93.水牛のコー(ค)【前編】
「……ゲーンタハーン・ロー」
マレットの銃から弾が発射される直前、俺は青緑色の小さな盾を左手の平から引っ張り出した。
ついで俺の身長を超すサイズに膨張した盾を右手に構え、マレットの弾をはじく。その際、クマリーも盾のかげに隠した。
すり鉢状の流砂の底から浮ついた声が聞こえる。
「はいはい盾ね。撃たれる前に構えるとか、アタシが不意撃ちするって読んでたんスか」
楽しそうに彼女が地面をたたく。
「アタシにとっちゃこじらせトートン(ธ)ちゃんの計画なんてどうでもいいんスけどねえ、いい機会なんでアンタを撃ちのめしてやるわ」
「なにか恨みがあるのか」
盾の右側からわずかに顔を出し、俺はマレットを見下ろした。
割座のままマレットは銃を持った右手を大きく振る。
「恨みなんてとんでもない。ただトータハーン(ท)ってさあ、剣も槍も斧も弓矢も使うクセしてかたくなに『銃』だけは使わないッスよねえ。それが気に食わないっていうか」
「銃は俺の性には合わないんだよ」
「こんなに綺麗なのに?」
手に持った黒い銃をクルクル回す。
銃の形状は、ちょうど母音記号のマーイナー(เ)を横に倒したときのかたちである。
マーイナー(เ)の穴に引き金が取り付けられている。その穴に右人差し指を入れて銃を回転させているわけだ。
斜めにへこんだ黄土色の砂の上から俺はマレットの様子を観察する。
ワサビ色の髪はいくつにも分かれて広がり、胸の上まで伸びている。
同色の瞳をおおうまぶたは薄い。目の下にはクマが浮き出ているものの、瞳は興奮したようにギラついた状態だ。
長袖の上着と手袋は赤茶色。
ただし袖に腕が入っていないため上着は肩に引っかかっているだけだ。
それから黒い半袖シャツとこれまた黒い膝丈のフレアスカートとタイツ、赤茶のブーツが見える。
かつ、左の側頭部にマーイナー(เ)のかたちをした黒い髪飾りをつけている。
斜めに装着されているので水牛のツノに見えないこともない。
「ちょいトータハーン(ท)、どこに目をやってんの。見てもらいたいのはアタシじゃないんスわ」
俺の視線に気づき、マレットが銃の回転をとめる。
「つーことでアタシ、銃の布教のために今からアンタをボコすから」
ゆっくり立ち上がり、再び俺に銃口を向けた。
「【ค】コークワーイ・マレット、つかさどる字は水牛のコー。別にアンタに風穴あけるつもりはないんで、安心して撃ち倒されていいッスよ」
銃から弾が飛ぶ。
何発も銃弾を受けた盾が斜め上に吹き飛ぶ。黄土色の砂が散る。
「ベープ・マラーイ」
マレットの詠唱と共に黒い銃の先端が伸びた。
先端はいったんマレットのほうに曲がったあと、また前方に折り返した。
つまり銃身がマーイナー(เ)から別の母音記号であるマーイマラーイ(ไ)の形状に変わったわけだ。
そしてマラーイには「破壊」という意味もある。
左手で銃身を支えながらマレットが新たな弾を撃つ。
マレットの銃弾はすべて植物のタネでできている。
黒く鋭いタネが盾の上を越えた。
続いて跳弾したわけでもないのにタネが折り返す軌道をえがいた。
果たして進行方向を百八十度変えて俺の背中に直撃する。
「撃ち抜きはしないッスよ。この世でもっとも美しいものが銃であり、この世でもっとも醜いものが銃創である――ってのがアタシの哲学なんでね」
固く、えぐるような痛みが俺の背中から全身に走った。
俺は盾にぶつかったのち、斜めの流砂に転がった。
すかさずクマリーが飛んできて俺に右手を差し伸べようとしたが、その前に俺たちのあいだを銃弾が通過する。
流砂の底からマレットがマーイマラーイ(ไ)のかたちをした銃を向けている。
「トータハーン(ท)ちゃんを助けてもいいでちゅけどお、参戦するならアンタも撃つよ」
「望むところです……!」
強気にクマリーが応じる。
上半身を起こし、俺は口の砂をはき捨てた。
「ありがとうクマリー、だけど俺を信じて見守っていて――」
瞬間、顔面に銃弾が飛んできた。
浮ついた声でマレットが高笑いする。
「敵の前でそういうイチャつき、やめたほうがいいんじゃないスか」
「……やはり撃ったな。タハーン・アーガート、ユアック、プルーン」
とっさに俺は身を伏せ、ほとんどあお向けの状態になった。
呼び出した空の兵隊が風を、雪の兵隊が吹雪を、炎の兵隊が熱波を発生させて弾丸の軌道をそらす。
弾をかわした勢いのまま俺はスライディングの要領でマレットに近づく。
彼女は立て続けに銃からタネを撃ち出した。
しかしアーガート、ユアック、プルーンがすべてはじき返す。
マレットが慌てた――。
「あわわっ。ヤバいッス」
――ように見せかけた。
俺が彼女のもとにたどり着く前に、痛みが再び襲ってきた。
後ろから無数のタネが背中に食い込んだのだ。
「うかつッスね、トータハーン(ท)!」
それらは、はじいて後方にそらした弾である。
やはりマーイマラーイ(ไ)の状態で撃つと、弾道は折り返すものになるらしい。
だが俺はあえてそのタネの衝撃を受け、底のマレットめがけて加速した。
突進が当たる刹那、マレットが直上に跳ぶ。
「ベープ・ナーナー」
左の側頭部の髪飾りが大きくなり、マーイナー(เ)の銃となる。
右手のマーイマラーイ(ไ)もマーイナーのかたちに戻った。
この二丁拳銃から小さめのタネを乱射する。
反動で流砂の上部に着地し、追加の詠唱をおこなう。
「……ベープ・ムアン」
マーイナー(เ)の片方が母音記号の一つであるマーイムアン(ใ)に変形した。
銃身を左に倒し、引き金を引く。
すると、ヤシの実に匹敵するほどの大きさを持つタネがねじれた銃口から噴き出た。
タネは反時計回りで流砂をすべる。
けたたましい音と砂ぼこりを立てながら超高速で渦を巻き、底の俺に接近する。
速すぎて、もはやタネのあいだを通り抜けることすらできない。
上空にのがれようにも、砂の勢いが強すぎてそれも不可能だ。
「マーイムアンの銃から放たれたタネは無敵。なにをやっても徒労ッスわ」
「ゲーンタハーン・タヌー」
俺は左手の平から弓矢を出し、放つ。
だが砂を貫通することはできなかった。
「弓矢なんかじゃ撃ち破れない」
音の向こうから、かすかにマレットの声が届く。
「唱えたらどうスか。『ゲーンタハーン・プーン(徴兵・銃)』とでも」
「無理だな」
迫りくるタネを前にして唱える。
「タハーン・ルア」
「よりによってこの砂の上で海の兵隊とは。シャチの精霊が動けるとでも? 今のアタシはルアの出現ポイントの射程外にいると思うんスけどねえ」
マレットの言うことは正しい。
俺は砂の向こうの彼女に焦点を合わせる。
「ローイコー」
「だから無意味。そろそろ底にデッカいタネが到達してアンタはつぶされる」
そしてタネが達した瞬間に――。
マレットの足場が崩れる。
「なんなんスか……なっ!」
黄土色の砂から水がほとばしり、なかからシャチの姿をしたタハーン・ルアが頭部を出した。
ルアは口をひらかずに、頭部の先でマレットの脚部に一撃を入れる。
防御態勢をとるひまもなかったマレットは真上にはじき飛ばされた。
「なんで砂のなかを……いや、とにかく反撃しないと。ベープ・ナーナ……あッ!」
空中で銃を構えなおそうとしたマレットだったが、握り込む前に二つの銃は落とされた。
下から上ってきた二本の矢によって。
ルアに続いて俺が浮上し、真下から弓矢でマレットの銃をねらったのだ。
「ト、トータハーン(ท)。アンタまで……」
二丁の銃を手放したマレットは流砂に落下し、底のほうへと転がり落ちた。
しかし途中で、地面に引っかかったように動きをとめた。
逆さまかつあお向けの彼女に俺は近づく。
「マーイムアンの銃から君がタネを放ったとき、俺は砂煙にまぎれて兵隊たちに指示を出した。底から君の足もとまで続く地下通路を作ってもらったんだ。アーガートが地中の砂を飛ばして穴を掘り、それをユアックの氷が固める」
俺はちらりと流砂の底に目を向けた。
すでに動かなくなった大きなタネが、なかばうずまっている状態だ。
「そうやって、弧をえがく氷の通路を地中に作成した。あとはプルーンの炎でそれを溶かし、ルアと俺がそこを通って君の真下から奇襲をかけたというわけだ。もちろんそんな急ごしらえの地下水路はすぐに消滅するから急いで移動したけれど」
「チップハーイ(最悪ッスわ)」
横たえた体を震わせ、マレットが両手で砂をたたく。
「よりによって最後、弓矢で決着つけるんスもん」
「マレットさん……っ」
ここでクマリーがマレットの二つの落とし物を持って飛んできた。
マーイナー(เ)のかたちをした髪飾りである。どちらもマレットの銃に変形するが、彼女自身がやられた場合はもとのかたちに戻るらしい。
「どうぞっ」
「どもッス」
マレットは右と左の側頭部に髪飾りを挿した。
やはりそれは、水牛の一対のツノのようでもあった。
首や肩を回し、マレットがワサビ色の目で俺を見つめる。
「撃ち取られたからにはアタシも偉そうなことは言えないッスね」
心なしか、目の下のクマが薄くなっている気がする。
「もうアンタはそのやり方をつらぬいてよ、トータハーン(ท)」
次回「94.水牛のコー(ค)【後編】」に続く!
ค←これが「コークワーイ」の文字。意味は「水牛のコー」……ドーデック(ด)にとても似ていますが、中心の丸の左側と線がつながっているのがコークワーイ(ค)で丸の下側と接続しているのがドーデック(ด)です。コークワーイを書く場合は丸を反時計回りで始め、ドーデックの場合は丸を時計回りで始めるのがいいかもしれません。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
クワーイ(ควาย)→水牛
ベープ(แบบ)→型
マラーイ(มลาย)→破壊する
ナー(หน้า)→次の
ムアン(ม้วน)→巻く
マーイムアン(ไม้ม้วน)→「アイ」の母音をあらわす記号(ใ)/示す音は母音記号のマーイマラーイ(ไ)と同じです。
プーン(ปืน)→銃
ローイコー(ลอยคอ)→浮かぶ
チップハーイ(ชิบหาย)→最悪




