72.【ส】虎のソー・ミー【その2】
ミーの突進を受けた五メートの人面ムカデは丸めた体のなかにシアムを収めたまま真下へと急速に落下した。
穴の底に達すると共に赤黒い炎を全身に再度まとう。
ついで火の玉が四つに分裂し、東西南北の各方向に散って消えた。
すかさずミーは四つん這いで着地。
俺はテーラさんの皿を足場にして底に降下する。
炎の兵隊、空の兵隊そしてクマリーが俺のそばに浮く。
ここでクマリーは左の耳たぶを二度つまみ、鐘のイヤリングを出現させた。
表面にポープン(ผ)の字を書き、すぐにルディに報告する。
「ルディさんっ。シアムさんとコピー元っぽい人面ムカデが岩場の中央広場に大きな穴をあけてそのなかに逃げ込みました。しかも底には――」
プルーンのあかりを頼りにクマリーが周囲を見回す。
直径四十メートの円を囲む赤茶の岩壁――その東西南北それぞれに高さ五メートほどのだ円の穴があいている。
「穴が四つあります。そのなかのどこに逃げたかは分かりませんっ」
「ルディ、北と南の穴にミツバチを飛ばしてくれないか」
俺はクマリーのイヤリングに近寄り、言葉を挟んだ。
「現在即座にシアムを追えるのは俺も含めて七人。その七人で東西南北の四つの穴を探ることになるが、だれかを単独行動させないためにも四グループに分かれるのはさけたい。そこで今から俺たちは三人と四人に分かれて東西を調べる。南北は君がカバーしてくれ」
『すぐに向かわせるよ』
落ち着いたしっとりとした声音でルディは返答した。
『カヤンさんやセンセーにも知らせておく』
冷静に伝え、ルディは通信を切る。
直後、皿を足場にしたレック、トゥアム、ヒマ、テーラさんが穴の底に達した。
先ほどルディに伝達したことを俺は四人にも共有する。
それに対して四人は反論もなく首肯してくれた。
続いてハチミツでできたミツバチ二匹が地上から飛んできた。
ミツバチが一匹ずつ北と南の穴に入ったところで、俺たちは西と東の穴へと二手に分かれる。
西に向かうのは俺、レック、ミー、クマリー。
東を探るのはテーラさん、ヒマ、トゥアム。
トゥアムが唱える。
「タギアン」
すると彼女のオーバーオールの水平の切れ目から薄赤い袋が出てきた。
それが人の頭部と同等のサイズに膨らんだのち白く発光する。
(お互い、あかりの心配はないようだな)
俺はアーガートを出現させたまま、プルーンで西の穴を照らす。
そして駆け出した。
三つの呼吸音が離れていくと同時に、別の三つの呼吸音が俺のあとからついてくる。
* *
だ円形の横穴の壁と天井は固い赤茶でできていた。
ゆかも灰色ではなく同様の赤茶である。
穴の表面はゴツゴツしているので、転ばないよう走らなければならない。
温度はだいぶ低い。ときどき思い出したように身が震える。
湿った空気が鼻孔をくすぐってやまない。
俺たちはクマリー以外の足音を反響させながら横穴の奥に入り込んでいく。
今のところは一列縦隊を作って進む。
俺、クマリー、ミー、レックの順に並んでいる。
会話は交わしていない。
無駄な体力の消耗をさけるためだ。
そうすればシアムに必ず追いつける。
(シアムとコピー元の人面ムカデは火の玉のダミーを三方向に散らせた。では本体は東西南北のどこに逃げたか。……こちらが岩場の北側に穴を設けていることと、南側に本拠を構えていたことをシアムが了解しているとすれば、彼女が南北に逃げるとは考えにくい)
だから俺は東と西の穴に戦力を集中させた。
(この穴自体も大した長さを持っていないと思われる。もし地下道が遠くまで延びているとしたら、とっくにシアムはそこを抜けて逃げていたはずだ。ロップの「蓋」は地中に対しても有効なんだろうが、その蓋は凶暴な精霊にしか反応しないわけだから本当に逃げ道があればシアムが単独で逃げること自体は可能だっただろう)
しかし実際は地下にそんな脱出経路はないし、それを用意する時間もなかった。
そのためシアムは俺たちを待ち受けるしかなかったのだ。地下の空洞を使ってワナにかけるという不安定な作戦を採用せざるを得なかった。
(おそらくすでにシアムは地上からじかに脱出できるかどうかも試しているだろう。きのうの夜のうちに人面ムカデのコピーを使って探らせたんじゃないか? だが彼女らは戻ってこなかった。それでシアムは……白いもやの空間を囲んでいた「根っこ」を燃やしたことが実は無意味だったと気づいたはず。不用意に地上から脱走しようとすれば自分も同じように消されるかもしれないと警戒し、結局岩場からは動けなかった。よってとりあえずは自分を追い詰める者の始末を最優先に据えて行動するしかない……シアム側の思考の流れを推測するなら、まあこんなところか)
シアムは次の反撃のためにいったん逃げたわけだ。
ダミーの火の玉を出したのは敵から確実にのがれるためではなく、こちらの戦力を分散させるためである。素早く逃走しているのも、駆け足を強いて俺たちの体力を削るためだ。
走っているあいだに俺は、そのように思考を整理した。
横穴には分かれ道がなかった。
ひたすらまっすぐ延びていた。
だがしばらく進んだ先で、ようやく左へと直角に折れるポイントに差しかかる。
俺は左手でハンドサインを作り、後ろの三人にそれを知らせる。
左折したあとだ円の通路は途切れ、半球状の赤茶の空間が目の前に広がった。
その空間に俺たち四人が踏み込むと同時に――。
直上から、光と音をほとんど殺した赤黒い火の玉が落ちてきた。
目測したところその直径は十メート強である。
火の玉が俺たちを熱すると共に同じ方向からシアムの声が鳴り響いた。
「バカ正直に追ってくるとはまさにバー(バカ)ね。こうやって少人数に分断して確実に息の根をとめていけばあなたたちなんか怖くない」
赤い髪と黒い瞳を暗闇に溶かし、シアムが人面ムカデの背中で破顔する。
「だけど化け物相手にわたしは油断もしてやらないから」
一撃で満足せず、シアムが立て続けに真上から火の玉を投下する。
連投しているぶんそれぞれの炎の直径は五メートにも満たないがそれでも充分な威力を持つ。まわりの赤茶の壁が振動し、削り取られていく。
「骨まで炭にしてあげる!」
興奮したのか、シアムが金切り声を出した。
が、直後――。
「はい……?」
猛っていた声が弱まる。
冷静になり、彼女にも戦況がつかめてきたようだ。
直上から撃ち込まれたすべての炎は俺たちに届いていない。
コウモリの姿をした空の兵隊が丸い空気の層を作って俺たちを囲んでいたからだ。
赤黒い炎が球体の表面をすべるように受け流されていく。
「君には戦う意思が見えた」
わざと俺はシアムを「君」と呼び、精神に動揺を累積させる。
「だから自分の有利な場所で待ち構えて不意打ちしてくると踏んでいた」
「อย่าล้อเล่น(ふざけんなあ……っ!)」
シアムはわめき、さらに火の玉を乱打する。
しかしレックが両手に握った突き棒の臼の穂先を真上に向け、その場で跳躍する。
「トープトー……」
臼のかたちの先端と接触した炎がシアムめがけて返される。
「ティットガン!」
レックの詠唱が重なった。
すると突き棒の打撃が高速で連打を放ち、上から来る炎ことごとくを直上にはじき飛ばした。
彼と突き棒が無数の残像を作る。
そしてみずから出したリアルの炎が真下からシアムを襲う。
人面ムカデの胴体をまた丸めさせ、なんとかガードする。
もともと自分の炎には耐性があるようで、致命傷にはなっていない。
「あなたたちなんか炭に……炭になっちゃえばいいのに……!」
「――ワタシは炭は好きだけど」
さらに上からミーの声が落ちる。
「そういう炭は、まずいと思うよ」
岩壁を蹴り、ミーがシアムに両こぶしを食らわす体勢に入る。
「ロットドゥアンッ!」
「また体当たり? 同じ手は食わないって!」
シアムはムカデに命じ、その胴体を折り曲げさせてミーの前にバリケードを作らせる。
ついでミーの両こぶしがムカデの赤黒い胴体に当たった瞬間。
その姿が消えた。
次の刹那ミーは、守りの薄くなったシアムの真下に現れて背中にこぶしをたたき込んだ。
俺とレックを警戒し、しっぽ付近の胴体で最低限の盾を下に向けて構えていたシアムたちだったが、ミーのこぶしはその守りをやすやすと突破する。
「コートート(ごめんね!)」
子ども相手ということもあって、さすがに手加減したのかもしれない。
それでも衝撃をまともに受けたシアムと人面ムカデは大口をあけて天井へと吹っ飛ばされた。
岩が砕ける音にともない、赤茶の破片が落下する。
シアムの歯がみする音もそれに混ざる。
「これでもダメか……やっぱ、また逃げるしか……っ」
上から、岩を引っかく音がする。
俺からはほとんど視認できないが、人面ムカデがその多脚で天井にしがみつき、シアムと共に移動しているのだろう。
半球状の空間を駆け、俺たちはシアムを追う。
ミーも俺の右斜め後ろに落下し、追跡に加わる。
そして空間の中央をだいぶ過ぎたあたりで、天井の岩を引っかく音が突然引き返してきた。
「ヤバい……奥が行き止まりになっているのを忘れてた」
激しい呼吸を連続させつつシアムがそうつぶやくのが聞こえた。
続いて、天井をたたくドゴッ! という大きな音と衝撃が空間内を満たす。
真上の空気が圧迫されているような風を帯びる。
俺は気づいた。
「いったん退却だ! シアムは天井を落盤させる気でいる!」
「もう遅いっての!」
シアムがさけび返す。
ほぼ同時に、いびつな赤茶の巨大な岩たちが爆撃のように降ってきた。
「あなたたち、わたしをマイミーサモーン(能なし)とでも思っていたんだよね! だからそういう目に遭うんだよ!」
崩落する無限の物量はシアムの炎を背に受けて加速した。
遠ざかって見えなくなった空間の入り口へと引き返す俺たちのすぐ頭上に、空気を押しつぶしながら赤茶の岩盤が肉迫する。
そのとき、ミーの声があたりの空気をつんざいた。
「プレーントゥア!」
ミーの瞳からにび色が完全に抜け、代わりに緑の光をまばゆく放つ。
詠唱と共にミーの体が大きくなり、にび色の体毛が彼女の全身の皮膚に生じた。
二対の耳に似た髪は本物の耳のように変化し、ヘアバンドの緑の宝石三つが目玉よろしくギョロリと動いた。
次回「73.【ส】虎のソー・ミー【その3】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
タギアン(ตะเกียง)→ランタン
ローレン(ล้อเล่น)→ふざける
ティットガン(ติดกัน)→連続して
ロットドゥアン(รถด่วน)→急行列車
マイミーサモーン(ไม่มีสมอง)→能なし
プレーントゥア(แปลงตัว)→化ける




