161.【ร】船のロー・プリア【その2】
【๔】
* *
盛り上がった海面が裂け、しぶきを飛び散らせながらウィマーンが姿を現す。
その竜は、青い鱗で覆われた右半身と緑の鱗で覆われた左半身を有している。
胴体は巨大な蛇のようだ。
ただし人面ムカデやスープパンの出していた縄よりも身が太い。
現在ウィマーンは頭部下の二十メートほどを海上にさらしており、確認できる手は四対。
いずれも鋭い爪を持ち、陽光を反射している。
シカのツノとナマズのヒゲを生やした頭部は胴体と同じく右側が青の、左側が緑の鱗をまとう。
青い頭部を見たという化け物係は、右側からウィマーンを目撃したということだ。
ウィマーンは岩石に封印されたスカティを海中の手でいだきつつ、赤い瞳で周囲を見回す。
自分を取り囲むようにハスの葉がいくつも浮いている。
その上に文字を持つ者たちが分散して立っている。
(攻撃を仕掛けてこない……? 私の出方をうかがっているのか)
ジェオとマリの存在もウィマーンは確認した。
ランマイ・プローンは崩壊し、その維持に力を回す必要もなくなっている。
(……旦那さまのウィンヤーンは無事。ならばこちらも撤退する意味はないな)
文字保有者たちにより、スカティは倒された。
だがウィマーンは「よくも私の婚約者を! 許さない!」――などとはまったく思っていない。
確かにウィマーンはこれ以上ないほどスカティを愛している。
しかしスカティが覚悟をもって「人類を滅ぼす」という「悪」をなそうとしていることをウィマーンは誰よりも理解しているのだ。
そのような夢を実現しようとする以上、スカティに殺意や害意が向けられるのは当然のこと。
にもかかわらず相手を逆恨みしたとすれば、それはスカティの覚悟を踏みにじる行為に違いない。
ウィマーンはスカティ以外の人間を嫌悪しているし憎悪もしている。
だからこそ、その純然たる感情に異物を混ぜてはならないと考えている。
今の「彼女」の最優先事項は、スカティの志を引き継ぐことだけ。
よって婚約者が倒されてもなお、自分のやるべきことをウィマーンは見失わなかった。
(私たちの夢にとって脅威となりうる文字保有者どもを殺し、その体に捕らわれた文字の精霊たちを解放します)
まずは足場を奪い、相手の動きを制限することが肝要。
(そしてここから逃がさない……)
自身の使役する青い霧のピーに命じてあたりを円筒状に囲ませる。
視界を確保するために、文字保有者たちのいる範囲には霧を広げないでおく。
* *
緑の水柱が誰も乗っていないルアダムナームを破壊したとき、プリアはハスの葉をいくつも展開して海面に浮かべた。
アーティットもそのハスの上に乗り、状況を確認する。
意識を失ったチャーイハートは現在、上半身と下半身を分離させた状態でハスの葉の一枚に横たえられている。
そばにはリアンゲの頭部をかかえたニウフアメーがおり、戦闘不能になったチャーイハートを守る役目を引き受けていた。
ナーグルアは棺桶のピーに封印されて深海に沈んでいるので、ウィマーンと交戦できる文字保有者はアーティット・クマリー・サラサルアイ・エーン・ヒマ・キア・プリアの七人。
リーダーのチャーイハートが指示を飛ばせなくなった今、途中で別の班のリーダーを務めたアーティットがリーダーにくり上がる流れとなる。
しかし対処すべき相手はウィマーンだけではない。
ジェオとマリも抑えなければならない。
プリアの潜水艦に乗せてもらったことで二人は危機を脱したわけだが、それに恩を感じて味方になる――などという都合のいい展開は起こるはずもない。
二人の目的はスカティ・ウィマーンを仲間にすることと思われる。
とすれば、少しでもスカティとウィマーンに媚びを売るために文字保有者と敵対する姿を見せておきたいだろう。
したがってジェオとマリに最低一人ずつ文字保有者をあてがう必要がある。
アーティットは鐘のイヤリングにノーヌー(น)とロージュラー(ฬ)を順に書き、キアとエーンに連絡を入れた。
キアもエーンも、アーティットから離れた場所に浮くハスに立っている。
大声で指示を出すこともできるが、それだと敵にすべて伝わってしまう。
(これでウィマーン攻略に割けるのは俺を含めて五人)
続いてアーティットはモーマー(ม)、ローリン(ล)、ロールア(ร)を書いてサラサルアイとヒマとプリアに指示を出した。
クマリーはアーティットのそばに浮いている。
間もなくして青と緑の鱗を持つマンゴーン――ウィマーンが海上に姿をさらす。
ウィマーンが青い霧のピーで文字列を宙に示し交渉を持ちかける可能性があったので、相手が仕掛けてこない限り動くなとアーティットは指示していた。
しかしウィマーンはあたりを青い霧で囲い込み、その身を海面に打ちつけた。
幾枚ものハスの葉が粉砕される。
(誰もいないところをねらったか。まずは足場をつぶす気だな)
ついでウィマーンは反時計回りに身を動かす。
時計の長針のように体を運ぶ。ここにある足場をことごとくなぎ払うつもりのようだ。
キアとジェオ、エーンとマリが交戦状態に入るのを確認しながらアーティットは数枚のハスの葉を踏みつけて跳び、ウィマーンの緑の胴体と対面する。
「ゲーンタハーン・ロー」
左手の平のトータハーン(ท)を赤く光らせ、なかから小さな盾を出す。
青緑の盾が巨大化する。それを構え、ウィマーンの胴体をとめた。
衝撃が海水を巻き上げる。
クマリーがトータハーン(ท)を宙に書いてアーティットを強化しているのみならず、プリアの出した小型潜水艦がハスの葉の下から吸着したうえでウィマーンの動きとは逆の推進力を働かせているのでアーティット自身は微動だにしない。
すかさずウィマーンは身を引いて時計回りに切り替えようとした。
が――。
「トロンパイッ!」
詠唱と共にサラサルアイがウィマーンの頭部から直進し、その青い右半身に体をこすり当てた。
かすった程度ではあるものの衝撃は充分であり、青い鱗がいくつもはがれ落ちる。
しかもサラサルアイが攻撃するタイミングでクマリーはトータハーンではなくモーマー(ม)を宙に書き、強化対象を変更していた。
左右の移動を封じられたウィマーンは身を起こそうとする。
「クートっ!」
今度はヒマが縦回転しながら落ちてきて手足の爪でウィマーンの背中を引っかいた。
引っかくというよりは、えぐり取る勢いである。
当然のようにクマリーはローリン(ล)を新たに書いて強化対象をサラサルアイからヒマに切り替えている。ために威力も申し分ない。
一方ウィマーンはアーティットたちを海上での攻防に集中させたうえで、しっぽを浮上させ海中より足場を粉砕しようとしていた。
ウィマーンのしっぽは二つに分かれている。
青いしっぽと緑のしっぽが急速に持ち上がる。
しかしアーティットの足場をささえていた小型潜水艦がドリルのように回転し、しっぽへと突撃する。
まず敵は海上から仕掛けて注意をそちらに向けさせたあと、海中から足場をねらってくるだろうとアーティットは予想し、それをプリアにも伝えていた。
プリアはアーティットに従い、下を絶えず警戒していたのである。
「トーピドー……っ」
クマリーの支援を受けながらプリアは指先から海に血を垂らす。
その血は膨張し、細長い物体に分裂して海中のウィマーンのしっぽに迫った。
次回「162.【ร】船のロー・プリア【その3】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
トロンパイ(ตรงไป)→直進する
クート(ขูด)→こすり落とす
トーピドー(ตอร์ปิโด)→魚雷




