表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/101

68.猿のロー(ล)【後編】

 高さ十メートを()す赤茶の岩壁(がんぺき)に両手両足を引っかけたヒマが、左右のおだんごから垂れる()(はな)色の毛先を()らしながらスイスイと上昇(じょうしょう)する。


 とはいえ敵地にあるので単独行動は(ひか)えるべきだ。

 ヒマもそれを分かっているので、(がけ)をのぼりつつ(した)(おれ)に目配せする。


 俺はミー、レック、テーラさんに声をかけた。


「ヒマになにか考えがあるらしいから俺もいったん崖をのぼる。彼女(かのじょ)の用が終わったら再度合流する」

「分かったよ、アーティットくん!」


 ほわほわした声で、真っ先にミーが返答した。


「このあたりの人面ムカデはもうほとんど全滅(ぜんめつ)したからワタシたちのことは心配しないでっ!」

「ああ。……じゃ、クマリー。一緒(いっしょ)にヒマについていこう」


 イノシシの姿をした陸の兵隊(タハーン・ボック)の群れを消し、俺は右横に()くクマリーに視線をやった。


 クマリーは力強(ちからづよ)くうなずく。

 岩壁のヒマに向かって体をさらに浮かし、高度を上げる。


 一方(いっぽう)俺は小鳥の炎の兵隊(タハーン・プルーン)を頭上に出したまま、(むらさき)のコウモリの姿をした空の兵隊(タハーン・アーガート)を呼び出す。


 アーガートは二対(につい)の羽を持つ。

 (おの)を持った俺の体を一対(いっつい)の羽でかかえ、もう一対の羽ではばたく。


 そうして俺も崖のそばを飛び、ヒマとクマリーに追いついた。

 俺たち三人(さんにん)(だま)って白いもやを()け、赤茶の岩の頂上に静かに立つ。


 ヒマがしゃがみ、岩壁の向こう(がわ)の通路を見下(みお)ろす。


「アーティット、クマリー。見て」


 そんな彼女の小声を受けて俺はヒマの右横に、クマリーはヒマの左横に移動して眼下をのぞいた。


 (はば)十二メート(きょう)の通路にはやはり白いもやが広がる。

 人面ムカデも確認できる。三メートのムカデたちが通路いっぱいに押し込められているだけでなく、(たが)いに重なり合い分厚(ぶあつ)いバリケードを構築している。


 もやがあるので判然(はんぜん)とはしないが、胴体(どうたい)を接地させた人面ムカデ一体(いったい)につき四体から五体のムカデが重なっているようだ。それぞれの顔の方向は一定(いってい)ではない。


 人面ムカデの体勢は鎌首(かまくび)をもたげた(へび)のそれに近いので、胴体同士を積んでできたバリケードの高さは六メート程度。


(シアムとコピー元の精霊(ピー)が新たにコピーを生み出し、通路をふさいだのか)


 もちろん岩壁の上を進めば無視は可能だが、シアムたちと交戦する前になるだけ(てき)(かず)を減らしておきたい。


(コピーも無限にできるわけがないからな)


 ここで一番(いちばん)上に重なった人面ムカデの一体(いったい)が俺たちに気づき、頭を前後左右に()った。


 紫色の液体を歯列から飛び散らせる。

 液体をかけられた個体たちが次々と俺たちに顔を向ける。大口(おおぐち)を開閉し、歯をガチガチさせながら赤茶の岩壁にすがりつく。


 対する俺はプルーンと共に攻撃(こうげき)をかけようとした。

 だがヒマの右腕(みぎうで)()がり、俺の動きを制止する。


「アーティット」


 今のヒマの声音からはウキウキした感じが()けている。


(てき)さんのねらいは足止(あしど)めじゃなくてヒマたち文字保有者の(ちから)消耗(しょうもう)させることにあると思うよ」


 菜の花色の(ひとみ)で流し目を送る。


「だからヒマに任せて」


 ついでヒマは岩壁をのぼってくる人面ムカデを見渡(みわた)した。

 頭部の左右のだんごをほどき、唱える。


「ドゥームティー」


 髪をほどいたことで、その毛先がふわりと彼女の背中や胸に垂れかかる。


 ヒマは髪と同じ色のヒモでだんごを作っていた。

 外した輪っか状のそれら二つを両手ではじき、人面ムカデの群れに飛ばす。


 輪っかは()びるように巨大化(きょだいか)し、直径十二メート以上の大きさになって眼下の人面ムカデすべてを取り囲んだ。


 白いもやのなかでも菜の花色の円周がはっきり()える。

 (ひと)つの輪っかは崖の上から、もう一つの輪っかは崖の下からムカデたちを囲む。


 輪っかによって形成された円柱の空間が菜の花色に光る。

 その光に人面ムカデたちが()()()()()()()()


 ……いや、消えたのではない。


 光に()けるように赤黒いムカデの胴体がしぼんでいく。

 一気(いっき)に細くなり、多脚(たきゃく)までもが失われる。


 ただし人面のほうに影響(えいきょう)はない。

 胴体の形状だけが変化(へんか)する。細くなった胴体がさらに縮み、人の内臓の姿をかたどり始める。


 首の下に食道と気管ができる。中間の部位がやや(ふく)らみ、肺と胃と心臓のかたちになる。先端(せんたん)に近い部分は折れてまとまり、小腸と大腸のような形状に収束した。


 バリケードを作っていた人面ムカデすべてが、その姿へと変形する。

 俺は息をのんで声を()らした。


「これは、グラスー……!」


 人面ムカデが、内臓をぶら下げて飛ぶ精霊(ピー)……「グラスー」に変わっていく。


(まさか人面ムカデの正体はンゴットガームと同じグラスーだったのか)


 目を丸くする俺にヒマが説明する。


「ヒマの『ドゥームティー』は範囲内(はんいない)の対象の『もともとの姿』を(あば)くものだからね。どうやら本当に人面ムカデはグラスーだったみたい」

「その(くち)ぶりからして」


 真面目(まじめ)な調子のヒマに、俺はそっと聞く。


「もしかして事前にやつらの正体に見当(けんとう)をつけていたのか」

「けさ、ンゴットとフアロがヒマに言ってくれたの。人面ムカデはグラスーの変異種(へんいしゅ)かもって」


 眼下の人面ムカデ……いやグラスーたちを見ながらヒマは続ける。


「首の(した)から長いものをぶら下げているところが似てるから、そう思ったってさ」


 どうやらンゴットガームはヒマに自分がグラスーであると()ち明けたわけではないらしい。


「もし正体がグラスーだったらローリン(ล)の(ちから)でもともとの姿を(あば)けるってことでヒマに(はな)したんだって。確証はないからみんなを混乱させないようそのことは(だま)ってたんだけどねー」


 ここで、ピーたちをつつんでいた光が弱まる。

 グラスーの姿をさらした()()()は、もはや俺たちを(おそ)おうとしなかった。


 大口(おおぐち)を閉じる。

 乱れた黒髪はそのままだが赤い目は次第(しだい)に黒を()び、目の前の宙に焦点(しょうてん)を定める。


 そして垂らした内臓と共に人面ごと白いもやに溶けていく。


* *


 結果、崖下の大量の人面ムカデがすべて消えた。


 菜の花色の輪っか(ふた)つが通常のサイズに戻り、ヒマの左手と右手に飛んでくる。

 ヒマは輪っかのヒモで、再び頭部の左右をおだんご状にまとめた。


 ウキウキした声で俺とクマリーを交互(こうご)に見る。


「ヒマ、(やく)に立ったよねっ」

「ああ。すごかった」


 俺は心の底からそう言うことしかできなかった。

 クマリーも(おと)なく拍手(はくしゅ)する。


「もとの姿も明らかにしてしまうなんて……感動しましたっ、ヒマさんっ!」

「敬語は()らないしヒマのことは『ちゃん』でいいよ、クマリー」


* *


 ともあれ俺たちはきびすを返し、ミー、レック、テーラさんのいる崖下のほうに戻る。


 再度合流して人面ムカデの正体がグラスーであることを鐘のイヤリングでほかの仲間とも共有したのち、ルディのミツバチの案内を(たよ)りに岩場の迷路を進む。


 先ほど人面ムカデたちがバリケードを作っていた場所も通過する。

 以降はほとんど会敵せずに進軍できた。


 ただし(かね)のイヤリングでセンセーやカヤンと連絡(れんらく)をとると、「援軍(えんぐん)が必要なほどではないが、こちらはまだまだ敵の数が多い」という言葉が返ってきた。


 そして俺たちは周囲に敵影(てきえい)がないことを確認し、いったん休憩(きゅうけい)する。


(動きっぱなしだと、かえって効率が落ちる。ロップの「(ふた)」とナーグルアが(ひか)えている以上、ここの中心にいるシアムと五メートの人面ムカデが岩場から()げようとしても無駄(むだ)だしな)


 俺は手持ちの斧を左手の平にしまい、アーガートも消した。

 一応(いちおう)、ホタルの光の姿をした斥候の兵隊(タハーン・ラート)を周辺に飛ばしておく。


 このタイミングでクマリーがヒマに近寄り、ふにゃふにゃ(ごえ)でいつものお願いをする。


「ヒマちゃんっ、休憩がてら文字をなぞらせて~」


 敬語でないクマリーは、どこか新鮮(しんせん)である。

 ヒマはウキウキしているような高い声と共にうなずく。


「当然大歓迎(だいかんげい)だっ。なぞってね~」


 立ったまま両手を使い、右脚(みぎあし)をおおう赤茶色のニーソックスを足首まで引き下ろす。


「クマリーっ、ヒマのローリン(ล)は右ひざの裏側……()()()()にあるよー」

「な、なんと……っ!」


 (おどろ)きつつクマリーがヒマの背後に回り、両ひざを立てて地面に(すわ)る。

 右ひざの裏側のくぼんだ部分すなわち「ひかがみ」に赤い(ローリン)の文字が()かび()がっている。


「じゃあヒマちゃん、いくよ~」


 (くだ)けた言葉を発し、クマリーが右人差し指をローリン(ล)に当てる。


 まず左下に時計回りで小さな丸を書く。

 次に丸の左側から線を少し持ち上げ、右に寄りつつ上に張り出す()をえがく。


 弧が右下に達したら今度は線をさらに持ち上げる。

 すでに書いた弧よりも上に来たタイミングで、左に寄せながらその上に弧を引く。


 そのあと左上のやや(した)の位置でとめる。

 ここまでソースーア(ส)の書き順と同一(どういつ)ではあるものの、ローリン(ล)の場合それ以上の線は()らない。


 ともかくローリン(ล)はこれで完成だ。


「ヒマちゃん、ありがと~」


 ひかがみから手を(はな)し、クマリーがヒマの正面に(まわ)って何度も宙にローリン(ล)を書く。


「ミーさんのソースーア(ส)のようにダイナミックで大胆(だいたん)な字だねっ!」


 ……このときレックのそばで休んでいたミーが袋をかかえたまま笑顔(えがお)()り向いた。

 しかし今のミーの位置はクマリーの真後ろだったので、当のクマリーは気づいていない。


「それでいて、なんか()()()()かたちだよ~。クマリー、ヒマちゃんのローリン(ล)も大好(だいす)きっ」

「ありがとね、クマリー!」


 右のニーソックスを両手で引き上げ、ヒマが微笑(びしょう)する。


「……そういえばクマリーはエーンさんのロージュラー(ฬ)も知ってるんだよね。ロージュラーとヒマのローリン(ล)は同じ(おと)だから間違(まちが)えないでね~」

「うんっ」


 浮き上がってヒマと目線の高さを合わせ、クマリーがうれしげにうなずいた。


「安心感のあるエーンお姉さんと天真爛漫(てんしんらんまん)なヒマちゃんだから、それぞれ違う字に選ばれたんだねっ」

「天真爛漫かあ? そう()えた?」


 ヒマがちょっと気まずそうに返した。


「実は……本当のヒマはとっても自信がなくて引っ込み思案(じあん)なんだ」


 静かに、しっかりと言葉を()いでいく。


「正直なところこの作戦に参加したのも、さみしかったから。スーンさんとリアンゲさんがあんなことになっちゃって……平気でいられるわけないよ」


 やや泣きそうな声になる。


「だからみんなのそばにいたかった。必要とされたかった。でも、いつまでもウジウジしていたくないじゃんっ? だからヒマは明るいフリしてるんだよー」

「ヒマちゃん……」


 クマリーが前に出て、ヒマの両手に自分の両手を重ねる。


「聞かせてくれてありがとう……。今のを聞いて、クマリーはもっとヒマちゃんのことが好きになったし、ヒマちゃんのことをますます尊敬するっ」

「……『ウソつきだ』って言わないの?」


「自分の目指す自分になりたいと思うのは、絶対にウソじゃない。本当の気持ちだよっ」

「そっか……しみるなあ」


 ヒマは歯を見せて笑い、クマリーの手を(にぎ)り返した。


「ありがと、クマリーちゃん! ヒマと友達になろっ」

「もう友達だよ~、ヒマちゃんっ」


 (やさ)しいふにゃふにゃ声でクマリーはヒマに(こた)えた。

 ついでヒマがハッと(くち)をひらく。


「あ、忘れちゃってた! ヒマ、クマリーにちゃんとあいさつしてなかったよね? だから文字保有者としての名乗り名乗りっ」


 右のひかがみを右手の平でたたきつつ言う。


「【ล】ローリン・ヒマ、つかさどる字は(さる)のロー。自己紹介(しょうかい)(おそ)くなったけど、その前に仲よくなるのもアリだよね~」

「そうだねっ。だったらクマリーもあらためて……クマリーだよっ」


 自分のことを紹介し合ったヒマとクマリーは、顔を赤らめながら(たが)いにほほえみを返した。



 そして――。

 ここで俺たちのまわりに異変が起こる。


 あたりに広がっていた白いもやが(うす)まり、晴れていったのだ。

 灰色の地面も赤茶の岩壁もくっきり視界に映り始める。


 上空の太陽も()えるようになり、空気の温度が少しずつ()がっていく。


(……なんでいきなり。なにが起こった?)


 さらにミーがさけんだ。


「ほわわっ! (ふくろ)が!」


 見るとミーの両腕(りょううで)にかかえられた薄茶色(うすちゃいろ)の大きな袋が収縮と膨張(ぼうちょう)を反復させながら、白いヒモをつけた(くち)から周囲のもやを吸い込んでいた。


(ミー自身の仕業(しわざ)じゃないな。待てよ……そういえばミーにこの袋を(わた)したプラトゥが言ってたな……「その袋は『袋ちゃん』の袋」だと)


 その「袋ちゃん」とは「トートゥン(ถ)」の文字保有者のことである。


 じきに薄茶の袋はもやを吸うのをやめ、その(くち)のなかから吐息(といき)のような(おと)を出した。


「ふへ~っ」


 ()もったような少女の声が、ミーのかかえる袋から響いた。

次回「69.袋のトー(ถ)【前編】」に続く!


ล←これが「ローリン」の文字。意味は「猿」のロー……ソースーア(ส)とは異なり右上に斜めの線をつけないところがポイントですね~。


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

リン(ลิง)→さる

ドゥームティー(เดิมที)→もともと

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ