205.【ข】たまごのコー・バンダー【その4】
【ข】
ベッタレットではない本物のガルーダ(クルット)がいるとすれば、その神鳥もたまごから生まれたのだろうかとバンダーは気になった。
どんな存在にも雛の時期があり、自己を生み落とした親もいる。
王子であるバンダー自身も例外ではない。
父からは緑がかった黒い髪を、母からは金色の髪を受け継いだ。
幼いころは世界のすべてを愛していた。
が、父と母の対立に巻き込まれたことをきっかけにして、すべてを嫌うようにもなった。そのときバンダー王子はこれ以上の争いをさけるために、玉座をめぐって対立する父と母の両陣営からのさそいをことわった。愛している父母への拒絶はバンダーに相当のストレスをもたらした。これを希釈するために、それ以外のものすべてを拒絶しなければならなかったのだ。
とくに父母だけに向けてしまった嫌悪や憎しみを乗り越えるためには仕方がなかった。
ネガティブな感情を無差別にあらゆるものに対して向けてしまえば、父母だけを嫌ったということにはならなくなる。それでバンダーの気持ちは落ち着いた。
バンダーのそれは、具体的な理由を欠くと共に、個人的な必要性に駆られた憎悪でもある。
心に無差別の憎しみを持ったあとも、相変わらず彼はすべてを愛し続けた。
矛盾ではない。この世に無条件の愛があるとすれば、無条件の嫌悪もまた存在しうるはずだ。
現在バンダーは文字保有者と共に自分の国であるアーナージャック・グレープを無血で守ろうとしている。
グレープ国民、金色の穂波で満たされた景色、兵隊、家臣、父王、母王、仲間、さらには敵であるジャッグラワットの者たちをも無差別かつ無条件に愛しているからだ。
その愛する者たちを守る行為は、稲にたかる害虫をみんなで追い払う感覚に近い。
ただしその「害虫」とは帝国兵でもチーネでもなく、人々を戦争に駆り立てる「空気」や「流れ」といった曖昧なものかもしれない。
とはいえ無条件の愛などというものは、裏返せば薄っぺらでウソくさいともバンダーは思う。
同じく薄っぺらな、無条件の嫌悪すら平気で愛し、許容するだろう。
(愛憎は両立可能な感情だ)
したがってバンダーは、グレープ国民も彼らが育んだ景色も兵隊も家臣も父母も文字保有者の仲間たちもその他のすべても愛しながら嫌っている。
守りたいと思うと同時に、滅びればいいという感情も心の底に隠している。
にもかかわらずバンダーが嫌悪に流された行動をとらないのは、結局のところ彼が王子だからだろう。
バンダーは自分の立場をよく分かっている。
――一人の兵隊として俺は君みたいな人のもとで戦いたいんだよ。人間の愛憎の両面を理解し、そこから逃げずにいる君は必ず立派な王になる。
アーティットは前にそう言った。
王城で再会したときクマリーが口にしたことも思い出す。
――今のバンダーさんもかっこいいですが、トゲトゲしていたバンダーさんもクマリーは素敵だと思っていましたっ。
今回防衛戦に参加した高子音字のみんなも頑張ってくれている。
(ジウ、かすみをありがとう。ミー、シーフーハーターとしてのきみも頼りにしている。ルディ、きみのミツバチによる索敵や防衛にも大いに助けられた。クルム、あずまやを使用して場をあやつるきみの手腕は見事と言うほかない。パイロ、わたしもそのチンの音色に応えたいと思うよ)
バンダーは王子であると共に、文字保有者の一人としてコーカイ(ข)を保有する。
四十二個ある文字同士に貴賤の差はない。
ずっと王子として生きてきた彼にとって、そんな文字を背景にした平等の関係は居心地がよかった。
(スープパン、アーティットが帝国首都をきみに任せたのはきみが信頼されているからだ。ロップ、きみの蓋は帝国兵を完璧にシャットアウトしてくれた。トラニー、眠っていてもきっちり仕事をこなすきみは尊敬に値する。トゥアム、きみは自信満々なその態度に見合うだけの活躍をしている。実際、捕虜のなかではきみの袋につかまった者が一番多いからね)
全員が無血の勝利のために奔走していたことをコーカイ・バンダーは知っている。
戦争にいのちをかける価値なんてあるのかと質問して揺さぶりをかけたにもかかわらず、グレープ国にとどまってくれた兵隊たちがいる。
父王も母王もかつて玉座をめぐって対立したことを乗り越え、グレープ国を共に守ろうとしている。
軍師や宰相も同じ目的のもと兵を動かす。
マフマー帝国宰相と共に講和条約の話し合いを着実に進めている。
すでに避難した国民たちも、アーナージャック・グレープが平穏を取り戻すことを信じながら戦争終結を待っている。
かつて父と母の争いのなかで、十歳のバンダーは自分の身が二つに引き裂かれそうなほどの苦しみを味わったわけだが、だからこそ――。
グレープ国を無血で守るという一つの目的を共有し、そのためにみんなと全力を尽くすのは、今のバンダーにとって心地いい。
(二面性を持つ自分が統一された感じがする。いや、わたし自身が王子としてグレープ国の一部となった気さえする)
今なら、愛するアーナージャック・グレープと仲間のために戦うという思いも、けっして薄っぺらな言葉ではないと確信できる。
金の右目と黒の左目で首なしガルーダを見やった。
本物ではなく、チーネの指先から生まれた物体である。
したがってたまごを割って誕生したのでもない。
そのニセモノの赤い鳥さえバンダーは愛おしく思ったし、憎らしくも感じた。
「わたしたちがきみを仕留める」
首の断面めがけて言う。
「そろそろ稲刈りしたいんだ」
* *
【ว】
クマリーの頭上から巨大な赤い足が振り下ろされる。
バンダーは跳躍し、彼女をかかえて攻撃からのがれた。
が、ベッタレットの足は塔の頂上に直撃した。
首なしガルーダが踏みつけ、塔を上から砕いていく。
塔を作成したトラニーがヤーンロップの背中で詠唱する。
「ナンラーン」
すると砕けた岩が浮いたまま停止し、ガルーダベッタレットのまわりを取り囲んだ。
「【ฐ】トーターン・トラニー、つかさどる字は台座のトー。おとなしくしてくれるかな……むにゃあ」
しかし言葉は通じていないようだ。
文字保有者たちは崩れた頂上からのがれて宙に停止した岩を足場としたものの、首のない赤い鳥は燃えるようにその身を振動させた。
翼を広げ、十メートの羽根を八方に発射する。
雨となった羽根が斜め下に飛ぶ。
その風圧で薄桃色のかすみが吹き飛ばされ、グレープ国をクリアに俯瞰できるようになった。
トラップの蓋もミツバチも袋も貫通し、羽根が国土に突き刺さる。
金色の穂波に火がつき、瞬時に赤が燃え広がった。
国内にとどまっていた人々にも被害が出たことだろう。
羽根が本当に、地上に命中していたならば。
「デート・オーク」
ジウが杖で足場をつつくと、燃える地上が溶けるように消えた。
代わりに、少しも燃えていない金色が眼下を埋め尽くす。
それこそ本物のグレープ国の風景である。
ベッタレットの羽根は一本も地上に到達していなかった。
先ほど燃えたのは、ジウがかすみによって作り上げた地上のダミーにすぎなかったのだ。
以前スーンの攻撃からディアオの都市を守ったときのように、ソールーシー(ษ)の力を行使したわけだ。
足場の一つからクルムがさけぶ。
「クマリーちゃん!」
「はいっ」
ソーサーラー(ศ)の文字とクルム(คลุม)の名前をしるすクマリー。
赤と青に体を光らせつつ、クルムはうなずく。
「サーラー・カーオ」
黒いドレスのレースを一枚ちぎり、投げる。
大きくなり白へと変色したそれが、ガルーダの直上で四つの柱を伸ばした。
白いあずまやが赤いベッタレットの背中に装着された格好となる。
これは精霊の回復に特化したあずまやだ。ただし首なしガルーダを構成するベッタレットはチーネのあやつる物体なのでその恩恵を受けられない。
むしろクルムのねらいは内部に捕らわれているピーの活性化。
赤い羽毛がところどころ膨らむ。
なかでなにかが暴れているようだ。
シーフーハーター状態のミーが飛び出し、かぎづめのような足に乗る。
そこも膨張している。ピーがいるのは明らかだ。
ミーは口をあけ、膨らんだ表面を噛んだ。
するとなかから、翼を持った象のピーが出てきた。
先週の木曜日、東の国境線を攻めようとしたがアーティットやパイロに抑えられたピーの一頭である。
ちなみに象のピーを使役していた帝国の将は黄色の首なし虎ベッタレットの核にされていたので、すでに捕虜となっている。
姿を現したピーは文字保有者たちを襲うことなく、あるじのもとに向かって降下していった。
続いてミーがほかのピーを助けだそうと再跳躍する。
ここで首なしガルーダが手刀――否、翼の刀を振り下ろしてきた。
パイロがミーの前に立ちはだかり、一対のチンで翼を挟む。
さらにルディがミツバチを大量展開し、ベッタレットを囲んだ。
だが首なしガルーダはくちばしもないのに咆吼した。
全身を激しく運動させ、ミツバチをつぶしていく。
ひるまずトゥアムが唱える。
「ジョム!」
直後、まるで見えない袋に捕らわれたかのようにガルーダの体が動かなくなった。
そのあいだに手のあいた文字保有者たちが赤いベッタレットを削り、翼の生えた象のピーを救出する。
ミーが噛む。ルディのミツバチが刺す。トラニーが余分な足場を操作してぶつける。クルムがあずまやの柱を出してそれを振り回す。ジウがかすみを刃のようにかたちづくり、斬りつける。バンダーはたまごの殻を飛ばしている。
クマリーが適宜、仲間の字や名前を宙に書いて支援する。
(やっぱりみなさんすごいですっ! クマリーももっと進化しないと……)
しかし首なしガルーダもこのままやられはしなかった。
不可視の袋を裂き、再三羽根を飛ばす体勢に入った。
これに対し、パイロの竪杵にまたがったヤーンロップが巨大な鳥のまわりをぐるりと一周した。
左わきから乳白色の液体が飛び、空中の水平面に円をえがいている。
その円が鉛直方向の上下に拡大し、羽根をことごとく防ぎ落とした。
ついでバンダーがパイロに声をかける。
「もう内部にピーはいないよね」
首肯するパイロを確認し、バンダーが詠唱を続ける。
「グレープ」
アーナージャック・グレープの国名のもとにもなっているその言葉は「もみがら」の意味を持つ。
バンダーのまわりに、くすんだたまごの殻のようなものが出現する。
殻がバンダーを捕らえた。それはもみがらにも似ていた。
大きなもみがらが弾丸のように加速し、真下から首なしガルーダを襲う。
ガルーダはかぎづめに似た足でそれをつかみ、握りつぶした。
破片からバンダーがすべり落ちる。
両の足裏を真上に向け、右足の甲に刻まれたコーカイ(ข)を光らせた。
「充分に接近させてもらったぜ」
いつの間にかバンダーは、すべてを憎んでいるときの口調に戻っていた。
彼の装着しているだ円形の白い靴が右足から勢いよく蹴り上げられ、ガルーダの左の翼に吸い込まれる。
「グラジューンッ!」
バンダーがさけぶと同時に靴の外殻が一気に膨張し、爆発。
白い大きな殻が飛び散るなか、左の翼の大半が失われてしまったのが確認できる。
しかもすでにバンダーは、右の翼に対しても左足の靴を蹴り飛ばしていた。
同じ詠唱がくり返された。やはり爆発が引き起こされる。
結果、右の翼までもが原形を消失する。
ガルーダの背中に装着されていた白いあずまやも崩れ落ちた。
両翼のほとんどをなくしてしまったガルーダベッタレットを見下ろし、チーネが息をのんでいた。
「なんて人たち……!」
「プロイ・コム・ダープ」
アーガートにかかえられたアーティットが左手の平のトータハーン(ท)を光らせて剣を抜く。
鞘はない。
瞬時に距離を詰め、チーネの赤いベッタレットの両翼を根もとからたたき斬った。
次回「206.【ข】たまごのコー・バンダー【その5】」に続く!(10月17日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ナンラーン(นั่งร้าน)→足場
ジョム(จม)→沈む
グラジューン(กระเจิง)→乱雑だ




