67.猿のロー(ล)【前編】
作戦の最終確認をしたあと敵の炎によって遠くから攻撃された俺たちだったが、テーラさんのおかげで全員が無事に危機を脱した。
直径三メートの白い皿に乗った状態で俺とクマリーとレックとテーラさんが白いもやを裂きながら、人面ムカデたちのいる岩場めがけて宙を飛ぶ。
(サラサルアイやレックの突き棒のときと同じで風圧の影響はほとんどないな)
現在、俺の右前には突き棒を構えたレックが立つ。
右横にはクマリーが浮き、右後ろではテーラさんがあぐらをかいている。
俺は左右のもやに視線を走らせた。
「……テーラさん。ほかのみんなも敵の本拠地に向かっているんですよね」
「もちろんさあ、【ท】トータハーン・アーティット」
ねっとりとした声を出しつつ、テーラさんがくろがね色の瞳をけいれんさせた。
「ぼくは赤黒い炎が直撃する瞬間、三つの皿にみんなを盛りつけたからねえ~。西から岩場を襲う【ส】ソースーア・ミー、【ฝ】フォーファー・ヤーンロップ、【ฟ】フォーファン・センセー、【ล】ローリン・ヒマを載せた皿は左に飛ばしてえ~。東より岩場を攻める【ฒ】トープータオ・カヤン、【ฌ】チョーガチュー・ンゴットガーム、【ฆ】コーラカン・チュアモーンを置いた皿は右に投げたのさあ~」
ついで両手を胸の前で交差させる。
「二つの皿は弧をえがきい~、それぞれ岩場の西口と東口に間もなく到達するんだよお。今はもやで見えないけどねえ」
「そしてわたしたちの乗っているこの皿は」
俺はなんとなく言葉づかいに気をつけながらテーラさんと話す。
「――まっすぐ飛んで岩場の南口にもうすぐ達するわけですね」
「ま~ね~。これで最低限の仕事はしたし、十万バーツは確約されたも同然かなあ」
両腕を引き戻し、自身の白いマフラーを巻きなおす。
「でもなんで敵はこっちの居場所へと正確無比に炎を撃ち込むことができたんだろうねえ~」
「それは――」
前方を見据えたままレックが口をひらき、ややビブラートの利いた声を響かせる。
「シアムがきのうの時点でオレチャンたちの居場所を特定していたからだろうな。昨夜センセーは十体の人面ムカデを捕らえたそうじゃないか」
周囲に合わせて色を変える彼のチュニックはすでに白く染まっている。
「おそらくシアムはここら一帯に人面ムカデを大量に放ってオレチャンたちの拠点を探っていたんだよ。ただし夜は炎が目立つから早朝を待って火球を飛ばした――そんなところじゃないかな、クン・テーラ」
「納得したよお、【ฏ】ト~パタック・レック~」
マフラーをはたき、テーラさんがうなずく。
「さてそろそろお、ぼくたちの皿は岩場に着くよう」
「そうみたいだねーっと」
レックが突き棒の柄を右手で回転させる。
同時に、再び前方から赤黒い炎が飛んできた。
仰角六十度の方向からふってくる。火の玉の直径は五メート以上ある。
柄の回転をとめたレックは、臼型の穂先を持ち上げた。
皿を蹴って跳躍し、炎よりも上に出る。
「トープトー」
詠唱と共に、臼のかたちをした先端を斜め下に突き出す。
すると赤黒い炎のかたまりがまるごとはじかれ、その方向に飛んだ。
数秒後、地面が揺れる。
ねばりけを持つ灰色の土と赤茶の砂が斜め下から噴き上げる。
眼下をのぞくと白いもやの先に赤茶の岩が見えた。
俺は右隣のクマリーに視線を向ける。
「今から敵の本拠に突入する。すでに確認したとおり標的は人面ムカデのコピー元。……クマリー、怖いなら俺のへそにいてもいい」
「いえ、クマリーは……引っ込みません!」
ふにゃふにゃ声を引き締め、彼女が答えた。
「今は連絡係としてお役に立ちますっ」
「それは助かるよ」
本心を俺は口にした。
さっそくクマリーが鐘のイヤリングを右耳に出す。ルディ、カヤン、センセーへと順に伝える。
「こちらクマリー。クマリーたちは今、岩場に着きました。これから交戦しますっ」
「よ~し」
ここでテーラさんがあぐらをやめ、立ち上がる。
「なんなら迷路みたいになっている岩場の上をこのまま飛んで中央のボスへと即座に襲撃をかけちゃうのもいいかもねえ。……って、おややあ~」
セリフの途中で足場の皿の動きがとまった。
皿が向かって左にかたむく。
左下を見ると、三メートの人面ムカデたちが互いに赤黒い胴体をからみ合わせ、長いはしごを作っていた。
連結された体が地上から皿の底へと届く。
俺たちが反撃する前に頂上の人面ムカデが皿を噛む。
大きな乱杭歯を食い込ませ、皿を引き戻そうとする。
「タハーン・プルーン。焼きつくせ」
俺の呼びかけに応じ、小鳥の姿をした炎の兵隊が現れた。
プルーンがはしごの頂上の人面ムカデに突っ込む。
そのムカデはすぐに燃えた。紫の液体をまき散らし、白いもやに溶けていく。
さらにテーラさんが左の手刀を振り下ろし、人面ムカデに噛まれた皿の一部を切り落とした。
だが次の刹那、皿の中央を突き破る鋭いものが現れる。
人面ムカデの二列の乱杭歯が皿の底から上へと貫通したのだ。
真下の歯に固定された皿が有無を言わさず引っ張られる。
(さっき左に現れたほうはおとりだったのか……!)
一気に地上に下ろされたのち、足場の皿が砕け散る。
皿の破片の下には、大口をひらいた人面ムカデたちがうごめいていた。足の踏み場もない。
皿が落とされたことをルディに伝えるクマリーを右目で捉えつつ、俺は唱える。
「ゲーンタハーン・クワーン」
左手の平のトータハーン(ท)を赤く光らせ、なかから斧を引っ張り出す。
続いて足もとに斧を投げる。
斧は螺旋をえがきながら近くの人面ムカデたちを払った。
俺は灰色の地面に着地し、斧を再び持つ。
「タハーンボック、ムーパー・ピアック」
緑色のイノシシの精霊が出現し、それが小さなイノシシに分裂する。
「散れ。そして転ばせろ」
命令と同時に小さな陸の兵隊の群れが、周囲にひしめく人面ムカデへと一斉に襲いかかった。
三メートの人面ムカデたちは胴体の後ろ側を地面につけているが、その接地している部分にボックの群れは突撃する。
バランスを失った人面ムカデたちは転び、互いに体を押し付け合う。
俺は両手で斧を構え、敵の胴体を切り落としていく。
右斜め上から左斜め下へと刃を振ったあと、向きを変えて今度は左斜め上から右斜め下へと斧を動かして完全に切断する。
胴体は五十センティほどの太さではあるものの、今の斧にはプルーンを取りつかせている。
斧は赤く燃え、熱風をまとう。
この熱風の圧力により、擬似的に斧の刃を延長しているわけだ。
レックも着地し、転んだ人面ムカデに突き棒のひし形の穂先を当てる。
先端が貫通すると共に、次から次へと敵が雲散霧消していく。
テーラさんも白い皿を手もとにいくつも出現させ、それらを投てきする。
「ル~アイウォン」
三十センティほどの皿が車輪のように回転し、人面ムカデたちを刻み続ける。
そうして周囲の人面ムカデたちが消滅していき、徐々にまばらになる。
このタイミングでクマリーの鐘のイヤリングから、しっとりとしたルディの声が聞こえた。
『……たった今、カヤンさんたちもセンセーたちもそれぞれ岩場に到着した。そしてセンセーたちは二手に分かれたようだから、まずはそちらと合流するのがいいと思う』
「分かった」
そんなルディの声に俺たちは従い、西のほうに足を向ける。
白いもやが広がっているため方角は分かりにくいが、ハチミツでできたルディのミツバチが飛んできて俺たちを案内してくれた。
俺は先頭で斧を振りつつ、ボックの群れと共に突き進む。
今のところ足もとは灰色の地面。北と南に十メートを超す赤茶の岩が壁のように立ちふさがっている。
岩に挟まれた通路の幅は安定しない。
二十メート以上のところもあれば、一メート以下の場所もある。
まばらになったとはいえ人面ムカデは間断なく現れ、俺たちを押さえ込もうとする。
だが俺もレックもテーラさんも、進路をふさぐ敵をその都度撃退する。
クマリーがルディたちとこまめに連絡をとってくれるため、孤軍奮闘しているような不安もない。
ミツバチについていき、直径二メート弱の穴をくぐったところで右前方の岩壁のそばに味方の姿が映った。
二対の耳に似たにび色の髪と左右におだんごを作った菜の花色の髪がもやの向こうで揺れる。
ミーとヒマだ。
すでに情報共有していることだが、二人は岩場の西口に着いたあとセンセーおよびロップとは別行動をとっているらしい。
現在ミーとヒマは岩壁の近くで人面ムカデたちと交戦している。
ミーは手持ちの袋を地面に置き、電光のごとく素早く動く。
ジグザグに突進し、ムカデたちを白いもやへと返していく。
ヒマはまるで本物の猿のように身軽に跳躍し、人面ムカデの背中や頭を踏みながら敵を翻弄する。
「テンラムっ!」
ウキウキしているような高い声でそう唱え、リズミカルに人面ムカデたちに平手打ちを食らわせる。
……ミーが五匹の人面ムカデを退治しているあいだにヒマはその五倍の数の人面ムカデをしとめていた。
(速さや単純な威力ならミーのほうが上だけど、ヒマの動きには無駄がまったく見られない。ムカデたちを足場にしながら足裏で攻撃をたたき込み、移動の勢いを殺さずにその衝撃を百パーセント平手打ちに流し込んでいる)
結局、助けに入る隙もなくミーとヒマは自分たちだけで近くの人面ムカデをしりぞけた。
袋を拾うミーにレックが駆け寄る。
一方、ヒマは俺に飛びついてきた。
「アーティット~! ヒマ、バナナほしい~っ!」
「いいけど……」
俺は全長一メートのワニのグラジョームを呼び出す。
口内に手を突っ込んでバナナを右手に取り、ヒマに渡した。
やはりヒマは、皮ごとそれを噛みちぎった。
「しみるなーっ! ありがと、これで回復したっ!」
そのセリフが終わる前にバナナを皮ごとすべて飲み込み、ヒマが地を蹴る。
俺の顔面近くにつま先を近づけたのち、右足で弧をえがく。
湾曲する軌跡を引いて、ヒマの小さな黒靴が人面ムカデのあごにヒットする。
この人面ムカデは背後から俺を噛もうとしていたやつだ。
だがヒマの蹴りを食らったことで、あっさり顔面は紫の液体を散らして霧散した。
すぐにヒマは俺の頭に両ひざを載せて飛び、胴体のそばに着地する。
右で平手打ちを撃ち込み、完全に消滅させた。
俺はグラジョームを消し、礼を言った。
「ありがとう、ヒマ」
「なに言っちゃってんのかなー」
ヒマが菜の花色の瞳を細め、口角を上げた。
右手を平手打ちのかたちにしたまま口に近づける。
「本当は敵にも気づいていて、自分だけでなんとかできたクセに~」
「ああ。だけど自力でどうにかできることだとしても、助けられたらうれしいと思う」
俺は斧を投げ、ヒマに近づく新たな人面ムカデの顔を吹き飛ばした。
「それには掛け値なしでバナナ一本以上のありがたみがある」
「やったあ~っ! それってすっごく価値あるじゃん!」
ヒマはウキウキした声と共に跳ね、そばにある赤茶の岩壁に取りついた。
「じゃ、もっと助けてあげよっか。今度はヒマにしかできないことでね」
次回「68.猿のロー(ล)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
トープトー(ตอบโต้)→やり返す
ルアイ(เลื่อย)→ノコギリ
ウォン(วง)→円
テンラム(เต้นรำ)→踊る




