77.【ฏ】突き棒のトー・レック【その2】
五十メートの人面ムカデと洗脳されたシーフーハーターのミーを俺たちは見上げる。
ここでクマリーの掲げたチケットの文字が「残り二十九回」から「残り二十八回」に切り替わった。
人面ムカデの遥か上――夕焼け色の空に雲の渦が現れる。
ついで焦げ茶の物体が渦の中心から腹を見せた。
(ジョットマーイのジャンク船……!)
だがこの瞬間人面ムカデのうなじから赤黒い火の玉が発生し、ジャンク船の底めがけて発射された。
(シアムか)
間一髪で炎の直撃をかわしたジャンク船は右にかたむき、船尾を南に向けながら斜めに落ちていく。
それと同時にテーラさん、ヒマ、レック、トゥアム、ンゴットガームそしてフアロが人面ムカデに攻撃を加えつつ、ミーを牽制する。
(俺も参戦したいところだが、その前にクマリーの「思い付き」をまず確認しないといけない)
当のクマリーは鐘のイヤリングを右耳に出現させ、ポーサムパオ(ภ)の文字を書いた。
「こちらクマリー。ジョットお姉さん、ジャンク船はだいじょうぶですか」
『問題ないよ、クマリーちゃん』
ジョットマーイは慌てずに、はつらつとした声を返した。
『ただ、あたしはカヤンさんから今回の戦闘に参加することを禁止されているんだ』
空飛ぶジャンク船をあやつるポーサムパオ(ภ)の力は緊急時のために温存したほうがいいとカヤンは判断したようだ。
『でも……タイミングがよかったね。あたしはテーラさんとヒマちゃんを送り届けたあと引き返して甲羅山の湖に停泊してたから』
苦笑交じりにジョットマーイが息をつく。
『とはいえジャンク船のチケットの回数はまだチャージされてないんだよね。だから呼ばれたときにたまたま船のへりにつかまってた「利用回数残りゼロ回」の人は船員のみんなに追い出されちゃうわけで。気の毒だけど今から落ちてくると思う』
「はい、ジョットお姉さん。約束どおり来てくれてありがとうございました」
クマリーは鐘の舌を引っ張って通信を切る。
その左隣で俺は、ジャンク船から飛び出してくる二つの人影を視界に捉えた。
「ルークタハーン・カンベット……」
手の平のトータハーン(ท)を淡く光らせ、簡易な釣り竿をなかから引き出す。
「ユート」
釣り糸が右斜め上に伸びる。
落下する二つの影に接近する。
影の片方は先端の釣り針を口にくわえた。その腰にもう片方がしがみつく。
俺は竿を勢いよく引き、二つの影を地上に下ろした。
空の兵隊に空気のクッションを作ってもらい、そこに落とす。
釣り針をくわえていたのは、とくさ色の髪と瞳を持つ女だ。
白い胴衣の胸部に緑がかった茶色の鎧を重ねている。下半身には鎧と同色のスパッツと柑子色の靴が見える。
若作りの見た目からは考えられないしわがれ声で彼女がクマリーに言う。
「ウォーウェーン(ว)」
保有する文字のほうを呼称とし、とくさ色の髪の彼女――ユアユがあいさつを省略して口を動かす。
「オメー、ポーパーン(พ)に用があってポーサムパオ(ภ)を呼び出しやがったな」
「そうです」
クマリーは堂々とユアユに返答した。
「もちろん『亀さん』と再会できたことも喜ばしいですが」
「わたしはポーパーン(พ)が途中でたたき落とされないようとっさに乗船しただけだぜ。呼ばれるタイミングも占いで予想がついてたしな」
早口で説明を終え、ユアユは右後ろの人影のほうに視線をやった。
そこに立つのは白の交じった群青色の髪と瞳を持つ女だ。
白い上着に灰色の胴衣、赤紫のスカートとブーツという格好だが、やはり頭にかぶった金色の供物台がもっとも目立つ。
酒焼けしたような独特の声を出す。
「指輪ちゃん。なんか困ったからアタシに相談しようってことかな」
「はいプラトゥ師匠」
久しぶりと言い合っている場合でもないのでお互いすぐ本題に入る。
「ミーさんの洗脳を解除する方法を教えてください」
「そゆことね」
巨大人面ムカデの背中にいるミーをプラトゥは凝視した。現在ミーはンゴットガームと交戦している。
精霊の知り合いが多いプラトゥならなんとかできるとクマリーは思ったのだろう。
シーフーハーターは伝説の生き物であってピーかどうかは微妙なところだが、人知を超えた存在であるのは間違いないのでむしろプラトゥの専門かもしれない。
そもそも石炭をミーに渡していた時点でプラトゥはその正体を前から知っていたとしか思えない。それを言うならミーと一緒に暮らしていたユアユも石炭の袋を用意したトゥアムも同様なのだろうが……。
「虎ちゃんからは煙と共に自我が放出されてんね。……でさ、気になったんだけど指輪ちゃんはウォーウェーン(ว)の力に目覚めたのかな」
「はい」
平時であれば「さすが」と褒め返していただろうが、今はそういう状況ではない。
クマリーは自分ができるようになったことをかいつまんでプラトゥに伝えた。
対するプラトゥはうなずき、振り返って声を上げた。
「猿ちゃん! 突き棒くん! こっち来て」
人面ムカデと戦っていたヒマとレックを呼び戻す。
代わりにユアユが駆け出して戦闘に加わる。
だがその前にユアユは一瞬だけ俺に耳打ちした。
「今までわたしは全員の吉凶を占っていたんだが、オメーに加えてトーパタック(ฏ)にも凶兆が出ていた」
それだけを伝え、人面ムカデのもとに向かった。
なおヒマやレックたちもすでにプラトゥとユアユが来たことに気づいている。
プラトゥは俺、クマリー、ヒマ、レックにミーの洗脳をとくための作戦を小声で教えた。
「――とまあ、こんな感じなんだわ」
「それでいきましょう」
真っ先にクマリーが賛同した。
異を唱える者は俺を含めていなかった。
「ではプラトゥ師匠の作戦をみなさん全員と共有しますね」
「待ちな、クマリーちゃん」
ここで尊大な声と共に、レモン色の髪と瞳を持つ男が俺たちのそばに走ってきた。
黒いジャケット、白いズボン、赤茶色の靴という格好だが、左右の耳とえりの前面に下げられた鐘も特徴的である。
(チュアモーン。ということは一緒に行動していたカヤンも近くにいるな)
レモン色の髪の男――チュアモーンが前面の鐘を右手でなでながら言葉を挟む。
「君たちの作戦はすでに聞いたぜ。俺様が一気に全員に伝えてやろうじゃねーの」
「チュアさん、お願いします」
クマリーは冷静に頼んだ。
微笑したチュアモーンは前面の鐘をはじき、ボーン……と鳴らす。
「チューシアン」
詠唱すると、鐘の音に合わせて彼の声が鳴り響いた。
確実に遠くまで聞こえるボリュームではあるものの、なぜか耳障りではない。
『【ฆ】コーラカン・チュアモーン、つかさどる字は鐘のコー』
名乗ったあと一拍置き、言葉を継ぐ。
『今この場にいるみんなにミーちゃんを正気に戻す作戦を伝える。アーティットが中心となってミーちゃんにアタックするんだ。ダメージを蓄積させてそのショックで洗脳をとくわけだぜチクショウ。つーわけで、これからみんなにはアーティットをサポートしてもらう。人面ムカデの攻撃を引きつけたりシアムちゃんの動きをとめたりしてくれ』
声を響かせつつ、人面ムカデを不敵ににらむ。
『シアムちゃん。聞こえてんだろ、俺様の声。だが降伏したいのなら、いつでもしてもいいんだぜ。そのときは即座に矛を収めると約束する』
しかし彼の呼びかけに応じる者はない。
チュアモーンは声の調子を戻し、自身の三つの鐘を両手でさわった。
「俺様はこの位置からサポートをする」
「ありがとうございます、チュアさんっ」
クマリーが俺たちを代表して礼を述べた。
俺はアーガートの羽にささえられた状態で飛翔し、炎の兵隊およびクマリーと共に人面ムカデに突っ込んだ。
ムカデが足の一つで俺の右肩を刺したが、ゴーン……という鐘の音が鳴った瞬間にその傷が跡形もなく消えていた。
一方、レックはヒマと行動する。
そのチュニックはムカデの胴体に合わせて赤黒くなっている。
加えて、暴れる人面ムカデの横腹に強烈な蹴りが入れられた。
若草色の髪と瞳を持つ逆立ちの女が右の足裏を撃ち込んだのだ。
「【ฒ】トープータオ・カヤン、つかさどる字は老人のトー」
ドスの利いた声を上げながら白いシャツと黒い上着、さらには切れ込みのあるあずき色のロングスカートをはためかせる。
「とりあえず、このデカブツを押さえにゃあな」
灰色の地面に両手をつけ、カヤンが唱える。
「パークタン」
詠唱の直後はなにも起こらなかったが、人面ムカデの多脚がカヤンに襲いかかったところでその効果が発動した。
ムカデの足はカヤンに当たることなく風船のように爆発した。
ひるんだのか、巨大人面ムカデが激しく身を震わせて動きをスローにする。
敵の動きが遅くなったところでテーラさんの皿がムカデの身を刻み、トゥアムの袋が胴体を縛り上げる。
それにしわがれた声が続く。
「やるもんだなあ、オイ。トープータオよお。こりゃ飛び入りのわたしも貢献しねえとな」
通常ならありえない可動域を持つ多脚をよけつつ、ユアユがムカデの背中で笑う。
「【ต】トータオ・ユアユ、つかさどる字は亀のトー」
胸部の緑がかった茶色の鎧に右手でヒビを入れ、詠唱する。
「ウートアート」
割れた鎧の破片たちがシーフーハーター姿のミーに飛んでいく。
いくつもの破片は鈍重にミーのそばを浮遊し、その動きを比較的緩慢にした。
白っぽい樹木を生み出して交戦していたンゴットガームとフアロがユアユに感謝のジェスチャーを小さく送る。
俺はそんな様子を見ながら人面ムカデの胴体を登り、抵抗しているミーに近づく。
その瞬間、赤黒い火の玉がムカデのうなじから飛んできてミーの背中に乗った。
赤い長髪を乱したシアムがそこにいた。
「あなたが作戦の中心だよね……思いどおりにさせるかっての!」
俺をにらみつけ、自身のうなじから炎を立ちのぼらせる。
途端、瞳の濁ったミーが咆哮した。
ミーとシアムが一つの炎につつまれる。
ユアユの破片はそのままだがンゴットガームの樹木が燃える。
(どうやらシアム自身もミーの恩恵を受けているらしいな)
その状態で突進してきたミーとシアムをレックの突き棒がはじき飛ばす。
シアムは炎のなかから悔しげな声を上げる。
「レック! また、あなた……っ! 勝手に制裁を加えるわけにもいかないとか言いながらきっちりわたしを殺そうとしてたクセに! だいたいミーがわたしをくわえてあなたの攻撃をかわしたというだけで……あなたはわたしがミーをあやつったと断定した。つまりそれは仲間うちで、わたしを殺すっていう約束がなされていたってことの証明じゃないの! わたしをかばうミーのその行動を明確にあやしいって思ったってことはさあ! ミーが『そうしない』って絶対的に分かってたってことで!」
「……そうだよ、できるなら殺したくないのも本当だけど、やむを得ないならオレチャンたちはシアムを処理する」
ろれつの回らなくなってきたシアムに対し、レックが冷静に答えた。
ここで俺の両肩がたたかれる。
「兵隊くん。アタシ、気づいたんだけど」
声のぬしはプラトゥだ。
彼女は俺の背中にしがみつき、共に行動していたのだ。
シアムを見ながら、酒焼けしたような声をゆっくり続ける。
「あの子、死んでない?」
次回「78.【ฏ】突き棒のトー・レック【その3】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ユート(ยืด)→長い
チューシアン(ชื่อเสียง)→評判
パークタン(ภาคทัณฑ์)→保護観察にする
ウートアート(อืดอาด)→のろい




