162.【ร】船のロー・プリア【その3】
【๓】
* *
ウィマーンの二つのしっぽにプリアのトーピドー(魚雷)が当たる。
その一方で――。
ハスの葉の一枚に立って対峙したキアとジェオは、互いに金色の目を向け合っていた。
鞘に納めたサーベルを構え、か細い声をキアが発する。
「すまない。アーティットでなくて」
「確かにおれも戦いの続きをやりたかった」
ジェオはウィマーンと交戦しているアーティットのほうをちらりと見る。
衝撃が海面をすべり、ハスの葉を揺らす。
「つってもアーティットにはアーティットのやるべきことがあるだろうからなー。それに……」
キアを視界の中心に捉え、顔をほころばせる。
「おれはおまえさんともやり合いたかったのだ。水の島のなかでいとも簡単におれの背後をとってくれた金髪金目のおまえさんにも深くときめいてしまっているから」
「……見境ないな」
「よりどりみどりさ」
広げた両腕を振り、ジェオがにじり寄る。
「あ、そういえばおまえさんの名前はなんて言うんだったかな」
「【น】ノーヌー・キア、つかさどる字はネズミのノー」
誰にも聞き取れない声量でキアは名乗った。
ジェオは右耳をキアに向ける。
「ごめん、もう一回お願いするのだっ」
「なら近寄れ。教えるフリして不意打ちしてやる」
「親切な女の子だなあ」
アーティットによってジェオの戦闘スタイルはすでに文字保有者のあいだで共有されている。
基本的には素手で相手に組み付き、その巨体で部位を破壊したり極め技をかけたりする戦法を得意としている。
いったん拘束された場合、脱出はほぼ不可能。
大半はそのまま肉と骨をグチャグチャに砕かれて死ぬしかない。
キアはジェオの目の下に浮かぶサームシップサーム(๓๓/三十三)の入れ墨を見据えた。
戦場で出会った素晴らしい敵を殺すたびに数字のカウントは減っていくとのことだが、カウントがガーオシップガーオ(๙๙/九十九)から始まっていたとすればジェオはこれまでに六十六人の「素晴らしい敵」を葬ってきたことになる。
いや、二年前にアーティットを殺し損ねているから実際は六十五人。
ほかにもジェオは戦場で多くの者を殺してきたと思われる。
しかしキアには分かる。
壊れているとはいえ、この男は自分と比べてまともであると。
普段は気持ちのいい性格をしている壮年男性でしかない。
あくまで兵隊として、戦場で敵を殺めてきただけ。
アーティットと同じで、罪のない非戦闘員を手にかけたことはないのだろう。
「まっすぐな男の子は好きだ」
言いつつ、キアはジェオの股をくぐってその突進をよけた。
キアにかかればジェオを殺すこと自体は可能なのだが、ホーノックフーク(ฮ)の前に突き出してヨムに関する情報を得るためにも生け捕りにするのが望ましい。
仲間に引き込める可能性もあるので、部位を欠損させるなどの手段はとらないほうがいいだろう。
ただしロープで縛るだけではジェオを封じることはできない。
ジェオが振り返り、またキアに組み付こうとする。
再び股をくぐろうとキアが身を低くして前進したところ、そのタイミングでジェオが勢いよく両脚を閉じた。
股くぐりをくり返すことは読まれていたようだ。
しかしキアは焦らない。その身を丸め、閉脚による反撃をギリギリで回避していた。
鞘のついたサーベルを左右のひかがみに当ててジェオの脚部を曲げる。
直後ジェオの顔面の前に回り込み、両膝を直撃させた。
バランスを崩したジェオは背中からハスの葉に倒れる。
瞬間、キアがサーベルを抜いてハスを粉微塵に切り裂いた。
海面に浮いたジェオの腹部に正座になり、鞘に納めなおしたサーベルの先端を心臓部にあてがう。
ジェオも両腕を素早く上げてキアを抱擁しようとしていたが、キアのほうが一手早かった。
「貴様を殺さずに拘束するのはわれ一人では無理だ。しばらく日光浴を楽しめ」
「……いいのか。鞘から抜かなくて」
「いつでも抜ける。試すか?」
「やめとく、おまえさんはガチでやる。ハスを裂いたのも、おどしのつもりだったんだろ?」
沈もうともせず、ジェオが両腕を海面に落とし波に身を任せる。
そして腹部や胸部を上下させて笑った。
「にしても、ナーグルア以外でここまでおれを完封できるやつがいるとはな。もっとおれも強くなりたいものだ」
「欲求不満か」
普段は無口なキアだが、このまま会話を続けたほうがジェオを封じておけると考えた。
サーベルの鞘を心臓に突き付けたまま顔を近づけ、甘ったるい声でささやく。
「そういえばわれの名前を知りたそうにしていたな。……われはキアだ。本名ではないがな」
* *
そしてジェオの仲間である少女マリは、ロージュラー・エーンと交戦していた。
すでにマリはエーンの赤い五本足のタコから離れているものの、みずからの全身をロープで緊縛したままハスの葉に転がっている。
マリとエーンは、隣り合うハスに乗っていた。
薄茶色の触手を何本も飛ばすマリに対し、エーンがタコ糸越しにタコをあやつって触手をはじく。
「海上に出て間もないのに襲ってくるなんて、マリちゃんってけっこう大胆だね」
「水の島から脱出できたのでキミの提案した一時休戦はもう終わりです……。もちろん助けてくれたことには感謝していますがワタシにもやることがあるんですよ……っ!」
蚊のなくような声を震わせ、マリは決意をあらわにする。
反面、触手の威力や動きには本気の殺意が感じられない。
今回のマリたちの目的は文字保有者を倒すことではなくスカティとウィマーンを仲間にすることのようだが、実際にマリは目の前のエーンよりもウィマーンのほうをチラチラ気にしている。
今のところマリはジェオやウィマーンよりも脅威ではない。
ヒマが暴いたという袋状のピーの気配も感じられない。
とはいえ切り札としてそのピーをマリが温存している可能性もある。
けっして捨て置くことはできない。
「チャッガユー」
タコの五本足のうち二本が伸び、マリの首と両足首にからみつく。
「安心して。絞め殺しはしないから」
あくまでサバサバした声でそんなことを言うエーン。
タコの足が収縮し、もとから緊縛されていたマリを引っ張る。
ほかの三本は触手をはじき続けていた。
対するマリは焦って唇をぷるぷるさせる。
「ちょ、ちょっとやめてください……そんなことされたらキミを傷つけてしまいます……っ」
「どういう意味なん」
エーンがマリを自分のハスのもとまで引き寄せたそのとき、マリの右腕に食い込んでいたロープがちぎれた。
ついでマリの右拳がエーンの左手の平に飛ぶ。
そこには日焼けによってロージュラー(ฬ)の字が浮かんでいる。
マリの手が貫通すると共にエーンの左手に穴があき、ロージュラーの字を持っていた皮もズタズタになってはがれた。
「ごごごめんなさいっ。もっと早く言っておけばよかったです」
文字が体から離れれば文字保有者は死ぬ。
エーンの体はあっさり倒れた。
赤茶色の髪をハスの上に投げ出し、同色の瞳から光が失せる。
人形のように動かなくなったエーンをマリが見つめ、慌てて右手を振った。
「あー、殺しちゃったあっ。ヨムさんからはまだ事を荒立てるなって言われてたのにい……っ」
宙に浮いていた五本足のタコも力を失い、ハスに落下する。
マリは蛇のように這ってエーンの胸に耳を当てた。
心音が聞こえない。
口元に近づき、呼吸をしていないことも確かめる。
「文字保有者のみなさんって無敵なようでいて、簡単に死んじゃう生き物でもあるんですね。かわいそうです……ごめんなさい、タコちゃん」
当然ながら返事はない。
しかしマリは切り替えて次にやるべきことを考える。
「うん。前向きに考えましょっ」
ウィマーンと敵対する文字保有者の一人を殺したのだから、それを交渉材料にすればスカティたちとも仲間になれるかもしれない。
「いえ。あの二人ってなんか人間を嫌ってるっぽいから、ほかにもおみやげが必要でしょうか……?」
ここでマリは、重要そうなアイテムを文字保有者が持っていることを思い出した。
「そうです、イヤリング」
マリはしっかり見ていた。
自分が殺してしまったこの日焼けの女性も、耳に鐘型のイヤリングを出して仲間と連絡を取っていたはずだ。
その便利そうなアイテムを手みやげにすればスカティたちにすり寄ることができるだろう。
「確か、こうやって……」
もはや人形同然のエーンの左耳たぶを一回つまむ。
「あれ、出ません。おかしいですね……」
何回も耳たぶを揉もうとするマリ。
この瞬間、なにかが後ろからからみついてきた。
「な、なんです……っ!」
それは赤いタコの足だった。
一本目は首に、二本目は胸部に、三本目は腰部に、四本目は大腿部に、五本目は足首に巻きついている。腕ごと封じている状態だ。
足に吸盤が生じているためマリの体に密着している。
しかも動かなくなったエーンの体が腹側からマリを抑えているため、背面の物体の拘束から脱出するのはいよいよもって不可能だ。
タコの足はマリだけでなく、彼女のまわりから生じている触手やロープもまとめて縛り上げている。
うつ伏せのマリはかろうじて動かせる首で背後を向いた。
そこには赤い五本足のタコがいた。
しかも聞き覚えのあるサバサバした女性の声を響かせる。
「やるねえマリちゃん。でもあんた……これでウチにもみんなにも、なにもできなくなったっしょ?」
「はい……?」
一瞬だけ首を戻し、物言わぬ日焼けの女の顔を見てまたタコのほうを向く。
タコが言葉を継ぐ。
「慌ててるみたいだねー」
「ひええっ……」
赤い五本足のタコから出ている音声は、自分が殺したはずの女の声で間違いない。
「意味が分からないんですが……っ、キミはいったいなんなんですか、タコちゃん……!」
「【ฬ】ロージュラー・エーン、つかさどる字はタコのロー」
頭部にあたる部分を軽快に揺らす。
「ま、ウチの正体はともかく……しばらく幸せな世界に飛ばしてあげるよ。ジュラートート・ベセー」
ジューという音と共にタコから泡のようなものが発生する。
アロイ(おいしい)という情報だけを乗せ、マリの口にカロリーのないニセの食べ物を生じさせる。
いつものからあげではない。
それは温められた水飴だった。
口内からこぼれそうになったところで、思わずマリが口を閉じる。
「な、なんですかこれ……っ。アロイなんてもんじゃないですよ……幸せです~……」
実際はもっと聞き取りにくかったが、エーンはマリがなんと言ったのか瞬時に理解した。
タコの身でマリの拘束を続け、息をつく。
「……コープクン、マリちゃん。おかげさまで、ウチも進化できたみたい」
* *
キアとエーンがジェオとマリを封じているあいだも、ウィマーンとプリアたちとの攻防は続いていた。
ウィマーンが身をよじらせて不規則に攻撃を仕掛ければ、アーティットが先回りして腕や胴体を押し返す。
しっぽを使って奇襲をかけても、プリアが潜水艦や魚雷、食虫植物を飛ばし迎撃する。
海上および海中で自在に動けるヒマとサラサルアイもウィマーンを翻弄し続ける。
おまけにクマリーが文字保有者たちを強化しているが、ピーのクマリーを攻撃するつもりはウィマーンにはない。
そんななかプリアは気づいた。
(ウィマーンの体が徐々に小さくなってない?)
もともと二十メートほど体が海上に出ていたはずだが、今はそれも十五メートくらいになっている。
体の下側を海中に引き込んだわけでもない。
マンゴーンの体そのものが少しずつ縮小し、身も細く縮んでいるようなのだ。
(ダメージが蓄積したから自分の体を保てなくなったとか……?)
プリアはそう考えたあと、心のなかでかぶりを振った。
(いや、そんなぬるい相手じゃない。確証はある。ワタシのビビりセンサーがめっちゃ反応してるもん……っ)
鐘を出す余裕がなかったので、戦闘の合間を縫ってほかの四人に目配せを送るプリア。
いつも以上によどんだ瞳とおどおどした表情が功を奏してその意味は一発で伝わった。
アーティットもクマリーもヒマもサラサルアイも、小さいうなずきで応じてくれた。
プリアも軽く笑顔を返す。
(……あれ? 胸が熱い。なんかうれしい……っ!)
次回「163.【ร】船のロー・プリア【その4】」に続く!(8月15日(土)19時から23時59分のあいだに更新)
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
チャッガユー(ชักเย่อ)→綱引き
ベセー(แบะแซ)→水飴




