
いつの間にか偽の口ではなく、イヴォルグそのものが口をピギイ二反論するために開く。
「ミネルヴァとお前たちのやり取りなんて知ったことではないが……。
それは北が、私をハメようとしたと仮説が立つ。つまり他の四天王を北は殺し合わせたかったんだ。
イレズミと一緒にいる奴は、間違いなく他の四天王に狙われる。それに、イレズミの転送先は南側だった。北に行こうとすれば西から東までのラインを超えなければならない。だから北はたまたま南にいたミネルヴァを使い、南にイレズミを押し付けた後、東西にイレズミがいたと吹聴する。これで私はやられる。後は東西が戦うのみ。まあ、北の論理なんて知ったことではないが」
それに……。と続けるイヴォルグ。
「そもそも植え付けるなら、『私と』ではなく、北のナイーラと、だろう。私にとってあの女は侵入者だと何度も言っている、それに、『あの女が幻覚使いだという証拠がない』」
「……そうですよね! はい! わかっていましたその反論も!」
「……あ?」
「聞いてください。まだ続きがあります。私は先程、逃げ出したわけではありません。ミネルヴァ様の後を追っていたのです」
5.私はミネルヴァ様が立ち去った際、彼女の後を追い、試しに竜翼を触ってみたが、実態がなかった。
「つまり、ミネルヴァ様は竜神ではなく、竜神を誇張した偽物です。幻覚として、竜翼という竜神の証拠を見せつけていたわけです」
ピギイが続ける。
「さらに、ミネルヴァ様が、戦場から立ち去った理由にも、繋がります」
6.竜神では無いことを隠す為、念の為に戦況を離脱したと捉えることが出来る。
「イヴォルグ様」
イヴォルグからの返事はない。証拠がない、と騒ぎ立てても時間の無駄だ。証拠はお互いに無いのだし。
「……続けます」
■2.何故わたしの命が狙われたのか?
ミネルヴァとイヴォルグが真っ先にピギイを狙った理由と、今更命を狙われた理由。ガネーシュ村(お姉様の家)から南の魔導協会区に至る道筋で記憶操作とやらをうまく使い殺しても良かった筈。
「その理由はすぐに分かります。これも順に説明します」
1.ミネルヴァ様は最初、私のことを女の子だと思っていたという前提。
「彼女は明確に私のことを女の子だと誤認していました。何故ならガネーシュの村人が『綺麗なでかいねーちゃんとピンク髪の可愛い女の子が犬小屋で寝ていた』と証言したと、彼女の口から聞いたからです。これはイレズミ様も聞いています。」
ハッとした表情のイレズミ。イヴォルグがこれを捉える。
2.だからイヴォルグ様はミネルヴァ様から、ピギイが女の子だと伝わっている。
「あなたのスキルで既に、魔王城に居るときから『魔王イレズミと従者の女の子ピギイ』と認識していた可能性はたしかにあります。私とイレズミ様は一緒にお風呂に入る仲でしたし。『あなたがお風呂の中やトイレの中まで監視していたら』分かることですもんね」
イヴォルグに青筋が立つ。しかしここでは反論できない。何故なら、イレズミというか普通は誰でも住居内を監視されるなんてことを嫌うはず。だからイレズミはイヴォルグの手紙に返事をしなかったと過程も成り立つ。『城に二人が住んでいたときからピギイの性別は知っていた』なんて言えない。
3.しかし、漫画喫茶に行った時に私は男トイレに入った。勿論あなたは魔導人形を通じて監視していたはず。
そこでイヴォルグ様は私のことを男だと知り、恋路の障害になると考え、私を殺そうとした。
「イヴォルグ様。ハッキリ伝えさせていただきます」
「これら一連の流れを統合すると、どう考えても、記憶操作に加担し、私に嫉妬した一人の男の暴走だとしか思えません。」
イヴォルグはハッと気づく。ピギイはイレズミをずっと見ている。
イレズミに向き直るイヴォルグ。イヴォルグとイレズミはピギイの策略に気づいたのだ。これはピギイとイヴォルグがどちらが正しいかを証明するための論破合戦ではない。議論というフィルターを通した、イレズミへの説得でありメッセージだと。
「イレズミ。聞いてくれ。実際に私は魔導人形を使いあなたを助けたんだ。魔導人形を使役し、イレズミを守ったんだよ! だから君たちは魔王城から逃げ出すことが出来たんだ! 私の善意まで踏みにじられる謂れはないだろう!」
ピギイはそれに対する明確なカウンター持ち合わせているらしい。イヴォルグと違って冷静な彼は、静かにイレズミを見据え、反論する。
「恐らくそれは違います……。不思議だったんです……。転送直後にあった、打撲痕……。これってなんなんだろうって。転送時に事故が発生するならイレズミ様にあってもおかしくないのに私だけにある……」
言葉を続けるピギイ。
「ミネルヴァ様が見せた幻影の中、イレズミ様を守った魔導人形がいましたが、もしかしたらそれが自分だったんじゃないかなって。今なら、思うんです」
「思うなんて言われても困る。全てが憶測だ。更に再三言っているが君が記憶操作の媒体ではない証拠もない」
「それはそうです。こんなこじつけに証明はできません。あなたの発言も全て憶測です。それに……」
「私は彼女を記憶操作の使い手から守りました。何故なら、私なら絶対にそうするからです」
イレズミの表情はどうか。漫画喫茶の中、脚立に乗ったピギイに顔を触られた時。頬に浮かんだ桜色はますます色濃い紅を装う。泣き出す前のように目は潤んでいるのに、溢れる気配はない。いかように捉えれば良いのか、イヴォルグには分からない。
ただ、彼が見たかった表情の行く末は、彼ではない小さな、桜色の髪を持つ従者を向いている。
「お願いです。イヴォルグ様。私が記憶操作の媒質であると、一貫した主張をお持ちのようですが、私の意見にも是非耳を傾けてはいただけないでしょうか? そうすれば、来るその他の四天王と私達、力を合わせて迎撃することが出来ます。どうかお力添えを」
ピギイはずっと懸念していた。イヴォルグが残りの四天王からイレズミを守りきれるとは思えないからだ。しかし、力を合わせればどうにか出来るかも知れない。その間に、各地に散らばった、イレズミのスキルを集め回れば力を取り戻すことが出来る。
それに彼は恋に狂い自惚れたイレズミの狂信者だ。話さえすれば、劇場で隠された、現状の四面楚歌の可能性に気付けるはず。
イレズミもピギイに同意し、イヴォルグの説得する。
「私からもお願いする。イヴォルグ。『三人』で。できれば純愛仮面とミネルヴァも合わせて五人で力を合わせて四天王たちから抗おう。」
返事はない。今、脳裏に駆け巡る思考は誰が為か。
大陸という舞台の戦況を分析しているのか。それとも湧き出る感情を管理することに必死なのか。
数秒の沈黙。からのバイタルの不安定。突如訪れる明確な拒絶のアンサー。
ピギイの足元から足と手が生成される。それらの群が人を象り両腕を備え、鈍器のようにピギイを殴り飛ばした。
「……!? ピギイ!」
案ずる母のように手を伸ばすイレズミだが、それを胴体で遮るイヴォルグ。
ピギイのうめく短い声のみが、イヴォルグの体の向こう側から聞こえる。
『ふざけるな』『ふざけるな!』『ふ ざ け る な』
イヴォルグがイレズミの足を生成した腕で固定し、放置する。そして、ズカズカとピギイの下に接近する。
『あれは俺だけの謀略ではない! 私の失敗なんかじゃない!』『西のサタリカと私で企てた策略だ!』『考えても見ろ、その足りない頭で』
『記憶操作の使い手を使ってサタリカはイレズミを直接自分のものにすれば良い。でもそれをしなかったのは、私が既に記憶操作の使い手の存在を把握していたからだ!』
立ち上がることの出来ない小さな体をイヴォルグが何度も踏みつける。「止めろ! イヴォルグ」とイレズミが何度も声で静止を試みるも、イヴォルグには届かない。
イヴォルグはこの長い生の中で数度しか味わったことのない敗北感を上書きするかのように、ピギイを蹴り上げながら、ピギイが至っていない真実を見せびらかし、それも上書きを手伝う。
こんな小物が、路傍の名も無き石ころが、私と彼女の行く末を阻んでなるものか。
数度ピギイを蹴り飛ばし、瀕死のピギイの首根っこを持ち上げ、顔の高さまで持っていく。この間もイレズミはピギイの名前だけを呼び続ける。
「『私が』サタリカに持ちかけたのだ。『お前がイレズミの記憶を改変しようとしていることは私だけが知っている。他の四天王にバラされた場合、お前は私を含む三方から総攻撃を受けるだろう。それが嫌ならせめて、私達だけで彼女を取り合おう。二人のうちの勝者が、彼女を奪う。これで文句はないだろう』」
「しかし、あなたはつよすぎる。だから記憶操作の使い手に、指示を出した。スキルを最優先で奪え。もしくは魔王を無力化しろと。最後にヘマをしたようだが、しかし実際にあなたは無力化された」
「私は知っている。奴の狂気を。サタリカではイレズミを幸せにできない。奴の能力は奴自身のためにしか存在しないが、私は管理者だ。私の能力全ては世界を把握するため、そして彼女を守るという大義名分のためにある。だからミネルヴァを使い、やつに把握されないように私は出向かず、イレズミを手元に呼び寄せた」
ピギイの首をゆっくり締める。絶対に息の根を止める。殺す。私が勝つ。
「使い魔。お前ごとき、私には及ばない。少々悪知恵が働くとしても、弱きに、現状を変えられはしない。強くなることを怠った貴様の怠惰では、彼女を守ることは出来ない。故に彼女を守るのは『二人で』だ。『お前はもういらないんだよ』」
キリキリと、胴体ごと、首を絞める音がかすかに聞こえる。
「イヴォルグ」
ピギイ! と呼んでいた筈の力なき少女の声が、イヴォルグ! と呼ぶことを想定していた。
「……どうしたの? イレズミ」
「お前は私に、二度負ける」
静謐な炎を宿したイレズミの声の後、彼女の舌先のスキルコアが禍々しく光る。
先ず、【瞬間移動するスキルの残渣LV5】から。イヴォルグの手からピギイが消える。
「……ん?」
いつの間にか、イレズミの手元に、ピギイが。ぼろぼろになりながらもイレズミを守るために戦った少年が。
連続で、失われた筈の瞬間移動を使い、イヴォルグの眼前に着地、そして、怒りを、魂を込めた【身体強化するスキルの残渣LV5】を使用し、世界を管理した気でいる自惚者の顔面を右の拳でぶち抜く。
「があっ……!?」
衝撃で壁に激突するイヴォルグ。
か弱い『女』が振るう拳の音ではない。風切る音で、あの時の、魔王として完成されていたイレズミをイヴォルグは思い出している。
「……何が起こっているんだろうか……。」
『マズイぜ! スキルのキャッシュデータを集めて新たな千を構築しようとしてやがる!』『この現象を………。なんでと言えばいいのでしょうか……』
紛い物の千。
とでも言えば良いのだろうか。
大好きなイレズミにだったら、イヴォルグは殴られたとしても嬉しい。口から血が流れる、味は甘くて美味しい。
南の管理者は両手を広げ、神に感謝するように上を見上げる。
「クックックック……」『イレズミィ!』
『何故ここを魔導協会区と呼んでいるのか分かるか?!』
『私の肉体が埋め込まれた人形なんて誰も家庭に置きたくないからだ!』『魔導と称し、「イレズミ」を売る。そうやってこの街全てを直接の監視下に置いた』
力を隠していたのはイレズミだけではない。この男も、底が知れないことには変わりはない戦力を有している。
全ての隠していた武器を展開し、頭上を覆う巨大な眼でイレズミを補足する。絶対に逃さない。見逃さない。かの戦妖姫の、最後の姿を。
「全てを解放しよう。街のインフラなんてどうだっていい。イレズミ! 私が欲しいのは君だけだ!」




