159.【ณ】小僧のノー・チャーイハート【その5】
【๖】
* *
プリアの血が赤茶色の潜水艦をかたちづくる。
(出せた、ルアダムナーム……)
一方、跳躍したアーティットは空の兵隊を呼んで飛行し、ヒマとクマリーを両わきにかかえた。
「コープクンだっ、アーティット!」
「わあっ、お兄さんっ」
クマリーは自力で飛行可能であるものの、水の島ゴ・ナームが崩壊寸前である以上すぐに運ばなければならないとアーティットは判断した。
潜水艦のハッチをあけ、プリアがなかから手招きする。
「み、みなさん……っ。早く!」
彼女の声に応じてアーティットがヒマ・クマリーと共に艦内に入った。
そしてチャーイハートは先ほどまで文字保有者を助けようと思っていたが必要ないと判断しなおし、ジェオを腰の円盤に乗せて運ぶ。
アーティット・チャーイハートとは別にサラサルアイも不安定な水の地面を駆けていた。
エーンを背中にまたがらせる。五本足のタコにだきかかえられているマリをも連れて潜水艦へと急ぐ。
リアンゲの頭部を持つニウフアメーはハサミウナギの精霊に乗ってその場を離脱。
だが文字保有者たちがゴ・ナーム(ランマイ・プローン)の崩壊からのがれようとしていると勘づいたウィマーンが水底より新たな二対の手を伸ばした。
青い右手二つと緑の左手二つでプリアの潜水艦をつかもうとしたのである。
しかし右手の中指の一つが根もとから切り取られた。
水中にもぐったキアがサーベルで切断したのだ。刀身を鞘に納め、自身の胴体と同じ太さを持つ竜の指を振り回す。
残り三つの手は、指を当てられてはじき飛ばされた。
すぐにキアは水上に出て潜水艦のなかに入った。
この時点でプリア・アーティット・クマリー・ヒマ・チャーイハート・サラサルアイ・エーン・ニウフアメー・リアンゲ・キア・ジェオ・マリ十二名の艦内への避難が完了したことになる。
ジェオとマリについてはヨムの仲間であることがほぼ確定しているとはいえ、現時点で死なせるわけにもいかない。
ほかにも仲間がいるんじゃないかと疑っていたプリアは二人をさりげなく観察した。
(別の連れを心配する様子もないし、マジで二人だけでギンガー海域に来てたんだ……っ。まあともかく、みんなが見てくれているから艦内で戦闘になることもなさそう)
また、ナーグルアだけはやむを得ず回収できていないが、彼女に関しては心配しなくてもいいと文字保有者たちは思っている。
ハッチが閉まる。
「では発進します……っ! ドゥーンルア……」
プリアは操縦席に座り、天井から垂れ下がる筒の先端をのぞき込む。
ゴ・ナームは完全に崩壊して空洞が消失し、あたりは水で満たされている。
崩壊によってうねり狂った水流が周囲を支配し始める。
(とにかくウィマーンから逃げないと破壊されて全員溺死……)
目の前のゆかから二股に分かれた赤茶の枝が出て来た。
それを両手でつかみ、レバーのように倒すプリア。
ルアダムナームが動きだす。
斜め上に向かって全速力で進んでいく。
しかし大きな黒ネコのピー・ビダージャグラが立ちふさがる。
「うわ……っ。あの大きなネコがいる。このままじゃ無理……っ」
「だったら俺を外に――」
「いや、ここは拙だけが出る」
アーティットの言をチャーイハートがさえぎった。
「あのジャグラには攻撃できん。拙が単独で攻略する」
「分かった、任せる」
アーティットは単独行動を仲間に対して禁止していたが、先ほどまで当のアーティットがジェオと一対一で対峙していた。よってチャーイハートに反論することもなかった。
プリアもチャーイハートの提案にうなずいたのち、ハスの葉でチャーイハートをくるむ。
いったん腰の円盤を縮めた彼女が言った。
「ジャグラが姿を消したあと、拙の回収も頼むぞプリア」
* *
ハスの葉がひらく。
チャーイハートはその葉と共に潜水艦の外に転移していた。
それでもチャーイハートが水につぶされることはなかった。
ビダージャグラがまわりの水をはじき、大きなネコの体の周囲は輪郭に沿うように空洞となっている。
空洞内でチャーイハートは呼吸をし、左目のないビダージャグラとそのそばを浮遊する赤い球体を見据えた。
目玉のような球体のなかにスカティがいる。
彼の指示を受け、ビダージャグラの巨大な前足がチャーイハートに迫った。
が、チャーイハートが唱える。
「レーンドゥンドゥート・グライ」
するとビダージャグラの足が引っ込み、斜め上へと後退を始めた。
大きなネコの全身がなにかに引っ張られるように浮上していく。
「……樺色のテメエ、ワシになにをした? 知りてえなあ」
むしろこの状況を楽しむかのようにビダージャグラは老爺の声を愉快に鳴らした。
チャーイハートのノーネーン(ณ)は重力に干渉する力でもある。
自身の腰の円盤やみずから出現させた岩石について特殊な重力を付与することも得意としている。
今回チャーイハートが重力を与えたのは、すでにゴ・ナーム上層に設置していた石壁だ。
アーティットと再合流したときにチャーイハートはジェオとマリを脱出させにくくすることを目的としてゴ・ナームの出入り口を石壁でふさいだわけだが、今はその石にビダージャグラを引っ張ってもらっている。
石壁はもとの座標に固定されており、ビダージャグラとチャーイハートだけにピンポイントで重力が働いている状態だ。
ビダージャグラに対して直接的な攻撃は不可能であるものの、外傷をつけずに重力圏内に捕らえることは可能だったらしい。
だがチャーイハートの仕事はこれで終わりではない。
(ラーンソンのスカティは自身の体を媒介にしてジャグラを降ろしている。ゆえにジャグラではなくスカティのウィンヤーンを削り取り、ジャグラを撤退させるしかあるまい。無論また中途半端に意識を薄れさせれば別のピーの器になりうるゆえ……徹底的にやる)
チャーイハートは自身の用意した重力のなかで身を躍らせ、赤い球体に接近した。
半透明の内部から、数字のピーたちを連れたスカティがにらみつける。
「チャーイハート。単身で私のもとまで来るとはな」
「あながち一人でもないぞスカティどの」
鐘のイヤリングを出したチャーイハートはそこにウォーウェーン(ว)の文字をしるした。
「チャーイハート(ชายหาด)と書いてくれ」
通信を切ると同時にチャーイハートの体が淡く青く光った。
いったんビダージャグラの蹴りをよけ、赤い球体の真上に着地する。
「スカティ。キサマはピーのクマリーだけは助けようとしていたようだな。結局その前にアーティットが彼女を運んだが……」
「だからどうした」
「なんとなく、うれしかったのだ。クマリーはスーンの持っていたウォーウェーン(ว)の継承者だから」
「……『さま』は付けないのか」
「いつもそうするわけではないさ」
腰の円盤が回転する。
そのふちを当て、赤い球体を縦に割る。
「思ったとおり、この玉だけはキサマの成分が強くて攻撃できるらしいな」
「私を直接ねらう気か」
割れ砕ける球体内からスカティが水の杖を構える。
「読みどおりだ」
「……ウェーティ・グラーン」
チャーイハートの腰の円盤が一気に拡大する。
円盤にも重力が働いているため、スカティはその上に着地した。
かたむいていても水平であるような感覚だ。
スカティとビダージャグラ側から下半身は見えていない。
中心から出ているチャーイハートの上半身に突進するスカティ。
対するチャーイハートは指で岩石をはじき、それとは別に頭上から岩の雨をも降らせる。
クマリーと戦ったときとは比べ物にならないほどの物量だ。
スカティはギリギリで岩をよけつつ円盤を走り、チャーイハートの後ろに回り込もうとした。
しかし円盤を固定したままチャーイの上半身がぐるりと動き、スカティの移動先へと岩石を飛ばし続ける。
水の杖を握り締めたスカティは口を大きくあけた。
直後、数字のピー十体がみずから彼の口内に進入する。
数字のピー自体に力はほとんどないものの、文字のエネルギーをまだ蓄積していたピーたちはスカティの腹中からそのエネルギーを分け与える。
彼の筋力も上昇し、杖を振るって岩石を吹き飛ばす。
まっすぐチャーイハートに駆け寄り、杖を振り下ろした。
チャーイハートは詠唱をおこなう。
「グロンカン、グロンカン」
これは巨大トカゲザメを封印した技でもある。
無数の岩がスカティのまわりに発生し、その岩が彼を取り囲んで内部に封じ込めた。
同時にビダージャグラの前足二つがチャーイハートの上半身を踏みつぶした。
何度も何度も彼女は踏まれた。
噴いた赤は液体なので、ビダージャグラの体からはじかれる。
血にまみれた彼女の前で、スカティを封印していた岩が砕け散った。
「読み違えたな。私ではなくビダージャグラが本命だ」
スカティはしゃがみ、左手の平のノーネーン(ณ)をはぎ取ろうとする。
刹那、ひし形の岩塊が左横から飛んできた。
難なく杖で破壊する。
そしてスカティの頭頂に割れるような衝撃が走った。
「あッ、ぐがああッ!」
振り落とされたのは、かかとだった。
先ほどの岩塊のなかにチャーイハートの下半身が封印されていたのである。
上半身とは分離したかたちで下半身が動いていた。
それぞれの断面には灰色の円盤がくっついているわけだが、厚みはいつもの半分になっている。
その前に唱えた「グロンカン」によってチャーイハートは、スカティだけでなく自分の下半身をも岩石に封印していたのである。
スカティが文字をはぎ取ることは分かっていたから、このタイミングで下半身を封印した岩を飛ばして奇襲をかけたというわけだ。
「ナーパー……」
小さな石壁がチャーイの上半身の手元に落ちる。
血によって全体が濡れたそれを持ち、スカティに直撃させる。
ここでビダージャグラの二つの足がチャーイの上半身とハートの下半身に迫った。
すかさずチャーイの上半身はハートの下半身に小さな石壁を投げた。
血に濡れたチャーイと、ハートの前に立ちはだかった濡れた石壁は、水をはじくというビダージャグラの性質によって……ネコの足にふれずに横へとズレる。
チャーイの上半身がスカティをすくい上げるように頭突きを入れた。
中空で回転しながら目を丸くするスカティに、チャーイハートがこの期に及んで名乗りを上げる。
「【ณ】ノーネーン・チャーイハート、つかさどる字は小僧のノー」
スカティの真上と真下から同時に声が響く。
「キサマは硬いんだったな。修行と思って破砕する」
口上で心にスイッチを入れたあと、腰の円盤を収縮させる。
横倒しになったスカティめがけて――。
チャーイの上半身は下から両の拳を、ハートの下半身は上から両の足を無数に打ちつけた。
「お、おまえだぢぃっ。ハー……ド、ジャアイィ……ッ!」
挟み込んだ攻撃によりスカティは白目をむいた。
水の杖も砕けた。
ビダージャグラの足が、固まったチャーイハートの血に達する前に消えていく。
「さすがのワシも驚いたぞ」
鉛筆の跡を消しゴムが転がったときのように、大きな黒ネコが見えなくなる。
最後に残ったのは顔面だったが、その不敵な笑みさえ消失する。
「小僧のテメエに比べたら、スカティもまだまだ修行が足りなかったみてえだな」
その言葉を聞きながらチャーイハートは上半身と下半身――ではなく、気絶したスカティを岩で囲み、封印する。
(一人が限界か)
ハートの下半身は無傷にも見えるがチャーイの上半身と連動しているため、実際は満身創痍も同然であった。
両の半身が、重力に任せて落ちる。
海面近くに固定していた石壁も割れて重力を失ったのだとチャーイハートは直感する。
ビダージャグラがいなくなったことで、はじかれていた水が押し寄せてきた。
下の水中から潜水艦がやってくる。その後ろからウィマーンが超高速で浮上してきている。
(みんな、あとは託した)
のちに彼女は思い出す。
潜水艦から発射されたハスの葉がチャーイの上半身とハートの下半身をくるんだのは、チャーイハートの意識が途切れる寸前のことだったと……。
次回「160.【ร】船のロー・プリア【その1】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ドゥーンルア(เดินเรือ)→船を動かす
グライ(ไกล)→遠い




