203.【ข】たまごのコー・バンダー【その2】
蛇竜の完全消滅を南西で確認したあと、アーティットはグレープ国の王城に向けて飛んでいた。
チーネを警戒したからである。
まともに戦えばバンダーもパイロもチーネに負けることはない。
が、文字保有者側に「無血」という条件がある以上、チーネの立ち回り次第では戦局がどう転ぶか分からない。
空の兵隊を全速力で飛ばすと、案の定チーネはバンダーたちから逃げるところであった。
「ルークタハーン・カンベット。ゲーンタハーン・セー」
左手の平のトータハーン(ท)が赤く光り、釣り竿と鞭がなかから出てくる。
それらを両手に持ったアーティットが、チーネめがけて釣り針を飛ばし、鞭を蛇のようにしならせた。
チーネは赤いベッタレットの翼を大きく動かし、上昇を続ける。
ひとまず横に逃げるのはやめておく。
グレープ国の上空に仕掛けられたヤーンロップ・ルディ・トゥアムのトラップについては、小型ベッタレットを先行させてわざと引っかかることによって暴いていた。
また、高度を調整すればトラップはすり抜けられるし、文字保有者のさじ加減によってわりと自由にトラップのオンオフを切り替えられることにもチーネは気づいている。
とはいえ確実に安全なのは、トラップのない王城付近の空域のみ。
ゆえにチーネはその空域から離脱することなく、上へと移動しているわけだ。
瞳を緑に光らせ、アーティットの放つ釣り針と鞭をかわす。
アーティットは斜め下から赤い視線を送っている。
「……その緑色の目は、未来を見る目のようですね」
相変わらずチーネ相手には敬語である。
まぶたを深く下ろし、まばたきした。
「だから先週の水曜日、マフマー宰相を連れた俺の逃走経路を読み、先回りすることができたわけですか」
「アーティットさん、ひょっとして鎌をかけてます?」
「どうでしょう。とはいえ見ることができるのはあいまいな映像だけのはず。ハッキリ未来をのぞけるのなら、あなたはもっと上手に立ち回っているはずです」
チーネを追い、アーティットもアーガートと共に高度を上げる。
「そしてチーネさんの『色目』は、いのちの色を見抜く黒い瞳以外に合計八つありますね。すなわち――」
赤い目は障害物越しに対象を透視する。
黄色い目は心を見る。
桃色の目は遠くのものを拡大する。
緑の目は未来を、灰色の目は過去をのぞく。
「水曜日の夜、目を灰色に光らせて『やはり』と言ったのは俺の少し前の過去を見たからでしょう。それによりあなたは、やはりマフマー宰相は亡命に成功し、かつパイロが俺と共に自分のもとに来たのだと確信したということです。こう考えれば、あなたが事前に耳栓をしてパイロのチンを対策していたのにも説明がつきます」
さらにアーティットは残りの「色目」を明らかにする。
橙色の目は暗視を実現させる。
青色の目こそが人を篭絡する。帝国軍総司令官グラドがチーネにあやつられているのはこの青い目のせいだ。
最後に紫色の目は眼前に限らず全方位を見ることができる。
チーネが目をむいてアーティットを見下ろした。
「やるじゃありませんか。わたくしの『ตาต่างๆ(ター・タンターン)〔色目〕』を看破するなんて」
「見破ったのは俺じゃありません。バンダーです。パイロの報告も合わせてチーネさんの色目の詳細を突きとめたんですよ。俺はすでにバンダーから聞いたことをくり返しているだけです」
パイロの背中を直接見ずに切り傷の数を言い当てたのは赤い目で透視したから。
天幕内でにらみ合っているときにパイロへと黄色の瞳を向けていたのは心を見るため。かたちあるものを見ていたなら、自分の能力をひけらかすのをさけるためにその目の色を早期に引っ込めるはずだが、パイロの話によると長時間にわたってチーネは黄色の目を向けていたそうだ。
したがって時間によって変動する「心」を見ていたのだと推測できる。似たような力を持つホーノックフークを思い出せば、大して突飛な発想でもない。
また、王城崩壊の際に吹っ飛ばされたバンダーを遠くから見るチーネの目が桃色になったことから、その機能が望遠であることも明らかだった。
光の届かない横穴に入ったチーネが橙色の瞳に切り替えていたのも暗視のためと考えれば納得できる。
チーネは王城に大穴をあけたあと王国首都を取り巻く稲穂について「いい金色」と言ったが、そのときバンダーは彼女の首や足がほとんど動いていないのを見ていた。
稲穂の金色を堪能したいなら、もっと積極的に見回すような仕草をするはずだ。奇襲した直後に周囲を確認しようとしないのもおかしい。
ここから、紫色の瞳は全方位を見るのだとバンダーは見抜いた。つまり視野が三百六十度をカバーしている。モーマー(ม)の保有者サラサルアイも似たような視野を持っているので、そこから連想することは簡単だった。
青い目に関してはパイロもバンダーも見ていないが、グラド総司令を篭絡した「色目」に当てはまりそうなものがほかにない以上、消去法で「青い目」がその「色目」に該当するのだと分かる。
「なぜ色が青なのか――それはチーネさんの出す色が曜日のそれに対応しているからです。あなたは占いのときに人の手を揉みますね。そのとき、相手のいのちの色を分けてもらっているんでしょう? そうしてあなたのなかの『寄生精霊』にいのちの色を蓄えるわけです。俺とクマリーの手を揉んだとき、それぞれ瞳が赤と金色に光ったことから……あなたの寄生精霊はその眼球に住んでいると考えられます」
左人差し指・左中指・左薬指・左小指・右小指・右薬指・右中指・右人差し指は順に、日曜日の赤色・月曜日の黄色・火曜日の桃色・水曜日の緑色・水曜日の夜の灰色・木曜日の橙色・金曜日の青色・土曜日の紫色を放出することができる。
チーネは蓄積したいのちの色に応じた色目を使える。指先からさまざまな色の絵の具を出してベッタレットを作成することも可能だ。
たとえば左手の小指でまなじりを押せば瞳は緑になるし、先ほどやったように左人差し指を揉めば赤いベッタレットが出てくることになる。
「チーネさんが俺たち文字保有者と渡り合うことができているのは、そのように『いのちの色』を自在にあやつることができるから――そうですよね」
「以上のことを、すべてバンダー王子が見破ったと?」
「そのとおりです。通話しますか」
アーティットは釣り竿を持った左手の小指と薬指で耳たぶをつまんだ。
鐘のイヤリングにコーカイ(ข)を書くと、きらきらしい声が聞こえた。
『どうも、アーティット。聞こえるかな、チーネ』
「王子さま。わたくしの秘密を丸裸にするとは素晴らしいご慧眼をお持ちではありませんか」
『……アーティットがなぜきみの力を懇切丁寧に説明したか分かるかい』
「ええ。こっちはおまえのことをここまで分かっているんだから、これ以上あらがってもおまえの勝ち目は薄い。さっさと降参したほうが身のためだ――と言いたいのでしょう」
『答えは?』
「จะปฏิเสธค่ะ(ジャ・パティセート・カ)〔おことわりします〕」
ついでチーネは左薬指を両のまなじりに当て、瞳を桃色に輝かせた。
望遠の力を持った双眸を北東に向ける。
「そんなことより、わたくしばかり相手して大丈夫ですか。クルットがこの国に向かっていますが」
「なんとかしますよ」
アーティットがチーネと同じ方向――ではなく北を見た。
「バンダー、ぶつけていいか」
『やれ』
「ああ」
小さな鐘の表面に新たな文字を書く。
* *
【ห】
帝国首都ムアンルアン・グアンの政庁の外壁にもたれかかっていた彼女の耳にイヤリングが出現する。
『今から首都を覆っているボックとプルーンを巨大ベッタレットに当てる。激突しても周囲に被害が出ないようにできるか』
「เป็นไปได้(ぺんぱいだーい)〔できるよー〕」
クリーム色の髪と瞳を持つ彼女はやる気なさげに返し、詠唱を続ける。
「ぐるーん」
先週の火曜日から、首都の全空域はイノシシの姿をした巨大な炎で覆われていた。
その燃える巨大イノシシのまわりに半透明の膜が発生し、一瞬のうちに全体を包んだ。
「準備ばんたーん。補助しよっか?」
『頼む』
「け~」
けだるげに了解の意を示した彼女が、くわえていた棒付きのアメを振る。
すると膜をまとった巨大イノシシが首都上空から南東方向へとおもむろに動きだした。
彼女を監視していた帝国兵たちが目を丸くする。
それに気づいた彼女が彼らをなだめる。
「心配しないで。落ちてこないから」
ついで首都民にも安心するよう伝えてほしいと兵たちに頼んだ。
「【ห】ホーヒープ・スープパン、つかさどる字は箱のホー。ไป(ぱい)〔行って〕」
帝国兵のなかの数人がきびすを返すと共に、燃える巨大イノシシが上空をすべり続け、加速していく。
ねらいは、もちろん――。
次回「204.【ข】たまごのコー・バンダー【その3】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ター(ตา)→目
タンターン(ต่างๆ)→いろいろ
パティセート(ปฏิเสธ)→ことわる
ペンパイダイ(เป็นไปได้)→可能だ
グルーン(กลืน)→飲み込む




