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209.金色の日々(ทุกวันทอง)【中編】

 講和(こうわ)条約あるいは友好条約の概要(がいよう)を聞いたあと、俺(おれ)は外(そと)に出てグレープ国を歩いて回った。


 王国の小さな首都には、まだひ(・)と(・)け(・)がない。

 パイロに預けていたクマリーと合流する。


「あっ、お兄さん! おつかれさまですっ」

「アーティット。一緒(いっしょ)に歩かないか」


 そんなパイロのさそいの言葉に俺はうなずいた。

 閑散(かんさん)とした住宅地を抜(ぬ)け、田んぼのほうへ足を向ける。


 相変わらず、金色(きんいろ)の穂波(ほなみ)が日の光を受けている。

 あたりはまばゆい色に染まり、そよそよと風(かぜ)に揺(ゆ)れていた。


「きれいですね~」

「守れてよかったな」

「あしたあたりから稲刈(いねか)りが始まるだろう」


 クマリーと俺とパイロが順に言葉を漏(も)らした。

 俺はパイロの真鍮色(しんちゅういろ)の瞳(ひとみ)を見つめる。


「チーネさんは?」

「トゥアムの育児嚢(いくじのう)から出たあとも、まだ拘束(こうそく)されている」


 パイロはチーネさんを気にかけているらしく、俺が王や宰相(さいしょう)と同席しているあいだも、彼女(かのじょ)の様子を確認しに行(い)っていたようだ。


「勝手に帝国軍(ていこくぐん)を掌握(しょうあく)した罪により、グレープ国から帝国へと身柄(みがら)が移されるそうだ。私(わたし)はチーネについていく」

「ならチーネさんも安心だろう」

「……浮気(うわき)じゃないからな」

「なんの話だ……」


 さらに進むと、にぎやかな声が聞こえてきた。

 小屋の近くに集まって、グレープ国兵が捕虜(ほりょ)の帝国兵になにかを振(ふ)る舞(ま)っている。


 クマリーが後ろから俺の肩(かた)を揉(も)んでくる。


「みんなでわいわい楽(たの)しそうですね~。なんかもぐもぐしてますよっ」

「本当だ。なにを食べているんだ」


 武装(ぶそう)を解除した兵隊たちの手には、コメを三角(さんかく)や丸にまとめたものが握(にぎ)られていた。


「あれは『カーオパン』か」

「スープパンさんの親戚(しんせき)ですか」

「カーオパンというのは、コメを持ち運びやすく食べやすいサイズにした『おにぎり』だよ」


「とてもいい雰囲気(ふんいき)だな」


 パイロのその言葉どおり、グレープ国兵は穏(おだ)やかな顔でカーオパンを作り、それを帝国兵に差し出している。


 帝国兵もはにかみながらカーオパンを受け取る。

 懐(ふところ)から小(こ)ビンを出してそれをかたむけた。


 どうやら、帝国産の塩(しお)のようだ。

 内陸国のアーナージャック・グレープで塩は採(と)れない。


 うらやましそうに見ているグレープ国兵に、帝国兵が塩の入(はい)った小ビンを手渡(てわた)した。グレープ国兵は感謝し、喜んでカーオパンに塩を少し振りかけた。


 塩とカーオパン(おにぎり)の相性は抜群(ばつぐん)のようで、帝国兵の顔にもグレープ国兵の顔にも『アロイ』とはっきり書かれている。


 しみじみとパイロが息をつく。


「敵対していたとは思えないな。見ていると癒(い)やされる」

「本当はこんなムードにはならない」


 遠くから兵隊たちを眺(なが)めつつ、俺は言葉を継(つ)いだ。


「もともと兵隊同士で憎(にく)しみ合っていたわけではないし、今回の戦争では死傷者が出なかったから、しがらみもないわけだ。不思議な光景だな」


 ここで俺たちに気づいた兵隊たちがやって来て、一緒に食べようとさそってくれた。

 とくに共に戦ったグレープ国兵は「あなたたちのおかげで無血での勝利が実現できました」と何度も礼をくり返している。


 クマリーのウォーウェーン(ว)には気づいていないようだが、俺とパイロが文字保有者であることは彼(かれ)らも分かっているようだ。


(前から俺を知っていた人もいるな。パイロも背中のチョーチン(ฉ)を隠(かく)していないし)


 カーオパンを食べている兵隊たちのそばへと案内される。

 何人(なんにん)かは文字保有者に対して好印象を持っていないようで俺とパイロから目をそらしていたが、それはそれだ。仕方ないと思う。


 グレープ国兵がカーオパンを、帝国兵が塩をくれた。

 向こうは気づいていないが、くしくもその帝国兵は少女姿の俺とパイロを西の国境線で検問した人だった。


 ともかく礼を言ってから、クマリー・パイロと共にカーオパンを口(くち)に含(ふく)む。


「おおっ、お兄さんパイロさん! ふわふわで、すごくアロイですよ~」

「確かにアロイ。塩との相性(あいしょう)もいい。だけど変だな。コメってここまでふんわりまとまるものなのか」

「コメの種類が鍵(かぎ)のようだ」


 満足そうにパイロもあごを動かしている。

 いったん俺はカーオパンのコメをじっと見てみた。


 よく観察すると、コメが丸っこい。

 一般的(いっぱんてき)なコメのイメージとして、少なくとも俺は細長いものを連想する。


 しかしグレープ国では細長いコメだけでなく、もっと丸っこいかたちのコメも生産している。どうやらそのコメはあまりバラバラせず、カーオパンを作るのにも適(てき)しているらしい。


(これもグレープ国の味なんだな。いや、帝国の塩と一緒(いっしょ)だから両国の味か)


 食べ終わったクマリーが、目をキラキラさせて俺に顔を近づける。


「アロイ(おいしい)にもほどがありますっ。この気持ちを表現したいので、アロイの書き方が知りたいです!」

「使う子音字(しいんじ)は三種類だ」


 差し出されたクマリーの左手の平に、まずオーアーン(อ)を書く。人差し指は先ほどカーオパンを食べるときに使ったので、小指を這(は)わせていく。


「発音は『ア』になるけれどマーイハンアーガート(–ั)は要(い)らない。で、『ロ』は巻き舌(じた)のように発音するからロールア(ร)を用いる。声調記号マーイエーク(–่)を載(の)せて声の出し方を調整。続いて二個目(にこめ)のオーアーン(อ)を置いたあと、最後にヨーヤック(ย)で『イ』の音(おと)をあらわす」

「あれ? 子音字のあとにオーアーンを置いたらクマリー・トーン(กุมารีทอง)のトーン(ทอง)みたいに長い『オー』になるのでは? 『アロイ』じゃなくて『アローイ』って言いたくもなりますっ」


「さすが、目のつけどころが違(ちが)う。確かに『アローイ』って発音する人もいるんだろうけど、俺の感覚としては『アロイ』と短く言うのが一般的(いっぱんてき)だと思う」

「やっぱりおもしろいですっ。ますます書き言葉に興味が湧(わ)いてきますっ」


 言いつつ、クマリーが小指で俺の手に「アロイ(อร่อย)」としるした。さらにコープクン(ขอบคุณ)の文字列を続ける。


(コープクン(ขอบคุณ)、サワッディー(สวัสดี)、マイペンライ(ไม่เป็นไร)、そしてアロイ(อร่อย)か。四十二個の子音字にとどまらず母音記号や声調記号、十個の数字、果ては一週間(いっしゅうかん)の曜日も覚えた。書き言葉におけるクマリーの語彙(ごい)も着実に増えている。ガルーダベッタレット戦(せん)でウォーウェーンのさらなる力(ちから)を開放したことといい、クマリーはどんどん成長している)


 カーオパンと塩をくれた兵隊の手の平にも「アロイ」と「コープクン」をしるすクマリー。


(俺もクマリーを見習って、自分で自分を動かしていきたいな)


 かつ、文字保有者たちの奮闘(ふんとう)やグレープ国・帝国に関(かか)わる人の努力も見ていると、これまでの自分が「兵隊」というものを隠(かく)れみのにして、どれだけ自分自身から目を背(そむ)けてきたのかが分かるような気がする。


(本当の俺は、なにを目的にしているんだ。なにを目指したいんだ。俺はクマリーたちを自分の行動の言い訳に使っていないか。俺にはどんな意思があるんだ)


 幼いころは、生きるために、食(く)うために傭兵(ようへい)として戦えばいいと教育された。

 だけど先ほどのカーオパンの味は、自分が生きるためだけに手に入(い)れたものとは違っていた。


 カーオパンをほおばりつつ微笑(びしょう)するパイロやクマリーや兵隊たちを見ていると、どこか心がざわめいた。穂波の揺れる音(おと)さえ、心臓をくすぐってくる。


* *


 それから石けんと水おけで手を洗(あら)ったあと、近くに馬小屋を見つけた。そこは兵隊の詰(つ)め所(しょ)でもあるのだが、今は帝国の軍馬が集められている。


 とくにジウの対面した巨大(きょだい)ベッタレット内部に馬が多く入(はい)っていたらしい。

 馬も全頭(ぜんとう)無事であり、グレープ国のもみがらを敷料(しきりょう)にしてくつろいでいる。


(サラサも気に入(い)りそうだ)


 小屋のそばに、見覚えのある帝国の将がいた。

 翼(つばさ)の生えた象の精霊(ピー)を従(したが)える将である。当然、グレープ国の見張りもついているが、本人は気楽そうに象に寄りかかってまどろんでいる様子。


 俺たちを目に入(い)れると、ピーたちを助けてくれてありがとうございますと手を合わせて礼を言った。


 祝福と称(しょう)してパイロが静かにチンを奏でると、象たちは小さく翼と鼻を揺(ゆ)り動かした。



 散策はこれくらいにして、俺たちは引き返す。

 王国中央へと帰ると、崩壊(ほうかい)した王城の大穴の前に立つマフマー宰相の後ろ姿が見(み)えた。


「クマリー、パイロ。ちょっとマフマーさんと二人(ふたり)きりで話(はな)してくる」


 宰相のもとに駆(か)け寄り、近づいたところで歩調を緩(ゆる)める。


「マフマー宰相、王たちとの話(はな)し合いは一段落(いちだんらく)しましたか」

「……アーティット」


「貴国(きこく)の軍の完全撤退(てったい)が決まったので、きょうのうちに糧道(りょうどう)の封鎖(ふうさ)は解除されることになります。本来、糧道の開放は完全撤退のあとと考えていましたが、ムアンルアン・グアンの炎(ほのお)も予定より早く取りのぞいてしまいましたし、糧道についても予定を早めていいかなと。もちろんバンダー王子やクロック宰相もそうするように言っています」

「結局おまえは帝国首都も落とさなかったようだな」


「その脅迫(きょうはく)についてはハッタリと申し上げたはずです」

「コープクン」


 マフマー宰相が手を合わせ、礼をした。


「おまえたちはけっして、正義の英雄(えいゆう)ごっこをやっているわけではなかった。二人(ふたり)の王もバンダー王子もクロック宰相も自国だけでなく我(わ)が国のことを真剣(しんけん)に考えてくれた。とくにおまえは言ったな。『あなたこそ、この戦争のくり返しに終止符を打とうとする正義の味方なのかもしれません』と。バーみたいな持ち上げだ。しかしわたしがなんとか単身で条約交渉(こうしょう)を続けられたのは、おまえのその言葉があったからだ。情けないことにな」

「マイペンライです」


 俺は穴を見つつ返した。

 大穴の底では水が揺らめき、日の光を反射している。


「そして本当にあなたを支(ささ)えたのは、帝国そのものだと思います」


 マフマー宰相は皇帝やグラド総司令官(そうしれいかん)、帝国兵や帝国民たちすべての生命と財産を背負(せお)っていたはずだと俺は言おうとしてやめた。


 さすがにそれは踏(ふ)み込みすぎである。帝国の人間でもないのに知ったふうなことを軽々(かるがる)しく口(くち)にするべきでもない。


 だからもっと個人的な、別の話題にふれることにした。


「……とくに息子(むすこ)さんと娘(むすめ)さんの、のほほんとしたお遊戯会(ゆうぎかい)のことをマフマーさんはずっと考えていたのでは?」

「事実だが誰(だれ)にも言うなよ」


 静かに笑い、マフマー宰相はきびすを返した。


「あ、そうそう。王城の修復費用については、わたしとグラドとモードゥー・チーネで三分(さんぶん)の一(いち)ずつ負担することになった」

「無賠償(むばいしょう)ではなかったんですか」


「それは国と国の取り決めだ。わたしたちは責任者として個人的に賠償するんだ。そう約束した」

「約束といえば、条約も一(ひと)つの約束なんでしょうね」

「国の風景や人々は目に見える。だがそんな目に見えるものは、目に見えない約束――法律や条約によって支(ささ)えられている」


 愉快(ゆかい)そうに肩(かた)を震(ふる)わす。


「――と、メータオ・プリック(逆さまババア)が言っていたな。ともあれグレープ国の金色(きんいろ)の風景も、そういった透明(とうめい)な約束事によって保障されている。グレープ国王たちのたまものだ」

「帝国も同じですか」

「おまえたちの住む大国(たいこく)もな。かつ、血が流れるか流れないかを決定づける因(いん)も、そういった透明のなかにあるのだろう」


 それを聞いて、今回の戦争における相手国の宰相がマフマーさんでなかったら、こうもうまく終戦を迎(むか)えられなかっただろうと俺は思った。


 そっと手を合わせ、別れのあいさつとした。

 俺の動作に気づいたマフマー宰相が最後に言う。


「はき違(ちが)えるなよアーティット。大義の有無(うむ)に関係なく、わたしは侵略(しんりゃく)戦争を仕掛(しか)けた張本人だ。グレープ国からしてみれば、本来は死罪相当の人間だ」


 グレープ国兵に連れられたグラド総司令(そうしれい)を見つけ、歩(ほ)を進める。


「正義の味方であるはずがないし、そうであってはならない」


* *


 このあと俺はクマリー、ロップと合流し、封鎖していた糧道二箇所(にかしょ)の解除に向かった。

 グレープ国に対して南に延びる道はジャッガジャンに、北西に延びる道はマクアにつながっている。


 マクアもジャッガジャンも帝国の主要な食糧(しょくりょう)生産地であり、とくにマクアでは良質な塩が採取できる。

 人々の移動の自由や関税の緩和(かんわ)を保障する友好条約が成立すれば、三地点はより潤沢(じゅんたく)に発展することだろう。


 空の兵隊(タハーン・アーガート)と天幕(タハーン・)の兵隊(グラジョーム)と共に封鎖地点へロップを運ぶと、彼女は自身の乳白色(にゅうはくしょく)の液をかけた地面を掘(ほ)り返すように蹴(け)り始めた。


 あくまでフォーファー・ヤーンロップが実行したときに限られるが、それで封鎖は解除された。

 商人や一般(いっぱん)の人々、さらには兵隊も再び自由に通行できるようになった。



 夜(よ)が明けて金曜日になり、捕虜の身から解放された帝国軍の完全撤退が始まった。

 グラド総司令の最後の仕事だ。軍馬や大砲(たいほう)なども持ち帰ることになる。さらに、グレープ国に接近していなかった予備の兵たちも引き上げる。


 いち早く帝国首都に帰還(きかん)したマフマー宰相は、正式に侵略(しんりゃく)戦争の終結を宣言した。


「条約については帝国と王国が後日、正式に共同発表します」


 帝国の記者や首都民の前でそう言った。

 一方、グレープ国でも王たちが防衛戦の終わりを宣言。


 これにより、国外にのがれていたグレープ国民たちが続々と戻ってくることになる。


 加えて、マフマー宰相もグレープ国王も今回の戦争が死傷者ゼロで終わったことに言及(げんきゅう)した。

 だから憎悪(ぞうお)感情は両国民のあいだに発生しなかった。


 バンダーの要望により、終戦宣言において文字保有者の名は出されなかったが、今回の戦争において文字保有者が多く動いていたことはすでにウワサになっている。帝国に雇(やと)われた占(うらな)い師も文字保有者だった――というデマも広まっているようだ。



 俺とクマリーとロップはグレープ国に入(はい)りなおしてからバンダーの演説を聞いた。

 バンダー王子は今回の防衛戦に参加した兵隊たちを広場に集め、ねぎらいの言葉をかけていた。


「タハーン・ンゴー(愚(おろ)かな兵隊)のみなさん、本当におつかれさまでした」


 この期(ご)に及(およ)んでそんなことを言うバンダーだったが、むしろグレープ国兵たちはそういう態度に安心を覚えているようだ。


「分かっているとは思いますが、今回もわたしたちは正義の戦争をやったわけではありません。むしろ戦争に参加しなかった人や避難(ひなん)した人のほうが正しかったはずです。あなたたちもわたしも勝利して調子に乗っています。しかし力(ちから)に頼(たよ)ろうとする我々(われわれ)は一様(いちよう)に、正当に見下(みくだ)されるべきです。そもそも今回の戦争に無血で勝てたのはわたし以外の文字保有者たちのおかげです」


 自分を除外するところがバンダーらしい。


「それでもわたしは――共に戦い、兵站(へいたん)を支(ささ)え、帝国兵の捕虜も丁重に保護してくれたみなさん兵隊を誇(ほこ)りに思います。みなさんと共にこの戦争を戦い抜いたからこそ、グレープ国はたまごの殻(から)を割り、雛(ひな)としてようやく羽ばたき始めることができるのです。王子としても、一人(ひとり)のグレープ国の人間としてもみなさんに感謝を捧(ささ)げます。ありがとうございました!」


 演説が終わり、グレープ国兵たちが歓声(かんせい)を上げる。クマリーはその熱気に圧倒(あっとう)され、ロップは少し顔を火照(ほて)らせていた。

 普通(ふつう)の王子の言葉であれば不審(ふしん)がられるところだろうが、グレープ国兵はバンダーのこういう調子がむしろ愛の裏返しであるのを知っている。


 俺は少し離(はな)れ、トープータオ(ฒ)を鐘(かね)のイヤリングに書いてメータオ・プリックことカヤンに連絡(れんらく)した。


 そもそも今回の防衛戦のメンバーを招集(しょうしゅう)したのがカヤンなのである。一報(いっぽう)は入(い)れておいたほうがいい。


 すでにほかのメンバーから連絡を受けていそうだが、一応(いちおう)防衛戦の顛末(てんまつ)をかいつまんで報告した。


 ドスの利(き)いた声が返ってくる。


『やったじゃねえかよ、アーティット。グレープ国の防衛に成功するだけじゃなく軍縮条約も完全にクリアするたあな』

「ああ、みんなのおかげだ。それも、文字保有者だけの力(ちから)じゃない」


 ここで王やマフマー宰相らのまとめた条約の内容にもふれようかと思ったが、まだ公表されていない以上それはやめておく。


 カヤンも察したようで、追及(ついきゅう)してこない。


『おまえら全員には化け物係からたっぷり報酬(ほうしゅう)があるから覚悟(かくご)しとけ』

「ありがたいが、今回は凶暴(きょうぼう)なピーを相手にしたわけじゃない」


『化け物とは文字保有者のことだよ。つっても無血で防衛戦を成功させたことで、文字保有者の立場も多少は向上するんじゃねえか。グリアムくんも化け物係の最高責任者として泣いて喜ぶだろう』

「グリアムさんがもともと将軍だったのは俺も知っているけれど、戦争においてこんな絵空事(えそらごと)がかなってしまったことを信じてくれるだろうか」

『信じるしかないさ。現に起こったんだからな』


 通話を終え、俺は歩調を早めて一(ひと)つの建物に近づく。

 きのう、この建物の室内で俺は条約について聞かされた。


 そしてけさ、ここに来るようバンダーから連絡があった。


 すでに東の国境線(こっきょうせん)の「蓋(ふた)」もロップは解除している。

 カヤンによると、あと少しでグレープ国の保護を名目にして南東の大国が出陣(しゅつじん)準備を始めるところだったそうだ。大国は帝国を刺激(しげき)するのを恐(おそ)れていたとはいえ、そろそろ攻勢(こうせい)に出たほうがいいという空気が醸成(じょうせい)されつつあった。が、今回の終戦宣言によりそれも収まったそうだ。だからもう蓋で封鎖する必要は皆無(かいむ)である。


 国境は通常どおりに戻った。ジウのかすみだけでなく、トラニーの塔(とう)も引っ込んで跡形(あとかた)もなくなっている。


 クルムのあずまや、ルディのミツバチ、トゥアムの袋(ふくろ)も消え失(う)せ、かつ上空のトラップもすべて解除された。

 巨大(きょだい)モグラベッタレットが帝国領と王国中央にあけた二(ふた)つの大穴についてはあとで埋(う)め立てることになるが、今は一時的(いちじてき)な措置(そち)としてヤーンロップが文字どおりの大きな蓋を落としてふさいでいる。


 もう、この防衛戦においてほかにやることはない。


 建物の前で、帝国首都から帰ってきたスープパンと鉢合(はちあ)わせた。

 話を聞くと、「箱」に収めていた馬車と馬はすでに外(そと)に出してグレープ国兵に返したそうだ。

 ちなみにグレープ国に帰ってくるときは帝国の御者(ぎょしゃ)を雇ったらしい。

 首都の滞在許可証もミーから預かっていたが、ムアンルアン・グアンをあとにする際に破棄(はき)したとのこと。大臣たちにも別れのあいさつを済ませたようだ。


「ありがとうスープパン。そして帝国首都を一人(ひとり)で任せて悪かった」

「ช่างมันเถอะ(ちゃ~んまんとぅ)〔気にすんな~〕」


 やる気なさげに身を揺らし、建物の扉(とびら)をあける。スープパンに俺たちも続く。


 室内では父王と母王が待っていた。

 チーネさんの襲撃(しゅうげき)を予想していたグレープ国軍師とバンダーは、もともと王城にあった玉座も調度品として別の場所に移動させていた。


 よって、例の一(ひと)つの大きな玉座に二人(ふたり)の王が座(すわ)っている。

 隣(となり)にはバンダーが立っている。


 王族と向かい合うかたちで、ジウ・ミー・ルディ・クルム・トゥアム・トラニーが控えていた。

 スープパンに続き、俺とクマリーとロップが列に加わる。


 なおパイロは特別に許可をもらい、帝国に連行されたチーネさんについていっているのでここにはいない。


 父王が、濃(こ)い緑にも見える黒い瞳(ひとみ)を向ける。


「文字保有者のみなさま。グレープ国王として、あらためて感謝をお伝えします」

「無血で防衛戦を終えることができたのは、みなさまのおかげです」


 母王も金色(きんいろ)の目を向けて礼を述べた。

 俺たちは言葉を受け取りながらも、本当にアーナージャック・グレープを守ったのは国王や宰相、軍師、バンダー王子、そしてグレープ国兵であると強調した。


 ここで父王が破顔する。


「しかしみなさんは『この愚王(ぐおう)は外部の力(ちから)を借りておいてなにを自分の手柄(てがら)のように調子に乗っている。帝国にデカいツラができるのも、ほかのみんなのおかげなのに偉そうにしやがって』と思っていることだろうな」


 たわむれが過ぎる。反応に困る。

 しかも卑下(ひげ)しているのではなく、母王と共にからかうように笑っている。


「アーティットはどう思う」

「マフマー宰相らと話(はな)し合ってお決めになった条約を見ると、王はみずからを含むグレープ国のみんなの力(ちから)でこれからの未来を築いていこうとしているのだと分かります。さらにみずからの権威(けんい)におごらず、客観視もできています。立派な王さまではないでしょうか」

「な、なんか言わせてしまったようですまない……」


 父王も母王も申し訳なさそうに目を泳がせた。バンダーは声を抑(おさ)えて愉快(ゆかい)そうにしている。

 母王が言葉を継(つ)ぐ。


「ともかくみなさまには感謝してもしきれません。国からは相応(そうおう)の褒美(ほうび)を与(あた)えます」


 良質なコメやもみがらを大量に輸出しているため、小国ながらグレープ国の経済力はかなりのものだ。

 土地を譲渡(じょうと)することはできないわけだが、金銭による報酬(ほうしゅう)には期待できる。


 だが――。


「大変ありがたいことだが、グレープ国から報酬はもらえない」

「……なぜだ、アーティット。無欲なのか」


 父王がおごそかに尋(たず)ねた。

 俺は真正面(ましょうめん)から二人の王を見据(みす)えた。


「欲はある。ただ、あなたたちから俺たちが報酬を受け取れば、グレープ国王が明確に俺たち文字保有者を雇っていたことになる」


 一個(いっこ)の軍に雇われたのなら話は別だったが、今回は国に直接協力しているので「国家から報酬をもらってはい終わり」では済まない。


「そうなればグレープ国は文字保有者に頼(たよ)って国を守ったというウワサが前面に出て、国としての威信(いしん)を保(たも)てなくなる。俺たち文字保有者にとってもデメリットだ。金(かね)をもらえば、王に恩を売りグレープ国でデカい顔をしたのだと見なされ、印象が悪くなる。金額の多寡(たか)にかかわらず他国から報酬を受け取れば俺たちの住む大国からにらまれるし、いいことがない。ただでさえ文字保有者は警戒(けいかい)されているからな。そもそも報酬ならすでに別の組織から約束されているから、わざわざグレープ国からもらう必要もない。一(いち)バーツたりともな」


 内容よりも王族への敬意を欠いた言葉づかいに対して、ロップとルディとミーが青ざめている。

 クマリーとトゥアムと覚醒(かくせい)状態のトラニーも緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちだ。


 ジウとクルムは真顔に見(み)える。表情が崩(くず)れていないが、神妙(しんみょう)な顔色という感じもする。


 スープパンは半眼(はんがん)である。けだるげに、まばたきしている。


 バンダーが首を横に振りつつ肩をすくめた。


「あ~、これはいけませんね」


 押し黙(だま)る父王と母王の斜(なな)め前に出て両手を少し持ち上げる。


「感謝にあふれた王の御心(みこころ)を踏(ふ)みにじるだけでなく、あまつさえ不敬に満ちた言葉の数々。これはよくないですよ。よって王子であるわたしから進言いたします。連帯責任により――」


 二色(にしょく)の目で文字保有者たちを捉(とら)え、冷たく言い放(はな)った。


「全員、死刑(しけい)が妥当(だとう)かと」

次回「210.金色の日々(ทุกวันทอง)【後編】」に続く!


今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り

カーオパン(ข้าวปั้น)→おにぎり

チャーンマントゥ(ช่างมันเถอะ)→気にしないで

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