170.高子音字(ข ฉ ฐ ถ ผ ฝ ศ ษ ส ห)の十人【前編】
チョーチン(ฉ)の文字保有者パイロはクマリーともあいさつを交わした。
クマリーがパイロの手の平にサワッディー(สวัสดี)と書いたので、パイロもクマリーの手に同じ言葉を書いたのだ。
書き言葉に書き言葉を返されたことでクマリーはすごくうれしがっている。
パイロは竪杵にまたがって飛行したまま、俺に視線を戻した。
「グレープ国防衛戦に参加するにあたって、私はトラニーと共に来た」
そう言って田んぼのそばにある小屋を指す。
小屋の裏手に回ると、積み重なったもみがらをベッドにしてトーターン・トラニーがあお向けになって眠っていた。
トーターン(ฐ)の保有者であるトラニーは、くちなし色の髪を持つ少女だ。
群青色の上着に、前と後ろに切れ込みの入った黒いロングスカートという格好である。
眠そうな声……いや、寝言でトラニーが反応する。
「ん……むにゃ……兵隊のトー(ท)に指輪のウォー(ว)だね……」
睡眠状態にあってもトラニーは俺とクマリーが来たことを把握したようだ。
「もみがらのベッド……気持ちいいよ~。あなたたちもいかが……くう」
「ではクマリーも寝てみますっ」
クマリーは小声で答え、トラニーの右隣に横になった。
そして二十秒もたたずに眠ってしまった。
パイロが俺にささやく。
「アーティット……貴方は疑問に思っていることだろう。なぜ私とトラニーがすぐにバンダーの王城に行かずここでのんびりしているのかと」
「なにかの調査か?」
俺はささやき声で聞き返した。
軽く笑ってパイロは答える。
「……私たちのこれから守るアーナージャック・グレープがどんな国であるか少しでも知りたかったのだ。先ほどは地元のかたに頼んで脱穀作業を手伝わせてもらった。多くの人が国外に避難している状況であっても、豊かな稲穂の海のなかで呼吸すると……ここに生きている人々のかけがえのない生と日々の営みが感じられる。トラニーがもみがらで寝ているのも、グレープ(もみがら)という国名をじかに味わいたいからだ」
「そうか。それは大切なことだな」
「ああ。私はこの国の風景を守りたいと思ったよ」
四年前に盗賊に襲われた故郷の村のことも彼は思い出しているのだろうか。
パイロは人間ではあるが、自認グラハンだ。
グラハンは両手にザルを持ち、竪杵にまたがって空を飛ぶ精霊。
おそらくパイロは脱穀で使用する竪杵とザルに幼いころからふれてきたからこそ、それらを持つグラハンと自分とを結びつけているのだと思われる。
彼の育った村にも田んぼがあって、人々が稲作に励んでいたとすれば、似た風景を持つグレープ国の危機もひとごとではない。
以前会ったときよりも少し伸びた髪を見つめながら俺はそう感じた。
思えば俺は仲間や自分のために戦うことはあっても、漠然とした「国」や「人々」のために戦ったことは一度もない。
だから、そういうもっと大きなもののために自分の力を行使しようとしているパイロやトラニーのことを、尊敬できる仲間だと思う。
「……軍縮条約を気にしている化け物係とカヤンは敵を一人も殺さずに防衛戦を終わらせろと求めているけど、俺は正直この要求は無茶だと考えている」
個人的に会ったことはないが、グリアム元将軍が発案した作戦だとすれば「なにをふざけているんだ」とも感じてしまう。
「でもこれは俺の見解だ。パイロ……君は一人の犠牲も出さずに作戦を遂行することができると思うか」
「文字保有者のみんなで力を合わせれば可能だと信じている」
大きな瞳孔を近づけ、パイロが俺の両手を握る。
「私はアーティットのことも信じているし、貴方にも私を信じてほしい」
「クラップ・ポム(了解)……なら今回の戦争では、俺は誰も殺さない。แล้วก็ชนะ(レーオゴー・チャナ)〔そして勝つ〕」
国や人々のために戦えなくても、国や人々のために戦おうとしている仲間のためなら戦える。
よくも悪くも、それが兵隊というものだ。
* *
パイロは左右の耳穴に差し込んでいた楽器――チンを引き抜く。
一対の貝殻のようなチンは膨張し、ザルくらいの大きさになった。
それらを静かに打ち合わせてトラニーとクマリーを起こす。
チン……という高く繊細な調べが鼓膜にふれる。
くちなし色の目をこすり、トラニーが大きくあくびをした。
寝言のときとは打って変わって覚醒時の彼女は無口になるらしいが、そのぶんキビキビとした声を発する。
「たまごのコー(ข)のもとへ!」
つまりコーカイ(ข)の文字保有者バンダーのところに行くということ。
バンダーはこのグレープ国の王子であり、かつ軍の最高指揮権を持っている。
防衛戦に参加するにあたって、まずはバンダーの意向を確認しなければ話にならない。
もちろんすでに鐘のイヤリングで本人に連絡を入れているが、形式上直接対面することも必要だろう。
トラニーを先頭にして俺たち四人は道なりに進む。
金色の穂波や整備された用水路、田んぼを眺めている人々などが視界に映る。
大きな橋を渡ったところで、薄桃色の髪と瞳を持つ中肉中背の人物と出くわした。
ソールーシー(ษ)の文字保有者・ジウである。
年齢も性別も推し量ることができない仙人だ。
焦げ茶の木の杖を右手でつきながら、橋のたもとで俺たちと合流した。
「トープータオ(ฒ)の要請に従い、小生も防衛戦に馳せ参じた」
相変わらず瞳の焦点は定まっていないものの、その中性的な声は頼もしかった。
「貴公らの助けになれるよう尽力する所存だ」
「ฝากด้วย(ファークドゥアイ)〔よろしく〕、ジウ。でもむしろ俺のほうがあなたの助けになれるようがんばるよ」
今回の作戦メンバーのなかでもっとも強いのは疑いようもなくジウである。
(カヤンは意図的に俺とクマリー以外の作戦参加者を「高子音字」のみんなで固めている。俺たち文字保有者の最高戦力三人をトライヤーンに従って振り分けると……低子音字組のナーグルア、中子音字組のディアオ、高子音字組のジウで見事にバランスが取れているな。ナーグルアを低子音単独字組に分類しても、低子音対応字組には単純な戦力とは別の脅威として君臨するホーノックフーク(ฮ)がいるし)
各メンバー全員のバランスも取れているのかもしれない。
ギンガー海域で共に戦った低子音単独字組のみんなもそうだった。
ナーグルアやチャーイハート、プリアさんを始めとする十人はそれぞれできることが違っており、互いをカバーし合っていた。
今回カヤンに作戦参加を要請されたメンバーには、高子音字の十人全員が含まれている。
コーカイ・チョーチン・トーターン・トートゥン・ポープン・フォーファー・ソーサーラー・ソールーシー・ソースーア・ホーヒープ(ข ฉ ฐ ถ ผ ฝ ศ ษ ส ห)を持つ十名だ。
それぞれ、たまご・チン・台座・袋・ミツバチ・蓋・あずまや・仙人・虎・箱を暗示する。
全員戦闘力は申し分ない。
かつ、ただ相手を一方的にねじふせるだけではない力を各自が有している。
(それに俺とクマリーの二名を加えた十二名で、不殺の防衛戦という無謀を進めていくわけか)
高子音字組のみんなと積極的に交流をおこない、相互の連携を深めることも作戦成功の鍵となるだろう。
クマリーたちも交流を深めている。
「よろしくですジウさんっ。クマリーもみんなのためにさらに成長してみせますよ~」
「それは小生も楽しみだ」
「私も凡夫ながら貴方に並べるようがんばります」
パイロが手を合わせて敬意を払った。
ジウは薄くほほえみ、いったん杖を左右の足で挟んで礼を返した。
「ならば小生も貴公を師としよう 。チョーチン(ฉ)の貴公にしかできないことも数多いのだから」
二人は互いにみとめ合っている様子だ。
ここでトラニーがジウにあいさつしたあと俺に寄りかかってきた。
「すぴい……なんか気持ちよくなってまた眠っちゃったから……兵隊のトー(ท)……わたしをおんぶして~」
寝言でそう頼まれたので、俺はトラニーを持ち上げて背負った。
「ありがと……むにゃあ。背骨のゴツゴツが素晴らしいよ……あっ!」
「え、大丈夫か」
「ひょえ~……肩甲骨のでっぱり、たまんなーい……ぐう」
「……それはどうも」
「わたしの夢は世界中のいろんな人の背中で眠って究極の寝心地の背中を見つけることなんだ……」
「大きい夢だな」
「みんなの背中と同じくらいにね……ずびー。だけど本当は背中に優劣はないとも思うの……人間みんな素晴らしい背中を持っているんだから、一人残らず長生きしてほしい……そして背中を貸してくれたみんなに……その背中こそが究極の寝心地をくれたって伝えたい……う……ん」
夢を語ったあと、トラニーの寝言はやや落ち着いた。
揺れを最小限にとどめながら歩き、俺はジウに近づく。
「そうだ、ジウ。ちょっと聞きたいんだけど」
鱗山「プーカオ・グレット」で戦闘したときのことを思い出しながら――。
「もしかしてあなたはウィマーンを知っていたのか」
次回「171.高子音字(ข ฉ ฐ ถ ผ ฝ ศ ษ ส ห)の十人【中編】」に続く!(8月29日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
チャナ(ชนะ)→勝つ




