201.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その5】
【ฉ】
またもや夜が明け、月曜日の朝が来る。
(時間稼ぎは終わった)
帝国軍の天幕内でにらみ合っていたチーネとパイロは同時に思った。
かつ、これ以上相手に時間を稼がせてはならない。
そう思考した結果、夜明けと共に二人が動く。
チーネは左手の小指をまなじりに当て、瞳を緑に変色させた。
二体のベッタレット――透明のカメレオンと、原形をとどめていない青い球状の「核」も前に出る。
パイロはチンのヒモを首から外し、一対のそれを両手に構えた。
竪杵を股に挟み、飛行。いったん天幕の外に出る。
そばにはモグラのベッタレットがあけた大穴がある。
チーネがパイロを追うと、穴のなかから金髪と黒髪が出てきた。
正確には、髪の右側が金色で左側が黒い。
コーカイ(ข)の文字保有者にしてグレープ国の王子バンダーが姿を見せたのだ。
バンダーは手になにかを持っていた。
ただの袋である。金が詰まっており、朝の光を受けてまさに金色に輝いている。
グレープ国で金は採掘できない。
彼の持ってきた金は、シーフーハーターのミーが産したものだ。バンダーは部下の兵隊にミーの落とした金を運ばせ、それを袋に詰めて持ってきた。
「チーネ。これで買収されてみないか」
パイロから少し離れた地面に立ったバンダーが、金の詰まった袋をチーネのほうへと投げつけた。
通常ならそこまで飛ぶはずもないが、今のバンダーはコーカイの力を使ったのか両腕の筋肉を丸太のように肥大させている。
おまけに投てきの直後、ヌムニムと唱えた。
チーネの足もとにゼリー状のたまごを発生させて動きをとめようとしたのだ。
だがチーネはこの未来を見ていた。
カメレオンベッタレットに乗って跳躍し、バンダーの攻撃をかわす。
突進してくるパイロに向かって、核の部分をさらした青いベッタレットを盾のように突き出す。
「この核にダメージを少しでも与えたらなかの人間は死にますよ」
ジウの推測どおり、チーネの出現させた巨大ベッタレットに仕込まれた球体の核を攻撃すれば、そこに捕らわれた人はタダでは済まない。
死傷者を出した時点で、無血での終戦は不可能となる。
だが、なかの人間をどうにかしなければベッタレットはとまらない。
青い球体にかろうじてぶら下がっているイモのような部位が伸び、パイロを襲う。
パイロを倒したあとでバンダー王子を捕らえるのがチーネの計画。
王子を捕虜にできれば、チーネの所属する帝国軍はグレープ国に対して俄然有利になる。
ここで、パイロが左右のチン同士をそっと近づけた。
耳栓をしているチーネに音を聞かせても効果は薄い。
ねらいは、ベッタレットの青い核そのもの。
先週の月曜日、森の川で遭遇した黄色のベッタレットを仕留めた技――「ギアップサゴップ」をパイロは発動しようとしている。
(ギアップサゴップはダメージを与える技ではない。ただ、標的そのものを動の状態から静の状態に移行させる)
ベッタレットの材質は絵の具に似ている。
その絵の具が動かなくなればベッタレットは形状を保てなくなり、静かに壊れることになる。
チーネがパイロを自分のもとにクギ付けにしていたのは、ギアップサゴップをほかの巨大ベッタレットに使われるのを警戒したからである。
くだんの技については、先週の黄色ベッタレットがやられた時点でチーネも気づいている。
が、チーネにはもう一つ分かっていることがある。
少なくともパイロに人を殺す気はまったくないということだ。
パイロがモグラのベッタレット内部にいた帝国兵を一人も殺さず助けだした時点でチーネはそれを確信した。
「分かっていますよ、ギアップサゴップ。でもその技を撃っても核内部の人間はどのみち、いのちを落とします」
相手の動きをとめるべく、早口で伝えるチーネ。
事実として核を構成する球体は、ほかの部分よりも繊細だ。ギアップサゴップはダメージのほとんど発生しない技ではあるが、巨大ベッタレットの核に対してだけは例外なのだ。その技をもってしても、なかにいる者のいのちを奪う可能性がある。
人のいのちを犠牲にしてでも勝つという気がパイロにあるならチーネの言葉は通じない。
だが彼にその気がない以上、忠告は有効だ。
念のためチーネは左中指をまなじりに当てて瞳を黄色に切り替えた。
その色目でパイロの心を見る。
(จะกู้ภัยให้ได้(ジャ・グーパイ・ハイダーイ)〔絶対に助ける〕)
――やはりパイロさんは優しいですねとチーネは静かにほほえんだ。
自分の乗っている透明カメレオンベッタレットの舌を湾曲させ、パイロの背中を突こうとする。
が、チーネは妙なものを見た。
パイロの体から赤い光と青い光とが漏れ出したのだ。
いのちの色が放出されているのではない。
軽く自分の耳をさわったあと、パイロが左右のチンを重ね合わせた。
「【ฉ】チョーチン・パイロ、つかさどる字はチンのチョー。耳をふさいで――ギアップサゴップ」
静寂にも似た音が響き渡る。
耳に絵の具を詰めているチーネには効かない。
が、透明カメレオンの舌の先端と、青い球状の核およびその付属物の動きがぴたりととまる。それらが水にひたされた絵の具のように空気のなかに溶けていく。
チーネはまばたきをくり返して驚いた。
まさかパイロが人を殺すとは思わなかったからだ。
核から出てきた帝国兵――正確には将なのだが、彼が宙からすべり落ちる。
将はバンダーの出したゼリー状のたまごの上に落ちた。
うめき声を漏らし、体をけいれんさせる。
それを見てチーネはさらに驚がくした。
なかにいた人は死んでいない。しかしチーネの計算ではギアップサゴップでも彼は死亡するはずだった。
しかもパイロは再び「ギアップサゴップ」と詠唱してチンを鳴らす。
青い核はすでに溶けたあとだ。
チーネにはパイロのねらいが分からなかった。
いったんカメレオンベッタレットと共に遠ざかる。
バンダーのほうはパイロの攻撃に巻き込まれないよう、遠くから様子をうかがっている。
パイロはチーネを追わず、また耳をさわってからギアップサゴップにより静寂を奏でた。
体を赤と青に光らせながら、同じ動作を四回、五回とくり返す。
モードゥー・チーネは目を黄色に光らせることで相手の心を見ることができるのだが、いくら見ても「絶対に助ける」という決意しか分からない。ホーノックフーク(ฮ)ほどの閲覧能力はないので、それ以上は不明である。
耳の詰め物を取れば戦局がハッキリするだろうかとも考えた。しかしそれをねらってパイロが仕掛けてくる可能性もあるのでうかつなことはできない。
ひとまずチーネは目を桃色に光らせてパイロを観察する。
そのとき、パイロは鐘のイヤリングをさわっていた。
遠隔の仲間と連絡を可能にするイヤリングのことも、チーネはすでに把握している。
パイロの指が鐘の表面で文字の軌跡をえがいている。
その文字のかたちは、トータハーン(ท)のそれである。
瞬間、チーネはパイロがなにをやっていたか気づいた。
彼は巨大ベッタレットの核を安全に仕留めることができる状態を整えたうえで、鐘のイヤリングを介してその静寂の音色を遠隔の仲間に届けていたのだ。
チーネは巨大ベッタレットを作り、グレープ国を六方から襲撃させていた。
灰色の牙なし象、橙色のネズミ、紫色の蛇竜、緑色の牙付き象、桃色の獅子、黄色の虎――いずれも首のない六体だ。
これからパイロが鳴らすギアップサゴップも、ちょうど六回目にあたる。
ほかの文字保有者がすでに核を露出させたそれぞれのベッタレットのそばについているとするならば、この時点でほとんどが全滅させられた計算になる。
パイロが時間稼ぎをしていた真の理由は、チーネを足止めして文字保有者やグレープ国にとって有利な戦況を作り出すことだけにとどまらなかった。
すべての巨大ベッタレットが核を露出するまで待っていたのだ。
月曜日の朝を迎えた今、パイロはそれが完了したことを確信した。だから動いた。
ただしギアップサゴップはすべてのベッタレットの核に連続して撃ち込まなければならない。
もし一度や二度撃ったあとに時間があいたら、チーネに対策されるおそれがあった。
そしてパイロは心のなかでこの作戦を考えないようにしていた。
チーネの黄色の瞳が心を見るものだと明確に分かっていたわけではない。ただ、パイロ自身のいのちの色と一致するその色が心に侵入してくるような感覚があった。そのため、なかば不随意的にパイロは心の動きを制限していた。
もはやチーネはトータハーン・アーティットとそのそばにいるベッタレットに届けられようとするチンの音色をとめられない。
彼女はハッとしてカメレオンを方向転換させた。
バンダーの投げた金の詰まった袋が地面に転がったままだったが、それに突進する。
袋が破け、なかから金塊が散らばる。
金と共に、白っぽい衣装をまとった茶髪の少女の精霊が出てきた。
ウォーウェーン(ว)の文字保有者、クマリー・トーンである。
体は普段よりも小さめだ。金の詰まった袋のなかで文字を書き、こっそりパイロを強化していた。
きのうアーティットの指示を受けたクマリーはまずバンダーのもとに飛んだ。
アーティットの指示は以下のとおり。
『王城の残骸の前にいるバンダーと合流し、夜明け前にパイロの救援に向かってくれ。チーネさんがパイロを足止めしていることから察するに、パイロは巨大ベッタレットに対して有利な技を持っている。おそらくギアップサゴップだ。鐘のイヤリングを介して各戦場にその効力を届けてもらう。でも現状、ノーダメージで核を攻略できるかは分からない。先週の月曜日に使われたギアップサゴップをもとにしてチーネさんが核の強度を調整している可能性があるからだ。そこでクマリーには、パイロの字を書いてチーネさんの想定を上回る力を彼に与えてもらいたい』
ただし確実にパイロを支援するためには、クマリーの接近をチーネに悟らせるわけにはいかなかった。
だが隠れようとしても、いのちの色を見ることができるチーネはクマリーの金色を必ず見抜く。
そこでバンダーはシーフーハーターの排出する金のなかにクマリーを隠すことにした。
これならクマリーのいのちの色を金の輝きでごまかすことができる。
バンダーがわざわざその袋を投てきしたのは、いつまでも持っていたらクマリーが隠れていることがバレるからだ。それをごまかすために、豪快に投げた。あくまで攻撃のために金を持ってきたのだとカモフラージュしたわけだ。
クマリーは袋のなかで字を書いた。ヤーンロップのアドバイスをもとに両手を使う。
左手でチョーチン(ฉ)を、右手でパイロ(ไพเราะ)の名前をしるした。
パイロの体が赤と青の光を発していたのはそのためである。
チョーチンの文字が内側からみなぎる赤い光を、パイロの名前が外側から静かに貼り付く青い光を与えた。結果、チョーチンの力が底上げされ、かつパイロ自身の集中力が増した。
これによりパイロはチーネの想定以上の力を繊細に行使することが可能になった。
ギアップサゴップの静寂の音色を絶妙に調整し、ベッタレットの核内部にいる人間を殺さないチンの響きを実現したのだ。
チーネはこの可能性に思い至り、袋を攻撃対象に据えた。
なかのクマリーを倒せばパイロの強化は終わる。そうなればパイロはこれ以上ギアップサゴップを撃てなくなる。
が、チーネとクマリーのあいだになにかが立ちはだかる。
竪杵が飛んできたのだ。
チーネの行動を読んだパイロが自身のまたがる竪杵をすでに飛ばしていたのだ。
当のパイロは落ちながらイヤリングのそばでチンの静寂を奏でた。
落下後、イヤリングからアーティットの声が響く。
『紫色の核は溶けた。なかにいた帝国の将も無事だ』
「これで七体の巨大ベッタレットは攻略したということか」
パイロが静かに戦況を口にする。
耳をふさいでいる状態でも、グレープ国を襲わせていた巨大ベッタレットたちが本当に全滅したことをチーネも理解した。
鐘の舌を引っ張り、パイロがイヤリングを消す。
「グラップ……」
両手のチンが小さくなる。竪杵も縮小し、パイロのもとに飛ぶ。
チンのヒモが竪杵にからみつく。小さな貝殻のようになった一対のチンをパイロが耳にはめる。
耳栓ではない。むしろ聴覚は鋭敏になっている。
チーネに近づき、パイロが宙に文字列を書いた。
【มอบตัวด้วย(モープトゥア・ドゥアイ)〔降参してほしい〕】
クマリーもチーネを説得しようと声をかけている。バンダーは遠くから静観している。
だがチーネは透明なカメレオンベッタレットと共に大穴へと飛び込んだ。
パイロは敵対の意思がないことを示すためかチンも竪杵も大きくせず、チーネに続いて穴のなかに落下する。
バンダーがランプを投げてくれた。穴を通過するときに持ってきたのだろう。パイロはそれを受け取り、チーネを追跡する。
当のチーネは逃げても追いつかれるか挟み撃ちにされると思ったようだ。
湿った横穴の途中でパイロを待ち構えていた。
「困りましたね。もうなすすべがありませんよ」
今のチーネの瞳は橙色だ。
言葉がウソであるのはすぐに分かった。
パイロの鼓膜が透明なベッタレットの足音を捉える。
舌を伸ばしてくるかと思いきや――。
カメレオンベッタレットは爆発した。
チンの反響を使い、首なしカメレオンの内部に人がいないことをすでにパイロは調べていた。よって、このせいで無血という目標が崩れることはない。
透明な絵の具のような体から爆風と爆音が飛び出す。
しかし事前に音を拾っていたパイロは後退して爆発をよけることができた。
直後、水音が聞こえた。
そもそもアーナージャック・グレープにおいて稲作が盛んなのは、四期作をおこなってもまったくやせない土地を持っているからだ。
四期作を支えているのが、グレープ国の地下水脈。
グレープ国の下には網の目のように水脈が張りめぐらされており、この水脈のおかげで短期間に稲作をくり返しても土地が枯れないのだ。
今の衝撃により横穴の土壁が裂け、水脈の一つが鉄砲水となって噴き出してきた。
パイロは回避したがチーネの避難は間に合わなかった。
耳栓をしていたため、水音に気づけなかったのだ。
大量の水に飲まれるチーネ。
あらがうこともできず、体を回転させながら流される。
腑に落ちない話でもある。
チーネは事前にグレープ国の水脈のことを知っていたはずだ。でなければ、ほかの地下水脈に当たることなく、モグラベッタレットに王城までの穴を掘らせることはできなかっただろう。
したがって爆発による鉄砲水に巻き込まれたのはワナの可能性もあった。
あるいは目の前の彼を試すため、わざとチーネは流されたのかもしれない。
もちろん勝敗が決しそうなこの土壇場で判断を誤ったとも考えられる。
どうであれ。
持っていたランプを放り投げ、横穴を満たす鉄砲水のなかにパイロは突っ込む。
口から泡をはく彼女をだきとめて南に泳いだ。
王城を破壊した大穴から顔を出し、チーネを地面にあお向けにして寝かせた。
意識のないチーネに心肺蘇生をほどこす。
しばらくして、意識を取り戻した彼女が水をはいた。
「けほっ……パイロさん」
まばたきし、視界の水分を飛ばす。
互いに体は濡れており、服や髪が肌に張り付いている。
大きい瞳孔を持つ真鍮色の目が近くにあった。
彼の手がチーネの両耳に入り、黄色の絵の具の詰め物を抜く。
重低音に似た力強い声が代わりに入ってくる。
「意識が戻ったのか、よかった」
「……もしかしてパイロさん、わたしの蘇生をやってくれたんですか」
チーネは右の小指をまなじりに当てようとして、やめた。
「あなたの口から詳細を聞かせてくれませんかね」
「まず胸骨圧迫では私のチンを使用した。音圧によって胸部の圧迫をおこなった」
再び大きくした一対のチンを軽く鳴らすパイロ。
隣には薄い黄色の気体グラハンが控えている。
「次に気体グラハンに気道を確保してもらったうえで」
「人工呼吸ですね」
「そうだ。これもチンによる音圧で空気を送り込んだ。そしてチンを用いて胸骨圧迫と人工呼吸を反復した」
「わたしの体にふれてないんですか」
「おぼれている貴方を運ぶときはさすがにだきかかえたが」
「なんにせよコープクンです……けほ」
また水をはき、チーネがあお向けのままパイロを見つめる。
真鍮色の髪と瞳。
そして大きな背中からは、いのちの色である黄色が漂っている。
チーネはあらためてパイロの手にふれた。
自分を盗賊の剣から守ってくれたときよりも、大きくなっている気がする。
それからパイロの背中に両手を回し、チョーチン(ฉ)と十六の切り傷をなぞる。
「でもあなたはアーティットさんに始末された盗賊のように、わたしを蹂躙してもいいんですよ」
答えの分かりきった問いをそっとささやく。
パイロは、まだ戦いが終わっていないことを意識しながらささやき返す。
「あのときとは違う。いや、あのときと同じで」
とくにチーネの手を振り払うことなく、彼女の本来の名前をもう一度口にする。
「私はパイロで貴方は――」
次回「202.【ข】たまごのコー・バンダー【その1】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ジャ(จะ)→○○するつもりだ
グーパイ(กู้ภัย)→救助する
ハイダーイ(ให้ได้)→絶対に
モープトゥア(มอบตัว)→降参する
ドゥアイ(ด้วย)→してください




