167.数えきれない言葉に乗せて(บนคำนับไม่ถ้วน)【中編】
俺は空の兵隊に命じてハスの船に接続する硬い空気の足場を作ってもらった。
船と共に動く見えない床だ。真下には海面が揺れている。
その上に立った俺は足場の範囲を教えてからジェオに手招きした。
ジェオが跳んで、俺と同じ床に着地する。
すでに彼の体は医者の兵隊に治癒させている。
また、クマリーには俺から離れてもらった。近くにいるだけでクマリーは文字保有者を強化してくれるが、今回ばかりは俺一人の力で戦いたいと思う。
「水の島ゴ・ナームのなかでは中途半端なところで戦闘を打ち切ってごめん。でもあなたとは『戦いの続きはあとだ』って約束してたよな。だから今からやろう。ここが戦場だ」
「……それはありがたいことだけどよ」
モジモジしながらジェオが首をかしげる。
「さすがに優しすぎるのだ。おれも今はアーティットたちに迷惑をかけたくないし……」
「心配してくれてありがとう。でも迷惑じゃないよ。きちんと俺たちにメリットがある。……俺たちはこれからヨムの情報を得るためにあなたをホーノックフーク(ฮ)のもとに連れて行く。とはいえ文字保有者でも犯罪者でもないあなたを長時間拘束することは法的にできないんだ」
これは鐘のイヤリングを介してトープータオ・カヤンに確認したことだ。
「そこで図書館塔に連れて行く前に、俺があなたを満足させる。その見返りとしてあなたはみずからホーノックフークと会うんだ。ほんの少しの時間でいい。そのあとはあなたの自由だ」
「なるほどー、しかもキアちゃんに監視されている以上逃亡も不可能か。でもおれはヨムくんを裏切りたくないなあ。ホーノックフークが真実を閲覧する力を持つことも知らされているしさ。本拠地もバレちゃうのだっ!」
「問題ない。ヨムはあなたが捕獲される可能性も考えて行動しているはずだ。本当に重要なことも教えていないと思われる。むしろ相手に渡った情報を有効活用してうまく立ち回るだろう。本拠地がバレることを想定すればそこにワナを仕掛けることもできるしな。そう考えればあなたがホーノックフークと会うことはヨムのためにもいいことなんじゃないか」
「確かに! ならヨムくんも喜んでくれるなっ」
「……それだけじゃない。あなたに満足してほしいとか以前に、俺があなたに勝ちたいんだ」
左手の平を俺は見せる。
ニウフアメーの切り取られた冥色の髪が巻きつき、トータハーン(ท)を隠している。
「さっき仲間に頼んでやってもらったんだ。現在、俺の文字の力は封じられている。タハーンのピーも出し入れできないし、武器を手の平から抜くことも不可能。文字保有者特有の体の頑丈さも消失している。この状態で勝つ。代わりに手の平の文字を守るかたちになったのは許してほしい。それと、アーガートによる床はしばらく消えないから戦いに支障はない」
「本当に殺しがいのある、見上げた男の子なのだ」
「責めないのか」
「手加減しているなんて思わないな。アーティットの戦いたいように戦うのが一番なのだ。自分がこの二年間で文字におんぶにだっこになっていなかったか……確かめたくもあるんだろう? だけどおれは、文字を持っていない二年前のおまえにすでにほれていた」
「本当に光栄だな。ジェオ、あのときのように俺を殺してみてくれ……もう、させないが」
俺は彼のサームシップサーム(๓๓/三十三)の入れ墨に視線をやって右手を構えた。
「じゃ、始めよう。ハスの船のみんなには手を出すなとすでに伝えてある」
「わーい! きょうこそ殺してやるのだっ」
ジェオの笑顔には、無邪気という言葉がよく似合う。
* *
その晩だけでは俺とジェオの戦いの決着はつかなかった。
戦い自体は単純で、抱擁により極め技をかけようとするジェオをよけてその都度俺が打撃を返す流れがいつまでも続く。
もはや追いかけっこである。
ずっと戦い続けるわけにもいかないので俺もジェオも適宜同時に休憩をとった。
睡眠時間もしっかり確保し、俺は作ったごはんをジェオにも食べてもらった。
そうして俺たちが戦っている一方で――。
チャーイハートたちはギンガー海域の制圧が本当に成し遂げられているか確認を進めていく。
確かに、リアンゲの縄から解放されギンガー海域で暴れていた精霊すなわち竜のウィマーンは婚約者のスカティを棺桶から出すのに成功したため当の海域から姿を消した。
とはいえゴ・ナームが消滅して青い霧のピーが消えた今になっても、ギンガー海域が元通りになったとは言えない。
まだ野生のトカゲザメたちの多くが戻ってきていないからだ。
もともとギンガー海域には、大量のトカゲザメのピーが生息していた。
トカゲザメたちは暴れるウィマーンから逃げるために周辺の海や陸地に進出した。
(ただし今になって思えば、トカゲザメたちはウィマーンから追い払われたのではなくピーとして格の高いウィマーンに命令されて周辺に散ったのかもしれない。ピーではなく人間のほうを憎んでいるウィマーンがいたずらにピーを傷つけるとは思えないからだ。そうしてトカゲザメを暴れさせたうえで俺たち文字保有者をギンガー海域におびき寄せ、数字のピーに文字のエネルギーを吸わせてからスカティの棺桶の鍵としたのだろう)
いずれにしろウィマーンがいなくなれば、トカゲザメたちはギンガー海域に戻ってくることになるだろう。脅威となりうる存在もしくは命令を聞かなければならない相手が失われたのだから。
爆散して海水となったトカゲザメも、個体差はあるが一週間程度で元のかたちに戻るらしい。
今回の作戦のメンバーではない文字保有者たち数人――レックやミーたちが、ギンガー海域外に進出しているトカゲザメを討伐しながら確かめてくれた事実である。
そして鐘のイヤリングで連絡をとったところ、復活したトカゲザメたちは人を襲うことよりもギンガー海域のほうに引き返すことを優先しているそうだ。
ニウフアメーの髪とエーンのヒトデによっておこなっていた海域封鎖も解除し、ギンガー海域に入ってくるトカゲザメたちを攻撃せずに受け入れる。
遠くのヒトデたちとも視界を共有しているらしく、エーンがハスの葉の上で報告する。
「あ、またトカゲザメが入ってきた。このまま順調にギンガー海域は元通りになりそうだねー」
「その確認が完全に済んで、ギンガー海域周辺からトカゲザメたちが引っ込んでくれたら制圧作戦は本当に終わりだな」
戦いの合間の休憩時間を使い、俺はエーンに声をかけた。なおジェオに聞かれないように音量は抑えている。
エーンはいつものサバサバした声で返す。
「だねー。といってもティットくん……。スカティさんとウィマーンさんを飲み込んだっていうトカゲザメは逃がしちゃったみたいだし、あとマリちゃんもウチは捕らえきれなかったんよ。ごめんね」
マリについては水の弾丸が降りそそいだときにエーンのもとから逃げたらしい。
取り押さえていたエーンの体を、例の袋状のピーが引きはがしたそうだ。
俺は赤い五本足の体を見ながら言う。
「君がずっとマリを抑えてくれていたおかげで、ほかのみんなはウィマーンとの戦いに専念できた。みんな感謝してる」
「そうそう、アーティットくんの言うとおり」
リアンゲの頭部を持つニウフアメーがエーンのそばに座る。
「海域封鎖のパトロールがちょっとザルだったのはわたしの責任でもあるし……むしろエーンちゃんはみんなのいのちの恩人だからもっと誇っていいんじゃないかな。君が用意してくれた水着のおかげでみんなは水のなかの戦いでも自由に動けたんだからね。水着がなかったら誰か死んでたかもってわたしは冗談抜きで思ってるよ」
「アメちゃん……ティットくんも、優しい言葉ありがとね。あ、リアンゲさんもうなずいてくれてどうも~」
エーンがタコの体をぴょんぴょん跳ねさせた。
「……って、なんでみんなウチの体にツッコまないん? ぜひツッコんでツッコんでー」
「なんというか、わたしは察してたからとくに驚いてない感じかなあ。どんな体でも君がエーンちゃんであるのは変わりないし。ねえ、アーティットくん」
「いや俺は驚いているよ、ニウフアメー。でも思い出してみればガーオ(๙)のピーはエーンのタコをつついていたな。つまり吸収すべき文字のエネルギーがタコの体からも放出されていたということ。そもそもエーンのロージュラー(ฬ)は日焼け跡として手の平に浮かんでいたし……この時点で人間の体はダミーだったと推測することが可能だったな」
「正解だよティットくん。ウィマーンさんやハートちゃんみたいにどっちも本体ってわけでもないんよ。ピーでもない。ウチは五本足のタコ。といっても人間の体も気に入ってるから今後もそっちをよろしくね~」
ちなみに現在エーンの人間の体はそのタコの体に収納されているようだ。
返事をしてから俺はなんとなくリアンゲと無言の笑みを交わした。
(不思議とリアンゲとはそれだけで分かり合えるような気がしてしまう。それに……リアンゲが作戦に参加していたこと自体に妙な安心感があった。メンバーに同性が少ないこともさすがに関係しているのかもしれないが)
ニウフアメーの冥色の瞳もちらりと見る。
(そしてニウフアメー……彼女は魔力というよく分からない力を行使する魔女。どうもこの人だけピーともまた違う独特の概念で動いているような感じだ。今回の作戦では低子音単独字のみんなとの交流を深めることができたけど……なぜかニウフアメーに関してだけは何者なのかまったく予想がつかない)
俺の視線に気づいた彼女が手を振ったので、俺も同じ仕草を返した。
不明な点は多いものの、数字のピーの捜索やスカティたちとの戦闘においてニウフアメーが多大に貢献したのは事実である。
ジェオとの戦いのためにトータハーンを封じてくれていることにも感謝している。
それから俺は、休んでいるジェオのそばに寄る。
「そろそろ戦いを再開しようか」
「うんっ!」
うとうとしていたジェオが立ち上がった。
が、隣に控えていたキアが甘ったるい声を出す。
「待て、ジェオ。トータハーン・アーティットと少し話をさせろ」
「構わないのだキアちゃん!」
うなずき、ジェオが半歩だけ下がった。
キアの声がネズミのようにか細いものに切り替わる。これで会話の声は俺とキアだけにしか拾えなくなった。
口元も隠して話をおこなう。
「われわれに刻まれた文字の正体がピーだったことを、貴様はどう考えている」
「驚いたけれど、それによって俺が迷うことはないよ」
「だろうな。スカティの言ったこともウソではなかろう。われのノーヌー(น)がわれの肌を自由に移動できるのも、そもそも文字がピーであるからと考えれば合点がいくしな」
「言われてみれば……でも」
髪で封じられた自分の左手を一瞥し、俺は首をひねる。
「どうして君のノーヌーだけが移動能力を有しているんだろう」
「文字保有者のなかで、われがもっとも文字となじんでいないからだろうな。文字がわれに吸着しきれていないと言える」
「まあ思い当たるフシはあるな。君はほかのみんなと比べて詠唱を使わないイメージがあるし……それだけ文字の力に頼らずに戦闘しているということか」
「……ウォーウェーン・クマリー、ノーヌー・キア、ヨーヤック・ナーグルア、ンゴーングー・リアンゲ、ローリン・ヒマ」
文字保有者の名前を、とある順番でキアが述べていく。
「ヨーイン・ニウフアメー、モーマー・サラサルアイ、ロージュラー・エーン、ノーネーン・チャーイハート、ロールア・プリア……以上は文字のエネルギーを食らう数字のピーが取りついた順番だ。これがなにを意味するか分かるか、トータハーン」
「順番には意味があったのか? まあ別行動をしていたニウフアメーのことも考えるとその順番も絶対ではないんだろうけど……もしかして文字と本人との親和率が低いほど数字のピーは取りつきやすかったんだろうか。一人につき一体ずつ取りついていたことから、相互に遠慮し合う性質だったことが分かるし、それが文字のピーについても適用されていたとしたら本人からピーのにおいがするほどにその相手を後回しにすることになる。ウォーウェーン(ว)を継承して間もないクマリーの親和率がもっとも低いのは道理だ。そして次に親和率が低いのは……文字を移動させることができる君ということになるのか」
つまり今回作戦に参加した低子音単独字組のみんなのなかで文字との親和率がもっとも高いのはプリアさんで、チャーイハート、エーン、サラサ、ニウフアメー、ヒマ、リアンゲ、ナーグルア、キア、クマリーの順で親和率が低くなっていくという仮説を立てることができる。
もちろん数字のピーはその場で会った文字保有者のなかから対象を選んでいたフシもあるので、実際の親和率の順番は仮説のそれとは前後するだろう。
「プリアさ……プリアの親和率が一番高そうなのは、やはりスーンに無理やりロールア(ร)を刻まれたという側面が大きいからだろうな」
「いや、今回のメンバーのなかでもっとも文字との親和率が高いのはロールアではない」
「チャーイハートか? 二人に取りついたヌン(๑)とスーン(๐)のピーは、ほぼ同時に現れたからなんとも言えないけど」
「ノーネーン(ณ)でもない。親和率がもっとも高いのは貴様だ」
「……あ。だから俺には数字のピーがつかなかったのか」
「おそらくな。それだけ文字と貴様とはベッタリということだ。一時的なものとはいえ、ヨーイン(ญ)にトータハーン(ท)を封じられて普段とのギャップもあるんじゃないのか」
「いや、武器や兵隊のピーを出し入れできないこと以外とくにないな。体は普段から鍛えているし」
「なるほど。文字と貴様は親和しすぎてほとんど混ざり合っていると見える。ゆえに一部が封じられても、その性質が奪われたという感覚がないわけだ。分かりやすくたとえると、バナナとリンゴだ。混ざっていない状態だとバナナを奪われたとき明確にバナナが奪われたと分かる。しかしバナナとリンゴを砕いて混ぜ合わせてジュースにすれば、半分飲んでもそのぶんの量が減っただけでバナナだけが奪われたという感覚が生じない」
「……そ、それは分かりやすいな」
「貴様。心にもないことを」
キアは文字の力を封じている俺が万全の状態でジェオと戦えているかどうかを心配しているのだろうか。
対して俺は「コープクン」と言おうとしたが、キアの左手に口をふさがれた。
「誤解するな。誰が貴様を心配するか。われがやったのは気になる情報の共有にすぎん」
ここでキアは声を戻し、俺との会話を打ち切った。
ジェオが俺の右腕を持ち、ぶんぶん振る。
巨躯を持つ壮年男性なだけあって、勢いがすさまじい。
しかし俺はケガしなかった。
ハスの葉の上では戦わないことに決めているが、その約束をジェオは律儀に守っているのだ。
「キアちゃんとなにを話していたのだ、アーティット! そばにいたのに全然聞こえなかったのだ!」
「ちょっと秘密の話をしてたんだ。待たせて悪かったな」
硬い空気でできた床に戻り、戦いを再開する。
その日もジェオと戦い続けたが、決着はつかなかった。
* *
決着がつかないまま数日が経過した。
俺たちはいまだにギンガー海域に浮き続けている。プリアさんのハスの船のおかげで快適に過ごせている状態だ。
ギンガー海域に帰還してくるトカゲザメも増え始めた。
ただし俺たちが襲われないよう、ナーグルアたちがトカゲザメをハスの船から追い払っている。
休憩のあいだ、俺はナーグルアのそばに寄った。
「ちょっといいか」
「なんでしょう、トータハーン(ท)さま」
右手の棍棒で空気を突いてその衝撃を飛ばしつつ、ナーグルアが応じる。
いずれの攻撃もトカゲザメには直撃していない。
飛んだ衝撃は手前の海面に当たり、トカゲザメを平和的に逃がしている。
「もしかしてケンカのおさそいですの?」
「いや、今はジェオとやってるところだから」
「まあ。私としたことが早とちりを。恥ずかしいですわ」
おしとやかにナーグルアがほほえむ。
俺も小さく笑みを作るように意識しながら彼女に返す。
「気になってるんだが、あなたはどうやって自力で棺桶から脱出したんだ。エーンによると『鍵をあけない限り動かすことも壊すこともできない』という絶対的な自然法則が棺桶に働いていたらしいけど……」
「私は、たたき続けただけですわ」
「自然法則の理までもぶっ壊したわけか。すごいな」
「いえいえ。今回私は長く棺桶に封印されていた身。むしろみなさまのお役に立てず反省していたところです」
「そんなことはないよ。あなたが理を超えて自力で棺桶をこじあけたからこそ、スカティとウィマーンもあっさり退却したんだと思う。それに……棺桶に捕らわれていたのがほかの文字保有者だったら、その人はいまだに棺桶のなかに封印されていただろう。俺たちが全員無事に帰還できるのは、ナーグルアのおかげでもある」
「あらあらトータハーンさまったら、調子がいいですこと」
満面の笑みと共に、ナーグルアが蠱惑的な瞳を向けてくる。
「その言葉、作戦に参加したみなさま一人一人に対して思っていらっしゃることでしょう?」
「そうだ、みんながいたから作戦は成功したんだ。そして一人一人が違う方法で作戦に貢献した。リーダーのチャーイハートも同じ気持ちだろう」
「ふふ、おっしゃるとおりですわ。そして作戦成功はあなたのおかげでもあります、トータハーンさま。私をなぐさめてくれたことも含めて、深く感謝いたします」
棍棒を持っていない左手だけを立て、ナーグルアは上品に礼をした。
思わず俺も深々と礼を返した。
さらに俺はヒマとサラサルアイに近寄る。
彼女と彼は海中に入ってトカゲザメたちを遠くへ誘導していたが、たった今休憩のためにハスの船に戻ってきたのだ。
ヒマはサラサの背中にまたがっていた。
「アーティットのバナナよこせーっ!」
ジャンプして俺にしがみつこうとしてきたので、俺は近くにいたグラジョームを呼んでなかからバナナを取り出した。
バナナ信者として、蓄えは欠かしていない。
ちなみに、戦いには参加させていないがみんなのごはんを作るためにも、グラジョームやプルーン、ユアックはトータハーンを封じる前から出しっぱなしにしている。ただし無言で指示することはできず、口頭でのコミュニケーションを図る必要がある。なお消毒・洗浄のためのペートのしっぽも充分に保管してあるので衛生面でも問題はない。
さて皮ごと勢いよく食べるヒマだったが、途中で口がとまる。
「ヒマ……役に立ってたかなあ」
カヤンがリーダーを務めていた人面ムカデ討伐作戦のときもそうだったが、ヒマは自分が仲間の役に立っているかどうかをすごく気にする性格らしい。
なにも知らない人がヒマと接すれば、天真爛漫で悩みがなく仲間思いの明るく元気な少女と思うだろう。
しかし実際のヒマはとても繊細で傷つきやすい少女なのかもしれない。過去になにがあったのか、俺がせんさくするわけにはいかないが……。
「もちろんみんなの役に立ってたよヒマちゃんっ」
クマリーが飛んできた。
「ヒマちゃん一生懸命ゴ・ナームの地図を書いてたし、最後にお兄さんを豪快にぶん投げてくれたもん。クマリーもヒマちゃんのこと頼りにしてたよ」
「ありがと、クマリー……うれしいっ!」
小さな口でバナナとその皮を噛みなおす。
そして……さらにもう一人、ヒマに声をかける者があった。
「そ、そう。クマリーの言うとおりだよヒマ……っ。アナタは立派な人だってば……」
目を泳がせながらプリアさんが寄ってきた。
少し言いよどんだあと、頬を染めながら言葉を継いでいく。
「マンゴーンのウィマーンのなかをアナタが通り抜けていなかったらワタシ、胃のなかのウィマーンと話せなかったかもしれないし……。なによりマリにワタシとアーティットさんがさらわれたときアナタは勇敢に駆け付けた。マリのピーの正体も暴いてくれたから、それでマリを警戒することができるようになったわけで」
「うわあんっ! プリアもありがとうっ!」
目をうるませてヒマがクマリーとプリアさんにまとめてだきついた。
「ねえ。プリアもヒマと友達になってほしいな」
「クマリーからもお願いっ。プリア艦長!」
「え、え……トモダチっ」
プリアさんは困惑している。
「……トモダチってなに?」
「それじゃ友達の儀式だっ! アーティット、バナナ追加で!」
ヒマの要請に従い、俺は新しいバナナを投げた。
めずらしくヒマはバナナの皮をむき、中身をまるまるむき出しにした。
「えっとねー、二人でバナナの両端をくわえて、食べ進めるの。それで先に口を離したほうが負けってゲーム!」
そんなゲームが――いや儀式が存在していたとは初耳だ。
クマリーが興味深そうに見守るなか、ヒマの勢いに押されてプリアさんはバナナをくわえた。
もう片方のはしっこをくわえたヒマも口を動かし始めたが、儀式の途中で真ん中の部分がポロリと落ちた。
だがクマリーが下からパクリとそれをくわえ、もぐもぐと噛んで飲み込んだ。
この場合勝敗はどうなるのか……?
ヒマが判定をくだす。
「むむっ。これは三人とも友達って結果だ!」
それはよかった。
クマリーとヒマに挟まれてプリアさんは照れているものの、その口角は緩やかに上がっている。
このタイミングでサラサが俺のひざを小突いてきた。
「おいおいアーティ。うれしそうじゃねえかよ」
「そう言うサラサこそ」
「……そりゃあな」
プリアさんを見守りながら、サラサが短く言葉を漏らした。
* *
さらに数日が経過し、とうとうギンガー海域周辺からトカゲザメがいなくなったという連絡がレックから入った。
海域に帰還するトカゲザメもこれ以上確認できない。
エーンとニウフアメーも海域を警邏させていた髪とヒトデをすべて回収した。
もちろんすべてのトカゲザメが帰還したわけではないだろうが、あとは化け物係に任せておいて問題ない。
チャーイハートが宣言する。
「これにて、ギンガー海域制圧作戦は終了である。みんな、大儀であった。無論、全員に化け物係から報酬も支払われる。おつかれさま」
その日の正午に俺とジェオの決着もついた。
俺が逆にジェオを抱擁し、慣れない極め技をかけたのだ。
それが偶然にもハマり、ジェオをギブアップさせることができた――。
――わけではない。
慣れない極め技を俺が使ってジェオを倒すことができるほど、甘いわけがない。
いったんジェオの極め技に全身を砕かれそうになったものの、それを好機にして俺は懐に入ったまま殴打を連続で放った。
そして極め技から脱出して向かい合い、最後は拳でひたすら殴り合う。
俺も意識が飛びそうになったが、どこか楽しくて、死んでも倒れるかと思った。
ジェオは透明な床に倒れ、あお向けのまま笑った。
「もう動かない……。やられたのだ、アーティット。あのころよりも、もっと素敵で素晴らしい男の子になったんだな……!」
「コープクン・クラップ」
手を合わせて礼をしながら、倒れないように俺はその場に踏みとどまった。
次回「168.数えきれない言葉に乗せて(บนคำนับไม่ถ้วน)【後編】」に続く!(8月22日(土)19時から23時59分のあいだに更新)




