168.数えきれない言葉に乗せて(บนคำนับไม่ถ้วน)【後編】
作戦終了後、プリアさんのハスの船でギンガー海域を離脱してからジョットマーイのジャンク船を呼んだ。
焦げ茶の船体が、ハスの船の隣に着水する。
ジャンク船の船長であるジョットマーイも、ギンガー海域制圧作戦が終わったことを知っている。
ロージュラー・エーンがタコアゲによって文字保有者たちにその旨を一斉送信したからだ。
これからホーノックフーク(ฮ)のもとにジェオを連れて行くこともジョットマーイは了解していた。
同行するのはキアと俺だ。
エーンから服を受け取り、水着を脱いでもとの服装に着替える。封じていた俺のトータハーン(ท)もニウフアメーに解除してもらった。
休んでもらうために、クマリーはプリアさんたちにいったん預けることにした。
そしてジェオはペートの治癒により、ある程度体を回復させていた。
ジャンク船に乗る前にクマリーと目を合わせる。
「キアちゃんに乗っかられながら見てたけど、戦闘中おまえさんは……宙に数字を書いてあの水の塊を受けとめていたな」
「は、はいっ」
かしこまってクマリーがジェオの真正面に移動する。
ついで意を決したようにジェオの両手を握った。
「ジェオさんっ。よければクマリーたちの仲間になりませんか……っ」
「ありがとう」
ジェオは笑い、すぐにかぶりを振る。
「でもダメなのだ。おれはすでにヨムくんの仲間だから」
「……そうですか。なら無理は言えません……」
クマリーがしょんぼりする。
そんな彼女にジェオがあるものを手渡した。
どうやら台紙に貼られたシールのようだ。
全部で十枚であり、それぞれに違う数字が浮かび上がっている。
「あげるのだ。仲間にはなれないけど、その代わりに」
「これは……スーン(๐)、ヌン(๑)、ソーン(๒)、サーム(๓)、シー(๔)、ハー(๕)、ホック(๖)、ジェット(๗)、ペート(๘)、ガーオ(๙)の数字っ! ジェオさんっ」
ジェオの手の平に、クマリーが「サワッディー(สวัสดี)」と「コープクン(ขอบคุณ)」の文字列をしるした。
コープクンはともかく、サワッディーはタイミングとして間違っているかもしれない。
しかしクマリーはこれまでジェオと話せなかったぶんを埋め合わせる意味も込めてサワッディーと書いたのだろう。
(そうか、クマリーは文字保有者以外の人間とも向き合い始めたんだな)
クマリー・トーン(กุมารีทอง)という自分の名前の書き方を教えたうえで、ジェオからも本人の名前の書き方を教わる。
テーラ(แต่ละ)さんのように最初に二つのマーイナー(แ)を書く。
(そのため「ジェーオ」と伸ばしたほうが正確な発音に近いのかもしれない)
次にジョージャーン(จ)を続け、ジウ(จิ๋ว)の名前を書くときに使った声調記号「マーイジャッタワー(◌๋)」を右上に載せる。マーイジャッタワーは縦棒と横棒をクロスさせたかたちである。
最後にウォーウェーン(ว)をつければ、「ジェオ(แจ๋ว)」という名前の完成だ。
感慨深そうにクマリーはその名前を宙にくり返し書いた。
ジェオはクマリーにほほえんでからきびすを返し、キアと俺を見る。
「どうしておれにクマリー・トーンちゃんと話す時間を与えたのだ」
「あなたの機嫌を損ねれば、ホーノックフークと自主的に会ってくれなくなるおそれがあったからだ」
キアの代わりに俺が答えた。
「……あなたはホーノックフークに会って本拠地がバレる前にヨムたちの逃げる時間をかせごうともしたんだろう。それでいいよ」
その態度こそが、ヨムの本拠地に充分なワナが張られていないという証拠になる。
階段状のタラップからジェオを連れ、俺とキアはジャンク船の甲板に上がった。
ジョットマーイはすぐに船を発進させ、ホーノックフークの図書館塔に飛ぶ。
そのあいだ、俺はジェオに感謝を述べた。
「コープクン、クマリーに数字のシールを渡してくれて。ちょうど彼女は数字を学び終わったところだったんだ」
「……マイペンライだけどよ、アーティットはクマリー・トーンちゃんの保護者なのか?」
「保護者に近い相棒かな」
「喜ばしいことなのだ。アーティットは、精神面でも成長したんだな。誰かのためにも戦っている」
ここでジェオは自分の目の下をさわった。
俺から見て右のサーム(๓)の入れ墨をペリペリはがす。
彼の入れ墨の正体はシールだったらしい。
代わりにシー(๔)のシールを取り出して、貼りつける。
サームシップサーム(๓๓/三十三)がサームシップシー(๓๔/三十四)になった。
「おれは、戦場で素晴らしい敵を殺すごとにこのカウントを減らしてきた。二年前おまえを殺したと思ったときも減らしたのだ。けれど実際、アーティットは生きていたからカウントのつじつまが合わなくなった。そして、あえてカウントをもとに戻さずアーティットを殺しきり、つじつま合わせを完遂するつもりだった。でも……」
ジェオの金色の瞳がゆっくりと細められる。
「みとめるのだ。おれはあのときおまえを少しも殺せていなかった。だから自分でカウントを戻した。だから、だから……」
たてがみのような黒髪を整え、姿勢をただす。
「今度戦場で会ったときは、あらためてアーティットを殺したいのだ。つじつま合わせのためなんかじゃなく、ただ純粋に男の子として」
「もちろん構わないよ。場合によっては俺もあなたを殺すけど」
「わあいっ! アーティット優しいのだっ!」
ジェオが俺を柔らかく抱擁する。
そばにいたキアがつぶやく。
「物騒な会話だ。殺し合いを楽しむ異常者どもめ」
暗殺者に言われては、ぐうの音も出ない。
間もなく図書館塔のバルコニーにジャンク船が着陸した。
俺とキアはジェオを連れて館長室に入った。
そこで待っていたホーノックフークはジェオと気さくに会話しながら彼の真実を閲覧する。
「ほ~、そのほうすごいのう。名だたる将兵をその身一つで討ち取りまくっておる。……で、現在はヨムの仲間か。しかもシアムも一緒じゃなあ。それから肝心のヨムの本拠地は海に浮かぶ人工島。外観は灰色の頭蓋骨」
「そこまで読めるなんてビックリなのだっ! でもおれは本拠地の島に行ったり来たりする際にヨムくんに目隠しされていたからルートまでは分からないだろうっ」
「そのとおりじゃて。しかしおおよその見当はついた。位置を絞り込むのに時間はかからんよ。……ではありがとうジェオ。面会はここまででよい」
館長室にキアを残し、俺はジェオを図書館塔の一階に案内した。
外に出てジェオを見送る。
「あなたはこれからヨムと合流するのか」
「……いや、しばらくはやめておくのだ。きっとおれはおまえらに監視されているから、ヨムくんのためにも接触は少し控えたほうがいい。じゃ、チョークディー」
「チョークディー」
あいさつを交わし、俺は彼のサームシップシー(๓๔/三十四)の入れ墨を見つめた。
次に顔を合わせたとき、彼の数字はどのように変化しているのだろうと考えながら――。
* *
ジェオが見えなくなってからきびすを返すと、キアが真後ろに立っていた。
「ホーノックフークから伝言がある。化け物係への正式な報告やヨムの本拠地の調査はこちらでするから、低子音単独字(ง ญ ณ น ม ย ร ล ว ฬ)の十人とトータハーン(ท)はしばらく海水浴でもして暑期を満喫しろとのことだ」
「ならそのとおりにするか」
「われは休みなんて要らないのだが命令だから仕方なく休む」
キアと俺はジャンク船のとまっているバルコニーに戻る。
ジョットマーイはすぐにジャンク船を飛ばし、俺たちを砂浜に連れて行った。
作戦前にみんなと待ち合わせた砂浜である。
そこではリアンゲ、ニウフアメー、チャーイハート、サラサ、ナーグルア、プリアさん、ヒマ、クマリー、エーンが待っていた。
頭部だけのリアンゲ以外、相変わらずみんな水着のままだ。
しかしキアと俺が来るまで海水浴は自重していたらしく、みんなそわそわしている。
五本足のタコの状態でエーンが俺とキアに再び水着を貸してくれたのでそれを着なおす。
まぶしい太陽を受けながら、俺はサラサと水泳で競争した。
リアンゲの発案により、ヒマとクマリーとプリアさんは当のリアンゲの頭部を使ってキャッチボールを始めた。
ナーグルアとエーンはときおり体勢を変えながら海面にぷかぷか浮いている。
キアは砂で城を作り、ニウフアメーはみんなに満遍なく声をかけながら砂浜全体に危険がないかずっと目を光らせていた。
しばらく泳いだあと、俺はチャーイハートのそばに腰を下ろした。
日傘はすでにトータハーン(ท)から出して立ててある。
チャーイの上半身もハートの下半身も日陰のなかで体を伸ばし、リラックスしているようだ。
俺は海水浴を楽しむほかの九人のほうに視線をやって口をひらく。
「君の見解どおり、低子音単独字組のみんなの相性はよかったな」
「キサマもそのなかで、よくやってくれた」
チャーイの上半身から分かたれたハートの下半身が俺の後ろに回り、足裏でツボを押してくる。
心地よさを感じつつ、俺は息をついた。
「トライヤーンの大枠で捉えれば、俺も低子音だしな。普段は落ち着きと共にあり、大きなことに直面して慌てるようなことがあっても気分を沈めて目の前のことに対処する――それが低子音に選ばれたみんなの特徴だったか。確かにチャーイハートの子音字型性格診断は当たっていた。みんな頼もしかった」
「しかり……だな。だが拙は低子音単独字組のほうが箱のようなものに捕らわれやすいとも言ったぞ」
「箱か。その意味だけはよく分からない」
「低子音単独字には声調を変更するホーヒープ(ห)すなわち『ホーナム(ห นำ)』がつくことがある。レック(เหล็ก)やミー(หมี)のように」
「言われてみればそれぞれローリン(ล)とモーマー(ม)の前にホーヒープ(ห)がつくな。単独字が箱に捕らわれるというのは、そこからの発想か」
「さよう。ほかの低子音単独字のほとんどもそうだ」
「……リアンゲは文字どおりスープパンの箱のなか。ニウフアメーも魔力というもののなかにいる。クマリーは書き言葉、ヒマは他者からの承認、サラサは四つ足で生きること、ナーグルアはケンカ、キアは暗殺、そしてプリアさんは人よりも自分と向き合うこと――そういう『箱』のなかにいるような気もするな。でもエーンと君は……どうなんだろうな」
「分からん。低子音単独字のなかでもロージュラー(ฬ)とノーネーン(ณ)にだけはホーナムがつかないゆえ」
「だったら『簡単にはその存在を規定できない』という箱に入っているんじゃないか」
「かもしれんな」
チャーイの上半身がほほえみ、ハートの下半身が俺の前に移動して足を合わせて礼をした。
「コープクン。そして箱は捕らわれるだけのものではなく、蓋をあけて中身を取り出すものでもあるか」
「ああ、きっと……みんなはそれ以上の存在だ」
俺は前方を見た。
プリアさんがクマリーと一緒にふらつきながらこちらにやって来て、俺のそばにへたり込んだ。
「な、なんかめっちゃ疲れましたあ……っ」
ヒマたちと海で遊んで、いい汗をかいたようだ。
セリフとは対照的にプリアさんの顔はすがすがしくもある。
ヒマとリアンゲはまだ元気なようで、サラサとキャッチボールに興じている。
俺はグラジョームのなかから消毒した容器を取り出す。
さらに、砕いた氷をユアックに出してもらった。
あとはバナナやココナッツミルクなどを加えてナムケンサイ(かき氷)を作り、その場にいるみんなに渡す。
落ち着いてからプリアさんはチャーイの上半身に話しかける。
「チャーイハートさん……しつこいようですがお体はだいじょうぶでしょうか……」
「マイペンライ。無理をしてすっかり離れてしまったが、なんか慣れてきたぞ。どちらも普通に動かせる」
チャーイハートはナムケンサイをスプーンですくい、涼しい顔で答えた。
まだ不安そうにしているプリアさんにも視線をやり、クマリーが左手で胸をたたく。
「安心してくださいっ。クマリーがいつか絶対くっつけますよー!」
「コープクンである、クマリー」
「マイペ……っ」
礼を述べるチャーイハートにクマリーはマイペンライ(どういたしまして)と答えようとして口をつぐんだ。
ついでプリアさんの左手のロールア(ร)を見る。
「プリア艦長……いや、今はプリアちゃんっ」
「な、なにクマリー……っ」
「クマリーのウォーウェーン(ว)の力がもっと強くなったあかつきには、プリアちゃんの文字をはがすこともできるようになると思う」
「……うん」
「ただ、そのときは……プリアちゃんの気持ちをクマリーは大切にする」
すでにクマリーも、無理やり刻まれたロールア(ร)によってプリアさんが苦しんでいることを理解している。
文字をはがすともはがさないとも決めつけず、クマリーはプリアさんの左腕に頭をこすりつけた。
「そしてプリアちゃんがどんな道を選んでもプリアちゃんとクマリーたちは友達で仲間だからね……」
「クマリー……」
砕かれた氷の上で、小さい水がはじけた。
「コープクン」
「マイ……っ」
また口をつぐんだ。
そこで俺はクマリーに、その言葉の書き方を教えることにした。
パイロ(ไพเราะ)の名前を書くときに覚えたマーイマラーイ(ไ)で「アイ」の音を示す。
モーマー(ม)にマーイエーク(–่)も加えて「マイ(ไม่)」の文字列を組み上げる。
次にセンセー(เซ็งแซ่)やレック(เหล็ก)のときのようにマーイナー(เ)一つとマーイタイクー(◌็)を組み合わせて短い「エ」をあらわす。
「お兄さん。本当にマーイタイクー(◌็)はペート(๘)ちゃんに似てますねっ」
「そうだな。ちゃんと数字のことも忘れていないクマリーはさすがだ」
ともかくポープラー(ป)とノーヌー(น)を続けてペン(เป็น)の部分もできあがる。
あとは「ライ」だが……。
「あっ、この『ライ』の『ラ』は『ゥラ』って感じの巻き舌ですね。初めて会ったときにプリアちゃんがクマリーにちゃんとした巻き舌を教えてくれたからクマリーには分かったよ~」
「お、覚えてたの……。そうだねロールア(ร)の発音は『ゥロゥロゥロ』って感じだね……」
照れるプリアさんの横で、クマリーは「アイ」を示すマーイマラーイ(ไ)を再使用し、ライ(ไร)の部分を自力で書いた。
こうして覚えた「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」をチャーイハートとプリアさんの手の平に書きしるした。
先ほど言えなかった「どういたしまして」という返事を書き言葉で伝えたのだ。
チャーイハートがうなずき、プリアさんが目をうるませる。
ナムケンサイを食べ終わったプリアさんはカラの容器とスプーンを俺に返して立ち上がった。
「アーティットさん……チャーイハートさん。ワタシ、調子に乗りすぎてましたかね……っ」
そんなことはないし、別に乗るなら乗ってもいいのではと俺たちが答えると、プリアさんは両手の指をからめて言葉を継いだ。
「よく考えるとウィマーンに奇襲をかけた意味はあったんでしょうか……。実際にウィマーンを捕らえたわけでもダメージを与えたわけでもない。ワタシの最後の行動って無駄だったんじゃ……」
「無駄なことなどあるものか」
静かにチャーイハートが返答する。
「そこで全力を尽くせたからこそ、プリアはこれからも進んでいける」
「君の勇気ある行動が、ウィマーンの心にとどめを刺したんだ。心を折ったのでもない。君は対峙する相手にも立派にみとめられたんだ」
少し後れて俺も答えた。
プリアさんは手を合わせ、ていねいに礼をした。
「コープクン・カ」
それからジャンク船のほうに早歩きで向かう。
クマリーは氷をごくんと飲み込んで、俺に顔をかたむけた。
「お兄さんっ。あらためて言わせてください。今回はサワッディーとマイペンライと数字全部を教えてくれてコープクンですっ」
「ああ、マイペンライ」
「そうだ、お財布のなかの硬貨も見てみましょ~」
水着のなかに手を突っ込んで、クマリーが白い革の財布を取り出した。
さらにジェオから受け取っていた数字のシールも砂の上に並べる。
俺は驚いた。
「財布もシールも、どこにしまっていたんだ」
「クマリーのおへそですっ。クマリーがお兄さんのおへそに入れるなら、クマリーのおへそにもいろいろ入れることができるはずですよねっ!」
これもウォーウェーンの力なのかもしれない。そもそも俺を小さくして育児嚢に入れていたトゥアムの例があるので、クマリーが自身のへそにものを収納していたとしても不思議はないのかもしれない……。
一バーツ硬貨を手に取り、ヌン(๑)の数字を見る。
十バーツ硬貨もつかみ、シップ(๑๐)の数字も見つめる。
「読めるっ、読めます~! これで買い物がもっと楽しくなりますよっ!」
「……あらためてクマリー。港町で買い物したときとワッタジャックのパイ・ゴーガイで遊んだときに数字を事前に教えていなかったこと……悪かったな」
「いいんですよお兄さんっ。だってお兄さん……字を全然知らなかったときのクマリーに、字を知らないからといって自分を恥じることないんだって言ってくれてたじゃないですかっ。知っているなら知っているでいいし、知らないならそれはそれっ。だから言いっこなしですよー」
明るくそう言って、今度は全十種類のシールを広げる。
「だけど、それでもクマリーは字を覚えてよかったと思います。たとえばこの十個の数字は、組み合わせによって無限に数をあらわせるんですよね」
「そうだな、数の塊ごとに数字をあてはめていけばいいわけだから」
「すごいですよね~。限られた字のはずなのに、無限に表現できるって。数字だけじゃなくて、文字だってそうなんじゃないでしょうかっ。文字をいろいろ組み合わせ、みんなは言葉を無限に書きあらわしていくんですねっ」
「ああ、言葉はどんどんつながっていく」
「……」
隣ではチャーイハートが無言でクマリーに拍手している。なおハートの下半身は足裏をたたき合ってクマリーに拍手を送っていた。
俺はシールの数字に指を這わせるクマリーに聞く。
「数字のピーたちとは、もう一度会いたいか」
「もちろんですっ」
クマリーは両手ですべてのシールを持った。
晴れ上がった空に、それらを掲げる。
「だってクマリーの世界を、もっと広げてくれそうだからっ!」
「だったらまた会える」
今のところクマリーが覚えたのは、基本的な最初の数字のみ。
それでもそこから情報は始まり、それを書く誰かがいる限り無限に続いていく。
事実、けっして分かり合うことのできないスカティとウィマーンのもとに数字の精霊がいる。
二人と俺たちとのあいだに横たわる断絶さえも飛び越えるなにかがあるのだと、その数字たち自身が証明しているのではないだろうか。
* *
【ร】
「ジョットマーイさん……っ!」
プリアはジャンク船のタラップを上り、後部甲板にいるジャンク船の船長に声をかけた。
「あの……ジョットマーイさんは海水浴、しないんですか……」
「あたしはいいんだよ、プリアちゃん。ギンガー海域制圧作戦に参加してたわけじゃないからね」
はつらつとした声を抑え、ジョットマーイが水兵帽をかぶりなおす。
ペンギンの姿をした船員のあいだを通り抜け、プリアがジョットマーイのそばにおずおずと立った。
ジョットマーイも水着に着替えている。左手の平のポーサムパオ(ภ)を無防備にさらしている。
彼女は操舵輪の近くのイスに座っていたが、少し位置をずらす。
「隣に座らない? プリアちゃん」
「え……っ」
少しためらったのち、プリアがジョットマーイにさらに近寄る。
「では失礼します……」
肩を並べて腰を下ろすと、やはりいろいろジョットマーイのほうが大きかった。
にもかかわらず、ジョットマーイはイスの半分をプリアに与えている。
「にしても、いい天気だね~、プリアちゃん……ぽかぽかっ!」
「はあ」
生返事をしてプリアは、前方の操舵輪を見る。
「結局、免罪符は手に入りませんでした」
「……そう」
「自己中で陰気なワタシを、誰も拒絶しませんでしたよ。どころか……頼り頼られてしまいました。まるでワタシが役立たずじゃないみたいに。そこに安心を覚えてしまいました」
「プリアちゃんは、もともと素敵な人だからね」
ここでジョットマーイはイスの裏からコップを出し、水筒をかたむけて液体をそそいだ。
それをプリアに差し出す。
「はいキュウリ水。冷たくて、なかなかいけるよっ」
「キュウリ水って……」
プリアはひとくち飲んだ。
冷たくて新鮮さを思わせる水が、ほてった全身にしみ込んでいく。
一回ブルッと震え、プリアが声を絞り出す。
「……ジョットマーイさん」
「なにかな」
「これまで言えませんでしたが」
今になって言おうと思ったのは、ジョットマーイに拒絶されたかったからなのか。それとも――。
「ワタシ……ワタシ……アナタの乗っている船が沈没してほかの船員のみなさんが全員亡くなったと聞いたとき、心の底から喜んだんですよ……っ。そこから立ちなおったアナタの姿を見たときも『もっと沈んでいればよかったのに』って思ったんです……」
プリアは怖くてジョットマーイの顔を見ることができなかった。
「スーンのことを抜きにしても……結局ワタシはもとから最低なんですよ……。今だって、どうせジョットマーイさんなら許してくれると思ってる。言ってくださいよ……ほかならないアナタの口から、おまえなんて沈んで消えてしまえって……」
「……プリアちゃん、その思いを、ずっとかかえてきたんだね」
ジョットマーイが、横からそっとプリアをだきしめた。
「あたしに聞かせてくれて、ありがとう」
「な……なんでアナタがそう言うんですか……っ」
「言ったよね、あたしはプリアちゃんのことが好きだって。プリアちゃんの気持ちもあたしの気持ちも間違ってないって……。あたしは、自分の気持ちと向き合い続けたプリアちゃんを立派だと思うし、尊敬する」
「う、あ……う。ジョットマーイさん……っ。だからワタシ、アナタのことが……」
しばらくプリアは目元を熱くして真珠のような涙をこぼし続けた。
そのあと再び口をひらく。
「ワタシ、自分に刻まれたロールア(ร)のことが大嫌いでした。でも……今回みんなと一緒にがんばれたから、ちょっとだけ好きになれました」
「うん……」
「だけどクマリーが文字を取り外せるようになったら、外してもらうかもしれません。もしくは外さないかもしれません……それは、まだ分かりません」
「プリアちゃんの好きなようにしていいんだよ……それを決めるまで、どうプリアちゃんが生きるかもプリアちゃんの自由なんだ」
「……だったら」
キュウリ水を一気にあおり、プリアがイスから立ち上がる。
「ジョットマーイさん、ワタシと海水浴に付き合ってください」
「え、でもあたしは――」
「そうです、これはワタシのわがままです! ワタシがジョットマーイさんと一緒に暑期を満喫したいんです……っ!」
「プリアちゃん……」
ジョットマーイも笑って立った。
「じゃあ付き合っちゃおうかなっ。実はあたしもプリアちゃんといろいろ楽しみたかったんだ」
「ならワタシの船に乗ってくれますか……?」
「むしろ乗りたいよっ」
「……やっぱりアナタは大きな人ですね」
プリアはジョットマーイの手を取ってそっと引っ張った。
「ハスの葉がいいですか、それとも潜水艦?」
「そうだね~、プリアちゃんの好きなほうと言いたいところだけど……両方で!」
「ジョットマーイさんもわがままなんですね」
「船もジャンク船も、行きたいところに行くものだからね。目的地がどんなに遠くても」
「はい。そこは違いありませんね」
二人は共にタラップを下りた。
砂浜に足をつけ、大きな海へと駆けていく。
そのときプリアはうっかり涙を一つ海に落としたが――。
それがどこに行ったのかは、もう誰にも分からない。
〈ท(トータハーン) 第四章 完/๛〉
次回「番外編07.義勇兵とは称さない・マイリアックワータハーングラー(ไม่เรียกว่าทหารกล้า)」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ナムケンサイ(น้ำแข็งไส)→タイのかき氷




