206.【ข】たまごのコー・バンダー【その5】
翼を失ったチーネは至近距離に滞空するアーティットに目を向けた。
右中指を両のまなじりに当て、瞳を青に光らせる。
これこそ、グラド総司令および彼の近くに詰めていた帝国兵を篭絡した双眸である。
正確には、相手の本質を見抜く目だ。
視界に映る者の好みを読み取り、その趣味嗜好に合わせた表情を作る。
結果、相手は心をわしづかみにされ、洗脳されたも同然の状態になる。
一種の催眠術にかかると言ってもいい。
これまでパイロやアーティットはその目を警戒しながら戦っていた。
ために、チーネはなかなか青い色目を使えなかった。
だが翼のベッタレットを斬るために接近してきたアーティットにはわずかに隙が生じていた。
アーティットの好む表情は、さびしさを隠した微笑である。
青い瞳で見抜くと同時にチーネがその顔を彼に向けた。
いかにアーティットが色恋沙汰に疎い男であろうが関係ない。
持ち前の美貌も合わさって、チーネの色目に逆らえる者は存在しない。
ただし、その色目が直撃しなかった場合は例外となる。
篭絡しようとチーネが目を合わそうとした刹那、アーティットが剣を手から落とした。
空の兵隊にかかえられたまま目がうつろになり、全身の力が抜けたようにぐったりする。
しかもアーティットの真下からなにかが転がり出た。
だ円形のたまごである。
大きめの殻にヒビが走り、なかから衣服を身にまとった少女姿のアーティットが産まれた。
すでにチーネも知っている姿だ。赤目と赤髪、さらには左手の平にトータハーン(ท)の字がくっきり見える。
これはアーティットではなくバンダーの力だとチーネはすぐに気づいた。
桃色の目で下を見やると、落ちながら笑っているバンダーの顔が映ったからだ。
おまけに、ガルーダベッタレットのまわりに浮く岩の足場が上昇し、文字保有者たちを載せたままチーネのほうに向かってきている。
チーネは瞬時に決断した。
(こうなったら、いったんアーティットさんを確実に仕留めるしかないですね)
体を削られ両翼の大半を喪失したガルーダベッタレットを足場よりも速く上昇させる。
ベッタレットとチーネは肉眼では捉えきれないほど細い「いのちの色」で結ばれているので遠隔から指令するのは難しくない。
(文字保有者との戦闘で弱ったとはいえ、今の首なしガルーダでもギリギリ高速上昇くらいはできます)
少女姿のアーティットが左腕を上に伸ばし、落ちてきた剣をトータハーン(ท)のなかに飲む。
切っ先から柄頭までの部分が手の平に飲み込まれたところでアーティットの足にガルーダベッタレットの赤い背中が当たった。
そのままアーティットはガルーダの背中に右手をつき、姿勢を安定させる。
アーガートをそばに呼ぶ。もとの青年男性の体は落下させた。仲間に回収してもらうつもりなのだろう。
チーネも首なしガルーダの背中に着地し、間合いをあけたうえでアーティットと対峙した。
ガルーダは上昇を続ける。空気が薄くなっている。普通なら、まともに立っていられない。
が、チーネは蓄積したいのちの色を消費して生命状態を維持し、平静を保っていた。
アーティットもアーガートに地上と同じ空気を供給させ続けることによって高高度の環境に耐えている。
呼吸を整え、アーティットが腰を低くしたまま右手をガルーダの背中から離す。
対するチーネは赤い視線を返した。
「……隠し持っているものはないようですね」
透視の力を使っている。
さらに灰色の目に切り替え、直近の過去を見る。
「やはりさっきのたまごはあなたが産んだものでしたか。自分で自分を産むというのは奇妙なものですけれど、バンダー王子はそんなことまで可能なんですか」
「รู้สึกอันตรายเมื่อตาต่างๆน้ำเงินหันไปทางดิฉันแล้วค่ะ(ルースック・アンタラーイ・ムア・ター・タンターン・ナムグン・ハンパイターン・ディチャン・レーオ・カ)〔青い色目を向けられたときは危なかったです〕」
少女の姿をしていても、アーティットの雰囲気は変わらない。
兵隊として戦う姿勢を崩さず、鍔元に見立てた左手の平に右手を近づける。
間合いに踏み込み、チーネへと抜剣した。
血を流さないよう、刀身には鞘を装着している。
しかしチーネはすでに緑の目で未来を見ていた。
難なく後退してかわす。
ひざをつき、赤いベッタレットの足場をつかんだ。
それを引っこ抜く。絵の具のような塊を右手で回すと、柄の長い鎌の形状に変化した。
右手に鎌を構え、チーネがほほえむ。
「どうです、アーナージャック・グレープの金色の稲穂を刈り取るのにちょうどよさそうですよ」
「悪くありませんね」
「反応が薄くありませんか。アーティットさんは、グレープ国や仲間をおびやかすわたくしを許せないと思っているのでしょう?」
「先週に伝えたとおりです。雇われたあなたが帝国の利のために動くのは当然のことですよ。総司令官たちを篭絡しベッタレットに兵たちを詰め込んだのはやりすぎでしたが、死傷者はゼロですしチーネさんを憎む理由はないですね。おそらくクマリーもバンダーもパイロも同じ気持ちではないでしょうか」
「……それはよかったです。ちなみにわたくしもあなたがたを憎く思っていません」
それから上昇をやめないガルーダベッタレットの背中で、チーネとアーティットの攻防が始まった。
無血での勝利を目指すぶん、アーティットは力をかなり調整している。かつ、青年ではなく少女の体になっていることも勘案すれば、いのちの色で自身を強化しているチーネと五分五分といったところか。
チーネは赤い鎌を振り回す。
耐久力はないものの、壊れたらガルーダベッタレットの背中をちぎってその都度同形の鎌を生成する。
アーティットの戦法は抜剣を主体としたものだった。
抜いた剣を逐一左手の平のトータハーン(ท)に納め、チーネに接近したところで再度勢いをつけて抜く。
抜剣をからませることで、通常よりも剣のスピードを速めているのだ。
だがチーネもうまく鎌でガードする。
後ろから仕掛けられても全方位をカバーする紫の目がある。
そのうち日が没したが、暗視を可能とする橙色の目でチーネは有効に立ち回る。
相変わらずアーティットは新たな兵隊も呼び出さず、手の平から剣を抜いてまた納める。これを反復し続ける。
時折、チーネは探りを入れた。
「コウモリさんに空気を供給してもらうだけでなく、シャチさんやワニさんも出したらどうです」
「今は無理なんです」
「そうでしたか」
暗闇に目が慣れてきたところでチーネは左中指をまなじりに当てた。
黄色に変じた瞳でアーティットの心をのぞく。
ついで、すぐに緑色の目に切り替えた。
アーティットが右手を左手の平につけ、再び抜剣の体勢をとる。
「プロイ・コム――」
ここまでは、剣を抜くときの詠唱だ。
「ホーク!」
直後、剣の柄でも刀身でもない、長い柄がズルズルと引きずり出された。
ここでアーティットがトータハーン(ท)から引き抜いたのは、剣ではなく槍だった。
これまでアーティットがほかの兵隊も武器も出さなかったのは、ひたすら抜剣してそのリーチをチーネに刷り込むためだった。
たび重なる抜剣を見たチーネは剣のリーチを覚え、アーティットとの適切な間合いを計算することになる。
だからこそ、刀身が当たらない距離に後退しただけで油断する。
油断しているチーネに対してアーティットは剣ではなく槍をたたき込む。剣に比べてリーチの長い槍が突如として出現すれば、チーネも対応できずに抜剣ならぬ抜槍を食らうというわけだ。
しかしチーネにはお見通しだった。
アーティットの作戦はすでに黄色い目で丸裸にされていたのだ。
かつ、大雑把ではあるがチーネは近い未来も緑の目で見た。
(槍を抜こうが、あなたは血にまみれる。わたくしは無傷。未来は変えられません)
この未来は、チーネに槍の穂先が届かず、逆にアーティットが鎌の刃に裂かれることを意味しているに違いない。
チーネの職業である占い師すなわち「モードゥー」とは「見る〔ドゥー〕、専門家〔モー〕」のことなのだ。
これから先を見ることにおいて、アーティットがチーネを上回ることは絶対にない。
あとはチーネが鎌を振ればアーティットは赤に沈む。
はずだったが――。
「え」
鎌が届く前に、チーネの右肩に槍が当たっていた。
しかも、すでにアーティットの体が血にまみれている。
自分に当たった槍はともかく、血のほうは予見した未来のとおりだ。
だがなぜ鎌に当たっていないアーティットが血まみれになっているのか。
見つめると、そのカラクリが分かった。
「あっ!」
アーティットの右手が、槍の穂先をつかんでいたのだ。
言うまでもなく穂先には刃がある。だから彼は右手から出血していた。
通常、穂先は自分ではなく敵に向けるものである。が、今のアーティットは穂先を自分に向けるどころかじかにつかんでいた。
したがって、チーネに当たったのは穂先の反対側の先端にある石突き部分。
そこに白いトカゲの精霊がくっついていた。患部に白いしっぽが当たっているためか、チーネは無傷であり無痛でもあった。
(確かにわたくしの見たとおり、アーティットさんは血まみれでわたくしは無傷。わたくしの予見がくつがえされることはなかった)
それでもなお、アーティットはチーネの緑の瞳に映った光景を予想して、その未来を自分から再現するべく穂先をじかに持った。これならチーネが血まみれのアーティットを見た場合、勝利を誤認して隙を生ずることになる。
チーネの黄色い目は心を見たものの、アーティットは表層の心理に浮かばない精神領域で本当の作戦を立てていたのだ。心の動きを制限してチーネの目をかいくぐったパイロのやり方ともまた違う。チーネは作戦を丸裸にしたつもりだったしそれは真実なのだが、アーティットの腹中に隠されたものまでは見通していなかった。
抜いた槍を想定以上に早くチーネにぶつけることができたのにも理由がある。
右手で抜くと共に、左手を後方に勢いよく引いた。そうすれば穂先から石突きまでの部分をより早くトータハーンから引き抜くことが可能になる。剣に比べて槍はスピードを出しにくいものの、いったんその全身を空気中に出してやればあとはアーティットにとっては簡易な作業だった。アーガートに追い風を出してもらって加速してもいる。
現在アーティットは両腕をひらいた格好になっている。不安定な体勢のようにも感じるが、実際のところ最初から彼は腰を低くしたまま戦っているので、少女の状態であっても重心が安定している。
左半身をやや斜めに下げている状態でもあるため、チーネの右手の鎌も届いていない。
「なんて人……っ!」
未来を見るまでもなく、これから自分がどうなるのかが分かる。
パイロやクマリーであればためらうような場面でも、アーティットは容赦しない。
穂先を持ったまま槍をぶん回す。
チーネの右肩を石突きで押し、白いトカゲの医者の兵隊が彼女の肩に這ったのを確認しながら斜め下へと力を込めた。
右手から赤い色を噴出させているものの、表情には苦痛をまったく出さない。
詠唱どころか声すら挟まず、アーティットがチーネを吹っ飛ばした。
ペートによってケガを修復されつつも鎌を手放したチーネは赤い背中をすべった。
首なしガルーダの欠けた翼をジャンプ台にして一瞬だけ浮き上がったのち、落下する。
アーティットは槍を左手の平のトータハーン(ท)に納めた。
胴衣の裾を破って右手に巻きつけ、簡単に止血を済ませる。
鐘のイヤリングで仲間に連絡する。
「チーネさんを受けとめてくれ、トゥアム」
* *
【ถ】
チーネはあお向けの状態で夜空を落ち続けた。
もうベッタレットを出す余力はない。このままグレープ国の地面に激突すればいのちはない。
タハーン・ペートの冷たいしっぽを肩に感じつつ、チーネはまぶたを閉じる。
どこまで落ちただろうか。
心地いいクッションのような感触がチーネの上に乗っかった。
それはグレープ国の上空に設置されたトラップの一つ。
ヤーンロップによる分銅の蓋だ。
さらに、なにかに手を刺されたような気がした。
まぶたをあけると、オレンジ色のミツバチが視界に入った。
ついで背中に、空気の詰まった袋が当たる。
一個の袋が破れても、また別の袋が出現し、高所から落下したチーネの衝撃を弱めていく。
最後は人が百人ほど乗れそうな袋が現れた。
ふかふかのベッドのように、チーネの背中を受けとめる。
ミツバチによりしびれさせられたチーネは横に視線をやった。
金色の穂波の向こうから桜色の髪を持つ少女が姿を現す。
「【ถ】トートゥン・トゥアム、つかさどる字は袋のトー。さっそくだけどチーネくん、君をわたしのおなかに入れてあげようじゃないか」
「いきなりなんです」
「サット・ミー・グラパオ・ナー・トーン」
有無を言わせず詠唱すると、チーネが小さくなってトゥアムの育児嚢に吸い込まれていった。役目を終えたペートは消滅した。
オーバーオールの隙間からトゥアムが声をかける。
「甘えるがいいさ」
「捕虜に言うことですか」
体の自由は利かないものの、チーネの口は問題なく動いている。へその真上のトートゥン(ถ)をはがせば少なくともそのトゥアムは絶命するが、今のチーネにはなにもできない。
ここで、トゲトゲした男性の声が響いた。
「ざまあねえな、モードゥー・チーネ」
バンダーが現れ、育児嚢に収まったチーネをのぞき込む。
今はすべてを愛する王子ではない。すべてを嫌うバンダーだ。
「パイロだけでなく変態兵隊にもやられちまうなんてよ、いいきみだぜ」
「あなたはバンダー王子ですか」
目を丸くするチーネ。しびれているので表情の変化はさほど大きくない。
「あなたはわたくしをどのように処罰するおつもりです」
「んなこた、しねえよ。無血っつうオレらの勝利条件が満たされなくなっちまうだろうが」
カカッと音がする。
一度は靴を捨てたバンダーだったが、今は再びたまごに似たそれをはきなおしている。
「チーネ。てめえはオレらが無血で勝とうとしてんのを見抜き、ベッタレットに人を隠していた。オレらがなかにいるヤツを殺すんじゃないかと期待――いや予想してな。帝国にとっちゃあグレープ国が死傷者を出してくれたほうがやりやすいから」
「そうですよ、なのにわたくしに罰を与えないと……?」
「……だが一方で、ベッタレット内部にいる帝国兵は――それどころか軍馬まで食事や睡眠をとらずともその生命をきちっと維持してやがった。まるで死傷者を出したくねえみてえじゃねえの。この矛盾はどういうこった、おい? つまりおまえは生意気にもオレらに二つの選択肢を与えてたってわけだ。犠牲を出すなら出せばいいし、犠牲を出さずに戦い抜けるならそうしてみろってな。おまえがジャッグラワットの勝利のために動いていたのは事実だろう。だが同時に、オレらを試すようなマネもしやがって」
すべてを嫌うためか言葉づかいはぞんざいだが、バンダーの地頭は変わっていない。
「それだけじゃねえ、チーネ……おまえは」
「しーっ」
ここでトゥアムが小声でささやく。
「チーネくんは眠ってる」
「ちっ」
優しく育児嚢を揺らすトゥアムに背を向けるバンダー。
鐘のイヤリングを出し、トータハーン(ท)を表面に書く。
「アーティット、最後の巨大ベッタレットは始末したか。核に捕らわれたヤツは無事か」
『すまないバンダー』
アーティットの声に、風を切る音も交じっている。
『振り落とされた』
「ならとりあえず落ちてこい」
バンダーはあごを上げ、黒い左目と金色の右目で星空を仰いだ。
次回「207.【ข】たまごのコー・バンダー【その6】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ルースック(รู้สึก)→感じる
アンタラーイ(อันตราย)→危ない
ムア(เมื่อ)→○○したとき
ナムグン(น้ำเงิน)→青い
ハンパイターン(หันไปทาง)→向く
ディチャン(ดิฉัน)→わたし




