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95.小僧のノー(ณ)【前編】

 チャーイハートと再び会うため、(おれ)とクマリーは南に向かって川をさかのぼる。

 どこまで()ってもほとんど平坦(へいたん)であり、浅い川だった。


 最初(さいしょ)俺は東側を走っていたものの、途中(とちゅう)で川が深くなる可能性を考えて西側に移る。


(このままチャーイハートを見つけられなかったときは、当初の予定どおりファを追って西に進むしかないしな)


 しばらく進むと、川幅(かわはば)徐々(じょじょ)に広がってきた。

 川というより(ゆる)やかな流れを持つ湿地(しっち)と言ってもいいかもしれない。俺たちの接近に気づいたサギたちが羽音(はおと)を立てて飛んでいく。


 そしてついにチャーイハートのはまっていた灰色の車輪のような(かべ)を見つけた。


 俺は足もとの水をパシャパシャ()って近づく。

 クマリーは俺の前に()き、直径百五十センティメートの壁へと声をかける。


「ハーチャお姉さん。あなたの願いどおりクマリーはあなたと(たたか)います!」

()げんわけか。あっぱれだぞ、クマリー。キサマは称賛(しょうさん)(あたい)する」


 こちらの脳に直接(ひび)く声を発し、チャーイハートの()()()()答えた。

 今のクマリーと俺の視界においては、灰色の壁の中心部から女性の下半身(かはんしん)が生えているのだ。


 もともと彼女(かのじょ)は東側に上半身(じょうはんしん)を出していた。

 俺たちが西側に移動したため、今度は下半身をこちらにさらすことになったらしい。


 ボトムスは扇形(おうぎがた)の白いロングスカート。(くつ)透明(とうめい)なハイヒール。

 臀部(でんぶ)を地面に向けた状態であり、(こし)から両ひざまでは重力(じゅうりょく)方向に()がっている。


 ぎりぎり足が地面に届いていないようで、足先が川面(かわも)すれすれで()れていた。

 もしかして自力(じりき)で立てないのではと思った俺はチャーイハートに質問する。


「手を貸したほうがいいか」

「かたじけないな、アーティット。だけど()らんぞ。――ケムカット」


 詠唱(えいしょう)と共に、チャーイハートのはまっている円盤(えんばん)の壁が小さくなる。

 靴が地面に達した。太ももと腰と灰色の円盤を起こし、チャーイハートが上半身を俺たちに再び見せた。


 どうやら壁に()えた灰色の円盤はチャーイハートの上半身と下半身の境目に装着されているようだ。一般的(いっぱんてき)にボトムスのベルトをつける位置である。


 (あつ)みは五センティのままだが、最終的に円盤は直径二十センティ程度に縮小した。

 そのふちに両手を()えつつ、チャーイハートが樺色(かばいろ)(ひとみ)をクマリーと俺に向ける。


 まるで分厚(ぶあつ)いベルトをつけているかのような彼女に俺は問いを重ねる。


「チャーイハート。どうして君はクマリーと戦おうとしている。ファの標的は俺のはずだが」

「確かに(せつ)同志(どうし)ファに協力している」


 右のハイヒールで川を()みつけ、チャーイハートが()む。


「知ってのとおり同志ファの目的は(たたか)いを通じてアーティットの根性(こんじょう)をたたきなおすこと。(せつ)としてもキサマが本当に腑抜(ふぬ)けているのであれば(きた)えなおす必要があると思っている。が、キサマの現状を導いた要因は当のキサマだけでなくクマリー・トーンという精霊(ピー)にもあるのではないか」


「クマリーを始末する気か」

(いな)。もしその気なら同志ファはいのちを(うば)う旗をキサマではなくクマリーのほうに()しているぞ」


 両手の(こう)で腰の円盤をたたく。


「それでもクマリーを無視すべきでないと(せつ)は見た。なぜならクマリーがただ守られるだけの()()()存在なら、アーティット自身の足を引っ張り続ける。その場合、キサマの根性をたたきなおすというファの計画自体も遅滞(ちたい)することになるだろう」

「分かってきたよ、チャーイハート。君はクマリーの実力を確認し、ファの計画にとってクマリーが邪魔(じゃま)か邪魔でないかを見極(みきわ)めようとしているんだな」


「しかり……だ。また、キサマの育てたクマリーを見ることでキサマ自身の力量(りきりょう)を間接的にチェックすることもできようぞ、アーティット」

「クマリーの実力(じつりょく)と俺の(ちから)は関係ない」


 俺たちのあいだに浮遊(ふゆう)するクマリーも視界に()れつつ、俺は断言する。


「強くなれたとすれば、それはクマリー自身のがんばりの結果だ」

「まあ努力は大切よな」


 チャーイハートが腰の円盤のふちを引っ張る。

 すると円盤が少し大きくなった。引っ張っていないふちまで外側に広がる。


「クマリー・トーン……これはセンセーの受け売りだが、われわれ文字保有者は文字を持った結果なんの努力もなしにその恩恵を受けるわけではない」

「スーンさんから受け()いだクマリーのウォーウェーン(ว)もそうなんですね」


 ほとんど鼻がくっつきそうな距離(きょり)からクマリーが返した。

 円盤をさらに広げながら、チャーイハートがクマリーと目を合わせ続ける。


「しかりしかり。どんな望みも無条件で(かな)えられるほど安くない。だが(せつ)はそんな世界でよかったと思う。もしがんばることなく(だれ)もが夢を叶えられる世界があるとすれば、それは逆に夢のない世界だ。自分の夢が別の誰かの夢によって簡単に蹂躙(じゅうりん)されるわけだから」


「ハーチャお姉さんの目から見て、クマリーはちゃんとがんばっていると思いますか……?」

「それをこれから確かめよう。ちょっと足もとに気を付けるんだぞ。アーティットも後退するように」


 指で円盤をリズミカルにはじく。


「ウェーティ」


 チャーイハートの上半身と下半身を()かつ灰色の円盤が五センティの厚みを(たも)ったまま前後左右に拡大する。


 俺は後ろに()がり、クマリーは宙に浮いた状態で(あし)を曲げた。


 あっという()に直径は百五十センティメートを(ゆう)()え、十メートにも達した。


 半径五メートの円形フィールドの中心に、直立したチャーイハートの上半身がある。

 しゃがんでみると、円盤の(した)に彼女の下半身が確認できた。


「この円盤から出たらクマリーの負けだ。(せつ)の頭頂部を()える高さにキサマの足先が浮かんだ場合も同様とする」


 チャーイハートが(うで)を組む。


「円盤は時間経過と共に小さくなり、最終的に直径(いち)メートに縮小する。直径がその大きさになるまで円内にとどまり続けることができた場合キサマの勝ちだ」


 まともに(たたか)い合ったらクマリーに勝ち目はないのでこの形式は妥当(だとう)と言える。

 これはあくまでクマリーの力量を見極めるために設けられた手合わせということだ。


「ただしクマリー……ただ闇雲(やみくも)に戦うだけで(せつ)に勝てると思わんほうがいいぞ。あるいは断言しようか? 戦いのなかで成長できない限りキサマが勝つことは不可能だと」

「アドバイス、痛み()ります……っ!」


 腰から延びた円盤に着地し、クマリーが手を合わせる。

 ついでチャーイハートが俺に注意する。


「トータハーン・アーティット。キサマやほかの(だれ)かが助けた場合もクマリーの負けだ。ただの(ひと)つの助言もみとめん。その場合、クマリーはアーティットの足を引っ張るだけのか弱いピーであると同志ファにも報告させてもらうぞ」

「分かっている。今回、俺は場外から見守るだけだ」


 円盤から(いち)メートほど(はな)れ、俺も腕を組んだ。

 クマリーが俺に手を()る。


「お兄さんっ! クマリーの成長を見ていてくださいっ」

「フックフォン」


 脳に響く声と共に、チャーイハートがクマリーとの戦いを開始する。

 (そら)から灰色の石一個(いっこ)がクマリーの頭上に落ちてきた。クマリーの肩幅(かたはば)ほどの直径を持つ石だ。


「わああ……っ!」


 (あわ)ててクマリーがよける。

 円盤に落ちた石は水平面を転がり、外に出た。


 円形のフィールドから出ると同時に石は()けるように消えた。

 本物の石ではなく、チャーイハートが出現させた()()()()の物質のようだ。


「【ณ】ノーネーン・チャーイハート、つかさどる字は小僧(こぞう)のノー。キサマの性格、(せつ)丸裸(まるはだか)にしてやろう」


 今度はクマリーめがけて石が二個(にこ)落下する。

 クマリーは石のあいだを()うようにして飛び、攻撃(こうげき)をかわす。


 だが落下する石は少しずつ増えてくる。

 三個、四個……五個と増加し、回避(かいひ)の難度も()がってきた。


(代わりにチャーイハートの腰の円盤は縮小しつつあるが、そのぶんフィールドが(せば)まって石をよけづらくなるわけか)


 確かにこのまま有効な手を打たなければクマリーは負けるだろう。

 ここでクマリーがなにかを思い付いたかのように飛行を速める。


「そうだ……っ!」


 時計回りに飛び、チャーイハートの背後に移動した。

 彼女の死角に(はい)ることで攻撃の手を(ゆる)めようという作戦のようだ。


 だがチャーイハートは後ろを向いた状態でもクマリーの頭上に石を出現させた。

 さらに上体を百八十度転回させ、クマリーのほうを向く。


 円盤ごと振り向いたので、()っていた石たちも(うず)を巻くように激しく動く。


 しかもチャーイハートは体をかたむけた。

 坂になった円盤を転がり、石たちが一斉(いっせい)にクマリーを(おそ)う。


「ひゃあ……っ!」


 高速でジグザグの軌道(きどう)をえがき、間一髪(かんいっぱつ)でクマリーは回避する。

 当たっていたら確実に場外に()し出されていただろう。


 チャーイハートが円盤を水平に(もど)す。

 とはいえ一度(いちど)に落下する石の数は十個以上に増えている。


 縮小する円盤も直径五メートを切り、クマリーの移動が制限されてきた。

 あおるようにチャーイハートが静かに言う。


「キサマのウォーウェーン(ว)はただの模様(もよう)か?」

「ウォーウェーン……? あ!」


 多くの石をよけながら、クマリーが宙にトータハーン(ท)の文字を書く。

 それによりウォーウェーンの(ちから)が発動し、俺の体から(あわ)く赤い光が生じた。


 内側から力が()いてくる。

 ただし現在、俺はクマリーを助けるわけにはいかない。


 続いてクマリーはアーティット(อาทิตย์)という名前を宙にしるした。

 今度は俺から淡く青い光が()れる。外側から(ちから)()りついてくる。以前トゥアムと検証したときのように。


 だがこの勝負において()()強化しても意味はない。


 クマリーは打開策を求めるかのようにレックやミーたちの名前と文字を宙に書くも、不利な戦局は変わらない。

 遠くの仲間に力を(あた)えることはできないし、(かり)に味方が()け付けてもその時点でクマリーの負けが確定する。


 いよいよ円盤の直径は四メート未満になり、落下する石の数も二十を超えた。

 あたふたするクマリーをチャーイハートがまた挑発(ちょうはつ)する。


「もう書ける文字もなくなったと見える。であれば勝利は(せつ)の手だ」

「そ……そんなことはっ! 文字……ほかにクマリーの知る文字……あ、あった!」


 クマリーは、まだ(ため)していない文字があることに気づいたようだ。

 自分にもっとも近いため、かえって見落としていた「それ」を宙に書きしるす。


 それは自分の名前だ。

 クマリー・トーン(กุมารีทอง)という文字列だ。


 結果、クマリーから淡く青い光が発する。

 外側から貼りつく力が彼女に「集中」をもたらす。


 精密に飛行し、ほとんどよける隙間(すきま)もない石のあいだを正確に()ける。


 クマリーがスーンから継承(けいしょう)したウォーウェーン(ว)……「指輪のウォー」は他者に力を与える文字だ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分という存在も客観的に(とら)えれば一個(いっこ)の他者にすぎない。


 他人に指輪をはめることができるなら、自分に指輪をはめられない道理はないということだ。


(ただ時間をかけるだけじゃなく、いざというときに一生(いっしょう)懸命(けんめい)考えてその場において最適な発想をすること――これも努力のかたちと言える)


 自分の名前を書いて集中状態に入ったクマリーはウォーウェーンによって自己強化された状態でもある。

 針穴に糸を通すような正確無比な飛行を実現し、()りそそぐ石を着実にかわしていく。


 円盤の直径が三メートになる。

 戦いが終わるまであと二メート。


 だがこのタイミングでクマリーの頭上に直径百五十センティを超す岩が落ちてきた。

 今までのものより大きい。中心のチャーイハートの前後左右に計四個出現したのでよけることもできない。


(ここに来てチャーイハートはクマリーに無理難題を押し付けるつもりか……いや)


 解決策は存在する。それを分かっているからチャーイハートは大岩を落としたのだ。

 あとはクマリーが自力で気づけるかどうか。


 ほとんど反射的にクマリーは宙にウォーウェーン(ว)を書いた。

 クマリーから赤い光が淡く生じる。


 今度は内側から(ちから)がみなぎっていることだろう。

 しかもクマリーはウォーウェーンの文字を何回もくりかえし宙にしるした。


(そこまでするとは俺も読めていなかった……)


 ウォーウェーンの文字保有者がウォーウェーンである自分自身に力を与えているためか、この重ねがけはかなり有効のようだ。

 文字を反復するごとに光は強くなり、クマリーの体から深紅(しんく)の光が強烈(きょうれつ)に散った。


「……クマリーは」


 振り上げた右こぶしが頭上の岩に直撃(ちょくげき)する。


「みなさんの仲間として強くなるんです。お兄さんの役にも立ちたいです。ファさんの気持ちを受けとめるためにも……ここで負けていられませんっ!」


 小さなこぶしが、岩に亀裂(きれつ)を走らせた。

 彼女のふにゃふにゃしたさけびに(くっ)したかのように、岩がコナゴナに(くだ)ける。


 そして円盤は二メート未満に縮んだ。

 が、もうすぐ戦いが終わるこの瞬間(しゅんかん)にチャーイハートは後ろに()んだ。


 円形のフィールドはチャーイハートの腰から延びたもの。

 よって彼女自身が下半身を使って移動すればフィールドの位置をずらして強制的にクマリーをリングアウトさせることが可能だった。


 フィールドが(せま)くなり、かつ相手が目前の勝利に目がくらむタイミングでチャーイハートは仕掛(しか)けたわけだ。


 チャーイハートの後退距離は二メート以上。


 これで勝負は決した。

 ()()()()()()()()()()()()()


 大岩を砕いたあとクマリーは、後退の体勢に入ったチャーイハートの前面にしがみついたのだ。

 おかげで後ろに跳ぶチャーイハートおよび円盤と共に移動することができた。


 チャーイハートはクマリーが(せま)ってきた際、驚きの声を上げた。


「ひょわああ~」


 いつもは冷静だが、想定外のことが起こったときはすっとんきょうな声を出すクセがあるらしい。


 場外に出ずに済んだクマリーが相手に()きついたまま、円盤の直径が(いち)メートになる。


 しがみつくクマリーを見たあと、チャーイハートは目を閉じて笑った。


「ウォーウェーン(ว)の力を有効活用するのみならず、最後の最後まで油断しないとは……見事(みごと)なり」


 すぐにまぶたをあけ、体から離れるクマリーに(おだ)やかな視線を送る。

 

「これで分かった。キサマは充分(じゅうぶん)にがんばっているし、アーティットの足を引っ張ってもいない。(せつ)は、キサマの力量を(うたが)った非礼を()びよう」

「ハーチャさん、ありがとうございます。ただ、最後は夢中でした」


 クマリーが手を合わせ、しっかりと礼をする。

 あらためてチャーイハートは直径(いち)メートになった腰の円盤をなでた。


「クマリー・トーン。キサマはトータハーン・アーティットの(たよ)れる相棒にもなれるかもしれんぞ」

「そ、そうでしょうか……っ。えへへ」


 ついでクマリーは近寄る俺に気づいて振り返った。

 俺の胸に飛んできて、ほおをこすりつけながら顔を上げる。


「お兄さん……っ。クマリーの勇姿を見てくれましたかっ」

「ああ」


 俺は自分の(くち)()()がっていることを感じ取っていた。


「かっこよかったよ。クマリーも、もうすっかり俺たちの仲間、文字保有者の一員(いちいん)だな」

「うれしいですっ!」


 喜んだあと、クマリーが顔を赤らめて言い(よど)む。


「それからクマリーはお兄さんのあい……あいぼ……」

「……そうだな」


 俺の心の(おく)から、言葉が自然に出てきた。


「クマリーは俺の相棒だ」

「……はいっ! 相棒……相棒……わああ、いい響きです~」


 クマリーが俺のまわりをクルクル飛び始める。

 ついでチャーイハートが少し離れた位置から俺たちに()みを向ける。


「なんだ、すでに相棒だったのか」

次回「96.小僧のノー(ณ)【後編】」に続く!


ณ←これが「ノーネーン」の文字。意味は「小僧のノー」……トートゥン(ถ)とノーヌー(น)を組み合わせたような文字ですね~。


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

ネーン(เณร)→小僧

ケムカット(เข็มขัด)→ベルト

ウェーティ(เวที)→舞台

フックフォン(ฝึกฝน)→鍛える

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