199.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その3】
【ฐ】
昨日アーティットはムアンルアン・グアンにいる仲間に連絡を入れ、防衛戦力としてミーとトラニーに戻ってくるよう指示した。
したがって帝国首都にはスープパンが残っている。
一方、トラニーは「台座のトー(ฐ)」の力を行使し、大砲に似た発射台を帝国の荒野に出現させた。
その発射台からシーフーハーター状態のミーを撃ち出したのである。
トラニー自身はミーの口内に入った。発射台は使用後、跡形もなく霧散した。
弾道は弧をえがき、アーナージャック・グレープの東の国境線に到達。
ミーとトラニーが東に入ったのは、鐘のイヤリングを介してアーティットからヤーンロップの支援要請を受けたからである。
現場に到着したミーは薄桃色のかすみのなか、黄色の首なし虎と対面する。
絵の具のような身を削り取り、内部に捕らわれた帝国兵を一人また一人と助け出す。
そのあいだ、すでにミーの口から出ていたトラニーは寝ぼけまなこをこすりつつ、帝国兵を引きずって一箇所に集めていた。
首なし虎はトラニーにも突進しようとしたが、突如として宙に鍋蓋が出現し、その進撃を阻んだ。
かすみの向こうからシルエットを頼りに戦況を観察していたヤーンロップが、トラニーへの攻撃をジャストタイミングで防いだのである。
トラニーはヤーンロップのいる方向に手を合わせたのち、詠唱した。
「チャヌアン」
するとトラニーの足もとがへこんだ。
へこみの形状は一辺百五十センティメートほどの正方形である。
次第にへこみは深くなり、縦に延びた穴となる。
さらにヤーンロップの足もとの地面もえぐれ、同形の穴があいた。
トラニーが自身の足もとの穴に帝国兵を放り込むと、兵は落下したあとヤーンロップの足もとの穴から噴水のように出てきた。
二つの穴は弓なりにつながっているのではない。
どちらも真下に延びている。にもかかわらず連結している。
意識のハッキリしない帝国兵が次から次へと穴に放り込まれ、もう一方の穴から出る。
ヤーンロップとその近くに詰めていたグレープ国兵が帝国兵を受けとめる。
そして帝国兵が途切れたところでヤーンロップはグレープ国兵にその場を任せ、穴に飛び込んだ。
鉛直下向きに落下したのち、薄桃色の空間に出る。
直後、重力の向きが正反対になった。バランスを取りつつトラニーのそばに着地する。
トラニーはあくびをしてヤーンロップの背中にもたれかかった。
覚醒状態を終え、寝言で要望を伝える。
「蓋のフォー(ฝ)……しばらく背中を貸してほしいな……すぴぴー」
「もちろん。おつかれさま、トラニー」
快くヤーンロップはおんぶした。
自分から首や肩にしがみついているため、トラニーを両腕で支える必要はなさそうだ。
ミーによって助け出された帝国兵を運び、穴にそっと落とすヤーンロップ。
穴に落ちた帝国兵がグレープ国の領地に出たあと、馬車に乗せられて別の場所に送られていく。
形式上は捕虜であるものの、つかまった帝国兵は丁重にあつかわれる。
もし危害を加えたら厳罰に処すとグレープ国の軍師が自軍に徹底告知しているからだ。
奔走するヤーンロップの背中でトラニーが再び寝言を漏らす。
「くかあ……左右非対称の背中も最高」
「どうもです。あ、忘れてた」
ヤーンロップは鐘のイヤリングを出してミーとトラニーが到着したことをバンダーに伝えた。
ついでに質問する。
「バンダー。崩れた王城に救援に向かわなくて本当に大丈夫……?」
チーネによって王城が地下から奇襲を受けたことについては、文字保有者たちにすでに共有されている。
きらきらしい声でバンダーが応じる。
『心配ないよ。まずロップは、ミー・トラニーと共に黄色の虎型ベッタレットに対処しておいてくれ』
「はい。でも南東に出現したという桃色の獅子はどうするの。ジウのかすみに捕らえたといっても、放置するのは危険」
『そこも問題ないさ』
焦ることなく余裕を見せるバンダー。
『ミツバチが向かっている』
* *
【ผ】
ハチミツでできた巨大ミツバチに乗ってルディは南東の国境線を越えた。
王城が崩壊したからには、国境から離れた場所で戦局を観察している場合ではない。
チーネを追ったパイロを助けに向かうという選択肢もあったが、現在誰も対処していない桃色の獅子をほうっておくわけにもいかなかった。
国境線の近くに待機しているグレープ国兵に声をかけておく。
「【ผ】ポープン・ルディ、つかさどる字はミツバチのポー。ここにいる敵は僕たちが刺す」
かすみに入り、しばらくブンブンと飛ぶ。
じきに、巨大な首なし獅子のベッタレットが視界に映った。
視認するなりルディが唱える。
「ルックフー」
オレンジ色の巨大ミツバチが無数の小型ミツバチに分裂した。
ミツバチが獅子に群がり、体表を刺してまわる。
刺された箇所がドロドロと溶けていく。
「ムンルアット!」
ルディが詠唱を重ねると、まだ彼のまわりで滞空していたミツバチ同士が合体し変形した。
ハチミツでできた網に変化し、横倒しになる。
浮いたまま、桃色の獅子の下にすべり込んだ。
なかから落ちてきた帝国兵をオレンジ色の網目で受けとめる。
(順調だね。……だけどおかしいな。各方位に現れた巨大ベッタレットがこの程度の敵なら、すでにジウさんやアーティットが仕留めていそうなものだけど)
ここでバンダーから連絡が入った。
『ルディ。たった今、ジウが教えてくれたよ』
もったいぶらずに主旨を伝える。
『現在みんなが交戦している巨大ベッタレットには核の部分があるそうだ。形状は球体で、ほかの箇所よりも濃いからすぐ分かる。その核に捕らわれた者を廃除しなければベッタレットはとまらないが、この核に少しでもダメージを与えるとなかの人間は間違いなく死ぬとのことだ。ジウはギリギリで気づいて、核への攻撃をやめたらしい』
「厄介じゃないか」
イヤリングを押さえつつ、ルディはミツバチたちに攻勢を弱めるよう指示を出した。
「バンダー王子。どうして核にダメージを与えたらなかの人が死ぬんだい?」
『核となっている人間は、ほかの人間よりもベッタレットと強く癒着しているとジウは見ている。だから核を形成する部分へのダメージがそのまま――いや、何倍にもなって内部の人間へのダメージになるんだとか。きみのミツバチだとどうなるだろう』
「毒の注入に等しいから、内部の人間の安全は保証できない」
『分かった。ともかく核にはふれず、ほかの部分を破損させつつ帝国兵を救出してくれ』
ほかの文字保有者にも知らせなければならないため、バンダーはすぐに通信を切った。
ルディは桃色の首なし獅子の、溶けた横腹の奥を見る。
確かに、ほかの部分よりも色がくっきりしている球体が目に映った。
(あれか)
その部分に絶対に攻撃するなとミツバチに指令を送る。
(ダメージを与えずに核を取りのぞくのは至難の業。僕たちのなかで、これをなんとかできるのは――)
* *
【ฉ】
いまだにパイロは地中の横穴でチーネと向かい合っていた。
臀部を向ける青い巨大モグラを削ってなかの帝国兵を救出しようとするも、首なしカメレオンのベッタレットを出したチーネがけん制してくる。
カメレオンは透明になって舌を飛ばしてきた。
「パイロさん、そろそろおなかがすいて仕方ないんじゃないですか。いったんごはんを食べに戻ったらどうです」
これに答えてもあまり意味がない。
チーネはパイロのチン対策として、水曜日の夜にやったように耳穴に詰め物をして耳栓としている。
したがってパイロは音ではなく直接的な物理攻撃で戦わなければならない。
ヒモを持ち、大きな貝殻のようなチンを宙で回す。
だが投げても、カメレオンの見えない舌がチンを落とす。
「必死ですね」
「タム」
詠唱と共に、パイロはまたがっていた竪杵を蹴った。
チンにばかり気を取られていたチーネはその竪杵を防げなかった。
モグラのしっぽがえぐられ、なかから一人……いや二人の帝国兵が姿を見せる。
派手に攻撃したように見えたものの、実際パイロはなかの人間を傷つけないよう慎重に力加減と杵の着弾地点をコントロールしていた。
「グラーハーン」
新たな詠唱が響くと、パイロの背中のチョーチン(ฉ)から薄い黄色の気体があふれ出した。
気体は小柄な人間の輪郭をなしていた。
しかも両手にザルを持ち、杵にまたがっているグラハンのかたちでもある。
そのグラハンの形状をした気体が飛び、帝国兵二人をザルの部分で挟み込んだ。
本当の物体に挟まれたかのように二人は浮き、気体グラハンと共に外を目指してパイロのそばを過ぎ去った。
ついでパイロが手招きの仕草をすると、竪杵が彼の手元に戻ってきた。
竪杵の先端が一対のチンを結ぶヒモに引っかかる。
パイロは左右の手にチンを持ったまま大口をあけ、竪杵を噛んだ。杵の先端とヒモが口中に入った格好だ。
上体を極限まで引き、まるで矢をつがえた弓弦を引き絞るときのようにヒモに力を加えていく。
次回「200.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その4】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
チャヌアン(ฉนวน)→通路
ルックフー(ลุกฮือ)→蜂起する
ムンルアット(มุ้งลวด)→網戸
タム(ตำ)→打つ
グラーハーン(กล้าหาญ)→勇敢だ




