155.【ณ】小僧のノー・チャーイハート【その1】
【๑๐】
* *
アーティットはジェオの視線を追いつつ、マリがこの小部屋に潜んでいるか否かを探っていた。
(彼の視線の動きは味方の誰かを気にしているときのそれじゃないな。無理に相方を見ないようにしているのとも違う。マリは別の場所で戦局をうかがっているわけか……)
ここには自分たちしかいないと確認したアーティットは後方のサラサルアイに指示を出す。
「サラサ、君はエーンについてやってくれ」
「おうッ」
四つ足のままきびすを返し、サラサルアイがジェオを一瞥する。
「んじゃあジェオ……おれもおまえとちょっと戦いたかったけどオサラバするぜ」
「おれこそ名残惜しいのだ。モーマー・サラサルアイ……おまえも殺す価値のある子だからな」
「そりゃコープクン」
水の壁に飛び込み、サラサルアイがこの場から姿を消した。
一方、アーティットは少しだけジェオから離れ、槍を水の地面に軽く刺す。
相手が文字保有者でない以上、戦うにはジェオ自身の明確な敵対行為を確認しなければならない。
だからアーティットは慎重にジェオの言葉を引き出していく。
「あなたは俺を殺したくて仕方ないんだったな」
「うん。もはや恋心と呼んでも過言ではないのだ」
「じゃあ今のこの場所は殺し合うにふさわしい戦場か?」
「そうだろうさ。水の島全体もポカポカあったまってきたわけだし、なによりおまえと二人きりで室内にいるという状況がおれの気持ちを高ぶらせるんだよ」
ジェオがあごを上げ、笑顔で両腕を広げる。
「というわけでこれから殺すから、ヨムくんに伝言があるなら教えてほしいのだ」
「それは助かる。『なにか協力できるかもしれないから、困ったことがあるなら一人で悩まず遠慮なく図書館塔に来てくれ』と伝えてほしい」
「請け負ったのだっ!」
すかさずジェオが飛び出し、アーティットを抱擁しようとした。
(その膂力と巨体を受けたら今の俺でも瀕死になるな)
明確な敵対行為をみとめた瞬間、アーティットはジェオを見据えながら後ろに跳んだ。
「パーヌアム・ホーク」
股をひらいて腰を落としたアーティットが、迫りくるジェオの斜め下から槍の刺突を連続で撃ち込む。
それぞれ微妙に違う部位をねらっているため、視界に映る残像は槍の穂先の林のようだ。
これはトーパタック・レックの突き棒の連打「ティットガン」から着想を得た技である。
だがジェオは槍の軌道を見抜き、柄をつかんだ。
「本当に大きくなったなあ」
「ユックヤック」
炎の兵隊の高温と雪の兵隊の低温が槍全体に宿る。
それに気づいたジェオが槍を折って一気に間合いを詰め、今度こそ抱擁を成功させた。
ただし彼がだきついたのは――アーティットではなく青緑の巨大な盾だった。
「……ゲーンタハーン・ロー、ガムパン、アスニバート・マット」
アーティットは左手の平から出した盾でジェオを受けとめていた。
さらに盾には、先ほどよりも強力なプルーンの超高温とユアックの超低温を与えている。
赤く光らせた左こぶしを盾の裏側に当て、ただ殴りつける。
盾を抱擁したままジェオがジグザグにはじき飛ばされる。
衝撃で盾は砕け散ったものの、水の地面にあお向けになったジェオはピクリピクリとけいれんをくり返した。
しかも彼の周囲の地面は凍結と溶解を反復している。
よろめきながらジェオが立ち上がった。
「すごいのだ、アーティット。二年前とは比べ物にならないじゃないか。普通だったらおれに殺されかけたトラウマで足がすくんでいるところなのに」
常人であれば先ほどの攻撃で最低十回は死んでいただろう。
が、ジェオはその程度でやられるほど弱くはない。
もともと裸である上半身をはたいたのち、青いズボンのささくれた部分をちぎって食べた。
「悪食になっちゃうかもしれないけどよ、海にポイ捨てするのはよくないからな」
「尊敬すべき精神だ」
「おれもおまえを尊敬しているのだ。だから聞かせてくれないか、おまえだけの口上を」
「いいけど」
アーティットは炎の小鳥であるプルーンとぼたん雪のようなユアックを両肩に浮かせたまま、ジェオの隙をうかがっていた。
「【ท】トータハーン・アーティット、つかさどる字は兵隊のトー」
「おお~っ! それ、それが聞きたかったのだ!」
「やはりあなたは規格外だな。今の俺が持つ力を惜しんでいる余裕もなさそうだ」
そう聞かされただけでジェオは喜ぶとアーティットは理解していた。
このままジェオを小部屋にとどめてスカティたちの救援に向かわせなければ、文字保有者たちが確実に勝つことも分かっていた。
* *
スカティはゴ・ナームの最下層でキアのサーベルやニウフアメーの風の刃をよけ続けていた。
(棍棒女を封じさえすれば文字のピーたちをすぐに解放できると思ったが……存外やるな。少しずつ私のもらうダメージも増えてきている)
この場にいる文字保有者全員へと順に視線を投げる。
(赤目赤髪のアーティットとかいう男と四つん這いの女、日焼けした女と青っぽい髪の娘はいったん消えたか)
走りつつ、自身を襲うキアたちを観察する。
(ぐるぐるした髪の女はヨーイン(ญ)を左肩に定着させ、彼女にかかえられた頭部だけの男はあご裏にンゴーングー(ง)を有する。なるほど、私たちを封じていた蛇のような縄はあの男の仕業であり、彼が頭だけになったから縄が朽ちたわけか。おおかたスーンの起こした騒動にでも巻き込まれたのだろう)
ついでクマリーの腹部とヒマの右ひかがみにそれぞれウォーウェーン(ว)とローリン(ล)があることをスカティは見抜いた。
もちろん今の彼女たちは水着とはいえ、いたずらに文字を露出させていたわけではない。
だがスカティはピーの存在に人一倍敏感であり、彼女たちに定着させられている文字のピーの位置を直感的に把握できた。
それでもスカティに読めないものはある。
(この金髪女はなんだ。ノーヌー(น)持ちであるのは分かるが、文字の場所が捉えきれない)
おまけに金髪金目の女――キアの素早さをスカティは厄介だと思った。
(しかしもっとも警戒すべきは二色の魂を持つあの女か)
見るとチャーイハートが腰の円盤を刃物のように回してウィマーンの青い右手と緑の左手を切断しているところだった。
(……プー・トゥー・アクソーン(文字を持つ者)どもが。クマリー以外は殺して早くピーたちを自由にしてやりたいものだ。そのためには戦術を変える必要がある。少しゆさぶりをかけるか)
こちらに向かってくるチャーイハートにスカティは声をかける。
「チャーイハートとやら。なぜおまえたちは平然と動いている。先ほどの私の話は、おまえたちに刻まれた文字の正体が精霊であると示唆していたはずだ。この事実を知ったからには、ロールア(ร)を持つ娘のように取り乱すのが正常だろう」
「保有する文字が実際になんであろうと、拙たちが文字保有者であることに変わりはあるまい。仲間に危害を加え、かつ人類を滅ぼすとのたまう者を放置するわけがなかろうが。そしてプリアも必ず立ちなおる」
灰色の石つぶてをいくつも飛ばすチャーイハート。
スカティはニウフアメーやキアの攻撃からも逃げながら言い返す。
「プー・トゥー・アクソーンごときがほえるな」
「否。拙たちは『文字保有者』と書いて『トゥアウィーラ』と読む!」
「トゥアウィーラ……『勇者的な文字』とは傲慢な」
「人類を滅ぼすと言っているキサマよりはマシであろう。理由はなんだ。なにか困ったことがあるなら平和的に解決することもできるかもしれんし、話してみろ」
「私もウィマーンも引き返す気はない」
「不思議であるな。そもそもスカティどの……キサマは拙が婚約者であるウィマーンどのの両手を落としてもなにも感じなかったのか」
「私の愛するウィマーンもすべてを覚悟して共に歩んでいる。ここで私が取り乱せば、それはウィマーンへの侮辱となる」
また、一対の手が落とされても、ウィマーンならば再生が可能であることをスカティは知っていた。
そしてウィマーンはスカティが時間を稼いでいるあいだにあるものを作っていた。
水の島ゴ・ナームは文字保有者たちが推測したとおり、もともとウィマーンが作成したものである。
スカティとウィマーンはこの水の島をゴ・ナームではなく「ランマイ・プローン(透明な繭)」と呼んでいる。
確かに一度作成したランマイ・プローンを細かく作り替えることはできないが、その建築技術を応用して比較的小規模の道具を作ることは今のウィマーンにも可能なのだ。
ウィマーンは水中でそれを作り上げ、スカティの足元に浮上させた。
それは水でできた杖であった。
すべてが水で組み上げられているにもかかわらず、本物の杖のように手で持つことができる。
「おまえたちも覚悟を決めろ」
杖の頭部には竜の顔面を模した装飾がほどこされている。
「人類の前に、まず文字保有者を根絶やしにする。手始めにチャーイハート……おまえが絶命してその傲慢をつぐなえ」
次回「156.【ณ】小僧のノー・チャーイハート【その2】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
パーヌアム(ผ้านวม)→掛け布団
プー(ผู้)→人
トゥー(ถือ)→持つ
アクソーン(อักษร)→文字
トゥア(ตัว)→文字
ウィーラ(วีร)→勇気がある
ランマイ(รังไหม)→繭
プローン(โปร่ง)→透明だ




