165.【ร】船のロー・プリア【その6】
【๐】
* *
口に出すにしても心に思い浮かべるにしても、そういった言葉と自分の心の奥底に沈んでいる本性とのあいだには常に乖離があるとプリアは考える。
仲間のためにロールア(ร)を使うと決意しても、モクズのような自分の本性は結局のところその言葉には追いついていないのだ。
言葉とは自分の心の本当を映し出すものではなく、自分にウソをついたあとその虚言どおりの場所に自分を無理やり引っ張っていく呼び水のようなもの。
(さっきのクマリーの口上だって、ぎこちないとワタシは思った。クマリーも完璧な自信をもってウォーウェーン(ว)を名乗ったんじゃない)
不安や戸惑いさえも込めて言葉をかたちにする。
その言葉こそが、自分を新しい場所に連れて行ってくれる。
ちょっと言葉をこねくり回しただけで変われるほど心は簡単じゃない。
もっともらしい決意なんて現実に直面すれば崩壊するのが当たり前である。
相変わらずウィマーンは怖いし手の平に刻まれたロールア(ร)がピーである事実を受けとめられないし自分は仲間の役にも立てない性格最悪のモクズ女だとも思う。
自分の並べ立てるもっともらしい言葉の九十九パーセントは虚勢やハッタリにすぎない。
でも残り一パーセントの言葉は、みんなのためにも自分のためにも目の前の脅威に立ち向かおうとしている。
――たった一パーセントでも自分を肯定できたなら、それだけでいいんだ。
(チャーイハートさん。ワタシはその一パーセントに乗ります)
もうすぐギンガー海域制圧作戦も終わる。
だが今さら悠長に作戦会議をしている余裕はない。
プリアは自分のやるべきことをハッキリと捉えた。
ランマイ・プローンを用いたクマリーによってウィマーンのしっぽは完全にとめられている。
そのウィマーンがしっぽをランマイ・プローンから抜いた。
というより、ウィマーンのマンゴーンの体がさらに縮小を始めた。
クマリーの両手に吸着しているランマイ・プローンの水の塊も崩れだす。
ウィマーンがそれらを維持するのをやめ、そのぶんの力を次なる攻撃のために消費しようとしているのは明らかだった。
ただし、まわりの海を囲んでいる青い霧はそのままである。
アーティットたちはすかさずウィマーンの行動を妨害すべく動いたが、その瞬間ウィマーンの真下から大きな水柱が立った。
緑の水柱ではない。
柱を構成するのはすべて透明な水である。
ランマイ・プローン――水の島ゴ・ナームと同じく固体の性質も持つようだ。
真上へと伸び続け、塔の形状をかたどる。
小さくなったウィマーンは塔のてっぺんに逃げている。
当然、スカティを封印した岩石はかかえたままだ。
塔の高さは百メートほど。鉛直下向きの水流を滝のように落とし続ける。
しかも最上階に相当する部分が円形に膨らんだ。
途端、その円の下部から四方に向けて水の弾丸が発射された。
成人男性と同等の大きさを持つ弾丸が猛スピードで海面に激突し、大波を立てる。まるであられのように大量に降る。
「ルークタハーン・ロムガンデート……サーム・アン」
アーティットは詠唱と共に左手の平のトータハーン(ท)から青い日傘を三本引っ張り出し、それをキア・エーン・ニウフアメーのいるほうへと投げた。
日傘はそれぞれエーン・ニウフアメーのいるハスの葉に立ち、即座にひらいた。
キアは近くに浮くハスを引き寄せて傘を立てた。
頭上からそそぐ水の弾丸を日傘がはじく。
キアはジェオを、エーンはマリを抑え込んでいる。
ニウフアメーはリアンゲの頭部をかかえつつ、気絶したチャーイハートを守っている。
三人にそれぞれの役割をまっとうさせるためにアーティットは日傘を飛ばしたらしい。
ヒマとサラサルアイは降り続ける水をたたいて落としている。
水の弾丸をよけながらプリアがさけぶ。
「クマリー! ワタシの名前をお願い!」
「はいプリア艦長!」
迷わずクマリーは宙にプリア(เพลีย)と書いた。
プリアの体が青く光り、集中力が増す。
「ゴーンタップ・ルア!」
そのときジョットマーイの言葉を思い出していた。
――あたしはあたしよりもプリアちゃんのほうが大きいと思ってるんだ、器が。
(ワタシはジョットマーイさんよりも小さいけれど、今だけはアナタを超えてやります)
ロールア(ร)を赤く輝かせながら詠唱を追加する。
「……ブアルアン」
するとあたりの海面に浮いていた大量のハスの葉一枚一枚がみずからくるまり、紡錘形をとった。さらに斜め上を向く。もちろんすべてのハスを変化させたのではない。文字保有者たちのための最低限の足場は残してある。
「射線上から退避して!」
いつもとは違うプリアの声を受けてヒマとサラサルアイは紡錘形となったハスから離れる。
プリアはそれを確認して左手をはすに振った。
「โจมตี(ジョームティー!)〔突撃!〕」
紡錘形になったハスの葉たちは、まるで艦長の司令を受けた艦隊のように瞬時に飛び出した。
斜め上へと飛び、降下する水の弾丸に激突する。
しかも弾丸に直撃する瞬間にハスは放射状に裂けた。
ハエトリグサに似た形状となって水を噛みちぎる。
水の塔最上階より間断なく撃ち込まれる水の塊をことごとく砕ききっていく。
(ルアダムナームに籠もっていたときはスーンをぶちのめす妄想と訓練をやって憂さを晴らしていたけれど、そういうワタシの陰気な性格も役に立つことがあるんだね)
そしてプリアはアーティットの指示を聞く。
水の弾丸の音にかき消されないよう彼も大声を上げた。
「みんな、今から塔のてっぺんにいるウィマーンを落とす! プリアはルアダムナームを出してヒマ・サラサ・クマリーと俺を運んでくれ。キア・エーン・ニウフアメーはそのまま役目をまっとうするように!」
「ラップサープ!」
各自が了解の意を返す。
自分の血を垂らして潜水艦を出現させたプリアは、外からハッチをあけてアーティットに話しかける。
「……アーティットさん。ちょっと貸してくれませんか」
「もちろん」
なにを借りようとしているか分からない段階でアーティットは承諾した。
プリアはアーティットからそれらを借りたうえで、別の人物からも目当てのものを借りる。
(頼らせてもらいますから、ワタシのことも頼ってくださいね)
ついで、アーティットたちを乗せたルアダムナームは赤茶色かつ紡錘形のボディを跳ねさせて上昇した。
頭上から降ってくる弾丸に着水する。
その表面で跳躍し、また別の弾丸の上に落ちる。
これをくり返して塔のてっぺんに接近していく。
だがウィマーンもルアダムナームが近づきつつあることに気づいた。
進行を妨害するために、いったん水の弾丸をとめる。
足場を失ったルアダムナームが空中で落下を始める。
直前、ハッチがひらき、ヒマとアーティットとクマリーが潜水艦上部に出て来た。
ヒマが後ろからアーティットの腰をつかみ、垂直軸を中心にして回転を重ねる。
勢いと遠心力を最大にまで高めたあと、アーティットをぶん投げた。
ウィマーンはルアダムナームの足場を作らないよう気をつけながら水の弾丸を再開させたが間に合わず、アーティットが水の塔てっぺんにまで迫る。
それどころかその高度を通り過ぎ、ウィマーンを見下ろした。
落下しつつ左手の平から弓矢を引き抜き、休みなく撃つ。
このままではやられると直感したウィマーンはさらに体を小さくする。
マンゴーンの口から女の姿で這い出し、スカティを封印している岩石に立つ。なお相応の浮力が働いているため岩は沈まない。
そして人の似姿をしたウィマーンはエビと同等のサイズになったマンゴーンの体を飲み込んだ。
その体の維持に使用していた魂の力を、アーティットを落とすために使用する。
周囲の円形の水面が盛り上がり、ウィマーンの頭上で巨大トカゲザメの姿をかたどる。
本物ではない。透明な水でできた、トカゲザメの似姿である。
巨大トカゲザメのかたちが、鍾乳洞のような口内を見せてアーティットに肉迫する。
アーティットの体が赤く光る。
彼の首にしがみついているクマリーがトータハーン(ท)を書いたのだ。
「ゲーンタハーン・ホーク」
槍を手の平から引き抜き、トカゲザメの姿めがけて弓につがえる。
「アスニバートッ!」
限界まで引き絞られた弓弦から手を離した。
ジグザグの軌道をえがきながら槍が斜め下に発射される。
口を貫通した槍はトカゲザメの手足の根もとにも穂先を直撃させ、一瞬にして相手の全身を爆裂させた。
すでにアーティットはイノシシ姿の陸の兵隊を空中に呼び出してそれを足場にして踏み切り、女の姿をしたウィマーンへと斜めに降下する。
その女性に似た体がウィマーンの一部であることはすでにプリアから聞いている。
しかしウィマーンはまだ力を残していた。
先ほどのトカゲザメをしのいで油断しているであろう相手に最大の攻撃をぶつけることにする。
おびえているフリをしながら、トータハーンの文字保有者を充分に引きつけた。
先ほどと同じように、周囲の水面を盛り上げる。
それ自体は弾丸と同じく水の建造物「ランマイ・プローン」ではない。
数秒もかからずに水が透明な竜の体をかたどる。
巨大トカゲザメよりもよほど大きい。
何対もの手がアーティットをつかむ。
拘束された彼をマンゴーンの頭部が圧倒的な物量で食らおうとする。
もはや雪の兵隊でこおらせることもできないだろう。
だが、そんななかにあってもアーティットの全身と左手の平はまばゆく光る。
赤い光が透明な水の内部で乱反射する。
「ゲーンタハーン・クワーン」
わずかな空気を震わせて斧を出す。
斧でマンゴーンの手をたたき斬る。
「ルークタハーン・カンベット」
続いて釣り竿を出し、針を後方斜め上に飛ばした。
落下中のタハーン・ボックに引っかけてイノシシの体を引き寄せ、その背中に乗る。
クマリーを横に連れた状態で、水でできたマンゴーンの頭部と対峙した。
「プロイ・コム・ダープ」
左手の平のトータハーン(ท)から抜剣し、回転を加えながらマンゴーンの真正面に刀身を当てた。
反動で後退し、左手を赤く発光させる。
「――ガムパン」
さらにアーティットは小鳥姿の炎の兵隊を呼び出して左手に招く。
するとプルーンは赤い光に溶けた。
刹那、左手の拳に巨大な炎が燃え上がる。
炎は収束するように渦を巻き、一個の太陽のごとく熱を発した。
拳のまとった炎がアーティットの背丈以上の直径にまで膨れて太る。
その球状の内部に彼自身やクマリーも飲まれているが、二人がみずからの炎熱によってダメージを受けている様子はない。
いったん左手を引き、撃ち出す。
「プラ・アーティット」
彼は静かに詠唱し、燃える拳をぶつけた。
対する水のマンゴーンは炎の熱を受け、頭部から沸騰する。
胴体や手だけでなく、瞬時にしっぽの先まで気化した。
ウィマーンは戦慄していた。
水のマンゴーンを使った先ほどの攻撃は現状のウィマーンの最大攻撃だったからだ。
しかし拳を放つと同時にアーティットは水のマンゴーンの物量による突撃も食らっていた。
みずからの撃った拳の反動もあって、クマリーやボックと共に後方へと吹っ飛んだ。
炎も消え失せ、アーティットが塔から落ちていく。
ウィマーンは岩石の上に立ってつぶやいた。
「あとは下の連中を殲滅するだけだな」
だが油断はしていなかった。
真下の水面から自身を急襲する者の存在をウィマーンは予想していたのだ。
ウィマーンは気づいていた。
塔に接近していた潜水艦の底から四つの足が生えていたことに。
それがサラサルアイの足であることも見抜いた。
水の弾丸を跳躍していたのはモーマー(ม)の保有者であるサラサルアイで間違いない。
つまり潜水艦は実質的にハリボテであり、操艦する者は内部にいなかったということだ。
では潜水艦をあやつる者はどこに潜んでいるのか。
簡単なことだ。滝のようになっている水の塔を直接登ってくるつもりなのだ。
アーティットたちに注意を向けさせてウィマーンの戦力をそいだうえで下から奇襲をかけるという戦術。
しかしウィマーンはこれを読んだ。
奇襲してくる者が一人であることも分かりきっている。
このギンガー海域に来た文字保有者は十一人。チャーイハートは気絶し、ナーグルア・キア・エーン・ニウフアメー・リアンゲの五名は動けない。
アーティット・クマリー・ヒマ・サラサルアイの四名は先ほど落としたから、残るは一人しかいないのだ。
背後からかすかに水の音が鳴った。
ピーでもないし物でもない。確実に人間の気配である。
察知すると共に、そちらを向きつつ水の槍を作成。飛ばす。
下からの奇襲を予想していたウィマーンはその程度の力は残していた。
が――。
「生首……?」
水面下から顔を出したのは半透明の箱に収められた壮年男性の頭部だった。
同時に、現在のウィマーンの後方からザバリと水しぶきが上がる。
ウィマーンが振り返ると、目の前に少し青っぽい髪と瞳を持つ少女が迫っていた。
少女の背後の空中には二体のピーが浮いている。
シャチの姿をしたピーと、コウモリの姿をしたピーだ。
アーティットが使役する海の兵隊と空の兵隊である。プリアはルアとアーガートと共に水の塔を登ってきたのだ。
そもそもルアダムナームをおとりにするよう提案したのはプリア本人。
アーティットはプリアに自分たちを運ぶよう指示したが、プリアはその作戦の変更を求めたうえで、ルアダムナームの操作をサラサルアイに任せた。
プリアはアーティットにルアとアーガートを貸してもらったあと別行動をとり、水の塔の内部に入った。
外壁にあたる部分を登れば水の弾丸に当たる可能性があるので水中からてっぺんに行く必要があった。
追加の潜水艦を出さずにシャチ姿のルアを借りたのは、パワーの問題だ。
滝のような塔を早く登るにはタハーン・ルアのパワーを頼るべきとプリアは考えたのだ。
大人数は無理でも、一人ならルアに運んでもらうのがもっとも効率がいい。
水中で酸素を確保するためにコウモリ姿のアーガートも借りている。プリアは酸素の必要性を失念していたものの、アーティットがそこに気づいて貸してくれた。
アーティットと初めて会ったときプリアは彼を黙らせようと攻撃を仕掛けて返り討ちに遭った。
そのときアーガートが空気の層を作ったことも、ルアが素早く自分の喉笛に接近してきたことも覚えている。
よってプリアはそれぞれのピーの特性を把握していた。
ルアにまたがり、アーガートには頭の周囲に空気の層を作ってもらった。
その状態で水の塔を登った。
だが、ただ下から奇襲をかけるだけではウィマーンに返り討ちにされるだろうとプリアは思った。
おそらくウィマーンはスカティを封印している岩石の上にいる。
であれば、真下から魚雷を撃ち込むこともできない。
ハスの葉などをおとりにしようとしても、ウィマーンは見抜くだろう。
そこでプリアはおとりになってくださいとリアンゲに頼んだ。
塔を登る前、ニウフアメーからリアンゲの頭部を貸してもらったのだ。
リアンゲを収めた箱はウィマーンの緑の水柱も防ぐほどなので耐久力は充分。
当のリアンゲも快く了承してくれた。
水中であっても問題ないようなので、プリアは頭部を左脇にかかえた。
てっぺん近くに到達したときプリアはアーガートに頼んでリアンゲの頭部を水上に飛ばしてもらった。
自分では投げない。作戦前の待ち合わせ場所の砂浜でニウフアメーにも言ったことだが、プリアは強肩ではないのである。
アーガートは二対の翼を羽ばたかせ、リアンゲの頭部を浮上させた。
真上には灰色の岩石が見えていた。
リアンゲの浮上する場所とは逆方向にプリアとルアは移動した。
そして水面に出たあと、ルアが大きく飛び跳ねた。
ウィマーンがリアンゲに攻撃した一瞬の隙を突いてプリアは跳躍し、女の体をしたウィマーンの肩に両手をあてがって押し倒す。
立っていた岩石から落下させる。ウィマーンが背中から落ちる。
さらに落下地点の水面にハスの葉を出現させ、その表面にウィマーンの背を押し付けた。
あお向けのウィマーンの両手首を左右の手でつかみ、拘束する。
そのハスの葉を中心にして、小さく波紋が広がった。
プリアが少しよどんだ青っぽい瞳でウィマーンの赤い瞳の奥をのぞく。
「今度はワタシがつかまえましたよ……ウィマーン……っ!」
「……おまえか、小娘。いや……」
同性のプリアでも悩殺されそうな美貌と声でウィマーンが問うてくる。
「おまえはただの小娘ではないな。何者だ。言え」
「【ร】ロールア・プリア、つかさどる字は船のロー」
ほとんど感情を乗せずにプリアは名乗ったが、その息はやや荒い。
また、アーガートに空気の層を作ってもらっていたのは頭部周辺に限定されるため、それ以外の部分は濡れている。海水ではなく真水のなかを通ってきたのでベタついてはいない。
その数滴を受けたウィマーンは、右ひざを立ててプリアの下腹部を軽く小突いた。
「そうか、プリアか。悔しいが――」
頬を緩める。
「บรรเจิด(バンジュート)〔見事だ〕」
次回「166.数えきれない言葉に乗せて(บนคำนับไม่ถ้วน)【前編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
アン(อัน)→○○個/サーム・アン(สามอัน)で「3個」という意味になります。
ゴーンタップ・ルア(กองทัพเรือ)→艦隊
ブアルアン(บัวหลวง)→ハス
ジョームティー(โจมตี)→攻撃する
プラ・アーティット(พระอาทิตย์)→太陽
バンジュート(บรรเจิด)→見事だ




