153.ゼロの数字(๐)【中編】
「……いや、おまえの魂には二つの色があるのか。欠けた半分と半分が合わさって一つの魂をかたちづくっていると言ったほうが正確だな」
棺桶の扉から顔面をのぞかせ、スカティが言う。
「チャーイハート。腰の円盤を境とするおまえの上半身と下半身はそれぞれ別の人間のもの……ผิดเหรอ(ピット・ルー)〔違うか?〕」
「ไม่ผิด(マイ・ピット)〔違わんぞ〕」
ウィマーンの爪におののくプリアさんのそばに立ちつつ、チャーイハートが右手で自分の左肩を、左手で右太ももをたたく。
「どうやら拙の体に興味を持ったと見えるな、スカティどの」
「ざれるな。なぜ私が人間の肉体ごときに関心を示さなければならない」
「ウィマーンどのも拙と似たような体だからであろう?」
水の地面から突き出た青い右手と緑の左手を順に見た。
「目撃証言によると、ある者はウィマーンどのの鱗が青かったと言い、別のある者は鱗が緑だったと述べた。これはどちらも正解だった。とはいえ同じような相手が二体いるわけでもない。つまりウィマーンどのの肉体も――」
ピクリと震えるスカティの黒目を見据え、チャーイハートが断言する。
「二体の竜の体を合わせてできている。青い右半身と緑の左半身――その二色のウィンヤーンで一つの存在を形成しているのだ」
さらに続ける。
「スーンさまがくっつけたのだな」
「よりによってな」
答えたのはウィマーンではなくスカティのほうだ。
「しかし『さま』とは……おまえはスーンを慕っているのか」
「左様。スーンさまは双子の姉妹であるチャーイの上半身とハートの下半身を接合させてその命を救った」
そのとき、チャーイハートの話に耳をかたむけていたためか、プリアさんの身が一瞬だけ激しくけいれんした。
チャーイハートが左手の平のノーネーン(ณ)で腰の円盤のふちをこする。
「拙が――チャーイハートがここにあるのはあの人のおかげである。拙はスーンさまを、心の底から尊敬している」
「スーンは……」
なにか思うところがあったようで、スカティがおもむろに語りだす。
「ゼロの数字(๐)と同じ名前を与えられたあいつは、かつて私の仲間だった。文字と数字の精霊五十二体の世話を任されていた」
……今、なにかとても重要なことを彼が言った気がする。
少なくともスカティはもともと数字のピーと交流があったらしい。
「しかしある日、スーンはウォーウェーン(ว)のピーをおのれの体に定着させることに成功した。『指輪のウォー』の名前に沿った力を発揮し、ほかの五十一体のピーを自身の衣服に縫いつけた。まるで指に指輪をはめるように、あっさりと。そして弱者をいたぶりたいという私欲のために私たちのもとから逃亡したのだ」
「そしてキサマはそのあとで、スーンさまと接触したと」
「ああ。スーンは追跡をやめない私に取引を持ちかけた。数字のピーはすべて返すから、しばらく好きにさせてほしいと言った。そしてウォーウェーンの力を用いて当時瀕死の状態にあったウィマーンを復活させた。おまえのように、別の半身を接合させることによって。……だからおまえがスーンを慕う気持ちも分からないではない。それでも私はあの男への軽蔑を消すことはできなかった」
スカティは息をつき、チャーイハートの後方で控える俺たちのほうにも視線をやった。
「おまえたちもスーンを慕っていたのか。あの男は私利私欲のためにウォーウェーンを行使していただろうに、哀れなことだ。おまえたちは『文字のピー』を体に埋め込む行為がどれほどおぞましいものか理解していないと見える」
数字ではなく文字の……ピー。
ここで俺は気づいた。
左手の平の赤いトータハーン(ท)を見る。
このトータハーンはスーンに刻まれたものというよりは――。
(文字のかたちを持つピーだったのか……? ウォーウェーンによってピーを俺たちと合体させていたのか!)
やはりスーンはその真実を取り外すことでホーノックフークの目もごまかしたのだろう。
真実だけを外しても、実質的な効力や現象そのものは消えないはずだ。
そもそも同じ文字を保有できるのは同時に一人までが限界――この前提がおかしかった。
本当にウォーウェーンが人に文字を刻むだけでその力を与えることができるなら、同じ文字を無制限に多くの人に刻むこともできたはずだ。
文字保有者の数に四十二という制限があり、かつそれぞれの保有する文字がすべて異なるのは、四十二体存在するピーの数と対応していたからと考えれば説明がつく。
(字を刻まれる際に想像を絶する痛みに襲われるのも、本来在り方が異なる精霊と人間とを無理やり接合させていたからか……。そもそもウォーウェーンの着脱する力を発動させるには最初からくっつけるものを別に用意する必要があった。文字の力は字を刻印するときに発現したんじゃない。もともと自然界に存在していた文字のピーを母体として、文字保有者が生まれたんだ。その具体的な体を俺たち人間に定着させることで……!)
スカティが俺たちに文字が刻まれていると見抜いた理由は、ピーの依り代であるラーンソンとして、俺たちの体に埋め込まれた文字のピーの気配を感じ取ったからではないか。
この場にいるクマリー以外の文字保有者全員が、自分に刻まれた文字を見ている。
もともとピーだったはずのそのかたちを。
ホーノックフークがおらずとも、スカティの言葉が真実であると俺たちは直感的に理解していた。
その意味するところ――すなわち俺たちに刻まれた文字の正体にも思い至ったことだろう。
とくにプリアさんは左手の平のロールア(ร)を凝視したまま憔悴しきった顔をしている。
俺はスカティがさらになにかを話してくれるのではないかと期待した。
だがこれ以上、彼は語らなかった。チャーイハートに促されても無言をつらぬく。
考えてみれば当然だ。
先ほど彼が情報を開示したのは、俺たちの警戒心をとくためである。
スカティとしては、このまま棺桶から出られても俺たちから即座に危害を加えられたらまずい。
出会って間もない俺たちを信用しないのは当たり前である。
そこでスカティは俺たち文字保有者の望む情報を提示し、逆に信用を引き出してこちらがスカティやウィマーンを容易に攻撃できない状況を作ったわけだ。
その状況を整えたからには、これ以上の情報の開示は慎重におこなう必要がある。
(あるいは俺たちを動揺させる作戦でもあるのかもな)
このタイミングで、ウィマーンが青い霧で新たな文字列を宙につづった。
【ソーン(๒)、サーム(๓)、シー(๔)、ハー(๕)、ホック(๖)、ジェット(๗)、ペート(๘)、ガーオ(๙)の数字を持つ者たちよ、こちらに来い。おどおどしている小娘は私の左手に、二色の魂を持つおまえは私の右手のそばに寄れ】
スカティが解放されるまでのあいだ、プリアさんとチャーイハートを人質にするつもりらしい。
俺は手を大きく挙げた。
「すみませーん、ウィマーンさん。わたしは数字のピーと一緒ではありませんが、ここで待機でいいですかー?」
【おまえは……そうだ、そこで立っていろ。妙なマネをするなよ】
俺はうなずき、一人だけ棺桶から離れた場所に立っておくことにした。
エーン、ニウフアメーとリアンゲ、サラサルアイ、ヒマ、ナーグルア、キア、クマリーが棺桶の扉に近づく。
みんなに連れ添っていた数字のピーたちは扉右側の彫り込みにはまり、それぞれ赤く光った。
すでに上から一段目と二段目はひらいているので、三段目から下に向かって次々と扉がひらいていく。
じきにスカティの全身が俺たちの前にさらされた。
スカティは、衣服をまったく身にまとっていない状態である。
それでもだらしない感じは全然ない。むしろ洗練された造形美を感じさせる肉体だ。
「……礼は言わない」
棺桶のなかからすぐには出ずに、クマリーと目を合わせる。
「クマリー。おまえは私とウィマーンの『夢』を知りたいと言った。そして私は棺桶から出たときに必ず教えると約束した」
「は、はいっ!」
両手にこぶしを作り、クマリーが緊張した声を出す。
「ぜひとも教えてくださいっ」
「ピーだけの新しい楽園を共に築くために」
スカティの右足が棺桶から出て水の地面を踏む。
「人類を滅ぼす」
確かにそれは彼自身が予告していたとおり、誰もが思い付くような、ありふれた願いである。
「――これが夢だ。どうだ? 陳腐で幼稚で頭の悪い、そのくせ自分だけは世界のすべてが見えていると勘違いしている典型的なバーがいだきがちな結論だろう」
瞬間、ウィマーンの左手と右手がプリアさんとチャーイハートをつかみ、グシャリと彼女たちを握りつぶした。
次回「154.ゼロの数字(๐)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ピット(ผิด)→間違っている
ルー(เหรอ)→○○か?
マイ(ไม่)→○○ではない




