196.紫色の土曜日(วันเสาร์)【後編】
紫色の首なし蛇竜を上部から削りつつ、内部にいた帝国兵をパイロに運んでもらう。
途中、鐘のイヤリングから冷たい声音が届いた。
『こちらロップ。アーティット、パイロはすでにそばにいます……?』
「ああ」
鞘付きの剣を振るいながら応答する。
「ところで、君はどこにいるんだ」
『すでに王城を出てグレープ国の兵隊さんに東の国境まで運んでもらった。パイロもわたしが現場に復帰することを確認したうえで、ここからアーティットのもとまで駆け付けたの』
「おかげで助かった」
『バンダーから巨大ベッタレットのことは聞いた……そして東にいた帝国兵や象の精霊は消えてる……あっ!』
ロップのさけびが鼓膜を震わす。
『なんか大きいものが近づいてきてる。砂塵と地響きがものすごい』
「まさか絵の具みたいな黄色の首なし虎か」
バンダーの話では東の守護聖獣が虎だったはずだ。
かつ、東は黄色の月曜日に対応している。
帝国兵をまた一人パイロに預け、蛇竜を削るのをくり返しながらロップの返答を待つ。
『……兵隊さんが望遠鏡を貸してくれた。確かに、頭部のない黄色い虎に見えます。蓋でつぶすのは簡単だけど……やっぱり帝国兵がなかに入っているとアーティットは考えてる?』
「ほぼ確実だろうな」
『あんな激しい動きをされたら、なかの人、死んでそう』
「意外とそうでもない。少なくとも俺がベッタレット内から助け出している帝国兵は意識がボーッとしているだけで心身に異常はなさそうだ」
『なら乱暴せずに対処します』
ロップとの通信が切れた。
しかしイヤリングは消えず、代わりに別の回線がひらく。
『アーティットくん。今、話しても大丈夫かね』
籠もったような少女の声だ。
救出の手をとめずにあいづちを返すと、少女――トゥアムが言葉を継いだ。
『わたしの守る西に橙色のネズミが出た。帝国兵たちが抵抗もせずベッタレットにくるまれ、その大きなネズミに取り込まれる瞬間も確認したよ。現在南西にいる君たちのもとにわたしの袋を向かわせようとしていたけれど、これじゃ無理だ。コートート(ごめん)』
「トゥアムのところにも巨大ベッタレットが現れたのか」
チーネさんは同時に複数のベッタレットを進軍させ、グレープ国の混乱をねらっているようだ。
俺のそばでアーティットという文字列を書いていたクマリーの耳にも、イヤリングが出現する。
きらきらしいバンダーの声が張り上げられる。
『言葉を返さずそのまま聞け。ルディの索敵およびクルムやジウの報告で判明した。現在、我が国は北と北東をのぞく六つの方角から攻められようとしている。東には黄色の虎が、南東には桃色の獅子が、南には緑色の牙付き象が、南西には紫色の蛇竜が、西には橙色のネズミが、北西には灰色の牙なし象が出現している。いずれも首がない絵の具のような巨大物体であり、内部に多くの帝国兵をかかえている』
きのう見た灰色の首なし象も肥大化しているらしい。
『代わりに、グレープ国を包囲していた帝国兵のほとんどが消えた。巨大ベッタレットを動かすうえで必要だからだろう。糧道がふさがれた今、総司令グラドと雇われ占い師チーネはここで仕掛けるべきと判断したようだ』
「もしかしたら講和条約の話し合いがまとまる前に決着をつけたいのかもな」
思わず俺は言葉を返した。
「ともかく、すべての方向の敵に対処する必要がある。俺たち文字保有者の配置も見直したほうがよさそうだ」
* *
【ข】
バンダーは夕暮れの空気を吸いながら両腕を伸ばした。
(今回の作戦に参加した者たちはアーティットとクマリー以外、全員が高子音字の保有者だ)
チャーイハートの言っていたことを思い出す。
(わたしたち高子音字組は、事件が起こっても冷静でいられる。未来を夢想しながらも楽観視はしない)
かつ、日常的な気分に波がある。
低いところから高いところに上昇するように気持ちを浮き沈みさせている。
変化こそ高子音字の者たちの日常。
あらゆる方位から急襲されてもそれは世界の変化の一つにすぎない。だからこそ動じずに事に当たることができるのだ。
(トラニーの睡眠周期、シーフーハーターと人の女性のあいだを往復するミー、冷静なようで心に熱いものを揺らめかせているスープパン、なにもないという自覚において外部の乱れを受け入れるクルム、蓋をした気持ちをあけたり閉めたりいそがしいヤーンロップ、変幻するかすみのように超然としたジウ、本体と分身との境界があいまいになっているトゥアム、円をえがきながら上下するミツバチに魅せられたルディ、自認グラハンとして生きようとするが現実も知っているパイロ、すべてを愛しすべてを憎むわたし……バンダー)
あらためて個々の性格を振り返ってみると、全員が恒常的に波の揺らぎのなかにある。
(頼もしい。わたしと同じ種類の者たちが仲間であると思うと安心する)
王城の外の階段下から、バンダーは尖塔に立つ八つの旗をながめた。
尖塔は、中央の宮殿を守護するように取り囲む。
それを再確認した刹那。
大地が大波のごとく揺れ、盛り上がった。
轟音と共に地面が割れ砕け、バンダーが吹き飛ばされる。
先ほどまで威容を見せていた王城が崩壊する。
亀裂が走ったかと思うと宮殿のすべてがコナゴナになり、まわりの尖塔も八色の旗も勢いよく倒れてガレキと化した。
王城の存在していた地面には巨大な穴があいている。
その穴から、青いものが出てきた。
絵の具のようにテカテカした体表には多くの泥が付着している。
爪を持った前足などの形状はモグラのそれである。
ただし全身は王城の面積に匹敵するほどのサイズであり、首から上の部位がない。
ちょうど真上を向いた首の断面に、ハイヒールをはいた黒髪の女が直立していた。
断面に載った小さなガレキを蹴飛ばして息をつく。
崩れた王城のまわりには、首都の町並みが広がっていた。
帝国首都のムアンルアン・グアンに比べると素朴だ。よそに避難した者も多いため閑散としている。
さらに町並みの外側には稲穂の波が続き、王国首都を取り巻いている。
黒髪の女……チーネは黒い瞳の左右のまなじりに右人差し指を当てた。
すると瞳が紫に輝きだす。
誰に聞かせるともなく、なまめかしく言う。
「いい金色です」
次回「197.【ฉ】チンのチョー・パイロ【その1】」に続く!




