↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
68/205

65.皿のジョー(จ)【前編】

 ついに人面ムカデとの決戦の日が来た。

 だが部屋のベッドで目を覚ました俺の腹に少女が一人(ひとり)乗っていた。


 座(すわ)ってすらいない。両の足裏を俺の腹部に置いているのだ。

 ただし、重さはほとんど感じない。


 赤茶色のニーソックスで小さな足とひざをつつんでいる。

 短い灰色のプリーツスカートの下(した)には同色のホットパンツが見(み)える。それらは別々のボトムスではなく、最初からホットパンツのまわりにスカートを縫(ぬ)いつけてあるようだ。


 長袖(ながそで)のトップスはボトムスよりも少し濃(こ)いめの灰色。

 左右の袖口(そでぐち)が親指の付け根にまで達している。


 手は後ろに回しており、しかも全身が後方にかたむいている。

 五度ほどひらいた両脚(りょうあし)の隙間(すきま)から指が見える。


 大部分(だいぶぶん)がスカートに隠(かく)れているため、中指の腹がちらりとのぞく程度だ。


 顔は小さく、角張(かくば)ったところがない。

 菜(な)の花(はな)色の瞳(ひとみ)をきらめかせ、俺を見下(みお)ろしている。


 同じく菜の花色の髪(かみ)を左右の側頭部の上方(じょうほう)でおだんご状にまとめ、その毛先を肩(かた)に向かって垂らしている。


 そんな少女が足の指を俺の腹部で小刻みに動かす。

 ウキウキしているような高い声で再び言う。


「バナナー、バナナー!」

「分かったから……ヒマ、下(お)りてくれ」


 俺は菜の花色の髪を持つ少女――ヒマにベッド横に移動してもらってから、天幕(タハーン・)の兵隊(グラジョーム)をベッドの上に呼んだ。


 うっすらとした輪郭(りんかく)が宙に浮(う)かんだあと、色が塗(ぬ)られるように全体が一瞬(いっしゅん)でかたどられる。


 灰色のワニの姿をした精霊(ピー)が現れる。

 しかし室内で呼び出すにあたって、ちょっと小さくなってもらった。


 今のグラジョームは全長一(いち)メートほどである。

 ヒマが跳(は)ねながら手をたたく。


「抱(だ)き枕(まくら)みたいでかわいいっ! このワニさんのおなかのなかにバナナの入(はい)った氷室(ひむろ)があるんだよね~。よこせー!」


 右手を伸(の)ばし、グラジョームの口(くち)に突(つ)っ込(こ)む。

 だがグラジョームの上下(じょうげ)のあごが合わさり、ヒマの右腕(みぎうで)をがっちり捕(と)らえた。


「わああ抜(ぬ)けない突っ込めない!」

「いきなり腹をまさぐられてび(・)っ(・)く(・)り(・)したんだよ」


 ゆかにひざをついてジタバタするヒマを見ながら俺は伝えた。

 ヒマは菜の花色の瞳を丸くして悪(わる)びれる。


「そうだったの! ごめんなさい!」

「……グラジョーム」


 俺が命じると、ワニのかたちの口(くち)がそっとひらいた。

 今のグラジョームは通常よりも小型であり、歯も鋭(するど)くないのでヒマにケガはない。


 代わりに俺が右手を入(い)れる。

 なかから冷たいバナナを二本(にほん)取り出し、片方(かたほう)をヒマに渡(わた)す。


 皮を三(みっ)つに裂(さ)き、俺は俺のバナナをくわえた。

 一方、ヒマは皮をむかず皮ごと中身を噛(か)みちぎった。


「ありがとね、アーティット!」


 黄色い皮を平然とそしゃくしながらヒマがベッドに腰(こし)を下ろす。


「やっぱりアーティットの持っているバナナは太くて濃厚(のうこう)でとろけるようで……クセになるっ! 皮もぷりぷりでアロイ!」


 足を振(ふ)り、俺に右目を近づける。


「ねえねえ、お礼としてヒマがな(・)に(・)か(・)してあげよっか?」

「気持ちだけでいいよ」


 俺は俺のバナナを味わいつつ答えた。


「同じバナナ信者として、バナナを分け合うのは当然のことだ」

「信者の鑑(かがみ)じゃん!」


 白い中身のないバナナの細い部分まで食べたあと、ヒマは立ち上(あ)がった。


「よっし、おかげでヒマも元気になった! 今なら任務もコーングルアイグルアイ(朝飯前)だっ! じゃあま(・)た(・)あとでね、アーティット!」


 ウキウキした声と共に右腕(みぎうで)を上げ、ヒマが俺の個室から出ていく。

 彼女(かのじょ)は扉(とびら)を静かにあけてすぐ閉めた。



 その後(ご)、へそから這(は)い出てきたクマリーにも俺はバナナを渡した。

 しかしクマリーはベッドに腰かける俺のひざに乗ったあと、バナナの皮をむきながら鼻をひくつかせる。


「むむ……っ! なんか別のあまい残り香(が)がします……っ」

「さっきヒマが来て、バナナを要求されたからな」


 俺は隠(かく)さず答えた。


「人面ムカデとの決戦を控(ひか)えたき(・)ょ(・)う(・)になって駆(か)けつけてくれたらしい。ヒマはローリン(ล)……『猿(さる)のロー』の文字保有者。彼女はバナナが好きなんだ」

「それは仲よくなれそうですね~」


 クマリーは垂れ目を細め、バナナをゆっくり口(くち)に含(ふく)んだ。


* *


 そしてクマリーがバナナを全部飲(の)み込(こ)んだタイミングで俺はグラジョームを消した。

 灰色がすうっとか(・)す(・)れ(・)、ベッドに同化するようにワニの姿が見(み)えなくなる。


 ここで俺たちのいる個室の扉がノックされる。

 俺が「入(はい)っていいよ」と返すと、扉があいた。


 ヒマが戻(もど)ってきたのではない。

 現れたのは、くろがね色の髪と瞳を持つ人物である。


 十代後半から二十代前半の顔つきの男性だ。

 髪は左右に広がっており、肩の先にも毛先が揺(ゆ)れる。

 目は三白眼(さんぱくがん)で、くろがね色の瞳自体は小さい。


 首に巻いた白いマフラーにあごが隠れている。

 マフラーの余った部分を胸の前面から腹部に向かって垂らしている。


 細身の体をつつむのは、黒い長袖の上着に薄青(うすあお)い胴衣(どうい)。

 上着の背面は二(ふた)つに分かれ、臀部(でんぶ)に届く。


 ズボンも上着と同じ黒。銀色の太いベルトを腰に巻いている。

 室内なので今は靴(くつ)をはいていない。白い靴下(くつした)がつま先から足首までをおおっている状態だ。


 彼(かれ)は後ろ手に扉を閉めた。

 ベッドから立ち上(あ)がろうとする俺を制止し、手を合わせてねっとりとした声を出す。


「【จ】ジョージャーン・テーラ、つかさどる字は皿のジョー。こうしてまともに会話するのは初めてだったねえ~、トータハーン・アーティット……ウォーウェーン・クマリー」

「こ、これはどうも。テーラさん」


 俺も手を合わせ、反射的にあいさつを返す。


「わたしは【ท】トータハーン・アーティットと申します」

「クマリーはクマリー……いえ、【ว】ウォーウェーン・クマリーですっ」


 クマリーも俺と同じように、くろがね色の髪の男性……テーラさんにあいさつした。

 テーラさんは軽く笑いながらゆかに座ってあぐらをかいた。


「先に名前を呼んだぼ(・)く(・)に対し、なんとも丁寧(ていねい)なことだねえ~」


 現在、テーラさんはベッドに腰かける俺……そしてそのひざに乗ったクマリーと向かい合っている。


「ぼくも今さらになってトープータオ・カヤンの作戦に参加させてもらうんだあ。十万バーツがほしいからねえ~。ちゃんと働けば今からでもも(・)ら(・)え(・)る(・)って話だしい」


 テーラさんは垂らしたマフラーを右手でいじりながら続ける。


「で、ぼくはさっきローリン・ヒマと共に来たってわけでえ、一人(ひとり)一人にあいさつして回(まわ)ってるんだよお。そして朝ごはんも提供してるんだあ~。……ポ~チャナ~」


 ねっとりとした詠唱(えいしょう)が室内に響(ひび)く。

 テーラさんは右手と左手を真横に出し、それを天井(てんじょう)に向けた。


 するとそれぞれの手の上に丸い白線が淡(あわ)く浮(う)かび上(あ)がった。

 右手の円が時計回りに、左手の円が反時計回りに回転する。


 円はすぐに白い色を持ち、皿のかたちになった。直径は十五センティほどだ。

 じきに回転がとまり、テーラさんの両手に扁平(へんぺい)な皿が落ちる。


 テーラさんはうなずき、右手の皿をクマリーに、左手の皿を俺に差し出した。


「どうぞお、召(め)し上(あ)がれえ」

「ありがとうございます。いただきます」


 俺はもらったものを両手に持ち、じっと見つめた。


「……これ、皿ですよね」

「見てのとおりねえ~。美しいでしょお」


「はい。でも皿は食べられないのでは?」

「ぼくの皿は食べられるんだよお~。ウォーウェーン・クマリーを見習いたまえよう」


 ねっとり返答し、テーラさんがあごをクマリーに向ける。

 見ると、クマリーがは(・)し(・)っ(・)こ(・)をかじってもぐもぐ皿を食べている。


「お兄さんっ! テーラさんのお皿、とってもおいしいですよっ!」

「え、そうなのか……?」


 おそるおそる俺は皿に歯を立てた。

 その途端(とたん)、なぜかコメをそしゃくしている気分になった。噛(か)めば噛むほどうま味(み)が出る。


「な……なんだ、この皿」


 さらに食べ進めると、なぜか塩漬(しおづ)けの肉を食べているイメージが頭のなかに去来(きょらい)した。


「信じられない……」


 さらにさらに皿をかじって飲み込むと、みずみずしいトマトやキュウリを食べている感覚におちいった。

 最後には固形物を噛んでいるはずなのにスープを飲んでいるかのような錯覚(さっかく)が生じた。


「テーラさん……おいしかったです」


 俺もクマリーも皿をすべて平(たい)らげて満足してしまった。

 派手(はで)に噛んだような気もするが、皿のく(・)ず(・)はどこにも落ちていない。手もよごれていない。


 テーラさんは三白眼の下(した)にあるまぶたを愉快(ゆかい)そうに持ち上げる。


「ありがとお~。ジョージャーン(จ)の『皿』は相手の望む食べ物をその胃に送り込むのさあ。安全だし栄養もたっぷりだから安心したまえよう。そしてウォーウェーン・クマリ~」


 あぐらをかいたまま、テーラさんがクマリーに接近して左手を差し出す。


「ウォーウェーン・クマリーが覚醒(かくせい)するには文字をなぞることが有効かもしれないらしいねえ。というわけで、ぼくのジョージャーン(จ)も食べなよお~」


 その手の平には赤くจ(ジョージャーン)の文字が浮かび上がっている。

 ただし俺のトータハーン(ท)とは向きが逆である。手を立てたとき、字が逆さまになるような刻み方だ。


 とはいえ真正面(ましょうめん)のクマリーに対して手の平を水平に差し出した場合、当のクマリーからはちょうど逆ではない向きの文字が見(み)えるわけだ。


 クマリーは右人差し指でテーラさんの左手の平にふれる。


「では一気(いっき)にいきます……っ」


 まず真ん中あたりで時計回りの丸を書く。

 次に丸の右横から右斜(なな)め下へと線を引っ張る。


 右下に来たら線を持ち上げる。

 全体の上側に達したところで上に張り出す弧(こ)をえがきつつ、左に寄る。


 全体の左上よりも少し低い位置に着いたらそこで線をとめる。


 これでジョージャーン(จ)の文字は完成だ。


「決戦前に……ありがとうございます! テーラさんっ」


 クマリーがジョージャーン(จ)を宙の水平面に何回も書く。


「真ん中の丸を起点にしていったん右下に行(い)き、そこで今度は大きく左上へと向かうところが……壮大(そうだい)です! とってもロマンのある字ですっ!」

「いい反応だねえ、ウォ~ウェ~ン・クマリ~」


 さらに声をねっとりさせて、テーラさんが上体を揺(ゆ)する。


「同じものを吸収するにしても、受け取る本人次第(しだい)でそれはおいしくもまずくもなる。ウォーウェーン・クマリーは文字という情報を自分のなかにきれいに盛(も)りつけたみたいだねえ~」


 そしてテーラさんが右ひざを立て、右手の平をその上に載(の)せる。


「じゃ、二人(ふたり)ともそろそろ行(い)こうかあ。十万バーツをもらいにさあ~」

次回「66.皿のジョー(จ)【後編】」に続く!


จ←これが「ジョージャーン」の文字。意味は「皿のジョー」……トータオ(ต)やソーサーラー(ศ)とは異なり、丸を書いたあとは左下ではなく右下へと線を引っ張るのがポイントですね~。


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

テーラ(แต่ละ)→それぞれの

ジャーン(จาน)→皿(さら)

コーングルアイグルアイ(ของกล้วยๆ)→たやすい

ポーチャナー(โภชนา)→食べ物

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。