73.【ส】虎のソー・ミー【その3】
崩れた天井から赤茶色の岩塊が降りそそぐ。
ここでミーの総身が膨らみ、彼女の姿が人ではない別の生き物へと変じた。
横縞の濃淡を持つにび色の服が激しく毛羽立ち、色の薄い部分がその濃度を増す。
二の腕まで届くアームカバーもノースリーブのトップスもニーソックスも本物の獣の毛皮のようだ。
ホットパンツの背面の短いしっぽも全身の巨大化に合わせて膨張する。
にび色の毛を生じた肌と服との境界が消失し、墨色の靴の先端は五つに分かれてそれぞれかぎ爪のかたちを呈した。
今のミーの顔の輪郭は、左右の側頭部に縦に並んだ二対の耳によってかたどられている。
さらに緑の瞳が五つ。
顔の右側に二つ、左側に二つの目が縦に並ぶ。加えて額の中央に一個の目玉が宝石のようにはめ込まれている。
もとの肌色はどこにもない。
にび色の毛皮でおおわれたクマのような生き物が四つの耳を震わせ、五つの目を緑色に輝かせている。
それは伝説の生き物である「シーフーハーター」の姿に相違なかった。
足首からその付け根までの長さは二メート弱。
シーフーハーターとして正体を現したミーは四つん這いになり、俺とレックとクマリーの上に移動する。
迫りつつあった岩を突進で跳ね返す。
毛皮でおおわれたにび色の腹部を俺たちの頭上にさらしつつ、後続して落下する岩盤をすべて背中で受けとめる。
毛皮をすべった岩が、左右の地面で砕け散る。
直上からシアムの声も落ちてくる。
「うっわ、あなたって正真正銘の化け物だったんだ。かっこいいじゃん! でもさすがに、この重量は耐えきれないよね」
「ほ……ほわあ」
大きくなったミーのあごと腹部が、情けない声と共に上下する。
途端、ミーの腹の毛が俺たちにおおいかぶさってきた。
その際、レックは自身の突き棒を地面に横たえた。
俺は空の兵隊と炎の兵隊をいったん消した。
フカフカの毛皮が赤茶の地面と接してから数秒後、性別の判然としない子どもの声でシアムが哄笑を上げる。
「ソムナムナー! あなた、ミーって名乗ってたっけ? 白目を五つもむいちゃってまあ……結局仲間も守れずくたばってやんの!」
どうやらミーは死んだふりをしているらしい。
ただし彼女の腹の下でうつ伏せになった俺の後頭部と背中ではその血管が太く力強く跳ねている。
シアムは挑発的に話しかけて本当にミーが絶命したのか様子を見たあと、声を引き締める。
「とはいえ演技の可能性も捨てきれない。そこでわたしはここを離れる前にもう一度徹底的に天井を落とす」
わざとそれを口に出して反応をうかがう。
ついで共にいる人面ムカデの多脚で天井を引っかきながら、この半球状の空間の入り口のほうに遠ざかっていく。
直後、再び岩が雨あられと降る。
シアムの気配が消えたあとも途切れることなく空間全体に落ち続ける。
このタイミングで、シーフーハーターの姿となったミーが腹を地面から離した。
プルーンを再度呼び出して俺はミーに礼を言った。クマリーとレックもミーの顔のほうに向かって感謝を述べる。
クマリーがミーの本当の姿に感動の声を漏らす一方で、レックはただただパッチリとしたその目を丸くしている。
俺はミーから預かっていた袋を地面に置き、白いトカゲの姿をした医者の兵隊を呼んでミーの腹部に貼りつかせた。
「まだ直接患部を癒やすことはできないとはいえ、ペートがくっついているだけでも多少の効果はあるはずだ」
「ありがと、アーティットくんっ」
人間のときと変わらない、ほわほわした声があたりに響く。
「岩の雨が尽きるまでワタシがみんなを守るからね! 今は衝撃に押されて動けないけど、それ以外はだいじょうぶだからっ。アーティットくんとレックくんは無理をしないで休んでて」
「そうさせてもらうよ」
俺は答えながら、あぐらをかいて背中を丸めた。
クマリーは俺の右隣に浮き、鐘のイヤリングでルディに連絡する。
同時に俺も同じイヤリングを左耳に出し、ジョージャーン(จ)を表面に書いてテーラさんへと報告を入れる。
「もしもしテーラさん。わたしです、アーティットです。シアムはわたしたちの探った西側の穴の先にいました。彼女は俺たちを始末したと信じ、次は東側のテーラさんたちを襲うでしょう。その際、わたしたちもやられたことですが不意に天井を落盤させる作戦に出るはずです。おそらく事前に天井にヒビを入れておき、コピーした人面ムカデたちを岩盤の隙間に発生させることで一気に崩落させるという方法を使っています。会敵した場合はとくに頭上に注意しながら戦ってください。わたしたちは落盤をしのいだのちに引き返し、そちらと合流します」
それだけを伝え、鐘の舌を引っ張ってイヤリングを消した。
(こちらに通信手段があることをシアムは知らない。だから彼女は次の不意打ちも成功すると思い込むことになる。これもクマリーが最初にシアムと遭遇したときに安易に鐘を使わなかったおかげだな)
クマリーはルディとの連絡を終えたあと、ミーの腹にふにゃふにゃ声をかける。
「ミーさんっ、クマリーもお役に立ちますっ」
そう言って右人差し指を動かし、ミーの文字であるソースーア(ส)を何回も宙にしるす。
すると赤い光がミーのにび色の全身から淡く漏れ出た。
「コープクン、クマリーちゃんっ。内側から力があふれてくるよ~」
「マイペンライですっ」
胸を張り、クマリーが鼻孔から息を出す。
(覚醒を始めたウォーウェーン(ว)の力をさっそく活用しているな)
続いて俺は向かって左に立つレックを観察した。
レックはえび色の瞳を震わせながら、シーフーハーターの姿を現したミーのあごの後ろを見ている。
「クン・ミー」
ビブラートを利かせつつ、敬称に乗せてその名を呼んだ。
「やっぱり君が、あのときのシーフーハーターだったんだな」
鎖につながれたシーフーハーターの子どもがレックによって助けられたことについては、すでにミーとレック自身の口から聞いていたことだ。
ミーは腹部の毛皮を揺らして応ずる。
「あはは……ついにレックくんにバレちゃったか。今まで『もし嫌われたらどうしよう』って怖がってなかなか言えなかったけど、さっきはとっさに化けちゃった」
「オレチャンが君を嫌うなんて、ありえないことさ」
レックのギザギザしたえび色の髪がミーの腹部の毛を幾度もかすめる。
彼のチュニックは濁った赤茶色に染まっている。
そしてミーが問いを発する。
「……どうしてレックくんは前にワタシを山奥に置き去りにしたときに『気持ち悪い』って言ったの」
さらにレックの答えを待たず、冗談めかして言葉を継ぐ。
「今がレックくんと向かい合っている状態じゃなくてよかった。レックくん、今はワタシのお腹を見てるんだよね? おかげで四つの耳と五つの目を隠しながら話せる……」
「……ミー」
今度は敬称なしで名を口にした。
レックはシーフーハーターの子どもだった彼女の耳と目に対して「気持ち悪い」と言ったことを思い出しているのだろう。
「あのときは……心ないことを言って悪かった」
ミーの胸部を見上げる。
まるで心臓に直接話しかけているようだ。
「ごめん」
レックはそれ以上の言葉を費やさずに詫びた。
言い訳を重ねないレックに、ミーの声がかぶさる。
「知ってるよ……レックくんが『気持ち悪い』ってウソをついたことくらい。だからワタシは……君に助けられたあの日からずっとレックくんのこと大好きだよっ」
ついで核心を突く質問をする。
「子どもだったワタシと一緒に暮らすのをレックくんがやめたのは……なにか理由があったの?」
子犬のような大きさだったミーはレックに助けられてから一年ほどは彼と共にいた。
「もう同じ文字保有者の仲間になった今なら話せるんじゃないかなっ。当時は分からなかったけど、もしかしてレックくんの仕事が関係していたんじゃ……」
「……うん」
レックはうつむき、地面に横たえた突き棒を見下ろした。
「オレチャンは――オレは、それまで犯罪者を突き殺す自分しか知らなかったんだ。でもなんとなく君と暮らし始めてから……なぜかオレは殺し続ける生活に耐えられなくなってきた。オレが君に炭をあげるたび、君は体をすり寄せてきた。オレが家に帰ってくると飛びついてきた。君自身が生んだ金をオレに差し出そうともしてくれた」
「そうだねー。でもレックくんが、ワタシがあげた金を使わずに黙って山奥にうめていたことは知ってるよ。あれはワタシを守るためだったんだよね。レックくんがたくさんの金をばらまけばワタシのことがバレてまた金を生むシーフーハーターとしてねらわれるわけだから……」
「どう……だろうね。正直、最初オレが君を引き取ったのは気まぐれだった。だから名前もつけなかった。ただ少なくとも、君と一緒にいてオレの心に変化が訪れたのは事実さ。それで……このままだったら仕事に支障が出ると考えて一方的に君と別れようと思った」
顔をわずかに上げ、レックが後悔のさけびを押し殺す。
「本当に最低だ。結局オレも、君をいじめていた悪党となにも変わらないのかもしれない」
「……いや、それ本当に本心なの?」
ミーが少し身を下げて、レックに腹部を近づける。
「だってレックくんはもう『突き人』をやめたんだよね? もしさっきレックくんが言ったことが事実だとしたら……ワタシと別れたことで仕事にも支障をきたさずに済んで……もとの仕事をやめることになってないよね」
それを否定しないレックに、ミーが続ける。
「レックくんはやっぱりワタシを守るために山奥に置き去りにしたとしか考えられないよ。ワタシのことがバレたから逃がしたんだよね。でもワタシは君になついているから……レックくんは『気持ち悪い』とウソをついて引き離そうとしたんだ。じゃないとワタシが家に戻ってくると思って」
「なんでミーは……」
レックは「違う」と反論せず、彼女の言葉を受け入れた。
「オレを信じられるんだ」
「君がだれよりもまっすぐで優しいことをワタシが知っているからだよ」
穏やかにミーが返す。
「言い訳しようとしないのも、本当のことを言わないのも……レックくんが自分を責めているから。どんな理由があっても一方的に捨てたのは変わらないと考えているんだね」
「実際……そうだ」
レックが再びミーの心臓を見つめる。
「……オレは君を傷つけた。だから今さら、いい人ぶれない。これまでどおり突くことだけがオレの生き甲斐であり、生きる意味でないといけないんだ」
「そんなことないよ……」
落盤する岩の勢いもだいぶ減ってきたためか、ミーがさらに姿勢を崩して腹の毛皮でレックを撫する。
「レックくんは、すでに優しいレックくんだもん。ワタシと過ごしてくれたあのときからずっと同じ。みんなのために一生懸命突き棒を突き出す姿、とってもかっこいいよっ」
途中まではしんみりしていたものの、言葉の最後で声がはずんだ。
「だからワタシはこれからも、君と一緒に過ごしたい」
「……ミー。それは……」
「それとも、こんなに大きくなったワタシは好みじゃないかな?」
「そ、そんなこと……」
「なんてね! からかっただけだよっ。これであのときのことはチャラだね……!」
「そうか、ミー……君もあのころと同じで」
レックは涙目ながらもその表情をほころばせた。
「素敵なシーフーハーターだ」
「うんっ! ワタシ、いいシーフーハーターになったよねっ」
ミーが四肢を揺らして喜ぶ。
ここで天井からの落下が収まったので、俺は石炭の入った袋をレックの右手に渡した。
(……ミーは落盤を受けとめるので疲れている。すぐに動かすわけにはいかない。炭を食べて元気になってもらわないと)
俺は表向きの理由を心に並べた。
黙って俺に手を合わせたレックは、ミーの右手の後ろから回り込んでその正面に立った。
両手を袋の口に添え、それを差し出す。
身を躍らせ、ミーが袋に口をつける。
黒く、ところどころが赤い石炭を音を立てて含んでいく。
俺やクマリーからミーの表情は見えないが、レックのやわらかな笑顔を見るに、きっとミーの顔も喜びを浮かべていることだろう。
ほわほわした声が、あたたかく反響する。
「アロイ、アロイよお……っ。この石炭、今まで食べたなかで一番アロイ……っ」
まるで泣いているときのように、ときおり息を急に吸い込みながら言う。
レックのえび色の瞳にミーが鮮明に映り始める。
四つの耳と五つの目は、けっして醜くなかった。
自然の美しさと純然の愛らしさであふれている。
ミーが石炭を食べ終えたところでレックは袋を置いてより近づく。
それに応じてミーがさらに身を低くしてこうべを差し出す。
両手をそっと耳と目のそばにすべらせたレックを、ゆっくりミーは受け入れた。
次回「74.【ส】虎のソー・ミー【その4】」に続く!




