197.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その1】
【ฉ】
チーネは首なし巨大モグラに乗ったまま、壊れた王城をも見下ろす。
ガレキに埋まった青・赤・黄・桃・緑・紫・橙・灰の旗布が夕暮れの色を吸っている。
ともあれアーナージャック・グレープの城は落ちた。
北からモグラのベッタレットを潜行させ、地下より奇襲をかけたのだ。
それからチーネは左薬指をまなじりに当て、紫だった瞳を桃色に光らせる。
王城崩壊と共に吹き飛ばされたバンダーの様子を遠くから見る。
あお向けのままバンダーはしばらく動かなかったが、日の入りと同時に上体を起こした。
「きみがモードゥーのチーネか」
右側の金髪と左側の黒髪の土を払う。
「残念ながらきみは、からっぽのお城を壊しただけだ。父王も母王も宰相らも兵隊も重要書類も調度品も食糧もすでに移動させてある。事前に逃げるのが、もっとも有効な対策だと思ったからね」
バンダーが立ち上がり、白い靴で地面をカカッと蹴った。
「おとといの木曜日、うちの軍師が『自分が帝国軍ならば』という仮定のもと指摘してくれたんだ。ベッタレットとやらを自在にあやつるチーネなら、地中を通って襲撃をかけてくるかもしれないと」
話しながらもバンダーは遠目でチーネを観察している。
一方、チーネはうつむく。
左人差し指でまなじりを押して目を赤く輝かせた。
チーネに近づきもせずバンダーが続ける。
「ねらうなら王城以外にありえない。加えてきのう、北で小さな地震が起こった。――そして現在の多方向からの派手な進撃。明らかな陽動だった。おまけに北の守護聖獣であるモグラを使っての奇襲とは、なかなかじゃないか。モードゥー・チーネ」
下を向いたまま視線を走らせる彼女に言葉をかぶせる。
「さらに言うならきみ――いや、きみの精霊の力は絵の具のような物体ベッタレットをあやつることだけじゃないようだね。どうやらその目に秘密がありそうだけどヌムニム」
語尾のように自然なかたちでバンダーは詠唱を差し挟んだ。
チーネの足もとにゼリー状のたまごが複数個出現する。
「気味が悪いですね」
足場ごとチーネは跳躍した。
モグラの一部である青い体表がゼリー状のたまごと共にえぐれる。
直後、分離した青い絵の具のような塊から一人の帝国兵が出てきて王城のガレキへと真っ逆さまに落ちた。
が、その頭部がガレキのカドに直撃する前に直径二メートほどの丸い貝殻が飛んできた。
よく見ると貝殻ではない。
真鍮でできた楽器、一対の「チン」の片割れであった。
衝撃を軽減しているようで、チンに受けとめられた帝国兵にケガはない。
連結しているヒモが引っ張られ、バンダーのもとまでふわりと飛ぶ。
ここにグレープ国の兵隊がやって来た。
帝国兵を馬車に乗せ、すぐに離れていく。
ゼリー状のたまごを蹴り落としたチーネはガレキに着地し、上空をねめつけた。
竪杵にまたがった真鍮色の髪の美丈夫を見る。
「相変わらずあなたは自分と関係のない他人をかばうんですね」
「まるで私を知っているような口振りだな」
投げていたチンの片割れを引き戻し、真鍮色の視線を向け返すパイロ。
いったん南西のアーティットと合流していたパイロだったが、ベッタレットが多方面から進軍していることを聞いたときにそれが陽動であると気づいた。
このままアーティットを支援すべきか迷ったものの、当のアーティットがパイロの背中を押す。
(紫色の蛇竜となかの帝国兵は俺とクマリーがなんとかする)
だからパイロは決断できた。
敵の襲撃が予想される王城に、まっすぐ飛んできたわけだ。
「……ルムラーム」
ヒモとつながったチンの片方をヒュンヒュン回したのち、それをチーネに投げつける。
しかしチーネは冷静に後退し、青いモグラに再び上った。
外したと分かったところでパイロはヒモを引き、チンの動きをとめる。
バンダーのほうも気にしつつ、チーネは瞳を赤からもとの黒に戻す。
「手を揉まずとも、あなたから漏れる黄色はハッキリ見えます」
巨大モグラが地中に帰っていく。
地面の穴にチーネも消える。
パイロは飛び込み、彼女を追った。
* *
【ษ】
チーネによって王城が破壊されたときとほぼ同時刻。
アーナージャック・グレープの南の国境線でも戦局が動いていた。
そこを守っていた文字保有者が唱える。
「ロンターン」
すると帝国領に対して展開していた薄桃色のかすみが膨張に膨張を重ねた。
南方面だけでなく、東西――さらには北にまでかすみが一挙に広がった。
俯瞰すると、グレープ国が薄桃色の輪で囲まれた格好である。
黄色の虎や橙色のネズミを始めとするベッタレットもかすみのなかに入った。
だがどんなに進んでも、かすみの外に出ることができない。
ベッタレットの進軍がとまっているという知らせを受けたグレープ国兵は、杖に寄りかかっている文字保有者へと遠慮がちに声をかけた。
「なにをしたんです」
「かすみを広げた。入った者を迷わせることができる」
「……それは助かります。しかしあなたはいったい」
「【ษ】ソールーシー・ジウ、つかさどる字は仙人のソー。これから小生も目の前の脅威を片付ける。貴公らはここで待っていてくれ」
当初ジウには、グレープ国全体を覆うかすみを発生させる予定はなかった。
帝国兵の士気を下げるためにも、ほかの文字保有者に分かりやすく活躍してもらうのが手っ取り早いと考えたからだ。
だが巨大な物体が襲撃をかけてきた今、そうも言っていられない。
ジウは鐘のイヤリングでかすみのことをバンダーに連絡した。
ついで、眼前の薄桃色の空間に足を踏み入れる。
薄桃色のかすみのなかは、夜間になっても明るい。
しばらく進むと、緑の円柱のようなものにぶつかった。
柱は四つあり、分厚い巨体を支えている。
象の体である。首のない断面からは、二本の湾曲した牙がそそり立つ。
やはり牙の先端まで、緑の絵の具のようである。
ベッタレットがその牙でジウを突き刺そうとしたが、対するジウは蜃気楼のごとく溶け、斜め後ろにのがれる。
(เหมือนช้างแมมมอธ(ムアン・チャーンメームモート〔マンモスのようだ〕)
新たなかすみを自身のまわりに生み出しつつ、牙を折るのは最後にしようと決めた。
* *
【ฉ】
チーネの逃げ込んだ穴に入ったパイロは左右のチンをこすり合わせた。
それはパイロにとって一種の詠唱行為でもある。
精妙な音色と共にチンがランプのように光を発する。
いずれ追いつかれると思ったのか、チーネはモグラをストップさせた。
パイロに臀部を向けるそのしっぽに降り立つ。
現在、チーネの目は橙色に変化していた。
「パイロさん、物は相談なのですが」
湿った横穴に声が反響する。
「わたしの味方に――帝国側につきませんか。そちらのほうが、あなたの願いをかなえるのに都合がいいと思います」
「私の願い……?」
土のゆかに着地し、パイロが問い返す。
「貴方には私の願いが分かるのか」
「見えています。あなたの願望は、わたしと同じはずですよ」
「……まさかチーネさんもアーティットのことを」
「え?」
「いやなんでもない」
「アーティットさんならご自由に。それより思い出しませんか、わたしのこと」
いつの間にかチーネはパイロに接近し、その竪杵にまたがっていた。
向かい合いながら顔を近づけてくる。
「分からないですかね。まあ無理もありません。あの村にいたときのわたしの髪は短く、顔も垢だらけでしたし。名前もチーネじゃなかったですし」
「むむ……?」
まじまじと見ると、記憶がよみがえってきた。
パイロ自身がかつて住んでいた村……その住民のなかにチーネと似ている顔があったような気がする。
「……あ、もしや。あの子か」
とくに四年前のことが脳裏に去来する。
村が盗賊に襲われたとき、パイロは子どもたちをかばって背中に剣を受けた。
目の前の女性は、そのときの子どもの一人によく似ているのだ。
かつての名前をパイロは静かに口にする。
それを聞いたチーネは右手をパイロの背中に回し、チョーチン(ฉ)の下に刻まれた切り傷をなぞった。
「やっと分かりましたか。あのときあなたが助けた子どもの一人がわたしですよ」
さらに左手でパイロの持つチンをぶつけ合わせ、音を鳴らす。
「……そんな二人が戦場で再会するなんてローメンティックじゃないですか」
次回「198.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その2】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ロンターン(หลงทาง)→道に迷う
ムアン(เหมือน)→○○のようだ
チャーンメームモート(ช้างแมมมอธ)→マンモス
ローメンティック(โรแมนติค)→ロマンチックだ




