207.【ข】たまごのコー・バンダー【その6】
【ข】
「……グラップバーン」
水曜日の昼、空の兵隊と共に降下してきたアーティットに向けてバンダーは詠唱した。
するとアーティットの魂が少女の体からもとの青年男性のなかに戻る。
空から落ちたアーティットの体についてはトゥアムが自主的に回収していた。
抜け殻になった少女の体はたまごの殻のように割れて砂となった。なお、帝国兵の目をごまかすときに乗り移っていたアーティットとパイロの少女の肉体もすでに砂と化して失われている。
頂上が砕けたトラニーの塔を見上げたのち、地上に集めた文字保有者たちにバンダーが言う。
「あとは首なしガルーダ(クルット)のベッタレットに対処すればオレらとグレープ国の脅威は去る」
「あれは本当にガルーダだったのか?」
アーティットが控えめに疑問を口にした。
ここでジウがトゥアムの育児嚢のほうをちらりと見つつ言葉を受ける。
「小生が思うに、あれはガルーダの模造にもなっていない。モードゥー・チーネの本命がガルーダだったのは明らかだが、彼女自身も本物を見たことはないはずだ。だからこそあれをガルーダ単体ではなく八方位の守護聖獣の一体として定義づけたのだろう。そうすればイメージしやすくなり、ベッタレットの作成も容易になる」
「なら実際のガルーダに比肩するものでもなかったのかもな」
トーモントー(ฑ)をイヤリングに書き、ダーンナーに連絡するアーティット。
土曜日にしていた約束どおりガルーダの詳細を教えると、小さな鐘越しに言葉が返ってきた。
『その鳥はガルーダではないな。マネしようとして失敗したと見える』
ジウの見解と一致する。
まわりにアーティット以外の文字保有者もいることを察したダーンナーが声を大きくする。
『首の有無は関係ない。不死にして無敵のガルーダは簡単には傷つかないし、真の意味での神速ゆえにもっと速く動く。オレの見た神話のビジョンではさまざまな姿に変身してもいた。赤い鳥という表面的な特徴をなぞったところで、マネすることはできん。ガルーダはまごうことなき神鳥だ』
「やはり別物だったか。コープクン、ダーンナー」
『マイペンライ。そしてトータハーン(ท)だけでなくまわりにいるおまえたちも誤解するな。本当のガルーダは高潔にして気高い存在。今回出てきたというニセモノとはまったく違う』
「はいっ、ダーンナーさん!」
クマリーが元気よく返事した。ほかの文字保有者たちもあいづちを返す。
さらにバンダーがアーティットのイヤリングに近寄る。
「おいダーンナー。気になってんだが本物のガルーダもたまごから孵化したのか」
『そうだ、コーカイ(ข)。神鳥ガルーダにも幼年期はあった』
通話はここで終わった。
(幼年期ねえ。オレらのグレープ国も歴代の王族が支配してるって感じだが、案外まだ産まれて間もない雛と変わりねえのかもな。あるいは殻に閉じ籠もり、たまごから出てすらいなかったりして。だからこそジャッグラワットといつまでも戦争してたわけだ。争いの原因をずっと相手に押し付けていた。それを破らなきゃあ、国はいつまでも幼いままだ)
ついでバンダーがルディに目を向ける。
「チーネを起こせ」
「クラップ・ポム」
うなずき、ルディが左ほおのポープン(ผ)からハチミツを分泌する。
オレンジ色のハチミツがミツバチのかたちをとり、トゥアムの育児嚢に眠るチーネを刺した。
しびれさせる針ではなく、しびれを解除する針だ。
だがトゥアムが軽く揺すってもチーネは目覚めない。
ほかのみんなが声をかけても効果がなかった。
そこでパイロがささやきかけると、チーネのまぶたが一発でひらいた。
「あ、パイロさん」
「チーネ。体は大丈夫か」
「ものすごくダルいですよ、アーティットさんのおかげで」
「彼は強かっただろう」
「度肝を抜かれました。ところで……」
小さめのサイズになっているチーネが、育児嚢から顔を出してバンダーを見る。
「わたくしに確認しなければならないことがあるのでしょう、王子さま。ガルーダベッタレットのことですね?」
先回りして話題を振る。
本物のガルーダとは違うことが分かっても、便宜上呼称はそのままにしようと決めたバンダーが首肯した。
「あの赤い巨大ベッタレットは上昇を続けて見えなくなった。今はどこにいやがる」
「わたくしとベッタレットは細い『いのちの色』でつながっていますので、現在の様子も含めてすぐに分かります」
「てめえ素直に敵国の王子の言うことを聞いてんじゃねえよ」
「捕虜になったこの状況で逆らっても無意味です。それに――」
チーネはいったん言葉を途切れさせ、眉をひそめた。
「それに、ガルーダベッタレットがわたくしの制御下から離れてしまいました。わたくしが弱ったためでしょう。新たな指令も受け付けませんね。現在は高度五十ギローメートあたりにいます。地上への害意をむき出しにし、だんだんグレープ国へと降下しているようです。このスピードだと夕刻あたりでグレープ国の空に到達しますね。とりあえずいのちの色でつながれたわたくしを目指していると見えますが、このままではグレープ国だけでなく帝国やほかの国も標的になりかねません。グレープ国は帝国に占領されるべきとわたくしは思っていましたが、無意味な被害は望むところではないんです」
「それはちょうどいいじゃねえか。向こうの両翼はほぼ失われているし、わざわざ来てくれるってんなら返り討ちにするまでだぜ」
「いえ、厄介なことにガルーダベッタレットはこの丸い大地そのものを取り巻くいのちの色を吸い上げたみたいなんです。人々から放出された色は成層圏にて滞留しています。これを食べたわけですね。そのため、とても大きくなっています。赤・黄・桃・緑・灰・橙・青・紫を満遍なく大量に吸収し、手が付けられない状態です。地上に向けられた害意も、あふれんばかりのいのちの色をはき出したくて仕方がないという状況の裏返しなのです。そのわりにスピードが遅いのは力の制御がうまくいっていないからと思われます」
「ようは元気満々ってわけかよ。生き物でもピーでもねえのに、おさかんなこって」
「だからご提案します。かのベッタレットはわたくしめがけて降下しているようなので、わたくしが誰もいない海上にでも移動し、受けとめようかと思います」
「冗談じゃねえわ」
バンダーが提案を一蹴し、ほかの文字保有者たちに視線をやる。
「おいどうするよてめえら、あとはこいつに全部任せっか?」
「いいや」
一番に答えたのはパイロだった。
「私はグレープ国の美しい風景や両国の人々だけでなく、チーネも守りたい」
「パイロさん」
「貴方にすでに伝えたとおり、この戦争の先にあるものは穂波のような金色の風景なのだからな」
「ではその穂波が、炎に揺らめくことのないよう祈るのではなく信じます……」
照れたのか、チーネが育児嚢に頭を沈めて顔を隠した。
そんな彼女をほほえましそうにトゥアムが見下ろす。
「わたしも庇護欲がそそられるよ。この国は今から産まれようとしているからね」
続いて――。
「クマリーもグレープ国の金色とチーネさんが好きですっ」
精霊の少女も思いを明かす。
「あとクマリーは、ワン・アーティットからワン・サオまでの曜日の書き方を覚えるにあたって、グレープ王城の旗とチーネさんの教えてくれたいのちの色とを結び付けるようになっています。それを思うと、みんなそれぞれ誕生曜日に応じた素敵な色を持っているのかなって感じてなんかポカポカするんですっ」
「いろんな色があるのはいいことよね~。おばさんもクワーム・ラークラーイ(多様性)は大切だと思うわ~」
「すぴー……眠る背中が減るのは困る……」
直接言及はしないものの、クルムも睡眠中のトラニーもみずから戦う意欲を示しているようだ。
現在トラニーを背中にかかえているミーも石炭をそしゃくし、うなずく。なお、今は人間状態である。
「ほわっ! ここでワタシが逃げたらレックくんにも幻滅されちゃうからねっ」
「ミー。あなたにはそう思える人がいてうらやましいです」
ヤーンロップが冷たい息をはく。
「正直わたしはみんなほど真面目になれない。誰かを守りたいとも思えない」
もしこの場にロールア・プリアがいたら大いに共感したかもしれない。
とはいえヤーンロップはプリアと違って人と関わること自体は好きである。それでいてどこか心に蓋をしている。人の声に夢中になっているとき以外は基本的に冷めている。
「ただ、傷つかないようにとりあえず生きているだけです。場違いでごめんなさい」
「そんなことないよロップちゃんっ。みんなそれぞれかかえている思いは違うから、ロップちゃんの気持ちもワタシは大切だと思うな~。東の国境線や帝国の糧道を封鎖したり、ロップちゃんががんばってるのもみんな知ってるよっ」
「あ、ありがとうミー」
赤くなった左耳をなでる。
「わたし……みんなの声は好きです。ほかの人の声も……チーネさんの声もなまめかしくてぞくぞくする。そういう声は守りたいと思う。だからがんばる、わたし自身が。ルディ、活を入れて」
「甘いやつでいいなら」
チーネのしびれを解除したハチミツのミツバチがヤーンロップの口に入った。
とろけたヤーンロップの耳穴に、しっとりとした声を吹き込むルディ。
「ここまできて僕も誰かに丸投げするつもりはないよ。グレープ国のためにも……そして帝国のためにも」
すでにアーティットに打ち明けたように、ルディの母はグレープ国出身で、父は帝国で生を受けている。ルディにとってはどちらの国民も傷ついてほしくないわけだ。
横穴でチーネとパイロが話していたときも実はこっそりミツバチを飛ばしていたので、二人が同じ村出身であることをルディは知っている。個人的にルディはチーネにそこまで好感を持っていないものの、パイロとそれなりの関係を持つと分かったからには情も湧く。
杖に体重を預け、ジウも意思を表明する。
焦点の合わない薄桃色の瞳を育児嚢にいるチーネに向けながら。
「そも貴公が海上に移動してベッタレットを受けとめる案には賛同しかねる。人間以外の水生生物を害する結果になるゆえ」
さらに、沈黙しているアーティットに視線を投げる。
「トータハーンの見解は」
「……チーネさんの案がベッタレットをとめるために有効なら俺も反対しませんでした」
アーティットが敬語なのは、ジウだけでなくチーネにも話しかけているからだ。
「でもチーネさんがガルーダベッタレットを受けとめたあとも、ベッタレット自体が健在なら結局は人のいる場所に移動して暴れるんじゃないでしょうか。それよりは、このグレープ国の上空で対処したほうがいろいろ面倒じゃなくていいと思います」
言いつつ、鐘のイヤリングを出してホーヒープ(ห)を書く。
帝国首都にいるスープパンに事情を説明すると、彼女の声が返ってきた。やる気なさげな声ではあるものの、実際のスープパンはやる気に満ちあふれている。
『……りょ~。けどチーネさんがガルーダベッタレットを誘導できるなら別の手も使える』
アーティットもバンダーもすでに考えていたその策をスープパンが口に出す。普段は口数が少ない印象もあるが、話すときはきっちり話す。
『チーネさんを帝国領に移動させて、帝国側をおどすのも選択肢。そのうえでガルーダベッタレットの落下を防いでほしかったらグレープ国に有利な条件の講和条約を締結しろと脅迫すればいい。文字保有者の手をよごすわけにはいかないから燃えるイノシシは落とせなかったけれど、ガルーダベッタレットのほうを呼び出したのはチーネさん。というわけでチーネさんに全責任をなすりつける下地は整っているよ。จะทำยังไง(じゃ・たむ・やんがい)〔どーすんの〕』
通話しているアーティットではなくバンダーに問いかけているらしい。
バンダーはニヤリとして答える。
「当然それはやらねえさ。うちで引き受けたほうが恩を売れるんでね」
『คิดว่าคุณจะพูดนั่น(きっと・わ~・くん・じゃ・ぷ~と・なん)〔きっと言うと思った~〕』
どうやらスープパンも返答が分かっていてあえて選択肢を提示したらしい。
それからアーティットは、巨大焼きイノシシが上空から消えたあと帝国民はどうしているか質問した。
スープパンによると、大臣たちも記者も事を荒立てようとしなかったので、混乱にはつながっていないとのこと。
首都から逃げていた人も少しずつ戻ってきているらしい。
帝国民全体のあいだでは、もうすぐグレープ国への侵攻が打ち切られるのではないかというウワサが広まっている。
報告にうなずきながらバンダーがチーネに目を近づける。
「まあこんな感じでオレらはオレらで脅威に対処できる状況にあっから、てめえの提案はのまねえよ。第一、海上に移動するとしたら国外に出るってことだろ。そこでおまえは逃亡する気なんじゃねえの」
「そう言われると、ぐうの音も出ませんね」
チーネは育児嚢のなかで、トゥアムの腹部に寄りかかっている。
バンダーは色の違う左右の目を細めた。
「気づいてっか、パイロ、アーティット。オレらの戦争の構図がシフトしちまっていることに」
パイロとアーティットの名を呼んだのは、二人が直接チーネと戦ったことが関係している。
首肯したパイロがチーネにも視線をやりながら言葉を引き取る。
「私たちの戦いは、当初はジャッグラワット――帝国との戦争だった。しかしいつの間にかベッタレットを連れたチーネとの戦いに移行し、帝国という存在が見失われてしまっている」
「つまりチーネさんが帝国兵たちをベッタレット内に入れたのはベッタレットの体積を稼ぐためだけじゃなかったわけですね」
アーティットが淡々と言う。あえて犠牲者を出してもらうために人をベッタレットに入れたのではないかという、前にやった推論は口にしなかった。バンダー同様、そこに矛盾があるとアーティットもすでに気づいていたからだ。
「帝国が王国を侵攻するという構図を、チーネさん一人が王国を侵攻するという構図に書き換えたかったんでしょう?」
「そんなことをしてわたくしになんの利があるんです」
「本気で両国のことを考えているなら、事を丸く収めるためにもその方法がベストと考えるのは不自然じゃねえだろ」
真意をごまかすチーネにバンダーがまばたきを送った。
「てめえが勝手に帝国軍を掌握して最終的な侵攻をしたらどうなる? 結果的にグレープ国が負けりゃあ、帝国側は荒廃したグレープ国を支援するという名目で領土を堂々と占領できる。で、ただの雇われ占い師にすぎねえチーネはグラド総司令を始めとするヤツらを好き勝手にあやつったということでかなりの責任を負わされる。国を荒廃させた元凶のチーネが裁かれれば、グレープ国に所属していた住民も帝国じゃなくておまえにヘイトを向けるだろう。そんで、帝国は最小限のしがらみでグレープ国を乗っ取ることができるってわけよ」
「……わたくし相手にグレープ国が勝った場合は?」
「そんときも最終的な侵攻の責任をおまえに負わせることができる。グレープ国と帝国――両国の向け合うはずだったヘイトの矢印がてめえに向かう。こうして、戦後も両国民は相手の国を恨まずに済む。おまえはその身を犠牲にして戦争の火種をのぞこうとしていた。だから戦争の構図そのものを書き換え、ジャッグラワットの攻勢を自分一人だけで引き継いだ。実際はそこまでうまくいくわけもねえのによ。こりゃ泣けるな」
言葉とは裏腹に、バンダーはまったく泣いていない。
(これ以上はオレがどうこう言うことじゃねえな。チーネの心に響くのはオレの声じゃない)
無論、アーティットの声でもない。
押し黙るチーネにパイロがそっと声をかける。
「チーネ。貴方は本当にみんなのことを考えているのだな」
「どうでしょうかね」
自嘲気味に肩を震わす。
「わたしは自己犠牲のフリをしてかっこつけ……あなたに振り向いてほしいと思っているだけの女かもしれません」
「もしかして最後は自分から罪人として裁かれようとしていたんじゃないか」
「だとしたら、どうするんです」
「貴方の罪が和らぐよう尽力したい。貴方も私たちと同じで、金色の風景を守るために一生懸命だったのだと私は知ったから」
「……それはわたしと嫁ぐと解釈してよろしいですか」
「私はアーティットひとすじだ」
「ふふ、やっぱりそうですよね」
パイロの返答にかえって安心したようで、チーネは小さく笑みをこぼした。
そしてみずからバンダーと目を合わす。
「あなたも人をあやつるのがうまいですね、王子さま」
「知らねえな」
「ガルーダベッタレットに対処するにあたって、わたくしにも協力を要請したいんですか」
「話がはええな。オレらにおまえを処罰する気がないっつっても、どのみちてめえは総司令官を篭絡した罪で帝国に裁かれるわけだ。が、協力してもらえりゃマフマー宰相にオレが減刑の口利きをしてやらあ」
バンダーが右手を差し出す。
「てなわけで、揉めや」
* *
チーネの予告どおり、夕刻になってからガルーダベッタレットが上空から姿を現した。
成層圏に滞留するいのちの色をたっぷり吸ったようだ。
両翼の形状も回復し、グレープ国全体を覆うほど大きくなっている。アーティットが首都に浮かべたボックとプルーンの複合体よりもさらに巨大ということだ。
にもかかわらずガルーダベッタレットの真下に影ができていないのは、その身が赤ではなく金色に輝いているからだ。
さまざまないのちの色を取り込んだ結果、毎日が誕生曜日であるクマリーと同じ金色に染まったようだ。
当のクマリーはグレープ国の中央にいる。
すでにトラニーの出していた塔の上で、ガルーダベッタレットの金色の腹を見上げた。
塔の頂上は崩れているものの、立てないほどではない。
飛行できるクマリーはそもそも浮遊しているが、隣には二人の文字保有者がついている。
ルディとジウである。
ほかの文字保有者は、アーナージャック・グレープの国境線にいる。
国境線上に等間隔で配置された合計八つの塔の頂上に、それぞれ一人ずつ立っている状態だ。これらの塔もトラニーが用意したものである。
八人は旗を持っている。モグラベッタレットによって崩されたグレープ王城のガレキから回収した旗だ。
北の塔のヤーンロップは青い旗を、北東のアーティットは赤い旗を、東のパイロは黄色の旗を、南東のトゥアムは桃色の旗を持つ。
南の塔のバンダーは緑の旗を、南西のクルムは紫色の旗を、西のトラニーは橙色の旗を、北西のミーは灰色の旗を掲げた。
それぞれ各自の誕生曜日の色に対応している。
たとえば青い旗を持つヤーンロップは金曜日が誕生曜日であり、緑の旗を持つバンダーは水曜日が誕生曜日である。
ただし今回のメンバーに、紫に対応する土曜日に誕生した者はいなかった。
そこはクルムが補っている。角度によってさまざまな色にも見える髪と瞳を持つ彼女は、紫のいのちの色も有しているらしい。
各人のいのちの色すなわち誕生曜日についてはチーネが調べた。
だからこそバンダーは文字保有者たちの手を揉むようチーネに言ったのだ。そうしたほうが、いのちの色が多く出てくると聞いていたからだ。先週の水曜日、手を揉まれることを拒否したクルムも状況をかんがみて受け入れてくれた。
誕生曜日がほかの文字保有者とかぶったルディとジウ、そして金色を持つクマリーはグレープ国中央に位置する塔に陣取った。
なぜこのような配置になっているのか。
金色の超巨大ガルーダベッタレットを砕くためである。
ベッタレットは金色の翼をひるがえし、金色の炎をふりまいた。
死傷者が出かねないほどの攻撃規模だ。
やはりここで押さえておく必要がある。
グレープ国の金色の穂波に達する前に、ジウがかすみを展開して金の炎を防ぐ。
一方、ルディはスープパンと連絡をとっていた。
ルディのイヤリングからスープパンの声が響く。
『ほんぱっく』
イヤリング越しにホーヒープ(ห)の力が働く。
超巨大ベッタレットを囲むように半透明の「箱」が出現し、ベッタレットの動きを封じた。
その隙にトラニーが詠唱し、国境線上の八つの塔を押し上げる。
頂上をガルーダベッタレットの浮く高度に合わせた。
文字保有者たちの立てた作戦は、ガルーダベッタレットにいのちの色をたらふく食わせて破裂させるという単純なもの。
チーネの制御から外れていのちの色を吸収するようになったというのなら、文字保有者の出す色をも取り込もうとするはずだ。それを過剰に摂取させる。許容量を超えれば、ベッタレットは自壊する。
それぞれの持つ色に対応する方位に立ったのは、そちらのほうがいのちの色が活性化するからだ。
モードゥー・チーネの言によると、そういった配置も大切らしい。旗を掲げて自分の色を主張しているのもそれなりに効果があるそうだ。
なお、いのちの色をバランスよく摂取させなければベッタレットが受け入れてくれない可能性があるので、誕生曜日がかぶったルディとジウは中央の塔でそれぞれの役割を果たしている。
トゥアムは目の前のベッタレットを見つめながら、育児嚢のチーネに話しかけた。
「チーネくん、本当にいのちの色はガルーダベッタレットに吸われているのかな」
「はい、間違いありませんトートゥン(ถ)さん」
片目だけを赤色に輝かせ、チーネが首肯する。
「八つのいのちの色がどんどんベッタレットに吸われていきます。あなたの桃色も例外ではありませんよ」
「それはいいね。クマリーくんもがんばっているようだし、なんとかなりそうだね」
斜め下を見やるトゥアム。
少し低い位置にある中央の塔でクマリーは、八つの子音字を順に書いていた。
フォーファー(ฝ)、トータハーン(ท)、チョーチン(ฉ)、トートゥン(ถ)、コーカイ(ข)、ソーサーラー(ศ)、トーターン(ฐ)、ソースーア(ส)である。
八方位に立った八人を満遍なく赤く輝かせ、強化しているのだ。
ウォーウェーン・クマリーのおかげもあってか、八人はいのちの色を奪われながらも疲労を見せていない。
しかし――。
「くっ!」
ヤーンロップおよび覚醒状態のトラニーがひざをついた。
スープパンの箱に捕らわれたガルーダベッタレットは色を吸収して大きくなっているものの、少しも弱まる気配がない。
活発に暴れて翼から金色の炎を散らせる。
しかもいのちの色を分け与えている文字保有者の魂を逆に吸う勢いでその吸引力を強めている。
クルムがそれぞれの頂上に黒いあずまやを作成したおかげで各自の魂はなんとか耐えているものの、これ以上の持久戦は厳しい。
かといって全力で攻撃を仕掛ければ、内部の核に捕らわれている人物のいのちを奪ってしまうかもしれない。
この状況を打破したのはクマリーだった。
彼女はずっと文字保有者の字を書いていたわけだが、それだけではダメだと直感した。
しかし名前を書いても今はあまり効果がないだろう。
そこでいのちの色に関連する例の言葉を書くことにした。
すなわち、クマリーの学んだ「一週間〔サプダー〕(สัปดาห์)」の曜日を宙にしるす。
配置によっていのちの色が活性化するのなら、いのちの色に対応する曜日をそれぞれに与えればさらに色は活性化するはずだ。
クマリーの有するウォーウェーン(ว)は、あらゆるものを指輪のように着脱する力を持つ。
ならば、曜日という概念さえ相手に与えることができるのではないか。
クマリー自身は深く考えたわけではないものの、ウォーウェーンの継承者として、ただ彼女は指を動かした。
当然、書いたのは八種類。
赤色の「日曜日〔ワン・アーティット〕(วันอาทิตย์)」
黄色の「月曜日〔ワン・ジャン〕(วันจันทร์)」
桃色の「火曜日〔ワン・アンカーン〕(วันอังคาร)」
緑色の「水曜日〔ワン・プット〕(วันพุธ)」
灰色の「夜の水曜日〔ワンプット・グラーンクーン〕(วันพุธกลางคืน)」
橙色の「木曜日〔ワン・パルハット〕(วันพฤหัส)」
青色の「金曜日〔ワン・スック〕(วันศุกร์)」
紫色の「土曜日〔ワン・サオ〕(วันเสาร์)」
――である。
一巡だけでなく、二巡三巡してしるす。
するとそれぞれの塔に立つ文字保有者に変化が起こった。
北東のアーティットのトータハーン(ท)が赤く。
東のパイロのチョーチン(ฉ)が黄色に。
南東のトゥアムのトートゥン(ถ)が桃色に。
南のバンダーのコーカイ(ข)が緑色に。
北西のミーのソースーア(ส)が灰色に。
西のトラニーのトーターン(ฐ)が橙色に。
北のヤーンロップのフォーファー(ฝ)が青く。
南西のクルムのソーサーラー(ศ)が紫色に輝いた。
チーネでなくとも色がくっきり見えた。それほどの量ということだ。
曜日の加護を受けたいのちの色は、とくにそれぞれの文字から放出されているようだ。
色に応じた旗を掲げつつ、アーティットとミーとトラニーとクルムは左手の平を、パイロは背中を、トゥアムは育児嚢の内部を、バンダーは右足の甲を、ヤーンロップは左のわきを金色のガルーダベッタレットに突き出した。
八つの文字からそれぞれの色があふれ出て、ベッタレットを太らせていく。
そしてついにガルーダベッタレットは不定形に膨らみ、スープパンの箱を内側から破ってしまった。
もう自壊寸前だ。
地上の防衛はジウに、塔とあずまやの維持はトラニーとクルムに任せ、動ける文字保有者たちが旗を頂上に刺し、動く。
ヤーンロップの蓋がベッタレットの背中に落ち、トゥアムの袋がベッタレットの腹部に広がって行動を封殺する。
大きな蓋と袋に挟まれた金色の右翼を、シーフーハーターと化したミーが通り抜けた。
同時に左翼には、丸鋸のように回転するパイロのチンが走る。
こうして一瞬ののち、金色として復活していた両翼が落ちた。
すかさず空の兵隊にかかえられたアーティットが斧を持って突撃する。雪の兵隊の冷気によって巨大な氷の刃を帯びた斧を振り回し、ずり落ちる両翼を切り刻んだ。
そのあいだ、ルディはミツバチ複数をベッタレットの心臓部に侵入させていた。
あらかじめパイロがチンの反響によって核の場所を特定していたので、それをイヤリング越しに教えてもらい、隙を見て核をミツバチに運ばせたのだ。
小さな穴をあけてから捜索させる。
ベースである赤いベッタレットと構造は変わらないようだったが、なにぶん大きすぎるため発見するのに手間取った。
奥深くに眠っていたひときわ頑丈な球体をようやく見つけ、複数のミツバチがそれを吊るすようにして運ぶ。
核を持ったミツバチが脱出したところで、金色のベッタレットは蓋と袋も吹き飛ばし、いよいよはち切れそうになった。
原形を保つこともできず、爆発する。
これに真っ先に反応したのはバンダーだった。
理由は二つある。
まず、この日が水曜日だったからである。
バンダーの誕生曜日であり、いのちの色は緑。クマリーの支援込みで、もっともバンダーは調子を上げていた。
そして二つ目にして最大の理由は、バンダーがこの国の王子だからだ。
今回のメンバーのなかでもっとも強いジウも爆発をとどめようとしたが、バンダーがそれを制止した。
自分がアーナージャック・グレープを守るべきなのだと主張するために、バンダーは跳躍する。ジウはその意向を汲んだ。
バンダーが金色の巨大物体に対して唱える。
「ゴットダン……」
詠唱と共にベッタレットのまわりに曲線が伸びた。
曲線がつながり、だ円をなす。そのだ円が回転し、空間に色をつけ、たまごの殻を形成した。
超巨大なたまごの殻が爆発寸前のベッタレットのまわりを覆った。
金色が封じられ、日没の光と闇があたりを満たす。
だが、たまごにヒビが入った。
パキパキとかけらが落ちる。
大きなかけらはアーティットやパイロたちがコナゴナに砕いてくれているが、このままでは爆発は防げない。
それどころか、殻があるぶん被害が大きくなりかねない。
いや問題ない、どうせジウがなんとかしてくれるという甘えをかなぐり捨てるバンダー。そうじゃねえとおのれの心をたたきなおす。
コーカイ(ข)の力を行使し、拳一個分のたまごを産む。
それを持ち、ベッタレットの直上にぶん投げた。
「ワン・グート!」
そのたまごが一気に膨張し、破裂する寸前のベッタレットに匹敵するサイズになった。もとの体の抜け殻はアーティットが回収してトゥアムに託した。
バンダーの投げたたまごの殻が割れ、なかから超巨大なバンダーが出現する。以前フップカオダーオでアーティットに伝えたとおり「孵化する個体は親をベースにしているが、年齢・性別・肌の色・髪の色や長さ・身長・体重・骨格・声帯はオレの気分次第」なのである。そのなかの身長と体重と骨格をいじって自分の魂をそれに移し替えたのだ。
グレープ国の領土と同じくらいに巨大化しても使い勝手がよくないので普通はこんなことはやらない。
が、今はそのくらいすべきとバンダーは考えた。誰からどう思われようが構わない。グレープ国民を守るために体を張るのは王子として当然のことだ。もちろん死んではいけないことも分かっている。
体の強度も上げている。バンダーは、破裂しそうなヒビ割れたたまごを抱擁した。
胎児のようなポーズをとり、たまごの表面全体を自分の体で覆った。
「【ข】コーカイ・バンダー、つかさどる字はたまごのコー。それ以上言うことはない」
日没と同時に、金色の右の目と髪は地上の稲穂を向いていた。
左の黒い目と髪は天を指していた。その色は緑と灰色の中間のようにも映った。
ただ爆発を体で受けとめる。
大規模なもののはずなのに、ほとんど無音のようだった。
爆風は広がらず、静かに抱擁に殺された。
金色のベッタレットが空気中に溶けていく。
殻が落ちる。巨大バンダーが産まれたときもそうだったが、アーティットやパイロだけでなくジウやミーも破片をバラバラに破砕していた。
バンダーは無傷とはいかなかったようで、赤いものが降る。
それはジウの薄桃色のかすみに受けとめられた。
巨大バンダーも殻のように割れ、砂のように消えていく。
チーネは、そばに来たアーティットの右手を見る。
少女姿のときの傷はないものの、そこから血が出たことをチーネは知っている。
「バンダー王子ともう一人だけは、無血とはいかなかったようですね」
からかうような声音ではなかった。
ただの事実を口からこぼしただけである。
アーティットはかすみに吸われる赤い滝を眺めて漏らす。
「ただの王子と兵隊の血だ。とくに数えることはない」
* *
そして地上に降り、グレープ国の中央に集合する。
木曜日になるまで、アーティットたちはクルムの出したあずまやのなかで眠り続けた。
バンダーももとの体に戻っている。
帝国兵の大半を捕虜にし、チーネも捕らえ、巨大ベッタレットをすべてしりぞけた。
すでに戦況は決した。
アーナージャック・グレープの勝利である。それも無血での防衛戦を成功させたのだ。
ちなみにガルーダベッタレットの核もパイロのギアップサゴップで溶かしたのだが、内部に捕らわれていたのは帝国軍総司令官グラドその人であった。
彼すらも捕虜にした以上、グレープ国の勝利は疑いない。
「本当に……コープクン」
バンダーは起きてきた文字保有者たち一人一人に手を合わせて礼を述べた。イヤリングを介してスープパンにも同じことを伝える。
王子らしからぬ態度ではあるものの、バンダーは仲間としてそうせずにはおれなかった。
そんなバンダーに、これまた一人一人が「コープクン」あるいは「マイペンライ」と返す。
さらに王子のもとに、グレープ国の伝令兵が駆け付ける。
そっと耳打ちする。
「申し上げます、殿下。帝国との講和条約がまとまったそうです」
「コープクン」
バンダーはねぎらいの言葉を忘れなかった。
今の彼はすべてを愛するバンダーなのか、それともすべてを嫌うバンダーなのか。
共に戦った者たちは次のように答えることだろう。
――「それはどうでもいいことだ」と。
次回「208.金色の日々(ทุกวันทอง)【前編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ギローメート(กิโลเมตร)→キロメートル
クワーム・ラークラーイ(ความหลากหลาย)→多様性
ジャ(จะ)→○○するつもりだ
タム(ทำ)→する
ヤンガイ(ยังไง)→どのように
キット(คิด)→思う
ワー(ว่า)→○○だと
クン(คุณ)→あなた
プート(พูด)→言う
ナン(นั่น)→それ
ゴットダン(กดดัน)→圧迫する
ワン・グート(วันเกิด)→誕生日




