78.【ฏ】突き棒のトー・レック【その3】
「は……? わたしが死んでないかって……っ!」
ミーの背中に乗ったままシアムがプラトゥをにらみ返す。
「なに言ってんの金ピカ帽子」
レックの突き棒とヒマの蹴りをかわし、やや後退する。
巨大ムカデの赤黒い胴体にシーフーハーターの手足の爪が食い込んでいる。
「わたしはこうしてしゃべっているし、あなたたちに殺されないように必死になってる。生きているに決まってる!」
「勘違いじゃないってば。えっと……アナタ、シアムちゃんって言ったっけね」
プラトゥは俺の背中から離れ、のたうつムカデに着地した。
なおシアムの情報および彼女が「君」と呼ばれるのを嫌っていることについてはすでに伝えてある。
「シアムちゃんの魂、半分以上削れちゃっててすでに死人のそれなんだわ」
右手で金の帽子を取り、ひっくり返す。
「【พ】ポーパーン・プラトゥ、つかさどる字は供物台のポー」
帽子――いや円筒形の台と深皿を組み合わせた形状の供物台に口を近づける。
なおそのあいだ俺たちはいったんシアムへの攻撃をやめた。
プラトゥの言葉によってシアム自身が説得される可能性もあると考えたからだ。事実、シアムも動きをとめてプラトゥをじっと見ている。
真下へと口をひらき、プラトゥの舌が供物台に向かって突き出される。
その先端から透明の液体がしたたり落ちた。
計十滴の唾液が深皿ではじけたあと、プラトゥが唱える。
「シアサラ」
すると皿の底にたまった液が供物台にしみ込むように消え去った。
代わりに深皿から黄色の霧が噴き出る。
それは月光に似た輝きを放っており、夕焼け色に溶け込んでかすかに赤を帯びていた。
「この子もアタシの供物台に宿った精霊。好物はアタシのあったかくてドロッとした唾液で、特技は相手の魂のかたちを正確にえがくことだよ」
黄色の霧は輝きながら、プラトゥの頭上で満月のかたちを作った。
「とまあ、こんなふうに魂が欠けていないときは月も欠けないわけ。シアムちゃんはどうかなー」
満月を崩し、霧がシアムのそばに移動する。
現在シアムはシーフーハーター状態のミーと共に赤黒い炎でつつまれているので、霧は一メートほど間合いをとって斜め上からシアムに魂のかたちを見せた。
霧は下に張り出す弧を引いた。
かたちはジャン・シアオ(三日月)のかたちをなしている。
「けっこう欠けてるねー。うん、シアムちゃんは間違いなく死んでるよ」
プラトゥは供物台の上下を逆転させ、帽子としてかぶりなおした。
同時に、輝く黄色の霧も雲散する。
左右の腕と頭部を震わせるシアムを見つめ、プラトゥが帽子のつばを右手でこする。
「あ、アタシの唾液ならさっきの子が残さずいただいたから供物台はきれいなままだよ」
「ขี้ปะติ๋ว(どうでもいいわ!)」
シアムは長い息を何度もはいた。
「わたしは信じない。あなたはわたしが死んでいるのだと思い込ませて動揺させようとしてるんだ。くだらない芝居をピーにさせてさ……」
「いや……」
俺は左手の平のトータハーン(ท)をゆっくりなぞりながら言葉を引き取った。
「プラトゥの言葉には信憑性がある」
「赤目赤髪……!」
「もともと俺たちは仲間から、村の住民は一人残らず殺されていたと教えられた」
その仲間とはカヤンのことである。
「だがシアムもその村で暮らしていたんだろう? ここに矛盾がみとめられる。もしシアムが人面ムカデの襲撃時点で生きていてその後ムカデと共に村から離れたとすれば、村人のなかに一人だけ行方不明者が発生していないとおかしいんだ。このとき『一人残らず殺されていた』という表現は使えないはずなんだ」
「なにが……なにが言いたいわけ」
「シアムは人面ムカデと会った段階で、ほとんど死にかけていたんじゃないか。シアムを引き取った女の暴力のせいで。だから蛇みたいな縄もシアムに反応することがなかった。そして人面ムカデを封じていたその縄が朽ちる前にシアムは死んだ」
「――シアムちゃんのうなじの炎」
白の交じった群青色の視線をプラトゥがシアムに突き刺す。
「それ、人面ムカデに接近したときに発現した力だよね。その赤黒い炎、ピーだよ。人間の死体に入って欠けた魂や肉体、服を補うヤツだわ。ほかの魂をあやつる力も有しているね」
「シアの字……」
ここで北西寄りの地上から沈んだ低音の声が聞こえた。
すす色の髪と瞳を持つ壮年男性が眼鏡を左手でささえながら顔を上げている。
「こうして直接会えてうれしいぞ……シアの字。オレは――」
胸板ではち切れそうな灰色のシャツに加え、すす色を少し濃くしたような上下と靴が見える。
「【ฟ】フォーファン・センセー、つかさどる字は歯のフォー」
彼は、たった今ここに到着したようだ。
「シアの字、ちょっとオレと話そうか……」
「誰が……!」
「そうか……ならプリンの字と呼んだほうがいいか……」
「え……センセー。あなた、なんでそれを」
目を見ひらいたシアムがすす色の髪の男性――センセーを見下ろす。
センセーは上着の内側に右手を突っ込み、その内ポケットから紙束を取り出した。
「ここには村人六百三十五名の遺体の状態が写真で記録されているのだ……その際オレは遺体を見せてくれた者たちから事件に関係があるかもしれないとして……とある情報も聞いた……」
情報の出所はパネークサットプララート……化け物係で間違いない。
「事件の前日……プリンという女の子が死んで火葬になったとな……」
左手で紙束をはじき、センセーはそれを軽くめくっていった。
「そのループターイは見せてもらっていない……そして当然だが、プリンの字はこのリストのなかに含まれていないな……」
「プリンはやめて」
舌打ちして、シアムが声を絞り出した。
「わたしはシアムだよ。プリンっていうのはわたしを引き取った女の妄想上の娘の名前。村人たちも便乗してプリンと呼んで……本当に耐えがたかった」
「それは謝罪する……悪かった、シアの字……」
センセーは眼鏡から手を離して詫びた。
「しかしシアの字……オレもさっきからプラの字やアーの字の話に耳をかたむけていたのだが……シアの字自身に死んだという自覚はなかったのか……」
「……気づいたら」
赤黒い炎のなかで、シアムが静かに返した。
「いつものようにあの女に殴られたり蹴られたりしたあと気づいたら、灰のなかにうまってた。その日は家に戻らず白いもやのなかに帰った。あ、そっかあ……そのときわたしはすでに死んでいて……赤黒い炎のピーと共によみがえったわけね。死に際にあの暴力女が謝りたいって言ったのは、わたしを死に追いやったからでもあったと……はあ」
一瞬、まぶたを閉じる。
センセーがやんわりと声をかぶせる。
「死人であれば裁きづらい……そこでオレから提案する……これからシアの字はその力と共に新しく人生をやりなおさないか……? オレが力の使い方を教える……もちろんこれは村人全員を殺したであろうシアの字の罪を許すという意味ではないが……シアの字がすでに殺されているという状況をかんがみれば充分に選択肢に入る提案だと思うのだ……」
「เซ็งแซ่(うるさい)」
シアムが金切り声でさけんだ。
同時に人面ムカデの胴体が大きく折れ、その人面部分がセンセーめがけて降下する。
もとの十倍以上の大きさになった乱杭歯の上下の列がひらき、センセーを襲う。
「今さらやりなおし? ふざけないで! わたしが死んだ? だからなに! どっちにしてもわたしはわたしの時間を邪魔するあなたたちを全員ぶち殺すだけよ」
このシアムの言葉と同時に、俺たちは再び交戦状態に入ることになった。
巨大な人面の奇襲を受けたセンセーがつぶやく。
「純粋なのだな……ファンルット」
詠唱の途端、人面の大口から紫の唾液と共に乱杭歯の一本が落下した。
いや、一本だけではない。
次から次へと人面ムカデの歯がボロボロと落ち、センセーのそばに横たわる。
ミーの上でシアムが俺たちの攻撃をかわしながらギョッとする。
「ちっ、そんなこともできんのセンセー! だったら……」
人面ムカデが頭部を持ち上げ、天空へと躍り上がる。
五十メートの体をほぼ垂直に立てたため、背中に乗っていたヒマやレックはバランスを崩した。
ついで地上を多脚で蹴り、ムカデは竜のように天へと上昇する。
「今もあなたたちがこの周辺に結界みたいなものを張っているのは分かってる! きのう岩場から離れた場所にコピーを放ったけど、みんな帰ってこなかった。例の根っこを燃やしたあとでも結界は有効だったみたいだね」
シアムはミーに騎乗したまま垂直に胴体を登っていく。
「だけどさすがに空まではふさいでないんじゃないの! だったらこのまま弧をえがいて結界を越えちゃえばいいのよ!」
ムカデの頭部が高度六十メートを通過する。
瞬間――。
「クロープ」
聞いている者の体感温度を下げるような冷たい声が地上からのぼってきた。
同時に上空から水色の巨大鍋蓋が落ちてくる。
蓋の裏が人面ムカデの頭部に激突した。
ムカデはのけぞり、右横腹を下に向けて灰色の地面に落下する。
土ぼこりの向こうを見ると、センセーの左隣で水色の髪と瞳を持つ女が左手を真上に挙げていた。
体形、髪型、白いブラウス、群青色の上着、青黒いスカート、靴すべてが均整のとれた左右非対称である。
彼女の左わきの下に刻まれた赤い文字が輝いている。
「【ฝ】フォーファー・ヤーンロップ、つかさどる字は蓋のフォー」
ミーおよびヒマと別れたあとセンセーと共に行動していたロップがシアムへと名乗りを上げた。
「知っていますか、シアム。蓋というのは本来上からかぶせるものなの」
ついでシアムがムカデの胴体に立つプラトゥと目を合わせる。
「プラトゥ。本当に来てくれた。あとから来るって言ったクマリーの言葉どおりに……」
「おっ、蓋ちゃん。やっほー」
頭に載せた供物台をかぶりなおしながらプラトゥが右手を振る。
その酒焼けしたような声を聞いてロップがほおを染める。
「ああ……本当にいい声。プラタップ・トラー。プラタップ・トラー」
プラトゥの声を耳にしてやる気が出たのか、ロップが左手を挙げたまま同じ詠唱を連続させる。
直径四メートの印鑑がムカデの上にいくつも出現し、その左横腹に立て続けに落下する。
ここでシアムがムカデのうなじに戻り、自身とミーをつつむ赤黒い炎をいっそう強く燃え上がらせた。
人面ムカデは歯のないまま起き上がり、地上の岩を破壊しながら北へと走る。
「あなたたちが北にわざと穴を作っていたのもお見通しだっての。どんなワナがあるか分からないからこれまでは近づかなかったけど、今なら突破できる」
ロップの蓋からのがれたあと、ムカデの背中に乗っている俺やレックへと笑声を浴びせた。
あとはミーのコントロールが奪われないよう俺を警戒していればいいとシアムは思っているだろう。
「そうだ、今コピー出したらどうなるんだろ」
わざと聞かせているのか、はずんだ声が上から響く。
直後、大きな白いもやが五十メートの人面ムカデのまわりに生じた。
もやは三十メートの人面ムカデ六体の姿をかたどり、コピー元のムカデと同様の色と体を持ったあと北へと駆け出した。
「……できた。できた! これで無敵! これであなたたちは確定で終わりよ」
三十メート級の人面ムカデ六体が五十メート級の人面ムカデの前を走り始める。
多脚の群れによる土ぼこりも轟音も地面の揺れもすさまじい。
さらに前方の地上に三角形の白いテントが二つ見えた。
テントの前に、白すみれ色の髪と瞳を持つ背の高い女性が立っている。
「なに? あいつも仲間? まあいいや、踏みつぶしちゃえ」
三十メートのムカデ二体が白すみれ色の女性をひき殺そうとする。
が、その刹那二体の胴体に無数のヒビが走って爆発した。
二体は足先の一片も残さず同時かつ一瞬でチリになった。
「【ย】ヨーヤック・ナーグルア、つかさどる字は鬼のヨー」
もはや言葉を発することすらできなかったシアムに、ここでずっと待機していた白すみれ色の髪を持つ女性――ナーグルアがおしとやかに声をかける。
「美しい突進でしたわ」
複数の突起の付いた黒い棍棒を右斜め下に振り下ろし、妖艶かつ蠱惑的にほほえむ。
おしとやかな声はよく通った。
黒いインナー、金色に縁取られた薄い青のトップスに四枚の布からなるボトムス、白いニーソックスと靴も視覚的に目立つ。胸にかかる緩い巻き毛さえ存在感を持っている。
「私、あなたさまがたのようなケンカっ早いおかたも大好きでしてよ」
言いつつ棍棒を左上に振り上げ、三体目の三十メートムカデを刹那のうちに破砕した。
次回「79.【ฏ】突き棒のトー・レック【その4】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ジャン・シアオ(จันทร์เสี้ยว)→三日月
キーパティウ(ขี้ปะติ๋ว)→どうでもいい
プリン(พริ้ง)→かわいい
ファンルット(ฟันหลุด)→歯が抜ける
クロープ(ครอบ)→カバーする




