169.色づく一週間(สัปดาห์)
今回から第五章が始まります!
【ท】
簡素な乗合馬車に揺られながら、俺とクマリーは国境を越えた。
このまま北西に進み続ければバンダーのいるアーナージャック・グレープに到着する。
もうすぐグレープ国で戦争があるとウワサされているため、俺たちの乗った馬車はガラガラである。
御者には通常よりも多めの運賃を払った。
南東行きの馬車と頻繁にすれ違う。
長椅子のすみっこに座ったクマリーが体を上下させつつ足を振る。
「お兄さんっ。あとどれくらいで目的地に着くんでしょう」
「だいたい一週間かな」
俺は左隣に腰を下ろしている。
幌付きとはいえ、馬車のなかは蒸し暑い。
クマリーに水筒を渡し、俺も自分の水筒をかたむけて水分補給をしておく。
雪の兵隊の氷入りのお茶を飲んだあと、クマリーが言葉を継ぐ。
「コープクンです、冷たくてアロイですねお兄さん。ところで一週間とは何日くらいでしたっけ……?」
「一週間は七日だな」
「どうして七なんです」
「一週間……『週』には曜日が七つあるからだよ。なんて言えばいいんだろうな、曜日というのはその日その日に与えられる属性のようなもので、七日ごとにループするんだ」
「面白そうですっ! クマリー、その『曜日』というのも書いてみたいと思いますっ」
オレンジの混ざった茶髪を上下させ、クマリーが意気込んだ。
うなずき、まず俺は『週』の書き方を教えることにした。
「七つの曜日を含む『週』は『サプダー』と発音されるわけだから……」
ソースーア(ส)にマーイハンアーガート(–ั)をつけて「サ」の音を示す。
続く「プ」は息を漏らさずに発音されるポープラー(ป)であらわす。
そしてドーデック(ด)とラークカーン(า)を「ダー」の音に対応させて書けばいい。
だがまだ終わりではない。発音しない部分のつづりも残っている。
ホーヒープ(ห)をしるしたあと、黙字記号マーイタンタカート(◌์)を添える必要がある。
クマリーは俺の指の動きを見て、自分の左手の平に「サプダー(สัปดาห์/週)」と書いた。
「いつもありがとうございますお兄さん。これが曜日を含む『週』の文字列っ。マーイタンタカート(◌์)が最後につくのはアーティット(อาทิตย์)お兄さんのお名前と同じですね~」
「ナンレ(そうだな)……そして俺の名前もしっかり書けるなら、最初の曜日もすぐ書ける」
くしくもきょうは日曜日――「ワン・アーティット」だった。
* *
月曜日、道沿いの宿屋で一泊したあと俺たちは新しい乗合馬車を利用した。
やはりジョットマーイのジャンク船に乗せてもらってバンダーの国の首都まで一気に行くという手もあるが、道すがら周辺の様子を探っておきたいし今は目立ちたくないので馬車を使うのがベストだろう。
馬車に乗ってから俺は、クマリーに「月曜日」の書き方も教えた。
* *
火曜日には「火曜日」の書き方を教えた。
バンダーのいるアーナージャック・グレープから逃げてくる人が多い一方で、武具を積載した馬車が急ぎ足で俺たちの乗っている馬車を追い越していった。
* *
水曜日には雨が降った。
その曜日の文字列をクマリーの前で俺が書き始めたタイミングで馬車がとまった。
一人の女性が後部からなかに入ってくる。
白い長袖のブラウスと、ひざを隠す程度の黒いスカートを着た若い女性である。
黒い外套とハイヒールも装備している。
全体的に落ち着いた雰囲気の人物だ。
ツヤのある黒髪は濡れ、顔や首に貼りついている。
俺がタオルを貸すと、彼女は礼を言ったあと俺たちからもっとも離れた場所に座った。
* *
クマリーは木曜日の書き方も習得した。
その日は晴れた。
きのうとは違う乗合馬車を利用したにもかかわらず、きのう出会った女性と馬車で再び一緒になった。
馬車のなかでは長椅子二つが向かい合うように設置されていたのだが、女性は俺の対面の席に座った。
妙になまめかしい声で話す。
「きのうはタオルを貸してくださりありがとうございました」
「いえ、マイペンライです」
「お礼をさせてください」
彼女は黒い瞳をあやしく光らせた。
「実はわたくし、モードゥーなんです」
モードゥーとは占い師のことだ。
文字保有者のなかではトータオ・ユアユもモードゥーに相当するだろう。ユアユは亀の甲羅で占いをおこなう。
占いに科学的根拠があるかは分からないが、クマリーが興味深そうに目を輝かせているので俺も目の前の女性の話を聞くことにした。
「わたくしの名前はチーネ。実はわたくしには、ほかの誰にも真似できない特技があります。それをご覧に入れましょう。少しお手を見せていただけませんか」
「構いませんが」
「コープクン・カ(ありがとうございます)」
占い師の女性チーネさんは俺の右手を両手で取り、軽く揉んだ。
左手のほうも見ようとしたが、さすがにトータハーン(ท)を見せびらかすわけにはいかないのでそれについては俺のほうからことわった。
手相でも確認したのだろうか。
チーネさんは手を離し、大きくうなずく。
先ほどまで黒かった瞳が赤くなっている。
「見抜きました。あなたはアーティットですね」
「……驚きました。チーネさんは人の名前を占いで見抜くことができるんですか」
確かにきのう乗り合わせたときからチーネさんは俺とクマリーの会話を聞いていただろうが、そのあいだクマリーは俺のことを「お兄さん」としか言っていない。
クマリーも口をあけ、驚がくと興奮の表情を見せている。
対するチーネさんは微少して手を横に振った。
「いえいえ、わたくしの特技は相手の『誕生曜日』を見抜くことなんです。それであなたの誕生曜日がワン・アーティットすなわち日曜日であると知ったんです」
赤くなった瞳で、まばたきもせず俺を見続ける。
「先ほど『アーティット』とわたくしが申し上げたのは『日曜日』いう意味だったのですが、くしくもあなたのお名前もアーティットさんだったんですか」
「ใช่(チャイ)〔はい〕」
「その誕生曜日にふさわしい、とても素晴らしいお名前です」
「コープクン・クラップ。わたしの誕生曜日が日曜日であるのも合っています。チーネさんこそ素晴らしい占いの腕を持っていらっしゃるんですね」
「うれしいです。やっぱり褒められるとモードゥーをやっていてよかったと思いますよ」
「そうですか……ついては、この子も占ってあげてくれませんか」
俺はそわそわしているクマリーに視線をやった。
「もちろん料金は払います。ราคาเท่าไรครับ(ラーカー・タオライ・クラップ)〔いくらですか〕」
「二十バーツです」
「どうぞ」
「どうも」
十バーツ硬貨二枚を受け取ったチーネさんはそれらを外套のポケットにしまい、まばたきした。
すると赤く染まっていた瞳がもとの黒に戻った。
背を曲げ、クマリーにほほえみかける。
「お手を取らせていただけますか、お姫さま」
「はいっ、よろしくお願いしますチーネさんっ」
クマリーは片手だけでなく両手を差し出した。
チーネさんは小さな左右の手を優しく揉んでいく。
「……見抜きました」
そっと手を離し、双眸を金色に光らせる。
「あなたの誕生曜日は日・月・火・水・木・金・土曜日のいずれでもありません。『毎日』です」
毎日が誕生曜日とは不思議な話である。
あるいは精霊であるクマリーは、人間とは異なる生まれ方をしたのかもしれない。
チーネさんはフォローするように付け加える。
「これはとても素敵なことですよ」
「そ、そうなんですかっ。でもチーネさんはどうやってクマリーの誕生曜日を見抜いたんですか?」
「わたくしの目は、相手の『色』を見る目なんです」
金色に染まった瞳を指し示す。
「誕生した曜日により、いのちには『色』が与えられます。通常、曜日に対応する色は不可視なのですが……わたくしはちょっと特別でそのいのちから漏れる誕生曜日の色を見ることができるんです。とくに手を揉むと濃い色がぴゅーって出て来るんですよ」
「すごいですチーネさんっ。クマリーの色は何色ですかっ!」
「わたくしの目に映ったとおりの金色ですよ。金色は特定の曜日ではなく毎日与えられる色なんです」
クマリーの本名はクマリー・トーン(กุมารีทอง)だ。
そのトーン(ทอง)は、「金色」という意味を持つ。
そう考えると、金色はクマリーにこそふさわしい色であるような気がしてくる。
* *
金曜日もチーネさんと俺たちは同じ馬車に乗り合わせた。
緊張感が高まっているアーナージャック・グレープに向かう馬車は少ない。
チーネさんもグレープ国を目指しているのなら、三日間同じ馬車で一緒になったとしてもとくに不自然なことではない。
俺が金曜日の書き方をクマリーに教え終わったあとで、チーネさんが対面の座席で口をひらく。
「アーティットさんとクマリーちゃんは、これからどちらに?」
「……ちょっとグレープ国で商談をするんですよ。戦争が起こりそうな今だからこそ、ねらい目かと思いまして」
「クマリーはお兄さんの相棒だからその付き添いですっ!」
見事にクマリーは話を合わせてくれた。
うなずいたチーネさんは、黒い状態の瞳でクマリーと俺に視線をやった。
「商いですか。わたくしもそうです」
ここでチーネさんは御者に声をかけて馬車をとめ、運賃を支払ってから外に降りた。
「ではお二人とも、チョークディーです」
……「チョークディー(โชคดี)」は「さようなら」をあらわす言葉の一つだが、その意味は「幸運」である。
モードゥー(占い師)に言われると、どこかご利益がありそうな感じがするから不思議なものだ。
彼女の別れのあいさつに対して俺もクマリーも「チョークディー」と返した。
* *
そして土曜日になり、俺たちはアーナージャック・グレープの領土に入った。
(入国審査は厳しくなかったな。ここに来る途中でも兵隊をほとんど見かけなかったし逆に不気味だ)
バンダー王子の住むこの小国では国境に壁などが設けられているわけではない。
しかし国土の大部分で稲作をおこなっているので、田んぼが多く目に入る。
少ない人数と労力で良質なコメを大量に収穫できるそうだ。
おまけに細長いコメに限らず、もっと丸っこいかたちのコメも生産しているとのこと。
国名のもとになっている「グレープ」とは「もみがら」のことであり、そのもみがらは堆肥や燃料として優秀である。
それらを輸出することでグレープ国は経済力を保っている。
三期作どころか四期作をおこなってもまったくやせない土地を持ち、用水に使用できる川の水も豊富ときている。
道の左右に揺れる金色の稲穂の波こそが、アーナージャック・グレープの豊かさを象徴していると言えるだろう。
(この土地をほしがるやつがいるのも無理はない。敵を一人も殺さずに防衛戦を成功させろとカヤンは要求しているけど、そんな甘い態度で向こうが引き下がってくれるかどうか)
土曜日の書き方をクマリーに教えてから馬車を降り、俺は道を歩いていく。
クマリーは豊かな田んぼや川に目を向けて歓声を上げていた。
見たところ住民は少ないようだ。国が避難を勧告しているのだろう。
それでも自分の土地を離れない人間もいる。
見慣れない顔の俺たちにも、彼らは親しげに話しかけてくる。
この国の防衛戦に参加するのは二度目だ。
国内の情景は、ほとんど変わっていない。
右前方に、地元の人に交じってザルを使い、稲の脱穀に勤しんでいる者がいる。
真鍮色の髪と瞳を持つ美丈夫だ。
精霊グラハンのごとく股に竪杵を挟んでいる。
かつ背中全体にチョーチン(ฉ)の赤く太い文字が見える。
作業が一段落した彼に俺は声をかける。
「パイロ、精が出ているな」
「アーティット……! 貴方にまた会えるとは喜ばしい限りだ」
重低音に似た力強い声で答えたパイロは地元の人に手を合わせたあと、浮遊して俺の近くに寄ってきた。
彼の股に挟まった竪杵が俺の太もものあいだに優しく入り込んできたが、まあそれはよしとしよう。
次回「170.高子音字(ข ฉ ฐ ถ ผ ฝ ศ ษ ส ห)の十人【前編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
サプダー(สัปดาห์)→週
ワン(วัน)→日
モードゥー(หมอดู)→占い師
チーネ(ชี้แนะ)→指導する
チャイ(ใช่)→はい
ラーカー(ราคา)→値段
タオライ(เท่าไร)→いくら
あらためて、本作「ท(トータハーン)」をお読みくださりありがとうございます。評価やブックマーク、感想等も励みになります!




