76.【ฏ】突き棒のトー・レック【その1】
ミーを騙して攻撃したシアムめがけてレックの突き棒が迫る。
その先端が心臓に当たる間際、シアムは微妙に左へとスライドした。
ついで彼女の左肩をにび色の口がくわえる。
シアムは時計回りに引っ張られ、間一髪で突き棒の直撃を回避した。
彼女の柑子色の服を噛んでいるのは、にび色の毛皮と五つの目と四つの耳を持つシーフーハーター……ミーであった。
ミーの背中からは赤黒い煙が漂っている。
緑色の瞳も煙のように濁った状態だ。
焦げ茶の編み上げ靴で赤茶の地面をたたき、シアムがほおを緩める。
「どうやらミーに裏切られたようね、レック」
「いいや、シアムがあやつったんだろう?」
レックはビブラートを利かせながら冷静に応じる。
「たった今オレチャンにも分かった。コピー元の人面ムカデもシアム自身によってあやつられているな。支配下に置く条件は火の玉を食わすことのようだね」
確かに、そう推理することは無理のあることではない。
人を襲うことは人面ムカデの習性のようだが、それならなぜシアム自身は襲われていないのか――そもそもここが不可解だった。
シアムの言によると人面ムカデは母に似ているらしいとはいえ、コミュニケーションの通じない精霊自身に母親としての情が宿るとは思えない。
しかもシアムはムカデを意のままに操作できている。
これらの情報から彼女は人面ムカデを統制するなんらかの方法を持っていると推測することは可能だった。
(ただ、その方法だけが分からなかった。そしてミーがおかしくなったのはシアムがうなじの炎をミーの口に入れたあと。もうここまで来ればシアムがそうやって相手をコントロールするという事実は明らかだ)
ここでシーフーハーター状態のミーが口をひらき、シアムを放した。
当のシアムは釣り鐘型の服をひるがえしてレックにつま先を向けなおす。
「形勢逆転だよ」
「そうでもないぞ」
レックが突き棒の柄を右手で回す。
「もう身動きはとれない」
地面から白っぽい根っこが伸び、シアムとミーの足にからみつく。
しかもレックから時計回りにンゴットガーム、テーラさん、俺、ヒマが並び、シアムたちを取り囲む。空間内の人面ムカデはオリジナル以外すでに処理したあとだ。
シアムは赤い長髪を軽く振り、息をついた。
「あなたたち……さっきの話のあいだに接近したわけね。仲間が洗脳されたのに、なんで冷静でいられんの」
「激情に身を任せると味方に迷惑がかかるからね」
緑と黒が混ざったような色合いの靴を前に出し、レックがシアムに近づく。
「ミーの洗脳をとくんだ。もちろんシアムのいのちは奪わない。オレチャン個人としては許せないけど、勝手に制裁を加えるわけにもいかないからな。シアムは……正式に裁判を受けるべきだ」
「追い詰めたつもり?」
周囲に視線をやりつつ、シアムが口をとがらせた。
瞬間、彼女の近くに横たわっていた五メートの人面ムカデが急に起き上がる。
起きながらムカデの胴体を膨張させる。
もげていた足が生え、太くなったしっぽがシアムとミーに巻きついた。
たちまち人面ムカデの全長は半球状の天井と同等の規模に達する。
人面ムカデは一瞬のうちにシアムたちを引っこ抜いた。
ンゴットガームの白っぽい根っこがちぎれて落ちる。
興奮を抑えるようにシアムがつぶやく。
「この力、ヤバいね。有効活用してあげる」
まだまだ人面ムカデが肥大化し、ついに頭頂部を天井にぶつけた。
岩の天井が破れる。胴体が躍る。
俺たちを攻撃するのみならず、テーラさんの浮かせていた巨大な皿をも砕いた。
「うっわ、天井のなかにも根っこがあるし」
シアムのぼやきと共にムカデが体をぜん動させ、天井にあけた穴のなかに入っていった。
うるおいのある声でンゴットガームがさけぶ。
「みんな! 巨大化した人面ムカデは根っこをちぎりながら地上に向かっている。すぐに追うからあなたがたは私のそばまで来て」
そんなンゴットガームの言葉に応じ、俺たちは上から落ちる岩をさばきつつ一箇所に集まる。
テーラさんの皿に載っていたトゥアムとクマリーも無事のようで、すぐに降下してきた。
全員そろったことを確認し、ンゴットガームが唱える。
「ヤーオクン」
すると足もとから太さ五メート以上の木の幹が生え、まるでエレベーターのように俺たちを押し上げた。
赤茶の土が四方に散乱する。
俺たちを乗せた幹が生長を続け、天井にあいた穴に突っ込む。
花弁みたいにひらいた白っぽい幹の上で俺は炎の兵隊に加えて空の兵隊を呼び戻し、落下する岩をその二対の翼ではじき飛ばしてもらった。
だがアーガートでも対処が難しいひときわ大きな岩石も降ってくる。
同時に無機質な女の声が反響する。
「ここは私にお任せを」
左肩から右脇にかけて白い布をかけた女がンゴットガームのそばに現れ、そのカラスの濡れ羽色の髪をなびかせた。
ンゴットガームに寄生している精霊のフアロである。
彼女が青い目を光らせ、俺たちの頭上に浮く。
「うりゃっ」
フアロがやはり無機質な声で言うと、俺たちの乗る幹の円周から枝が真上に伸びた。
二メートだけ生長したあとはすべての枝が中央に向かって直角に曲がった。
それらがからみ合い、丸い屋根となる。
この屋根が岩石を受けとめた。
当たった岩は破砕され、枝の格子の向こう側に落ちていく。
ほかのみんなから感謝を受けながらフアロは少しだけ相好を崩す。
「あの巨大化したムカデ氏は地下が窮屈ということでシアム氏とミー氏を連れて地上に出たようですね。ずっと地下にいてくれたら私とンゴットで完封してやったのに勘のいいことで」
新しくできた天井に背中をつけ、続ける。
「しかもミー氏を洗脳したことにより、ムカデ氏はその力の恩恵を受けています。私の目には、ミー氏とムカデ氏をつなぐ『枝』のようなイメージが見えるんですよ。追い詰められていたにもかかわらず急に巨大化できたのもそのためかと」
「とはいえフアロ」
ンゴットガームが首をかしげた。
「いくらシアム嬢がミーおねえから力の供給を受けたといっても、いきなり巨大化するほどのエネルギーは得られないんじゃないかな」
「……ともかく地上に出る前に味方に報告しよう」
俺は立ったままそう言って左耳に鐘のイヤリングを出した。
クマリーがカヤンに、テーラさんがセンセーに、俺がルディに連絡する。
伝達するのは、ミーがシアムにあやつられてしまったことと人面ムカデが巨大化して地上に出ようとしていることだ。
状況が状況なのでミーがシーフーハーターの姿になっていることも隠さず伝える必要がある。
しかし俺がポープン(ผ)の字を鐘の表面に書く前に、ルディのほうから俺のイヤリングに連絡が入った。
『アーティット、こちらルディ』
「ちょうどいいタイミングだな。今の状況だが――」
現状について俺は簡潔に説明した。
「――というわけだ。そっちの用は?」
『北と南の横穴の奥に積み重ねられていた人面ムカデたちだけど』
ルディは俺の周囲にいるほかのみんなにも聞かせるように、声を大きくした。
『さっき彼女たちが次から次へと消滅し、ついには一体もいなくなったんだ』
「ああ、そういうことなんだね」
話を聞いていたトゥアムが首を縦に振った。
「気づいたかね、みなの衆。十中八九、コピー元の人面ムカデはそのコピーたちを吸収して体積を一気に増やしたのだよ。ミーくんの力を使ってね」
『でもトゥアム。君たちのいる東の空間から離れた場所にそのコピーたちはいたんだよ』
「ルディくん。彼女らは、やられたときに気体に溶けていく。つまりやろうと思えば風のようになって移動することも可能なんじゃないかな。おそらく今回の場合はオリジナルの人面ムカデが遠くから彼女らを気体みたいに吸い上げたんだろうさ。コピーとコピー元の関係なら親和性もあるはずだ」
『……言われてみれば、それしか考えられないね』
息をつき、ルディは納得の声を上げた。
『じゃ、アーティット、トゥアム、みんな……いったん切るけど、一応これから僕も参戦するよ』
これでルディとの通信が終わった。
続いてクマリーのイヤリングからカヤンのドスの利いた声が響く。
『地面が揺れていやがる。おっ、やっこさんの頭が見えたぞ。そら、出てきた!』
カヤンの声に、大地や岩盤を砕く轟音が混ざった。
さらにテーラさんのイヤリングからはセンセーの沈んだ低音の声が聞こえる。
『岩場の北西方向からも敵影を確認した……ヤーの字と共に現場に向かう……』
こうして確認がすべて済んだあと、俺たちの乗る木の幹が地上に届いてその生長をとめた。
フアロの作った枝の格子と屋根がはじける。
俺たちは一斉に地上に降り、目の前でのたうつ人面ムカデを見上げた。
その長さは赤黒い胴体だけで五十メートを超えている。
時間帯は夕方に差しかかっているようで、赤い斜陽が俺たちの背中に落ちる。
灰色の地面は揺れ、あたりの赤茶の岩は破壊されている。
「まずは人面ムカデに力を与えているミーの洗脳をとくことが先決だな」
大声で俺は今の作戦の第一目標を確認した。
シアムがどこにいるかは今のところ分からないが、ミーは巨大になったムカデの胴体の背中の一部にたたずんでいる。
四つん這いのシーフーハーターの姿だ。
背中からは煙が噴き、目は赤黒く濁ったままだ。
「できるだけダメージを与えずに正気に戻したいところだが……そもそもダメージを蓄積すればもとに戻ると考えるのは単純すぎるしシアム本人を先に倒しても洗脳がとけるとは限らないか」
「あ、お兄さん!」
クマリーが俺の右横に浮いて言った。
「いいこと思い付きましたっ! やっていいですかっ」
「もちろん」
自信満々のクマリーに俺は即座に返した。
うなずいたクマリーはポケットからオレンジ色の長方形のチケットを取り出し、それを右手で掲げた。
「充分な広さはありますね……それじゃ、クンクルアンビン!」
次回「77.【ฏ】突き棒のトー・レック【その2】」に続く!(4月11日(土)午後7時ごろ更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ヤーオクン(ยาวขึ้น)→伸びる




